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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第三章・上坂一存の世界
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預言者

 そして時は今に戻る。その日、上坂たち眠り病患者達が目を覚ましたことで、病院は大騒ぎになっていた。


 なにしろ重病患者である。彼らは起きるなり数多くの精密検査をさせられた。ところが検査の結果、上坂、GB、日下部の三人とも、まったくもって正常であり、いつでも退院できるほどの健康体だったのだ。


 何をやっても目を覚ますことがなかった患者が、目覚めていきなり日常生活に戻っていけるなんて、現代医学の常識としては考えられないことだった。挙句の果てに、5年前に意識不明で運ばれたはずのテレーズまでもが目を覚ましたことで、医者たちは混乱の極みに達したようである。


 特に目覚めてから数日間のテレーズの回復ぶりは驚異的だった。


 まず、5年間も眠り続けていたはずの人が、起きるなり全く混乱することなく、いきなり会話できること自体が驚きだった。長年寝たきりだったせいで声が出ないなどというような、身体的な障害はもちろん、唐突な時間経過による混乱も無く、彼女はまるで昨日寝て今日起きたというぐらいに何事もなく、自分に起きた出来事を当たり前のように受け入れてしまったのである。


 おまけに、彼女の体力は5年間も眠っていた人のそれじゃなかった。そもそも、目覚めてすぐは顔の筋力さえ衰えてしまって、喋ることさえ困難だったろう。ところが彼女の場合は、すぐに体を起こし、不自由ながらも腕を動かすことさえ出来てしまった。


 もちろん、眠っている間、看護師などが彼女の体が固まってしまわないように、マッサージや寝返りを打たせたりはしていた。しかし筋トレをしているわけではないので、普通に考えれば寝たきりでは1ヶ月も経てば障害が出てしまうはずだ。


 ところが彼女はそれが出来て、5年もの間眠っていたにも関わらず、驚異的なスピードで回復を始めたのである。


 それはあたかも時間が止まっていたかのようで、現代医学では説明がつかない奇跡のようなものだった。


 となると、それは要するに、眠り病とは病気ではないということだ。この世界に突如現れた超能力者と同じように、なにか得体の知れない力が働いてこうなっていたと考えるのが正しいのだろう。


 医者たちは、その理由を眠り病から回復した上坂たちに求めた。そして言うまでもなく、彼らはそれに答えることが出来た。眠り病とは何であるか、彼らは身をもって体験してきたのだから当たり前である。


 ただし、彼らの話を信じられればの話であるのだが。


「つまり、眠り病ってのは、他世界に存在する自分自身に魂だけが憑依してしまう現象なんですよ」


 ある日、上坂は、縦川と御手洗が同席のもと、医者に問われるままに自分の身に起きた出来事を話して聞かせた。だがいくら上坂が体験を語っても、彼らは中々納得が出来ないようだった。そりゃそうだろう。平行世界というのは理論上の概念に過ぎないのだ。彼らにしてみれば、上坂は時折テレビに出演する、自称宇宙人のようなものとしか思えなかったのだろう。


 かと言って嘘を吐いてるわけでもないから、上坂は渋い顔をしている彼らに、根気よく自説を説くしかなかった。


「先生は信じられないかも知れませんが、この世界には平行世界が無数に存在して、そこには別の自分がいるんです。眠り病患者は、どうやってるのかは分かりませんが、精神だけを別の世界に移動させることが出来て、そっちで得た新たな体で新しい人生をやり直しているようなんです。その際、こっちに残された、魂が入ってない身体が、いわゆる眠り病患者ってもののようですね」

「……とても信じられませんが、君や三千院君、日下部君、テレーズさんまでもが同じことをおっしゃってるので、本当のことだと考えるしかないようですね……でも、どうしてそんなことが起こるんでしょうか」

「それは超能力がどうして起きてるんだ? ってことと同じでしょうね。俺にはよく分かりません……俺の先生は、高次元方向からやってくる力によって説明しようとしているようですが、そもそもその力は観測が不可能なので、あまり上手く行ってない感じです。って言うか、俺もいまいち理解出来ませんし……まあ、難しいことは置いておいて、超能力者に起きる謎の現象って考えるのが無難なのかも知れません」

「……つまり、超能力の一種なんですか?」

「それもわかりませんね」


 もしかしたら、上坂自身はそうかも知れないが、他の患者も同じかどうかは分からない。彼は自分の能力を、あまり他人に知られたくないので、その辺はボカして続けた。


「取り敢えず、この病気になる可能性のある人間についてはある程度目星がついてます。FM社の監視システムのせいで脳内に腫瘍が出来た人物……つまり超能力者の素養がある人達です」


 その辺は上坂が指摘する以前に、眠り病患者の特徴からある程度予想がついていた。御手洗はやっぱりなという顔をすると同時に、FM社……つまりアメリカ政府が関わってきてしまうから、この事実を公表できないことに対し、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


 上坂は続けた。


「こっからは憶測ですけど……俺はそもそもこの病気は、この世界に嫌気が差した超能力者がなる病気なんじゃないかと思ってます。彼らはこの世界に絶望すると、もっと別の楽しい世界を見つけて、そこに逃げ込んでいるんじゃないかと……」


 例えば、GBはイジメられてこの世界に嫌気が差し、あっちの世界でタレントになっていた。アンリは父の生きている世界に紛れ込んでいた。テレーズも兄も、2人とも一度死にかけたわけだが、別の世界に逃げることでそれがチャラになっていた。


 日下部に関しては、上坂の能力に巻き込まれたと考えるのが妥当かも知れないが、もしかすると彼もこの世に絶望していたからかも知れない。彼にはそれだけの理由があったし、おまけに彼をイジメから救おうとしてGBが意識不明の重態だったのだ。遅かれ早かれこうなっていた可能性はある。


 ただ一人、上坂だけが眠り病になる理由がない。いや、逆に有りすぎて、なるならとっくの昔にそうなっててもおかしくなかっただろう。つまり、彼だけが能動的に眠り病を発症させ、そして戻ってくることが可能だったと言うわけだ。


 彼はその事実にGBの説得後に気づいたため、元の世界に戻ってから、改めてテレーズを呼び起こしに行けたと言うわけだ。尤も、どうしてそんな能力があるのか、また自分でもどうやってそれを実現しているのかは、相変わらずさっぱり分からないのであるが。


「もしかして、上坂君ならば、他の眠り病患者を起こすことも可能ということですか?」


 上坂がその辺のことを示唆すると、医師が当たり前のようにそう尋ねててきた。


「それはやってみないと分かりません……GBもテレーズ様も、俺の知り合いだったから可能だっただけかも知れません。ちょっと考えてみてください。ある日突然知らない人がやってきて、あなたは眠り病だから元の世界に帰りましょうって言っても、誰も話すら聞いてくれないでしょう?」


 彼がそう答えると、突然何かを思い出したかのように、ハッとした表情で御手洗が口を挟んできた。


「それだ! 上坂君、君はいつテレーズと知り合いになったんです? いや、君に救われておいてこんな難癖をつけるような真似はしたくないんですが、ずっと不思議だったんですよ」

「ああ、それなら、俺じゃなくってテレーズ様のほうが俺のことを知ってたんです」

「テレーズが……?」

「この辺はややこしいんですが」


 上坂は自分が眠り病に罹っている間に、あっちで起きた出来事を話して聞かせた。


「……それで、テレーズ様がお台場の公園にやってきて、俺のことは預言者に聞いた救世主なんだと」

「預言者……?」


 御手洗の眉間に深いシワが寄る。


「ええ、俺は救世主なんて冗談じゃないと思って訂正したあと、とにかくその預言者なら何か知ってるんじゃないかと思って、最初はGBを説得せずに彼女のことを探していたんです。残念ながら見つからなかったんですけど……でも、ちょっとした心当たりならあって。雲谷斎、あのさあ?」


 まったくもって自分には関係ない話だと油断していたのだろうか、ボーッと耳を傾けていただけの縦川が、いきなり話しかけられてキョドっていた。


「え? な、な、なに??」

「ちょっと前に、境内で美夜と喧嘩していたスピリチュアル団体が居ただろう?」

「……ん? ああ、いたねえ。それが?」

「多分、あの時にいた変な女が預言者だ」


 縦川は目を丸くして、


「え!? でも、預言者っていうのは、君の言う別世界の住人なんだろう? どうして彼女が関係有るんだ」

「さあね、俺も聞いてみないとさっぱり分からない。もしかしたら、俺の勘違いかも知れないし。ともかく、あの時、あんたは彼女から連絡先も聞いてただろう?」

「ああ、それならその時もらった名刺があるけど……」


 縦川はそう言って、自分の財布から名刺を取り出した。それは中高生が好みそうなゴテゴテとした装飾が施された名刺であり、表面には名前とメアドやSNSのID、裏面には不思議な文様が描かれていた。


 上坂はとにかく、そのアドレスに連絡を取ってみようとして、縦川から名刺を受け取ろうと手を伸ばした……


 すると突然、それを遮るように横合いから御手洗が手を出して、ひょいっとその名刺をつまみ上げてしまった。


 いきなり取り上げられてしまった上坂はムッとして彼を睨んだが……御手洗の顔に驚愕の表情がありありと浮かんでいるのを見て、すぐにそれは戸惑いに変わった。


「この子が、その、預言者だと言うんですか?」

「え? ええ、もしかしたら……彼女のこと、何か知ってるんですか?」

「知ってるも何も……」


 尋常じゃない様子で名刺に書かれた名前を見ていた御手洗は、次の瞬間ハッと周囲に気づいたように顔をあげると、申し訳無さそうな素振りで取り上げた名刺を、みんなに見えるように机の上に置いた。


 その名刺の中央に『饗庭(あいば)江玲奈(えれな)』の名前が刻まれている。彼はそれを指さしながら、


「……饗庭江玲奈と言うのは、都知事……饗庭玲於奈(れおな)の孫娘です。そして、我々ホープ党執行部は、彼女のことを……」


 御手洗は実に言いづらそうに、


「預言者と呼んでいます」


************************************


 それから先、御手洗は絶対にオフレコにしてくれと前置きをしてから話し始めた。


 彼が言うには、饗庭江玲奈という人物は、幼い頃に両親を無くし、現知事である祖母玲於奈に、たいそう甘やかされて育ったそうである。まだ中学生だと言うのに、月の小遣いが何と100万円もあって、祖母の全面的な信頼のもと、都内の高級マンションで一人暮らしをしながら、好き勝手に生きているようである。


 かと言って、芸能人の子供にありがちなドラ娘というわけではなく、彼女の小遣いはいわば彼女の能力への対価と考えた方がいいらしい。実は彼女は政財界の重鎮にも顔が利く凄腕の占い師であり、その的中率から預言者の異名を持つ人物だったのだ。


 彼女の占いのお陰で莫大な富を築いた者は跡を絶たず、特に祖母である玲於奈は孫娘に全幅の信頼を置いているようだ。アナウンサーを辞めて政界進出した折には、まだ小学生だった彼女がブレーンを務めていたという噂で、リバティ党から離脱して党を立ち上げたのはもちろんのこと、実を言えばホープ党の政策には彼女の助言によるものも多々含まれているそうである。


 もちろん、そんなことが世間にバレたら大スキャンダルなので、今となっては彼女の姿が表に出ないように、慎重に秘匿されている。御手洗が絶対にオフレコといったのはこのことらしい。


 彼自身、ホープ党に入り、こうして出世するまではそんなスキャンダルのことなんて知らなかったそうで、


「最初それを知った時は、いつここから抜け出そうか、真剣にそのことだけを考えましたよ。まさか党のマニフェストを、得体の知れない占い師なんかの助言で決めてたなんて思いもよらないでしょう? 今はそうは思ってませんが」


 彼がどうして心変わりしたのかと言えば、


「実は、私がドイツ行きを反対したのは、上坂君をこの国に留めておけと、彼女から助言されていたからなんです。上坂君はこの国を……いえ、いずれ世界を救う救世主となるから、絶対に手放してはいけないと……そう言われた都知事はそれを信じて、上坂君に執着していたわけです」

「まさか、こっちでも上坂君のことを救世主なんて呼んでいたんですか?」


 縦川が目を丸くしている。


「ええ、尤も、私はそこまで大げさには考えて無くて、上坂君の能力やドローン兵器を作り上げたその開発力が、ゆくゆくはこの国にとって無くてはならない力になるんじゃないかと、その程度にしか考えていませんでした……ところが、私は彼女と会った際に、いずれおまえの悲願が救世主によって成されると予言されておりまして……」


 彼はそう言うと、改めて上坂に向きなおり、真剣な表情で言った。


「実を申しますと私の悲願とは、5年前、私に会いに東京に遊びにきてくれたテレーズが目覚めることでした……私はそのために、寝たきりの彼女を支援するための医療改革を起こそうとして政治家を志したんです。今はその途上だったんですが……そんな時に予言どおり、あなたによってテレーズが救われてしまったんです。そうしたらもう、信じるしかないでしょう?」

「彼女がそれを予言したのはいつ頃の話ですか?」

「アメリカに君が拘束されてるのが判明してすぐ、今から大体1年弱くらい前のことです」

「……俺は彼女と会ったことすら無かったというのに……」


 こりゃ本物だ……誰も何も言わなかったが、その場にいる全員の意見が一致したようだった。沈黙が流れ、全員の視線が自ずとテーブルの上に置かれた一枚の名刺に注がれる……


 上坂は意を決してそれを取り上げると、


「取り敢えず、連絡を取ってみませんか? こうしてわざわざ名刺を残していったのも、今日のことを予知していたからかも知れませんし」

「だとしたら薄ら寒いなあ……それってつまり、君が眠り病になるって知っていたってことだろう? だったら先に教えておいてくれれば、俺達もこんなに慌てなくて済んだだろうに……」

「それだよ、雲谷斎。彼女はあの時、眠り病について言及していただろう?」

「え!? そういえば……」

「だから俺は、あっちの世界で彼女のことを思い出したんだ」

「じゃあ、もしかしてあれって、寺まで予言しに来てたのか?」


 縦川は開いた口が塞がらないといった感じだった。


「ともかく、連絡してみよう。メール……よりはSNSでDM送った方が早いかな?」


 上坂は名刺に書かれたSNSのIDに、取り敢えず自分の名前と、どこで会ったかということと、眠り病について話がしたいから、折り返しメッセージをくれと送ってみた。


 もしかしたら無視される可能性もあるかも知れないと考えていたが、返事は一分もしないうちに返ってきた。お陰で彼は心の準備が中途半端だったことを呪ってしまうほど、あたふたしてしまった。


 饗庭江玲奈の返信は、実にあっさりとしたものだった。


『やあ、君か。こうして連絡をくれたと言うことは、もう体は平気なのかい』


 その返信からすると、言うまでもなく彼女は上坂が眠り病だったことを知っているようだった。上坂はその場にいる全員に目配せしてから、


『体の方はピンピンしてます。それよりも聞きたいことがあります。あなたは私が眠り病になることを、知っていたのですか?』


 今度の返事は少し遅れた。と言うのも、彼女はSNSでの返信はもうしないで、直接話をしようと考えていたからだった。


 その時、御手洗の携帯に着信が入った。


 全員が上坂のスマホに注目している中で、いきなり着信音が鳴り出したせいで、不意打ちを食らった彼らは一斉にビクッと体を震わせた。いい大人達が驚くさまは、きっと傍目には滑稽だったろう。


 御手洗は自分の携帯の着信音にドキドキしつつ、上坂たちに申し訳無さそうな表情で謝罪してから、電源を切ろうとして着信通知を見た。すると次の瞬間、彼は唇の端を引き攣らせながら、切ろうとしていた電話を逆につなぐと、


「もしもし……ええ……そうです。います。代わりますか?」


 その言葉でもう誰が電話を掛けてきたのかが分かった。上坂は戸惑いながら御手洗の携帯を手にとった。


「もしもし……」

『やあ、上坂君。君から連絡が来るのを待っていたよ。こうして話をするのはおよそ半月ぶりくらいか』


 その偉そうな口ぶりで、あの日の彼女の姿が鮮明に思い出された。白黒のゴスロリファッションに、ピンクのメッシュ。濃いアイシャドウと黒い口紅を塗っていて、まるで死人みたいな顔をしていた。


 彼女はあの日、あの場に現れた時から、今日のことを予知していたわけだ。


「驚いたな……君みたいな凄い能力者が居たなんて……想像もつかなかった」

『そんなに驚くことも無いだろう? 君も大概じゃないか。平行世界を股にかけて、ありとあらゆる困難に打ち勝つ能力を持つ。僕など足元にも及ばないよ』

「……平行世界で、テレーズ様に予言をしたのは、やっぱり君だったのか?」

『さあ? 僕には分からない話だ』

「違うのか?」


 上坂はあっちの世界でテレーズが出会ったという預言者の話を聞かせてみた。彼女はその話を興味深そうに聞いていた。もしかして江玲奈とはまた別の預言者がいるのだろうか? だとしたら、もうわけがわからないぞと上坂が困惑していると……


『なるほど、それは恐らく僕だろう。でも違う僕だ』

「違う君だって……どういうことだ?」

『簡単だ。上坂君、こちらの世界に御手洗さんが居るように、あっちの世界にも別の御手洗さんが居ただろう? それと同じように、あっちの僕が、こっちの僕とは関係なく、単にテレーズに予言をしただけの話さ。無限に存在する平行世界で、どの僕も同じ能力を持ってるだろうから、たまたまそういうことが起こり得た』

「そ、そうか……」


 すると、あっちの世界で江玲奈に会えたとしても、帰り方は分からなかったというわけだ。つくづく、日下部が居てくれてよかった。もしも彼が居なければ、上坂とGBは未だにあっちの世界で彷徨っていたかも知れない。想像するだけでもゾッとする。


『臆することはないだろう。すでに気づいているかも知れないが、平行世界が無限に存在する以上、君が帰れなくなってしまった世界だって存在するだろう。そんな起こらなかった世界のことを憂えても無意味だ。それよりも帰ってきた今のことだけ考えたほうがいいだろう』

「そうだな……君は、眠り病について、詳しく知っているのかい?」

『どうかな。分かってるのは、能力者が辛い現実から目を背けて逃げ込む世界があるってことだけだ』

「やっぱりそうなのか。君はこんなことが起きてるってのを、俺が知るよりもずっと前から知っていたんだな?」

『少なくとも君よりはね。でも、それだけの話さ。分かっていたところで、人が眠り病になるのを止められなければ、無意味だろう。結局、僕は君が現れるのを待たねばならなかった』

「なんだって……? 俺を待っていたって?」

『ああ、そうだ』

「それは、俺が眠り病の患者を救えるって考えたからか?」

『いいや、そうでもない。結果的にはそうなるけど。僕は単に、君という存在がいずれ現れ、世界を救うだろうということを予知しただけさ』


 江玲奈の言葉を聞いて上坂は返答に窮した。あっちの世界でテレーズも、こっちの世界の御手洗も、同じようなことを言っていた。すると別々の世界で江玲奈は上坂のことを救世主だと予言したわけである。


 だが、上坂には自分がそんなものになったというような自覚はない。


『そりゃあそうだろう。長い歴史の中で、そんなものを自覚していたのは、ナザレのイエス以外に存在しない。救世主とは後の世になって人々が語り継ぐ者のことだ。本人にそんな自覚はないだろう』

「……じゃあ、君は何故俺のことを救世主と呼ぶんだ? 君は何を知ってるんだ? なあ、良かったら一度会って、俺に君の知ってることを教えてくれないか?」


 すると江玲奈は当たり前のように、


『いいだろう。だが、今すぐにというわけにはいかない』


 と言って、気前が良いような、肩透かしのようなことを言い出した。


「どうして?」

『物事には時期というものがある。平行世界を見てきた今の君なら分かるだろう。タイミングがほんの少しズレただけで、物の見方がガラリと変わるようなことがあるんだ。今、僕と君が会ったところで、君は僕のことをただの預言者だと思うだけだ』

「違うのか?」

『それは時期が来れば分かるだろう。なに、どうせ近いうちに僕たちは会うことになるはずだ。その時、その場には君の大事な先生も一緒にいるだろう』

「先生が……先生が何か関係あるのか?」

『今、僕が言えるのはこれだけだ。その時になれば、君にも分かるだろう。さて、それじゃあそろそろ長話をやめて、電話を切ろうか』

「待ってくれ! まだ聞きたいことがある!」

『それも今度会った時にでも頼むよ。では、次にまた君に会えることを楽しみにしている』


 江玲奈はそう言うと電話を切った。上坂はすぐに折り返し電話をしてみたが、もう彼女には電話にでる気がなさそうだった。呼び出し音が虚しく響く。上坂はもやもやしたものを抱えたまま、諦めて電話を持つ手を下ろした。


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