表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第三章・上坂一存の世界
72/137

みんなが集まる場所

 9月も半ばに差し掛かり、徐々に日差しが柔らかくなってきた。


 それでもまだまだ汗ばむ陽気の中、刑事の下柳が額の汗をハンカチで拭きながら縦川の寺に遊びに来ると、寺務所の中からドコドコドコドコと何かを叩く音が聞こえてきた。


 周囲は閑静な住宅街。時折、株価に一喜一憂した縦川が奇声を発するくらいで、とても静かな環境だったはずだが、しばらく来てない間に、何か変わったことでもあったのだろうか?


 首を捻りながら寺務所に向かうと、たまたま境内に出てこようとしていた縦川が彼のことを見つけて、


「あれ? 下やんじゃないか。どうしたんだい、急に」

「ここんとこ立て込んでてな。久しぶりに非番なんで遊びに来た」

「いつもいきなりだなあ。連絡くらいくれよ」

「それより何だこの音は? 門の外まで聞こえてきたぞ」


 寺務所に入るとテレビの前に上坂と美夜が座っていて、太鼓型のコントローラー……いわゆるタタコンをドンドコ叩いている姿が見えた。2人とも画面を見ながら一心不乱に太鼓を叩き、滴る汗が暑苦しかった。


 上坂は意外とゲーマー気質なところがあったが、どちらと言えばクールな方だから、あんなにドンドコやってる姿は想像もつかなかった下柳は面食らった。


「なんじゃありゃ?」

「タタコンだよ」

「見りゃ分かるよ、上坂のやつ一体どうしたんだって言ってんだ」


 すると縦川は苦笑しながら、


「上坂君、こないだ生まれて初めて友達とゲーセン行ったそうなんだけど……その時、友達に太鼓で辛酸を舐めさせられたって悔しそうに帰ってきたんだよ。面白いからコントローラー買ってきてさ、みんなで練習してたんだけど、上坂君、美夜ちゃんにも負けちゃって」

「へえ、あいつ友達出来たんだ。それで、ちびっこ相手にリベンジしてるとこ?」

「いや、コツを掴んだって言ってから、今は協力プレイしてるみたいだよ」

「ふ~ん……音ゲーにハマるとは、意外だったな」


 そう言いながら当たり前のように靴を脱ぎ、スリッパに履き替えた下柳は、上坂と美夜が一生懸命太鼓を叩いてる後ろに腰掛けると、縦川が持ってきてくれたコーヒーをすすりながらその様子を眺めていた。


 やがて音楽がクライマックスに差し掛かり、2人が顔を真っ赤にしながらドコドコと叩き終えると、画面にパーフェクトの文字が飛び出し、上坂と美夜は実に嬉しそうな笑顔を見せた。


 こうやって見てると兄妹みたいなと思っていると、


「あれ!? 下やん? いつ来たんだよ」

「さっきだよ。つーかおまえ、ゲームに熱中しすぎて気づいてくれないんだもん、お兄さんは寂しいぞ」

「悪い悪い、遠慮しないで声かけてくれればいいのに」

「邪魔するのも悪いしな。なんかハマってるんだって?」

「まあな。最初は一生懸命目で追ってたんだけどさ、全然うまく行かなくて……でも途中から耳で覚えるんだって気づいてさ、そしたらどんどん世界が変わったんだよ」


 上坂は聞いてもいないことを嬉々として語っている。ゲームとは言え、夢中になれることが見つかってよかったなと思いつつ、接待でもしてやろうと下柳は思い、


「ふーん、じゃあ勝負しようぜ、つっても俺、初心者だから手加減してくれよ?」

「いいよ。やろうやろう」


 上坂は今まで一度も見せたこともないようなにこやかな笑顔を作ると、下柳を引っ張っていってテレビの前に座った。バチをくるくると回す姿がすっかり様になってるなと思っていると、間もなく曲が始まってドンドコドコドコ太鼓の音が鳴り響いた。


 当たり前だが勝負は一方的だった。手加減してくれと言ったのに容赦ないなと、苦笑いしながら下柳が顔をあげると、鼻の下を伸ばした上坂の実にいやらしい笑顔が飛び込んでくる。


「あ! てめえ! 俺のこと馬鹿にしやがったな!?」

「ソンナコトナイヨー」

「きぃー! 悔しい! 初心者相手にエゲツねえ。覚えてやがれよ!? 今度返り討ちにしてやっからな!」


 上坂と下柳がそんな風にじゃれ合ってると、寺務所のチャイムが鳴って外から声が聞こえてきた。縦川が応対に出ると、やってきたのはGBと日下部だった。彼らが縦川にペコリと頭を下げて入ってくると、その姿に気づいた下柳が、


「あ! おまえ、ジーニアスボーイじゃねえか?」

「げげっ! おあえはあの時の刑事(デカ)っ!?」

「友達が出来たってコイツのことだったのかよ。そういや、同じ学校なんだっけ。いやあ、世間は狭いなあ……おまえ、もう悪さしてないだろうな!?」

「な、なんもしてないよ! もうYouTubeからは足を洗ったんだ」


 GBと下柳がやいのやいのとやってる間、縦川は新たにやってきた客のためにお茶を用意していた。最近はすっかり打ち解けたのか、黙っていても美夜が手伝ってくれるので凄く楽だった。


 2人がお茶菓子をお盆に乗せてテレビの前まで戻ってくると、さっきの一方的な虐殺ですっかりヘソを曲げてしまった下柳が、太鼓をやろうとしている上坂とGBを押しのけて、大人気なくテレビを独り占めしようとしていた。


 結局コントローラーを取り合った挙げ句、みんなでやれるゲームをしようということで桃鉄を始めた6人は、4チームに分かれて結構盛り上がった。異常な運を発揮した上坂と美夜のチームが圧勝すると、チートだチートだとわめきながら、GBと下柳が熾烈な最下位争いを演じていた。2人とも、異様なくらい貧乏神に好かれていた。


 そんな風に和気あいあいとゲームを楽しんでいると、また寺務所のチャイムが鳴って、今度は華やかな女の子二人がやってきた。


「こんにちわ~、ですの。いっちゃん居ますか?」


 白のワンピースに麦わらという、よくありそうでいて現実では滅多にお目にかかれない格好をして、白木恵海が寺務所にやってくると、桃鉄をしていた男たちがオオッと歓声を上げた。


 縦川を除く3人は恵海とは初対面で、上坂には凄く可愛い幼馴染がいると話には聞いていたが、いざこうして実物にお目にかかってみたら、その幻想とも呼べるほどの美しさを前に言葉を失ってしまった。


 下柳はこれが噂の彼女か……やるな~と感心し、日下部は自分のことじゃないのになんだか恥ずかしくなった。そしてGBは思った。あっちの世界でタレントをやってた時、テレビ局で色んなアイドルを見かけたが、あんなの目じゃないくらい可愛いぞ。しかも、こんな凄い子が上坂の彼女だなんて……


「あ、いらっしゃい、エイミー」


 上坂がそう言って駆け寄り、当たり前のように彼女の手荷物を受け取って、二人がお互いに目を見つめ合いながらニコニコしていると、GBの口から自然と言葉が漏れた。


「ずるい……」

「え?」

「ずるいぞ、上坂! おまえ、友達だって言ったくせに! なんだよそのクオリティは! 三次元にこんな可愛い子が居て良いのか!? ありえないだろう!? ……こんな格差社会、許せねえ! 見せつけやがって、こんちきしょう!」

「な、なんだよ一体」

「なんだも糞もあるか! そんなに可愛い彼女がいるなんて聞いてないぞ!? 俺とおまえは同類だと……同じ修羅の道を歩むんだと、そう思っていたのに、裏切り者!」


 GBが半べそをかきながらそう詰め寄ると、上坂はその勢いにタジタジになりながら、


「ば、ばか! 彼女なんかじゃねえよ!」


 瞬間、恵海の胸にざっくりと鋭利な刃物が突き刺さったような衝撃が走った。


「エイミーと俺は、ちっちゃい頃からの友達なんだよ。そんな風に変な気を回されたら、エイミーが気まずくなっちゃうだろう? 失礼なこと言うなよな」


 上坂が慌ててそう言い繕うと、恵海はさざ波のように血の気の引いた真っ青な顔をしながらも、もはや義務的ににこやかに笑いながら、


「そ、そうですわよ。私といっちゃんは、ただの幼馴染ですの。10年前も、10年後も、そして一生、ただの幼馴染ですの……う、うう……」


 言ってるうちに徐々にトーンダウンしていく恵海のことを気の毒そうに横目に見ながら、彼女の横からもう一人の女の子が現れた。アンリエットは気の毒な恵海を脇にどけると、靴を脱がずにそのまま上坂の尻を蹴り上げた。


「い、いてっ! 何すんの? 委員長!?」

「いいからさっさと退きなさいよ、図体ばっかりでかくなって、この朴念仁が。通行の邪魔よ。そこのブタ……三千院も一人で興奮して微妙なことに首突っ込んでんじゃないわよ」

「いてっ! いてっ! やめて! お尻はやめて!」


 両手にコンビニ袋をぶら下げたアンリが、足だけでGBのことを蹴り上げる。彼は独特のくねくねする動きをしながら、情けない声を上げた。


 その情けない姿で場の緊張が少し和らいだのだろうか、下柳と日下部が笑い声を漏らす。縦川はGBを追い立てているアンリの荷物を受け取って、玄関先でくよくよしている恵海を促した。


「まあまあ、取り敢えず2人とも、荷物をおいてくださいよ、重いでしょ」


 アンリがプンスカしながら戻ってくると、下柳が尋ねた。


「よう、アンリちゃん。どうしてこんなとこに?」

「あ、下柳さんこんにちわ。実は、エイミーさんが最近お料理の練習をしてるそうなんですけど、私はそのお手伝いです」


 聞けばずっと使用人任せだった恵海は、このままじゃいけないと最近料理を始めたのだそうな。今日はその練習の一環として(という建前で)、上坂に料理を作りに来たらしい。


 ところが朴念仁の上坂が、どうせなら幅広くみんなに意見を聞いたほうがいいんじゃないかと、無用な気を利かせて友達二人を呼び寄せたせいで、初心者の恵海が困ってしまい、アンリに助けを求めてきたらしい。


 恵海は初心者で、上坂のために一皿作るだけでも緊張するのに、こんなに大勢、いきなり出来るわけがない。そんなわけで、仕方なくヘルプに来たアンリだったが……


「下柳さんも居たんですね。食材、足りるかなあ……」

「ああ、俺の分はいいから。腹が減ったら適当に外に食べに行くよ」

「そんなわけにはいかないでしょ。なんとかやりくりしますから……それじゃ、エイミーさん! 今日は大変だけど、気合い入れて行きますよ」

「はいですの」


 そんなこんなで荷物持ちの縦川に導かれて、恵海とアンリは寺の台所に向かっていった。


「ちぇっ……色気づきやがってよ」


 上坂が下柳とGBに左右から交互に肘打ちを食らっていると。取り残されていた美夜も、そわそわしながら台所に向かっていった。


「あれ? 美夜、どこいくの?」

「美夜もお料理するれす。自分で作れるようになりたいれす」


 どうも彼女もお手伝いをするつもりらしい。美夜はそう言い残すと、縦川たちが向かった廊下の方へと消えていった。


 彼が眠り病から回復してから気づいたのだが、不思議なことに今までずっと上坂にべったりだった美夜は、最近は色んな人と関わりを持とうとしているようだった。怒りっぽかったあの性格も鳴りを潜め、上坂の太鼓の練習はもちろん、いつの間にか寺の朝のお勤めも出るようになり、掃除や洗濯にも興味を示すようになった。


 特に縦川とはより親密になった様子で、最近はたまに彼の後をつけていって、もじもじしながら色々とアドバイスを貰っているようであった。もしかすると、上坂が眠っている間に、二人の間に何かあったのかも知れない。


 そんなことを考えていると……ブオンブオンっと、遠くの方からエンジン音が聞こえてきて、どうやら誰かの車が寺の外に止まったようだった。


 参拝客かな? と思って上坂が寺務所の外を覗いていると、山門から御手洗に手を引かれたテレーズが入ってきた。


「え!? テレーズ様??」


 思わず上坂が素っ頓狂な声を上げると、彼女と縁のある日下部も驚いて飛び上がり、二人揃って彼女のことを出迎えるために寺務所から飛び出した。御手洗に先導されるようにゆっくりとした足取りで歩いていたテレーズは、二人の姿が見えると息を弾ませながら、にこやかな笑みを浮かべて、


「上坂様、日下部様、ごきげんよう」

「ご、ごきげんよう! ……御手洗さん、どうしたんですか? テレーズ様を、こんなとこに連れて来ちゃって大丈夫なんですか?」


 テレーズはまだ完璧には体調が戻ってない様子で、足取りは重く、少し歩いただけで息を切らせているようだった。上坂が心配して尋ねてみると、


「実はこれもリハビリの一環なんです。テレーズはだいぶ歩けるようになりましたから、病院のリハビリ室だけじゃなく、こうして外も散歩するようになったんです。私はその付き添いですよ」

「先生は、お忙しいのに、私が上坂様に会いたいとワガママを申しましたら、こうして車を出してくださったんです。それで遠出しちゃいました。うふふ」


 御手洗がそっけなく説明し、テレーズが嬉しそうにはしゃぐ。なるほど、愛だな……と思っていると、ニコニコしながらテレーズがこんなことを言い出した。


「私も体調が戻りましたら、また車の免許を取って自分で運転するつもりです。その時はまた、上坂様も一緒にドライブに行きましょうね」

「よろしければ私もお忘れなく。なんでも上坂くんは夢の世界でテレーズとドライブをしたそうですね。羨ましい限りです」


 いや、羨ましがってないで、全力で止めろよ……


 上坂は外交官ナンバーで無茶をするテレーズの暴走を思い出して、背筋に冷や汗が流れるのを感じたが、リハビリを頑張っている彼女の前で、そんなことは言えなかった。あとで御手洗にこっそり教えてあげようと心に誓う。


 その後、台所に恵海とアンリを案内して戻ってきた縦川が、またお客さんが来たの? と言いながら寺務所に顔をだすと、そこにテレーズたちがいるのを見つけて大層驚いていた。


 テレーズは外国のお姫様だと聞いていた彼は、まさか自分の寺にそんな高貴な人が現れるとは思いもよらず、珍しくあたふたと慌てていた。さっきから人が来るたびにお茶を出していたが、流石に今度の客に番茶を出すわけにはいかないだろう。彼はとっておきの玉露を出してくると、電気ポッドでお湯を沸かしながら、淹れ方の書かれた紙を一生懸命読んでいた。


 テレーズはそんな縦川に向かってお構いなくと言いながら、御手洗に手を引かれ、寺務所の食卓から持ってきた椅子に腰掛けた。だいぶ歩けるようになったとは言え、まだまだ少し歩くだけですぐに身体が痛くなってしまうらしい。


 お婆さんみたいで情けないですと言いながら、彼女が上品にホホホと笑うと、釣られて男たちもみんなホホホと笑った。それがあんまりおかしかったものだから、一同は一笑いすると、調子に乗ったGBがオカマみたいな口調で話しはじめて、それにノッた下柳と2人でコントみたいな寸劇が始まった。


 そして、そんな笑いの絶えない寺務所に、今日はどうしたことだろうか、また一人の客が舞い込んできたのである。


 立花倖はおよそ1月ぶりに寺に姿を現すと、周囲から身を隠すように警戒しながら寺務所に近づいてきて、そこで大勢の見知らぬ人たちが談笑している姿を見つけて、目をパチクリさせていた。


 今日はたまたま誰かの法事に重なってしまったのだろうか。小さいとは言え、一応、公の施設だから、参拝客が訪れることも有りうるが、この寺にこんなに人が集まってるのを見るのは初めてだった。


 寺務所の外で出直そうかどうしようかと迷っていると、そんな彼女の姿に気づいた上坂が、


「あ! 先生! いつ帰ってきたんですか?」


 彼が倖を見つけて嬉しそうに駆け寄ってきた。多分、尻尾が生えていたらパタパタと忙しかったに違いない。その晴れやかな笑顔を見て、彼女は姿を隠すことを諦めると、寺務所の中に足を踏み入れた。


「おかえりなさい、渡航の準備の方はもういいんですか?」

「反対してた人が居なくなっちゃったからね、再入国に手間取ってただけよ……って、御手洗さん?」


 倖は寺務所の中に彼の姿を見つけて目を丸くした。御手洗はバツが悪そうな顔をしながら、


「その節は大変失礼いたしました。私としては、あの時はどうしても止めざるを得なくて……」

「上坂君から聞いてるわよ。もう今さらだから恨みっこなしで行きましょ。その人が例のお姫様?」

「彼からどの程度聞いてるのか分かりませんから何ですけど、ええ、多分」


 倖は寺務所にズカズカと入っていくと、椅子に腰掛けて体を休めていてテレーズの前に進み出て、無遠慮にジロジロとその顔を見た。御手洗の顔がほんの少し剣呑なものになっているのに気づいて、彼女は顔をあげると、


「色々と尋ねたいこともあるんだけど、疲れてるようだし、また今度にしましょう。それにしても縦川さん、これは何の騒ぎ? どっかでお祭りでもやってるのかしら?」


 玉露とにらめっこしていた縦川は突然話しかけれてびっくりしつつも、彼女の問いに答えて、


「いえ、たまたま集まってきちゃっただけですよ。奥にエイミーさんも居ますよ。みんな上坂君の友達です」

「上坂君の……?」


 倖が目をパチクリさせている。たった一月、会わずにいただけで、こんなにも交友関係が広がるものなのか。男子三日会わざれば刮目して見よというが、いつも大人に紛れて一人で遊んでいた、五年前の彼の姿からは想像もできないことだった。


 そんな具合に彼女が感心していると、いきなりやってきて偉そうなこの女性が何者なのか気になったGBが、


「おい、上坂、この人だれだよ?」

「ああ、この人は俺が小さい時から育ててくれた、お世話になった先生だよ」

「上坂の先生だって!?」


 上坂が彼女のことを紹介すると、突然、GBと日下部と、椅子に座っていたテレーズまでもが目を丸くして立ち上がり、彼女に向かってずんずんと近寄ってきた。3人の剣幕に押されて倖はのけぞる。そんな彼女の姿など気にもとめずに、三人は口々に、


「これが上坂が言ってた先生か。ノーベル賞も夢じゃない大天才だという」「先輩がお願いすれば、なんでも解決してくれるという……」「まあ! あちらではお会い出来ませんでしたが、何という幸運でしょうか。私、あなたにお会いしたくて、あちらで上坂様と一緒に探したのですよ?」


 倖は口々に彼女を褒めそやす三人にタジタジになりながら、


「上坂君、私のことどんだけ盛って紹介したのよ? 私はそんな超人じゃないわよ」


 まるでハリウッドスターにでも出会ったかのように、キラキラした瞳で彼女のことを見つめる三人に向かって引きつった表情を浮かべるのだった。


 そんな具合に寺務所で騒がしいことに気づいたのだろうか、奥の台所に引っ込んでいたアンリが様子を見にやってきて、そこの人口密度に目を丸くした。


「なによこれ!? さっきより人数増えてるじゃないの……って、あなた、上坂の先生じゃないですか」

「どうも」

「それからこちらは……綺麗な方ですね? 白髪だから上坂のお姉さん? そっちは……んまあ! いい男」


 アンリは御手洗を見つけると品を作ってにじり寄っていった。金の匂いに敏感な女である。上坂が呆れながら、


「この方はテレーズ様。向こうの世界でお世話になったローゼンブルクのお姫様だよ。それからこっちは御手洗さんって言って、議員さん」

「まあ! セレブじゃないの。お初にお目にかかります、御手洗さん、テレーズさん。今日は是非、私の……ごほんごほん、恵海さんと私の料理を堪能していってくださいませ。すぐにご用意させていただきますから」

「いえ、お構いなく、私達はすぐに帰りますから」

「そんな事言わずに! 味は保証しますから! 私、秋葉原の方のフレンチレストランで働いております、アンリエットと申します。よろしければ一度当店の方にもご来店いただいて……」


 アンリは営業を始めてしまった。その押しの強さに、然しもの御手洗も引きつった笑みを浮かべるのが精一杯のようだった。勝手にハードル上げてるが、料理を作るのは初心者の恵海のはずだが、大丈夫なのだろうか……


 とんでもないことになっちゃったなと、上坂がハラハラしながら見守っていると、テレーズたちを引き止めることに成功したアンリが彼の方を向き直り、


「それじゃ上坂、食材買い足しに行くから案内しなさい」

「え? 俺?」

「あんたここに住んでるんでしょ? 一番下っ端のあんたが案内するのが当然でしょう。あとはロボ子にも荷物持ちさせるわ」


 ロボ子とは美夜のことだろうか……喧嘩しないか心配だったが、嫌っているが拒絶まではしないでくれてるようだ。本当に若いのにさばけた女である。上坂はホッとため息を吐くと、美夜の面倒を見てくれてるなら、彼女のことも労わねばと、


「仕方ない、それじゃちょっと買い出しに行ってきます」


 上坂はそう言うとアンリが台所から呼んできた美夜と一緒に寺務所を出た。


 境内を抜けて門を出てもまだ寺務所からは人の話し声が聞こえてきた。鷹宮の家から引っ越してきた当初は物音一つなくとても静かだった。たまに下柳が遊びに来るくらいだったのに、いつの間にこんなに賑やかな場所になったのだろうか。


 彼はなんだか足取りが軽くなって、スキップするような速度で足を早めた。その後をついていくアンリがもっとゆっくり歩けと抗議の声をあげる。そんなみんなが上坂に会いに集まってきていることに、彼はまだ気づいていなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ