不在の日々
時を遡ること1週間前。医者にGBの容態を聞いていた上坂と日下部が次々と眠りに落ちていった頃、縦川は寺務所のパソコンでいつものように株式相場の値動きを見守っていた。
数日前、立花倖にもうやめろと言われていたのにもかかわらず、そのギャンブル性がたまらずまた新興株に手を出して一喜一憂していると、携帯電話から間もなく大引けを告げるアラームが鳴り出した。
今日は結局値動きがなく手数料負けしちゃったな……と思いながら、手仕舞いの指し成り注文をしていたら、突然寺務所の外から美夜のキーキー声が聞こえてきた。
またいつぞやみたいに誰かが境内に入ってきて美夜がキレてるんだろうか?
美夜はなんでか知らないが喧嘩っ早くて落ち着きがない。いつもなら上坂がいて彼女のことを止めてくれるのだが、さっき一度着替えを取りに来たっきり、また見舞いに行ってしまったため、彼女を止められる人が誰もいなかった。
あのまま放っておくわけにもいくまい。縦川はため息を吐くと注文を成り行きに切り替え、パソコンデスクから立ち上がった。
「ひぎぃー! うひっ! うひっ! 変! 変れす! 変なのれすっ!」
寺務所の入り口から境内に出てくると、美夜はすぐに見つかった。彼女はいつも遊びにやってくる猫たちと参道の脇の砂場にいるのだが、今は境内の中を一人であっちへ行ったりこっちへ来たりとオロオロしている。
変だ変だと連呼していて、見た感じ、何かを探しているように見えるが……境内をぐるりと見回してみても、寺に訪問者が来た感じではない。だったら何をそんなに大騒ぎしてるんだろうと近寄っていくと、
「美夜ちゃん、どうしたの? そんなに慌てて」
「おおお、おおおおお、おおー! あわ、あわわ、慌ててなんかないのれす、この邪教徒」
「いや、慌ててんじゃないのさ……ていうか、もう慣れたからいいけどね、いつまでも邪教徒邪教徒言われてると気分悪くしちゃうよ?」
「邪教徒に邪教徒と言って何が悪いれすか、この邪教徒」
「むむ……ここぞとばかりに畳み掛けてきて……まあ、あんまりにもそう言われるもんだから、少し調べてきたんだけどね。ブッダってカトリックで列聖されてる聖人らしいですよ。だから君がいつまでも邪教邪教って言っていると、キリスト教を否定しかねないんじゃないの」
「そんなことはどうでもいいのれすよ!」
「いいのかよ!?」
縦川はなんだか理不尽な思い駆られたが、いまさら彼女にあーだこーだ言ったところで態度が変わることもあるまいと、諦めることにした。そもそもこのメイドは、頭はAIで体は作り物の人造人間なのだ。そんな彼女が信仰心というものをどのように捉えているのかは計り知れないのだ。
「……で、何かあったの? 慌ててないならってんならそれでいいけどさ」
「美夜は慌ててないれすけど、変なのれす」
「君が変なのは知ってるけども」
「むきー! 美夜は変じゃないれす! 変なのは神様なのれす! 神様の気配がしないのれす」
「神様……? 上坂くんのこと? だったらさっき病院に行くって出ていったでしょ。一緒に見送ったじゃないか」
「そうだけどそうじゃないれす! この、にぶちん! 神様の気配が、この世から急に消えちゃったと言ってるのれす! おまえにはわからないのれすか!?」
「え? あ、はい……ちょっと分かりかねますが。どういうこと?」
神様の気配が消えたとは、チャドの霊圧が消えたような感じだろうか……?
思い返せば倖が言うには、このちんちくりんメイドは、上坂を探すためだけに存在するような妙な感覚を持ってるらしい。美夜は無限に広がる平行世界で上坂のことを探すため、別の世界の彼女の分身と情報共有してるとかなんとか……その感覚のお陰で、絶対見つかるわけがないと思っていた上坂を見事に見つけ出したと彼女は自慢げに語っていた。
その彼女が気配がしないということは、世界から存在そのものが消えたとかそういうレベルの話になるんじゃなかろうか? 何だか穏やかじゃないなと思っていると、寺務所の中で縦川の携帯が鳴り出した。今度はアラームじゃなくて着信のようである。
慌てて寺務所に駆け込んで電話に出ると、
『もしもし? 縦川さんですか? 至急、病院の方まで来てください! いますぐ!』
電話の主はホープ党の御手洗で、彼も美夜と同じように慌てているようだった。縦川は眉を顰めると、こりゃ本当に上坂に何かあったんだなと、急いで出かける準備を始めた。
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縦川達が病院に到着すると、外来の待合室で御手洗が待っていて、2人の姿を見つけるなり泡を食ったように駆け寄ってきた。
一体全体何があったのか? 移動中に多少聞いてもいたのだが、どうも上坂が突然原因不明の眠り病に罹ってしまったらしい。
「そんなおかしな病気があるっていうんですか?」
「ええ、そうらしいんです。私も一緒にその話を聞いてる最中に、突然上坂くんが倒れまして、慌ててお医者様と一緒に彼の介抱をしていたら、今度は彼の友達まで突然ぱったりと……病院はもうてんやわんやで」
「この病気、命の危険はないんでしょうか?」
「ええ、それはもう。お医者様が言うには、体の方はピンピンしているそうなんです。ただ、何をやっても起きない。起きないで眠り続けるから眠り病と」
縦川はそんな説明になってない説明を受けながら、その医者の待つ上坂の病室へと足を運んだ。珍しい病気だからか、はたまた御手洗が気を利かせたのか、そこは一般病棟の個室で、狭い病室には人がひしめき合っていた。
上坂はそんな中で医師団に囲まれるようにして眠っていた。多分、いきなり眠り病を発症したレアケースと言うことで、病院中の医師達が集まって来ていたのだろう。
そんなモルモットみたいな扱いをされて、美夜がキーキー怒り出しはしないかと思ったが、幸いなことに彼女は騒ぎ出したりもせず、医者の間に割って入るように上坂に近づいていくと、徐ろに彼の額に手を翳しながら、
「ふみゅー……変れす。変なのれすよ。神様はここにいないのれす」
まるで神は死んだと言うニーチェのような言葉だが、彼女のは多分、上坂の魂がこの肉体には入ってないとかそういった感じの意味だろう。悲しみの余り、彼女の気が触れてしまったとでも思ったのだろうか、医師の一人が慰めの言葉をかけている。美夜はそれを完全にスルーして、上坂の体をペタペタ触っていた。
縦川はそんな彼女を放っておいて、医者にこれからどうしたらいいかと尋ねてみた。取り敢えず、目を覚ますには何をすれば良いのだろうか。出来ることは何でもすると言ったのだが……
「大変申し上げにくいことなのですが……もしもこれが現在知られている眠り病というものであれば、今は未だ治療法がないんです」
「治療法がない?」
「はい。ですから、今後、患者をどのように治療していくかの計画も立てづらく、我々としては、患者が目を覚ます可能性があるとすれば、ご家族の方から目を覚ましてくれと呼びかけてもらうとか、そういった肉親の情にお縋りするしか、今のところは方法がなく……医師として情けない限りですが」
医者の言葉はどんどん尻すぼみになっていく。彼は額にびっしり汗をかきながら、気の毒なくらい恐縮していた。
医者であっても打つ手なし。それじゃ僧侶である自分にはどうしようもないではないか……
取り敢えずやれることは限られているので、縦川は医師も推奨しているように、上坂の親しい人物に呼びかけてもらおうと考えた。
ところが、その時になって気づいてみれば、上坂には肉親が居ない。育ての親は姿を晦ましている最中であるし、あと縁がある人物と言えば、白木恵海くらいしか思い浮かばなかった。
そんな彼の半生を思うと気の毒でならなかったが、手をこまねいていても仕方がないと、縦川はすぐさま恵海に連絡を取った。
恵海はすぐにやってきた。西多摩の家に居たようだが、1時間と経たずに現れたところを見ると、どれだけ無茶をしてきたのだろうか……
「いっちゃん! いっちゃん! 目を覚ましてくださいですの!」
髪の毛を逆立てて、部屋着のままで、化粧すらせず、いつものおしゃれな彼女からは到底想像もできない格好で上坂にすがりつく彼女の姿は、見る者の同情を誘ったが、それで上坂が目覚めるというのような奇跡はついぞ訪れることは無く、病室の中には恵海と美夜の悲痛な声が響くだけだった。
恵海も駄目、美夜も駄目、縦川だってもちろん駄目なら、これ以上誰に縋ればよいのだろうか。
それから暫くして、結局、何をすることも出来ずに縦川が病院の一角で項垂れているときだった。
病室からはまだ恵海のすすり泣く声が聞こえてきていたたまれない。そんな時、彼の携帯から着信音が聞こえてきた。見覚えのない番号に一瞬だけ戸惑った彼であったが……
「もしもし……?」
『あ、雲谷斎さん? あたしだけど』
なんとなく予感がして電話に出ると、それは立花倖からの電話だった。
御手洗に姿を晒して以来、国内の政治勢力から隠れていた彼女であったが、このタイミングで電話をしてくるところを見ると、どうやらこっちの様子はモニターしていたらしい。
縦川は渡りに船だと安堵して、彼女に現況を報告し、早く戻ってきてくれと頼んだのだが……もしかしたら上坂を密出国させるための手はずを整えていたのだろうか、彼女は現在、国内にいなくすぐには帰れそうもないと言うのだった。
『また上坂くんが大変だって時に、傍にいられないなんて保護者失格だと思うけど……』
「今はそんなこといいっこなしですよ。出来るだけ早くこっちに戻れるように頑張ってください」
『うん、わかったわ。そっちの大体のことはね、美夜のオリジナルからの情報で把握してるのよ。眠り病って病気のこともある程度は調べてみた』
「あ、そうだったんですか。それで何かわかりましたか??」
『眠り病って言ってるけど、いわゆる普通の病気じゃないのは明らかね。そしてかかりやすい患者の特徴からして、それは巷にあふれる超能力者と何か関係あるはず。つまり、KK粒子を用いた他世界からの干渉が考えられる……もしそうだったら、KK粒子を観測することが出来ない私達にはお手上げなんだけど』
「それじゃ、どうしたらいいんですか?」
『ホントなら、他世界の自己とリンクしている美夜なら、彼に何が起きたか分かるはずなんだけど……』
「しかし、その美夜ちゃんが上坂君のことが見つからないって言ってるんですよ?」
すると倖は少し考えているような間を置いてから、
『そうなのよね……この世界の上坂君が眠り病だとしても、他世界の眠り病に罹らなかった上坂君だって無限に存在するはず。ところが彼女は上坂君のことが見えないと言う……一体、美夜には彼のことがどういう風に見えてるのかしら?』
「……いっつも神様って言ってますけど、まさか本当に後光が差して見えるとか言わないですよね?」
美夜は上坂がこの世を統べる霊障だとか、本気でそんなことを信じているのだろうか。そうだとしたら、縦川はなんだか薄ら寒くなってきた。
『……まあ、わからないことを考えていても仕方ないわ。取り敢えずそれは脇に置いておいて、今出来ることをやりましょう』
「出来ることと言っても、もうやり尽くしちゃいましたよ?」
『……あのアンリって子は、上坂君のお見舞いに来たかしら?』
「アンリちゃんですか? いいえ、彼女は彼がこうなったことすら知らないと思いますけど。どうしてです……?」
『ほら、あの子って上坂君の能力に巻き込まれたことがあったでしょう? 何でなのかわからないけど……もしかしたら今回も、彼女と上坂くんが接触したら何か起きるかも知れないわ』
「なるほど……でも、それって最悪の場合、アンリちゃんも眠り病になっちゃいますよね?」
『そこはそれ、リスクを取らないことが最大のリスクって言うじゃない? あんたの好きな株式用語でも』
「あんた、俺にはリスクを取るやつは馬鹿って言っておきながら、自分の都合のいいときだけそういう言葉持ち出さないでくださいよ」
『でも他に方法が思いつかないんだから仕方ないわよ。それにもし能力に巻き込まれたとしても、美夜がいればなんとかなる可能性が高いでしょうし』
「ホントですか……?」
『やるやらないは彼女の自由なんだから、ダメでもともとよ。頼むだけ頼んでみて』
立花倖はそう言うと、これ以上は場所を特定されるかも知れないからと電話を切ってしまった。縦川は腑に落ちない思いを抱えながら、とにかく最後の望みの綱であるアンリに会いに行くために、まだ眠っている上坂の体にすがりついている恵海と美夜の背中を叩いた。




