ナナの因子
アンリの活躍(?)で、大暴れしていた男は沈黙した。
あまりの異常事態にパニックになっていた店内は、それでようやく落ち着きを取り戻したが、しかし、そのときにはもう店中なにもかもめちゃくちゃになっていて、営業が続けられるような状態ではなくなってしまっていた。逃げ惑っていた客たちにテーブルも椅子もなぎ倒され、食器もワインも全滅し、あろうことか窓ガラスまでが割れて、生ぬるい外気が店内に吹き付けていた。この悲惨な現場を見ても、たった一人の人間がこれだけの被害を出したとは、なかなか信じられないだろう。
いや、男が大暴れしていたというのはもしかすると語弊があるかも知れない。何しろ、彼はぎゃーすか叫んでいたのは確かだが、物理的に何かをしたわけじゃない。彼が激昂して金切り声を上げたと思ったら、突然、周りのガラス製品が勝手に砕け散ったというのが正しい状況説明だろう……一体全体、何が起きたというのだろうか。
事情を知ってそうな下柳に尋ねると、彼は後にしろ! と叫んでから、すかさず自分のスマホで110番し、応援を呼び寄せた。すると5分もしないうちに、まるで映画かテレビドラマみたいに尋常じゃない数の警官が駆けつけてきて、店の入っていた雑居ビルをぐるりとパトカーが取り囲んだ。
防弾チョッキを着た機動隊らしき連中が店内に飛び込んできて、後ろ手に男を縛り上げて、泣きわめく彼を連行していった。警察に事情を聞かれていた相方の男が、顔面蒼白になりながら平謝りしている。彼らにゴネられていた女性店員(実は店長だったらしい)は、店の被害はどうすればいいのか、賠償金は取れるのかと半泣きになりながら訴えていた。そして正当防衛を勝ち取ったアンリがガッツポーズしていた。
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結局、その後、縦川たちは警察に事情聴取を受けてからシャノワールを出た。久しぶりの会食が台無しだったが、店が吹き飛んでしまってはどうしようもない。まだ空きっ腹にワインしか入れてなかった三人は、これじゃあんまりだからと中央通りに出て適当な店に入った。フレンチがラーメンに化けてしまったが、それはそれなりに美味かったので、まあいいだろう。
さて、そんなこんなで、三人でラーメンを啜りながら下柳が事情を簡単に説明したのだが、結論から言ってしまえば、あの男は超能力者であるらしい。そんなSF信じられないと言ってしまえればいいのだが、つい今しがた実物にお目にかかってしまった以上、信じないわけにはいかなかった。
今の時代、この東京には超能力者がいる……ようだ。
彼らが現れたのは5年前の隕石落下後、復興を目指して目まぐるしく変わっていったこの東京で、とある噂が流れ出した。ユーチューブに本物の超能力者が現れて、彼は自分の能力を見世物にして、フォロワーを稼いでいるらしいというのだ。
そんな話も眉唾なら、実際に投稿された動画も陳腐なもので、その噂を確かめた者達の失笑を買った。確かに彼は手を触れずに物を動かしていたが、そんなもの映像ならなんとでも偽装できるだろう。だから当然のように、その超能力者を名乗るユーチューバーは攻撃され、インターネットの暇人達の餌食になっていった。
しかしユーチューバーは強気を崩さず、ある日「自分は逃げも隠れもしない。そんなに信じられないなら、おまえたち自身が実験台になって確かめてみろ」と言って実験台を募った。
彼を貶めたくて手ぐすね引いていた連中はそれに応じた。顔出しも辞さないお調子者が、直接彼と対決して負かしてやろうと生放送に出演し、ユーチューバーを挑発した。しかし結果は……シャノワールの惨事を見た今なら言わずとも分かるだろう。哀れ、ユーチューバーに挑んだ彼はひどい目にあった。ユーチューバーは彼に熱湯の入ったヤカンを持たせて、自分でかぶるように仕向けたのだ。
強気だった挑戦者が泣き叫び許しを請うその映像が流れると、元々彼を信じていた信者は喝采し、フォロワー数も増えた。しかし殆どの者はそれを仕込みだと捉えて、酷い茶番を見せられたものだと、結局攻撃の手は緩まなかった。
だがもちろん、これはヤラセじゃない。ユーチューバーは本物だったのだが、そんなわけで彼に挑む挑戦者は跡を絶たず、その後も同じことが繰り返されたのである。
警察は、このユーチューバーの周りで頻繁に奇妙な事故が起きていたことに注目し、この頃から彼を張っていたらしい。しかし、どんなに彼の周辺を調べたところで、なにか出てくるわけもなく、ただ奇妙な事件が相次ぐのを見守るだけで、手を出すことが出来なかった。超能力があると信じれば辻褄が合うのだが、そんなんじゃ令状は取れないからだ。
風向きが変わったのはそれからしばらくして、これまたインターネット上での出来事だった。
この頃になると、超能力者の噂はかなり広く拡散し、都市伝説みたいになっていた。だからそいつも気づいたのだろう。ある日、彼の他にもう一人の超能力者が名乗りを上げた。もう一人も自分の能力を示した動画をアップロードし、そして先にやっていたユーチューバーを糾弾したのだ。
曰く、自分たちがこの特別な力に目覚めたのは、きっと神に選ばれたからに違いない。故に、世のため人のために使うならともかく、単に注目を浴びたいという利己的で幼稚な使い方をするのは許せない。もしその力が本物なら、今すぐこんなことはやめろ。
彼の登場は衝撃的で、超能力を巡る論争に拍車をかけた。元のユーチューバーの信者は彼の力を否定し、逆にアンチは彼を利用することにして、彼らに直接対決をするように煽った。
最終的に、彼らはその挑発に乗った。多分、お互いにお互いの能力を信じていなかったからだろう。
そして、直接対峙した彼らがカメラの前で行った超能力対決は、今でも語り草になる酷いものだった。彼らは二人とも本物の超能力者だったのだが、お互いに直接相手を傷つけることが出来ずに、ただ周囲に被害を出すことしか出来なかったのだ。
実は彼らは直接人を傷つけることは出来ない。ただ間接的に物を破壊し、その破片が相手を傷つけることに気づくと、周囲を壊すことで人を害していたのである。そんな二人が戦いを始めたらどうなったか。地面がえぐれ、建物が破壊され、壊れやすいものは悉く粉々に砕け散り、現場はまるで戦場さながらに破壊され尽くした。
この破壊された現場を見た警察は、流石にもうこれを放置することは出来なかった。彼ら二人は逮捕され、その後、拘置所ではなく特別な施設に連れて行かれて、科学者たちに色々と調べられたと言う。
その結果、政府には何かがわかったかも知れないが、今の所、公式見解は何も発表されていない……下柳が言う。
「もしかしたら上の連中は何か知ってるのかも知れないが、俺達みたいな下っ端には何も知らされなかった。ただ、それ以来超能力者の存在は公に認められて、取り締まりの対象になったんだ。そんで俺たちはそいつらをユーチューバーって呼んでたわけだが……この呼び方が、あながち間違いではなくってな……それからしばらくして、逮捕された二人以外にも、また同じような連中が現れちまったんだよ」
彼らが警察に逮捕されてしまったので、超能力者はもうネット上からいなくなったはずだった。だからそれでもう、超能力騒動は終わったかと思いきや、すぐさま彼らの二番煎じのユーチューバーが雨後の筍のごとく、続々と現れたのである。
尤もその殆どは、こうすれば他人の注目を集められると考えただけのただのパフォーマーで、先の二人みたいな本物の超能力者ではなかった。炎上でもなんでも、自分が注目さえされればそれでいいという輩はいつの時代もいるもので、新たに現れたほとんどの自称超能力者は文字通り自称でしか無かった。
しかし、取り締まりを強化した警察はこれを放置することが出来ず、これらの迷惑なユーチューバー一人ひとりを地道に追って、本当に危険がないか確かめていた。すると、案の定と言うべきか……出来れば見つけたくなかったのだが、その中に本物の超能力者が混じっているのを発見してしまったのである。
この怪現象は一体何なのか? 動揺した政府は調査を開始した。彼らの力の正体は何なのか、既にどれくらい超能力者がいるのか。その結果判明した事実は、更に奇妙なものだった。
まず第一に、超能力者が現れたのは隕石落下後の東京だけで、世界中どこを探しても他には見当たらなかったのである。
そして発見された超能力者は、例えばユーチューバーみたいな動画配信者や芸能人予備軍や目立ちたがりのパフォーマーに多く、自己顕示欲、承認欲求、依存心が異常に強い、我慢が苦手な若者達であった。年は10代後半からせいぜい30歳くらいまで、若いほど人数が多いらしい。先程シャノワールで癇癪を起こした男みたいにキレると手がつけられない、一昔前ならアダルトチルドレンとか精神病質と呼ばれるような者たちだったのだ。
ああいった連中が謎の力を振るって人に迷惑をかけてると考えると恐ろしいことだが、更に困ったことに、彼らは累犯率が極めて高く、一度事件を起こしたものは再犯しやすいという負の特徴があった。拘置所に入れられると大人しくなるが、法で裁けないから結局はすぐに釈放されて、また同じことを繰り返すのである。
そんなわけで政府はすぐにでも法整備を行おうとしたのだが、しかし結局は及び腰にならざるを得なくなった。法を作るなら国会で審議するしかないが、これらの情報をただ漫然と開示してしまうと、社会にどれだけの不安が広がるか分からなかったからだ。
考えても見よう、ただでさえキレやすい若者が、謎の力を持ってその辺を歩いていると。原因を取り除かない限りは、何も力を持たない人は恐ろしくて外を歩けないだろう。
しかも、あのユーチューバーみたいに、彼らが能力を見せびらかしでもしない限りは、現状では誰が超能力者か判別不能なのだ。だったら能力を持ってるかも知れない、怪しい人物を片っ端からとっ捕まえればいいかと言えば、それも無理だろう。
大体、自己顕示欲、承認欲求、依存心なんてものは、誰だって多少は持っている性質だろう。その大きさで取り締まろうとするなら、それは差別に繋がりかねない。あいつは犯罪を犯すかも知れないからと、精神病患者はかつて犯罪者のように扱われた過去があった。ナチスドイツなんてユダヤ人と共に虐殺までした。果たしてそんな時代に、誰が逆戻りしたいだろうか。
かと言って、手をこまねいて見ているわけにも行かない。だから、最終的に政府がどうしたかと言えば、取り敢えず情報は開示したものの、調査中だからもうちょっと待ってねという、なんとも玉虫色の発表をしたのだった。
内容は、本物かどうかは分からないが超能力者を名乗る不届きな者が現れたから、そのトリックが判明するまで、東京都に『ユーチューバー迷惑条例』なるものを作らせ、騒ぎを起こしたものを厳しく取り締まるというものだった。
そもそもこの超能力者は東京でしか確認されていない現象なのだから、水際を叩いてさえいれば、これ以上被害は広がらないだろうと言う発想である。かつて東京を見捨てた時のような情けない対応だったが、実際問題、現状ではこれ以上の手の打ちどころがないから、致し方ないところだったろう。
ともあれ、こうして条例を作った東京都は、更生施設と称して東京湾上、旧羽田にあるメガフロートに『学園』を創設した。そして本物の超能力者はもちろん、累犯率の高い非行少年や、精神病質者を一箇所にまとめて、その対策を研究しはじめたのである。
「そういう噂があるってのは聞いていたが……本当なのか?」
下柳の話を聞いていた二人は、思わずそう口走った。先程、本物にお目にかかっているのだから、嘘なわけないのであるが、さっきの今でもうそれが現実とは思えなくなってしまっているのだ。
「もちろん本当だとも」
「じゃあ、何故俺たちはそれを知らなかったんだ?」
「いや、そんなことはない。お前たちは、知らないんじゃなくて信じられなかっただけだ。実際、政府は何も隠してないんだ。さっき言った通りに、ちゃんと情報を開示している。ただ、その内容は曖昧で、トリックが分かったらまた発表すると言うものだから、聞いても耳を素通りしちまうんだろうな」
誰だって超能力なんて信じられないから、何か変な事件があって調査中だとしか頭の中に入ってこなかったのだろう。言われてみれば、縦川も鷹宮も、この話はどこかで聞いたことがあるような既視感があった。先程の男が超能力者だということをすんなり受け入れられたのは、事前に情報を得ていたからではないか。
「にわかに信じられないなあ……いや、いまさら信じないわけはないんだけど」
「下やん、その超能力者ってのは、ちょっと根暗な若者に多いんだな?」
鷹宮がそう尋ねると、下柳は肩をすくめて、
「根暗かどうかは分からんが、明らかに精神的にちょっとおかしな感じの子供に多いそうだぞ。さっきの男を見ただろう?」
「ああ、そうか……あんな感じではないなあ」
「どうしたんだ鷹宮。何か思い当たる節でもあるのか?」
下柳にそう問われると、何かを考え込んでいると言った感じで鷹宮が答えた。
「ちょっとな。知り合いにもしかしてってのが居て……でも気のせいだろう」
「何だよ、何か不安があるなら相談に乗るが」
「いや、誰かに迷惑をかけるようなやつじゃないんだ。寧ろその逆と言っていい。精神的に参ってて、まあ、なんつーか、昔の俺みたいなやつだ」
下柳と縦川は顔を見合わせた。昔の鷹宮とは、引きこもって暗い顔をしていた時期のことだろう。デリケートな話なのかも知れない。下柳は肩をすくめると、
「そうかい。もし何かあったらいつでも電話してこいよ」
「ああ。その、おまえらの言う超能力者ってのは、他にどんな特徴があるんだ? 何か注意しておけってのがあるなら知っておきたいけど」
「いや、残念だが、今言ったこと以外に特にないんだ。ただ……俺たち下っ端には内緒にしてるけど、もしかしたら上の方は何か知ってるのかも知れないな」
「そうなのか?」
「どうも、公安だか内調だか知らないが、妙な動きをしてる連中がいる。たまにそういうのとバッティングすることがあって、上司に報告しても梨の礫だ」
「内調だって?」
縦川は唖然としてしまった。事が事だけに、相当きな臭い力が働いてるのかも知れないが、そんなのはスパイ小説の中の話だけだと思っていた。隕石落下という未曾有の災害に見舞われた東京は、5年前と現在とでまるで別の街になってしまったのだとしみじみと感じた。
「ただ……」
最後に下柳はこんなことを言った。
「そいつらが妙な言葉を口走ってたのを聞いたことがある。『ナナの因子』だかなんだか……」
「ナナの因子? なんだいそりゃあ」
「さあ? ナナってのが女の名前か数字なのか。7に関係する別の言葉かも知れん。七つの大罪だとか七大天使だとか、坊さんのおまえなら七日七日の法要なんてのも知ってるだろう?」
「そりゃもちろん知ってるが……なんでそんなもんが関係あるんだ?」
「俺が言ってるわけじゃねえよ、そんな話を聞いたんだ。例の超能力者に関係があるらしい。現場レベルで、たまにそういう話をちらほら聞くんだ。とにかく、連中はナナの因子なるものを探してるらしいぜ」
「ふ~ん……」
縦川も鷹宮も、それでほとんどの興味を失ってしまった。そんな謎のオーパーツみたいな話まで出されてしまっては、荒唐無稽過ぎて、もうついていけなくなったのだ。
実際、東京都民のほとんどが超能力者に対しこんな感覚だったのだろう。何かおかしなことが起きてるらしい。けれどそれで普段の生活が変わるわけでもないから、それ以上は考えても仕方ない。考えても仕方ないなら、心配する必要もない。
一般市民としたら、あのシャノワールを破壊した超能力者みたいな連中になんか関わり合いにならないで、平和に生きていければそれでいいのだ。警官である下柳はご愁傷さまだが……
その後、三人は暫く会話を続けたが、間もなくお開きになった。今日起きた出来事はかなり異常だったが、だからといって自分たちに何が出来るわけでもない。また機会があったら飯でも食おうぜと言って、彼らはそれぞれの日常に戻っていった。
しかし、そんな日はもう永遠に訪れることは無かった。三人がこうして一堂に会すことが出来たのは、今日のこの日が最後だったのである。