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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第三章・上坂一存の世界
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何が友達だ

 上坂はテレーズの部屋を出ると、必死に吐き気を抑えながらエレベーターホールへとやってきた。しかしエレベーターは1階に停まっているらしく、呼び出しボタンを押しても全然上まで上がってくる気配がない。彼は忌々しそうにボタンをバンバン叩くと、エレベーターに乗るのを諦め、すぐ傍にあった非常口から階段へと転がり出た。


 バンッ……と重い金属音が響いて、今しがた出てきた扉が閉まった。オートロックで鍵がなければ戻ることは出来ないが、そんなこと気にしている余裕はなかった。彼は這々の体で非常階段に出てくると、手すりに持たれかかるようにして、外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


 体の中に渦巻いていた気持ち悪さが、それで若干収まった。胃の中身をぶちまけられたら、更に気分がよくなるだろうが、流石にそこまで迷惑はかけられないからと、何とかその気持ちを抑え込んだ。


 東京湾へ向けて吹く風が、髪の毛を巻き上げ頬を掠めていく。その真っ黒の髪が視界の隅で踊るたびに、強烈な違和感を感じた。


 この景色は何もかもが偽物だ。


 この髪も体も、自分のものじゃないんだ。


 ここは自分の生きてきた世界ではなく、倖が死んだのも恵海が死んだのも、全然別の世界の話に過ぎないんだ。だから気にするな。元に戻れば彼女らは生きていて……そして母と兄が死んでいる。


 そうだ、2人ともあっちでは死んでいるのだ。倖と恵海がこっちで死んでいても何もおかしくない。


 じゃあ、自分がこっちで死んだら?


 非常階段の手すりから階下を見下ろしていると、真下に見える硬い地面に吸い込まれそうな気がしてきて、彼は弾けるように手すりから体を離した。


 昔、高所恐怖症の人が話していたことがある。彼は高いところに登ると、重力が変な方向に働くのだそうだ。どんな風に働くのか? と尋ねてみたら、手すりの向こう側、黙って斜め上を指さした。その時は笑ってしまったが、今は全然笑えなかった。


 彼は転がり落ちるように階段を駆け降りていった。ただ足元を見つめて、音だけを頼りに……そしてようやく地面のある場所にたどり着いたら、どっと汗がにじみ出てきた。


 そのまま部屋に戻る気には到底なれず、彼はマンションから離れると、夕方になって人通りが増えてきた街へと歩き出した。


 けれどどこへ行っていいのか分からない。彼はぐるぐると駅前とマンションを行ったり来たりして、最後には近所の公園へと向かっていった。


 ゆりかもめの駅に向かう途中に見つけた芝浦公園はモノレールの高架下にあるジオラマみたいな場所だった。芝生と遊具とベンチがあって、都会のオアシス的な場所だが、オフィス街という場所が場所だけに、この時間帯になるともう人の気配がなかった。


 上坂はフラフラと公園内に入ると、手近にあったベンチに腰掛け、地面に頭がくっついてしまうんじゃないかと言うくらい項垂れた。


 正直なところ、自分がここまで堪えるとは思っても見なかった。この世界で立花倖が死んでいたと知ったのはショックだった。あっちの世界で一度諦めたことがあるくせに、それでもまたこんなに苦しい思いをするなんて、彼には想像もつかなかった。しかも、今度は恵海まで死んでいるというのだ。こんな無茶苦茶な話、全然受け入れられなかった。


 今だって、わけがわからないのだ。なんで彼女が死ぬんだ? 彼女が何をした? どうして理不尽に命を刈り取られなければならないんだ? 恵海が死ぬだなんて、絶対嫌だ。嫌なんだ。例えそれが別の世界であっても。


 あっちの世界では生きているんだからと分かっていても、どうしても気持ちの整理がつかなかった。大体、自分は本当にあっちに帰れるのか? 今の所、この世界から脱出するあては何一つ見つかってないではないか。もしもこのまま兄みたいに、この世界に居残り続けることになったら、上坂は倖と恵海が死んだ世界で生き続けることになるのだ。


 そしたら、いつか彼女らの死を受け入れられるようになるんだろうか……?


 あっちでは生きてると分かっているのに?


 生命とは何なんだろうか。


 生きている人が死んでいたり、死んでいる人が生きていたり、喜べばいいのか、悲しめばいいのか、何が本当で何が嘘なのか、もう何が何だかわからない。


 これから、どうすればいいんだろう……


「あ、上坂先輩! こんなとこに居たんですか!?」


 上坂がこっちの世界の二人の死に衝撃を受けて苦しんでいると、駅の方から何も知らない日下部が駆けてきた。彼はたまたま公園で黄昏れている彼を見つけると、全く空気を読まずに捲し立てるように言った。


「ちょうどよかった。今、呼びに行こうとしてたんですよ。先輩も一緒に来てくれませんか?」

「……何があったの?」

「実は、三千院先輩の周りにいて仲間とか言ってる連中のこと、前々からおかしいと思ってたんですが、ついに尻尾を掴んだんですよ。あいつら、やっぱり先輩のこと利用するだけ利用して、自分たちは何もしないで美味しいとこどりする、とんでもない奴らだったんです」

「……どういうことか、詳しく教えてくれる?」

「今日、俺見ちゃったんですよ、先輩があいつらに金をせびられてるところ」

「金だって……?」

「はい。取り敢えず、駅に向かいながら話しませんか? お台場でYouTubeの撮影してるんですけど、今なら先輩捕まえられますから」


 上坂は日下部に引っ張られるようにしてベンチから立ち上がった。足取りは重かったが、無理矢理ぐんぐん引っ張られたお陰で、思ったよりも前に進めた。まだ事情はよくわからないが、日下部はどうやら相当頭にきているようである。


 芝浦ふ頭駅からゆりかもめに乗り、ドアが閉まると日下部は話し始めた。


「実は、最初からおかしいと思ってたんです。先輩の番組って、彼の超能力を見世物にするために、先輩が一方的に嫌な思いをするだけって構成じゃないですか。なんでこんな鵜飼の鵜みたいなことを続けてるんだろうって思ってたんですけど、なんてことない、初めっからそれしかやってないから、三千院先輩はおかしいって思わなかったんですよ」

「ちょっと良くわからない、もう少しわかりやすく話せないか?」

「つまりですね……嫌な言い方をしますけど……先輩の番組って、一番最初はあの連中が三千院先輩をイジメてたのを撮影してたのが始まりなんです。彼らが先輩のことをイジメていたら、たまたま、超能力が発動してそれがカメラに収まった。それをYouTubeで公開してみたら思った以上に反響を呼んだから、それ以来、あのスタイルで撮影を続けていたんです」


 それを聞いた瞬間、上坂は霧が晴れるかのように、今までGBに起こったことが鮮明に理解出来る気がした。GBの能力発動条件は『恥』、いわゆる漫画で言うところのイヤボーンみたいな状況で発動するものだった。


 とすると、彼が自分の能力に気づくには、当然それだけのストレスを感じなきゃいけなかったわけで、普通に考えれば、そんなこと何度も繰り返したくないだろう。なのに、それをYouTubeで見世物にするなんて、よほどの理由が無きゃおかしい。


 普段からテレビなんかで、お笑い芸人のイジりと称するものを見慣れていたため、上坂はなんとも思わなかったが、普段からイジメられていた日下部は、そこに違和感を感じていたのだ。それはイジりではなくイジメだ。愛がない。


「先輩は食レポとかゲーム実況とか、普通のユーチューバーみたいな活動もしてますが、それも元々彼らが先輩のことをイジメて、キョドる姿を笑いものにするために撮影してただけなんです。でも、超能力の方が有名になって、お金が入ってくるようになったから、彼らは方針転換して、俺たち友達だろう? って言って、先輩を上手くコントロールするようになっていったんですよ」

「それは本当なのか?」

「たまたま金がどうこう言ってる現場を見たもんだから、先輩に何かあるのかって聞いたんです。そしたら彼らはグループで一つの口座を管理してるから、自分の生活費も彼らに相談しないと引き出せないって。これってどう考えてもおかしいでしょう?」

「そりゃおかしい。どうしてGBはそんな連中といつまでも付き合ってるんだ?」

「俺も金の話を聞いて、流石に変だからってそう言ったんですよ。そしたら友達の悪口を言うなって。彼らが居たから、今の自分が居るんだって。そんなわけないでしょう。YouTubeで人気が出たのも、タレントになれたのも、どっちも三千院先輩の力なのに」


 上坂は呆れるよりも薄ら寒い思いがした。


 GBはあっちの世界に友達がいないと言っていた。両親すら見舞いに来なくて、誰からも相手にされず、国には犯罪者扱いされる。だから帰りたくないんだと。それに比べてこっちには友達が居て、仲が悪い両親は離婚していて家族の諍いは見ないで済むし、自分はタレントとしてファンにちやほやされるんだと。


 一見すると確かにこっちの方が良さそうに思える。だが今、日下部に聞いた友達の真実を知ってしまったら、もうそんな風には思えない。彼の友達は金目当てに近づいてきた薄汚い連中で、両親は離婚していて、本心では嫌だと思っていることをして、彼はテレビで笑われているのだ。


 上坂は思った。GBはあっちでもユーチューバーだったそうだが、なんでそんなことを続けていたのかと思えば、彼はただ、誰かに愛されたくてパフォーマーみたいな馬鹿なことを繰り返していたのだ。YouTubeで見知らぬ誰かに笑われることで、自分の相手をしてくれる誰かの気を惹いていたのだ。そんなの、いつまでも続くわけがないだろう。たとえ誰かに愛されたいとしても、誰でも良いってわけじゃないだろうに。


 ゆりかもめが国際展示場駅に着くと、2人は改札を出て海沿いの公園へと向かった。有明埠頭の端っこは、ずっと緑が植えられていて、日下部が言うには、その細長い公園のどこかでGBは撮影をしているらしい。上坂達は通行人に聞き込みをしながら彼らを探した。


 そして探し始めてから30分ほど、そろそろ日が暮れかけた薄暗い公園の一角にその集団を見つけた。


 彼らは暗闇に隠れるようにしてカメラを構え、何やらコソコソとやっていた。中心にはライフジャケットを着込んだGBの姿が見え、ずぶ濡れなところからすると、もしかしたら海に飛び込んだ後なのかも知れない。


 一体どんな撮影をしたのかは知らないが、GBが無茶をさせられたことだけは明らかだった。彼を取り囲むスタッフたちは、頻りに彼に向かって良かったよという言葉を投げかけていたが、ずぶ濡れなのが彼だけなのと、そんな彼を労う声はかけても、誰も近づかないところ見ると、いつも彼らがどういう方針で映像を撮ってるかがよくわかった。


 上坂が渋面を作りながら近づいていくと、集団の真ん中でご満悦の表情のGBが彼のことに気づき、


「あれ? 上坂じゃないか。お前も俺の撮影を見に来たのか?」


 上坂は黙って首を振った。何から話せばいいのか、頭の中は真っ白で、うまく言葉にできそうもなかった。だからもう彼は言葉なんか選ばずに、思いついた言葉をそのまま口に出した。


「GB。俺たちと一緒に帰らないか」

「帰る……? 帰るってどこに? 家まで送ってくれるってことか?」

「そうじゃない。元の世界に帰ろうって言ってるんだ」


 上坂がそう言うとGBは目を丸くしてから、驚いて背後を振り返った。彼を取り囲むスタッフたちが、上坂のことを奇異な目で見ている。そりゃそうだろう。元の世界に帰るなんて言葉は、普通の会話では現れるわけがない。彼らは突然現れた上坂のことを、おかしなやつだと警戒しているようだった。


 GBは慌てて取り繕うように、


「あー! あー! ゲームの話だな、ゲームの。第二世界に帰らなきゃってね」


 しかし上坂はそんな彼の機転を台無しにするかのように、一切の否定をせず、


「だからそうじゃないってば。どうせ言ったところで誰も信じちゃくれないんだ、後先考えたって仕方ないだろう。それよりも、この際だからはっきり言ってやる。おまえもうこんな活動やめろよ。そこにいる連中は、お前が思ってるような友達でもなんでもないんだぜ?」


 上坂がそう断言すると、彼らを遠巻きに見守っていたGBの仲間(・・)たちが、明らかに不快そうに眉を顰めて目配せしあっていた。多分、上坂のことをキチガイだと思っているのだろう。


「なんでそんな事言うんだよ?」

「日下部から聞いたからに決まってるだろ。おまえ、そいつらと共同の口座作って、金を全部獲られてるんだって?」

「獲られてるとは人聞きが悪いな! 俺たちはみんなでひとつのグループなんだから、当然だろう?」

「そんなわけないだろう。グループだったら、どうしておまえ一人だけ、そんなずぶ濡れになってるんだよ。おまえがそんなになってる最中、他の連中は何してたんだ? どうせ、お前の姿を見て笑っていただけだろう」

「それは……」

「そんなの誰にだって出来ることだろう。何の価値もない。現にこないだテレビに出た時、こいつらとテレビタレントが入れ替わったって、何の不都合もなかったんだろう? だったらもう、こんな奴らとつるむのはやめて、おまえ一人ソロでやりゃいいじゃないか」


 すると上坂が批判していると思ったのだろう、周囲のGBの仲間たちの顔色が変わった。特に彼らはソロという言葉に過剰に反応して、敵意むき出しで上坂に反論した。


「おい、お前、俺たちを馬鹿にするのも大概にしろよ。ジーニアスボーイが売れたのは、このスタイルを作り上げた俺達の力なんだよ。こいつが一人で勝手に売れたわけじゃない、そこを勘違いしてんじゃねえよ」

「勘違いしてるのはお前らだろう。何がスタイルだ。こんなのGBの能力が無ければ成立しない、ただのイジメじゃないか」

「なんだと!?」

「何度だって言ってやる。超能力が発動するから誤魔化されてるけど、おまえらがやってることは、見るに堪えないただのイジメだ。実際に、GB以外の人間が、彼の役目をやったところで、誰も喜ばないはずだろう。違うか」

「そりゃあそうだろう。ジーニアスボーイの超能力を見せるのが、俺達の最大の売りなんだから」

「それみろ、それしか売りがないなら、やっぱりおまえら要らないじゃないか。超能力を見せるために、どうしてGBが嫌な思いをしなきゃならないんだ」


 すると彼らは我が意を得たりと言った感じにニヤリと笑って、


「なんだ。さてはおまえ、知らないんだな。こいつはこうやって、俺達がいじってやらないと、超能力を発動することが出来ないんだよ。こいつの超能力には刺激が必要なんだ。俺たちはジーニアスボーイが一人で出来ないことを手助けしてやってる、サポート役なんだよ。ちゃんといる必要があるんだ」

「嘘を吐け」


 しかし、上坂は忌々しそうに断言した。


「金が欲しいだけなら、これだけ知名度を得た今、こんなことを繰り返す必要はないだろう。友達なら、たった一人に泥を引っ被らせるような真似を、いつまでも続けられるわけがないだろう。普通にGBと一緒に楽しんで、ワイワイやるような動画を作っても、それなりに視聴数は稼げたんじゃないのか」

「いや、それじゃ俺たちの動画は広大なインターネットの海に埋もれるだけだ。それでも一部のファンはまだ見てくれるかも知れないが、話題性がなくなればあっという間に忘れ去られる。視聴者はこいつの超能力が見たいんだ。彼らはいつも新奇なものを求めているんだよ。それを提供し続けていかなきゃ、こいつのことは誰も見向きもしなくなる。そしたら金にならなくなるだろう」

「それのどこが悪い」


 上坂は腹立たしそうに、眉を顰めながら言った。


「おまえら、視聴者はGBの超能力を見たがってるって言ってるが、こいつが超能力を発揮しているとき、どんな顔をしてるか思い出してみろよ。いつも何かにイライラしてるか、恐怖に怯えてるか、そのどっちかだろう。そうしなきゃ、こいつは能力が使えないから……それって結局おまえらのいう視聴者が、能力じゃなくてGBのそんな姿を見に来ているだけなんじゃないのか。彼らは根拠もなくGBを見下してて、そんな彼が能力を使って一発逆転する姿を見て、気持ちよくなりたいだけだ。そんな奴らのニーズに応える必要がどこにあるってんだよ。普通に、GBが好きだっていうファンだけ相手してりゃいいじゃないか」

「仕方ないだろう。それが金を稼ぐってことだ。甘ったれたこと言ってんじゃねえ」


 彼らは上坂の言葉に反論することが出来ず、苛立たしそうにそう言い捨てた。それは一見すると正論のように聞こえるが、


「それを決めるのは、おまえらじゃないだろうが」


 結局はGBが決めることなのだ。彼らが勝手にどうこう言える話じゃない。上坂はそんな彼らのことを無視すると、スタッフに取り囲まれてオロオロしているGBに向かって言った。


「もしおまえが金のためにやってるんだったら、もうこんなことやめて元の世界に帰ろう。あっちにはベーシックインカムがあって、働かないでも遊んで暮らせるんだ。嫌な思いしてまで、こんなこと続けている必要ないだろう? それでももし、こっちに残りたいってんなら止めないよ。だけどもうYouTubeなんかやめちまえ。そんなのやらなくっても、お前一人ならやってけるんだ。おまえんとこの事務所に俺の義姉さんがいる。彼女に頼めば、きっと良くしてくれるから、おまえはもっと楽しくやれよ」

「いや、でも……俺は別に嫌ってわけじゃ……」

「こんなこと、いつまでも続けてちゃ駄目だ。紹介するから義姉さんに会おう、そんで事務所の人ともよく話し合うんだ。じゃなきゃ、俺は安心してあっちに帰れないだろ」

「ちょっと待て、ちょっと待て! そんなこと勝手に決めるなよ」


 上坂が悩んでいるGBを連れて行こうとして腕を引っ張ると、堪らずGBの仲間の一人が間に割って入ってきた。彼は上坂のことを初めは忌々しそうな表情で見ていたが、すぐに思い出したかのように愛想笑いを作ると、


「……わかったわかった。俺たちが悪かったよ。だから少し落ち着いてくれ。お前は金のためにこんなことするなって言うけど、実際にどれだけ儲かってるか知らないからそんなこと言えるんだ。ジーニアスボーイだってそうだろ? いきなりやめろって言われても、やめたくないよな?」


 GBは突然話を向けられると、焦った感じに、


「え? うん、そりゃあ、そうだよ……」

「だって、お金すげえ儲かるもんな。多少嫌な思いしても、あれだけ貰えるならちょっとくらい我慢したっていいだろ?」

「それは……俺もそう思うよ。だから今までやってこれたんだし」


 上坂は負けじと口を挟む。


「だから、それならこいつらじゃなくても、テレビのタレントでも誰でも構わないだろ。なんでわざわざ素人のこいつら相手に、おまえが嫌な思いしなきゃならないんだよ。なんでおまえの口座をこいつらに握られなきゃいけないんだよ。おかしいだろ」


 上坂が言うと、GBが考えるよりも前に、矢継ぎ早に仲間の男が言った。


「ジーニアスボーイだって、知らないタレントにイジられるより、友達の俺達と一緒にやってたほうが気楽だよな?」

「それは……そうかも」

「そうだろうそうだろう。テレビだと緊張するし、YouTubeの撮影なら、気心の知れた友達だけだから、おまえもやりやすいんだよな。だからこのチャンネルがある意味はやっぱりあるんだよ」

「気心知れた友達だと……? ふざけんなっ!」


 GBが取り込まれそうになるのを見ると、上坂が間髪入れずに言った。


「本物の友達が、友達を傷つけるような真似を出来るか! GBは嫌な思いをしなければ能力が発動しない。それがヤラセだと分かっててやってることなら、能力が発動するわけがないんだ。それが、こいつが本気で嫌がってるって証拠だろ!」


 GBは上坂にそう言われて、ガツンと頭を殴られたようなショックを覚えた。実を言えば彼自身も、ずっとモヤモヤしたものを胸のうちに抱えていた。だが、その正体が何だか分からなかったのだ。


 確かにYouTubeは儲かる。嫌な思いをするけど、友達や視聴者が喜んでくれるならそれでいい、有名になればなるほどそう思っていた。だが、拭いきれない違和感があるのは何故だろうか? それは、上坂の言う通り、友達だと思ってる奴らに、いつもイライラしていたり、言いようの知れない恐怖を感じていたからだ。


 金が儲かるから、有名になれるからって、なんとなく流されていたが、彼は本心では嫌がっていたのだ。


「確かに……そうだ」


 GBはあまりのショックから血の気が引いて、フラフラとしながら今まで仲間だと思ってた男たちの方を向いて言った。


「なあ、みんな……みんなは、どうして俺にいつまでもあんな嫌がらせを続けることが出来たんだ? 俺が……もし俺が逆の立場だったら、きっとみんなのことをイジるのが嫌になってやめてたと思う」

「それは……俺たちが友達だからさ! 友達だから、やっても大丈夫だって信頼感があったんだ。そ、そうだな……それで少し甘えていたのかも知れない。おまえがやめたいって言うなら、ちょっと考えるからさ、やめるなんて言うなよ」

「そう……それならいいけど」

「おい、流されるな。こいつはやめたいなら考えるって言いながら、舌の根も乾かぬうちにそれを撤回してるんだぞ?」


 上坂に突っ込まれると男は苛立たしげに、


「さっきからおまえ、うるさいなあ……わかったよ。じゃあお前も俺たちの撮影に加わればいいだろ? それでおまえの気に食わないことがあったら、そこでバンバン指摘してくれ。分け前だってちゃんとやる。そうだ! おまえもジーニアスボーイの友達なら、俺達とも仲間になれるだろ? なあ、そうしろよ」

「仲間だと……ふざけんなよ?」


 上坂は吐き捨てるように言った。


「さっきから聞いてりゃ、何が友達だ。俺はGBのことを友達だなんて、一度も言ったことはないぞ。一生、そんな言葉なんて口にするもんか」


 突然、上坂にそんな風に言われたGBは、友達だと思ってた奴らに裏切られたと思った時よりも驚いた。確かに、上坂とはそれほど付き合いも長くなくて、友達とは呼べないかも知れない。


 だが、これだけ自分のことを心配してくれたのだから、ちょっとは期待していたのだ。それなのに、彼はGBのことなんか友達じゃないと言う。どうしてそんな事を言うんだ……GBは金縛りに遭うようなショックを受けた。


 だが、彼の真意は、GBが思ってるようなものとは全然違った。


「お前らの言う友達ってのは、いちいち確認しあわなきゃ友達じゃないのかよ。見返りがなきゃ友達じゃなくなるのかよ。一緒に居て、そんで楽しきゃ、友達なんじゃないのかよ!」


 それはかつて上坂が下柳に言われた言葉だった。彼はそのことを覚えていたわけじゃないのだけど、流れからなんとなく口を突いて出た言葉だった。シンプルだが、だからこそ心に響く言葉だった。


 同じ日に学校に転校してきてから、クラスのお荷物として、ずっとつるんでいたのだ。昼休み、便所飯に行かずに済んだのは彼のお陰だ。余りもん同士で作ったグループでも、補習でもずっと一緒だったのだ。今更、友達じゃなかったなんて、そんなわけがないだろう。


 GBは上坂の言葉に、何だか救われたような気がした。あの何もなかったあっちの世界で、彼は確かに、自分だけの足跡を残していたのだ……


「俺……お前らと一緒に居ても……楽しくない」


 GBが、絞り出すような声でそうつぶやくと、場の空気が変わった。どうやら本気で、GBが上坂の説得を受け入れたらしいことに、彼の仲間たちが気づいたのだ。彼らは自分たちが作り上げてきたYouTubeチャンネルが終わってしまいそうなことに、この時ようやく本気で焦り始めた。


 そして焦りから本心を曝け出した人間の行動は、いつだって実にシンプルだ。


「ふざ……っけんなよっ! このデブっ!!」


 それまで比較的穏やかだった、リーダー格の男がついにキレた。彼は顔を真っ赤にして叫ぶと、地団駄を踏んで持っていたカメラらしき機械をぶん投げた。


 遠くの方でガシャンと何かが壊れる音がする。


 それを見ていた他の連中が緊迫した表情で見つめるん中、激高した彼はGBの胸ぐらを掴み上げると、ギラギラとした目で睨みながら、低い声で脅しつけるように言った。


「おまえみたいな冴えないデブと、今まで遊んでやってたのはどうしてだと思ってんだ。俺たちがイビってやったから、お前は力に目覚めたんだ。その恩を忘れて勝手にやめようなんて、そんなことさせるわけねえだろ! お前はもっと俺たちのために、金を運んでこなきゃいけないんだよ」

「ひぃっ!」

「おまえには教育が必要だな。どうしてこのチャンネルが出来たか思い出させてやる。おい、おまえら! 呆けてないでそのブタをこっちに連れてこい! アジトに帰ってたっぷり可愛がってやんぞ」


 GBは男に凄まれると、まるで借りてきた猫みたいに小さくなって固まってしまった。上坂はそんな彼の姿を見て怒りを覚えると、彼の胸ぐらを掴んでいる男に向かって思いっきり突進し、体当たりを食らわせた。突然、横合いからタックルを食らった男がGBを離すと、サイドステップを踏むようによろめく。


 上坂はそのすきにGBの手をぐいっと引っ張ると、


「ほら見たことか。これがこいつらの正体だ。GB、これでわかっただろ。さっさとここからずらかんぞ」

「待てよ、逃がすと思うのか!? さんざん引っ掻き回しやがって、この野郎! おまえだけは許さねえぞ。ジーニアスボーイよりも前に、こいつボコボコにしてやらなきゃ気が収まらねえ!」


 2人は男から逃げようとして走り出すも、しかしそこは多勢に無勢、あっという間に取り囲まれてしまった。GBのチャンネルのメンバーはカメラマンを含めて10人近く居た。そんな連中に取り囲まれて逃げ出せるわけもない。


「離せ! この! 暴力なんかには屈しないぞ!」


 取り押さえられた上坂が逃げ出そうとして、必死に暴れる。3人からの男に取り押さえられた彼が身動き一つ取れないでいると、さっきタックルを食らわせた男が、まるで人でも殺しそうな憎しみの籠もった目つきをしながら近づいてきた。


 彼は地面に転がされる上坂を残忍な瞳で一瞥するや、一切の躊躇をすること無く、彼の横腹を蹴り上げた。


「ウグッ!?! こ……この、野郎……!!!」

「うるせえ、この! ぶっ殺してやる!!」


 押さえつけられた上坂が痛みに耐えながら、涙混じりの目で睨みつけると、男はいよいよ怒髪天を衝いたかのようにキレだすと、身動きできずにまったく抵抗の出来ない上坂のことを、何度も何度も蹴り出した。


「うっ! ぎゃっ! ぐっ! っ……!!」


 まるでサッカーボールみたいに蹴り上げられるたびに、息が詰まって気が遠くなる。顔が見る見るうちに赤く染まり、怒りと憎しみを籠めて男を睨みつける目は真っ赤に充血していた。


 その顔が気に食わなかったのか、バチンッ! と強烈な衝撃が走って、蹴り上げられた上坂の顔から鼻血が吹き出した。


 上坂はその痛みよりも何よりも、頭を蹴られるかも知れないことの恐怖から、体がすくんで顔が硬直した。本来、彼の頭は柔らかいのだ。こんな衝撃を受けたら、下手したら死んでしまうかもしれない。その死の恐怖が表情に現れていたのか、男はサディスティックな表情を見せると、続けざまに彼の顔を強かに蹴り飛ばした。


「や、やめろよ! 死んじゃうだろ!!」


 見るに堪えない暴行に、堪らず周りで怯えながら見ていたGBが駆け込んでくる。GBは懇願するかのように男の腕にしがみつくと、上坂から剥がすようにグイグイと彼を引っ張った。だが、元々喧嘩なれしてないGBはあっと言う間に振り払われると、


「このやろう! おまえら! 見てないで手伝え! こいつら連れてくから車回せ」

「くそ! 離せ! 離せ!」


 リーダー格の男が叫ぶと、よほど彼が怖いのか他の男達が命令どおりに動き出した。羽交い締めにされたGBが、助けてくれと叫び声を上げると、すかさず口を塞がれて引きずられていった。


 恐怖からボロボロと涙を流す彼の周りで、木々や石ころがざわめき出した。多分、彼の超能力が発動しているのだろう。こんな使えない能力、何の意味があるのだろうか……上坂は彼の人生を翻弄する異能力を呪った。


 流石に面と向かって挑発しすぎただろうか……直前に自分の信頼する人たちの死という出来事があって、そのショックから少し慎重さを欠いていたかも知れない。だが、いまさら後悔しても遅すぎるだろう。上坂にはもはや抵抗する体力も残っていなかった。


 だが、悲観することは無いだろう。上坂がこのまま拉致されたら、それに気づいたローゼンブルク大使館が動き出すはずだ。そうしたらこんな連中、法的にボコボコにしてやる……上坂は怒りと悔しさに奥歯を噛み締めながら、そんな妄想で自分を慰めることしか出来なかった。


 と、その時……この騒ぎの中でどこに居たのだろうか、まったく目立たなかった一人の男の影がゆらりと揺れた。


 上坂とGBの仲間たちが揉め始めてから、蚊帳の外に置かれていた日下部だった。


 彼は上坂がとっ捕まるのを遠くで見ながら、どうしたらいいのかとオロオロしていたようだった。あまり

にも大人しいものだから、連中の眼中に入らなかったのか、未だに誰からも見つからずに、呆然とカカシのように突っ立っていた。


 まるで、いつぞやの校舎裏のようだ。上坂はかつて、校舎裏で日下部のことを助けたことがあった。だから彼は2人のことを置き去りにして逃げることが出来なかったんだろうか……でも、あの時は不良に顔が利くアンリが居たからなんとかなったが、日下部ではこいつらの相手をするのは無理だろう。


 このままだと彼も捕まるのは時間の問題だ。上坂はそう判断すると、最後の力を振り絞って、


「日下部! 逃げろ! 逃げて、御手洗さんに電話してくれ!!」


 上坂が叫ぶと、彼を取り押さえていた連中がビクリと反応して、一斉に日下部の方に顔を向けた。リーダー格の男が、それで日下部の存在に気づき、


「チッ! まだいやがったか! おまえら、逃がすな! 取り囲めっ!!」


 男はとっ捕まえていたGBを突き飛ばすように地面に転がすと、この事態を呆然と見つめて動かない日下部に向かって駆け出した。


 どうして逃げないんだ? 上坂は焦って再度大声を上げた。


「日下部! 逃げろ! 何やってんだ!!」


 だがどんなに叫んでも彼は逃げようとしない。まるで死刑の宣告でも待っているかのように、真っ青な顔をして、呆然と佇んでいるだけだった。もしかして、ビビって放心してしまったんだろうか。


 日下部の元に男が迫る。上坂はもはや打つ手なしだと諦めの表情で、彼が男に捕まるのを呆然と見ていることしか出来なかった……


 ゴッ……


 ……その時、何か硬いものがぶつかるような音が公園内に響いた。上坂は、男に捕まった日下部が抵抗しようとして、彼に殴られたのかと思った。


 だが違った。それは全く予想外の出来事だった。


 男が日下部に襲いかかろうとした時、ふっと、一瞬にして日下部の姿が消えたかと思ったら……次の瞬間、何故か彼の足元に男がもんどり打って倒れていたのだ。


 男がゲボゲボと胃の中身を吐き出しながら、腹を抱えてのたうち回っている。


 日下部はそんな男を見下ろしながら、トロンとした目つきで自分の拳をじっと見つめている。


 誰も彼も何が起こったか分からず呆然と立ち尽くす中で、倒れた男だけが必死に立ち上がろうとしていた。だが、再び日下部の姿がゆらりと揺れた時、彼の命運は尽きた。


「待っ、て……ちょ……ごめ……」


 見間違いかと思った。もしくは、これこそテレビの撮影なんじゃないかと。


 男が自分に近づいてくる日下部に恐れおののき、許しを懇願している。だが日下部はそんな男のことを一顧だにせず、握りしめた拳を物凄い速さで突き出すと、次の瞬間、男は白目を剥いて、どっと音を立てて地面に突っ伏してしまったのだ。


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