はい、弟です
「だから、さっきから何度も言ってるだろう!? あいつは俺のクラスメートなんだってば!!」
謎の能力が発動して、東京インパクトが起こらなかった世界に飛ばされた上坂達は、そこでタレントになったGBを見つけた。しかし、GBは明らかに上坂達の事に気づいていたくせに、何故か知らないふりをして、彼らを番組スタッフに突き出してしまうのだった。
上坂達は人垣からつまみ出されると、観衆を押し止めるために大量に投入されていたスタッフたちに囲まれ、番組の邪魔をするんじゃないと説教をされた。
それでも元の世界に戻るためには、何か知ってそうなGBを捕まえるしかない。上坂たちは必死になって食い下がったが、そもそも美空学園が無い世界で2人とGBの関係など無いに等しく、学校の同級生だと言っても端から嘘つき呼ばわりされてどうしようもなかった。
結局、スタッフたちとゴタゴタやってる間に番組の収録は終わり、ロケ隊は車に乗って帰ってしまった。上坂達を押し留めていたスタッフたちも、もう二度と近づくなと捨て台詞を吐いて、同じように撤収してしまい、台風一過の後みたいに芝生がずる剥けた公園に取り残された2人は去りゆくロケ車に向かって悪態をつくくらいしか出来なかった。
「くそっ! どうしてあいつ、俺達のこと知らないなんて言ったんだ!? おかげでストーカー扱いだぜ」
「先輩絶対気づいてましたよね? 俺、目合いましたよ。間違いないです」
「だよなあ? あいつ、なんか隠してるのかな……」
とりあえず、やることが見つかった2人はそんなふうに裏切り者のGBの悪口を言いながら、これからどうするか方針を決めた。
さっき見たロケ隊は、お台場テレビのTシャツを着ていた。どうも今日は24時間放送をやっているらしく、さっきの魍魎のような少女たちもタレントを目当てにうろついていたのだろう。とすると、GBは現在お台場テレビに居るはずだ。中に入れるかどうかは分からないが、とにかく居場所はわかったのだから、これを追いかけない手はないだろう。
そんなわけでお台場テレビに向かおうとしたのだが……お台場は目と鼻の先、首都高に乗れば5分もかからないような距離なのに、車を持っていない2人はとんでもない大回りをさせられる羽目になった。
おまけに、公共交通機関が使えればもう少しマシなはずだったのだが、現金を持っていない2人は、結局徒歩で向かうしか方法が無かったのだ。まさかレインボーブリッジを徒歩で渡る日が来るなんて思いもよらず、万年運動不足の上坂は息を切らせながら長い道のりを這うように進んだ。
「先輩、すみません。俺が金さえ持ってれば……もし良かったら、先輩だけ電車乗って先行ってても良かったんですよ?」
「後輩一人にだけ、そんなことさせられるかよ」
先輩としての威厳もあるし、それに何よりこの状況で二手に分かれて、万が一再会出来なくなるのが怖かった。
さっきまでは何とも思ってなかったが、落ち着いて考えても見れば、今の状況はとんでもないピンチなんじゃないだろうか。
いくら住み慣れた東京とは言っても、東京インパクトの無い世界のお台場なんて、見知らぬ海外の土地を歩いてるに等しかった。東京は一度壊滅的な被害を受けて、街ごと生まれ変わったようなものなのだ。だからここは東京だとは言っても、記憶を頼りにしなければ、どこに何があるのか殆どわからない別の街だった。おまけに金もなく、旅の道連れは殆ど縁のない後輩で、2人揃って帰る家もわからないのだ。
いや、わからないのはこの世界の家の場所だけではない。元の世界の帰り方だってさっぱり分からないのだ。
もしこのままGBにも会えず、何もわからないままスマホのチャージ資金が底をついたら、どうすればいいんだろうか? 電話帳に載ってる『上坂さん』に片っ端から電話をかければいいんだろうか。それとも記憶喪失を装って交番に駆け込むしかないんだろうか……キチガイ扱いされそうだが、最悪の場合そうするしかないだろう。本当に最後の手段にしといた方が良いだろうが。
それよりもまずはGBをとっ捕まえて、なんとしても彼からこの世界のことを聞き出そう。わざわざ上坂達を避けるところからして、彼は何かを知っている可能性が高い。
そんなことを話しながら、2人は長い道のりを歩き続けて、ようやくお台場テレビ前までやってきた。体力のない上坂はもうフラフラで限界が近かった。
全身が汗でびっしょりで、着ている服が張り付いて気持ちが悪い。ところが日下部の方は長袖のジャージのくせに、汗一つかかずに涼しい顔をしていた。これが体力の差なのだろうか。忌々しいったらありゃしない。
「え、先輩……なんっすか?」
恨めしい気持ちが表情に出ていたのだろうか、日下部が首を捻っていた。上坂は額の汗を拭い呼吸を整えつつ、
「なんでもねえよ……それより、どうやって中に入ろうか」
「社員に紛れて……ってわけには行きませんよね。テレビ局ですし。ファンに混じって出待ちするのが良いんでしょうか」
「それじゃさっきと同じ結果になるんじゃないか? あいつ、俺達の姿を見て逃げ出したんだぜ?」
「ですねえ……でも他に方法無いですし」
2人は腕組みをしてウンウンと唸った。テレビ局に顔パスで入れそうな知り合いでもいれば話は別だが、今の2人ではどうしようもなかった。もしも恵海に連絡がつけば、かつて芸能人をやっていた彼女なら何とかしてくれるかも知れないが、いかんせん電話番号がわからない。
仮に今も西多摩の屋敷に住んでいるなら、上坂が一人で会いに行けばワンチャンあるかも知れないが、倖の家みたいに存在自体無くなってる可能性もあるし、下柳みたいに上坂を知らない可能性だってある。上坂は……もしも恵海に、あんたなんか知らないわなんて言われたら嫌だなあ……などと思いながら、ダメ元で試してみようか真剣に吟味してみた。
と言うのも、恵海の家があるなら、そこに美夜がいる可能性も高いのだ。
確か倖は言っていた。美夜は上坂を探すために、常に平行世界に片足を突っ込んでる状態なのかも知れないと。かつてドイツで彼女を作り上げた倖が、神様を探すと言ってはばからない美夜を好きにさせてみたところ、特に理由もないのに日本の恵海の家に向かったと言っていた。なら、この世界でも同じようなことをしてるかも知れない。
そして美夜さえ見つかれば、芋づる式に倖も見つかるはずなのだ。
「ダメ元でやって見るかなあ……」
上坂がそんなセリフを呟くと、
「何か思いついたんですか?」
日下部が藁をも縋るような表情で尋ねてきた。
「ああ、いや、一つ試したいことを思いついたんだ。でもそれは、今GBを捕まえるのには役に立ちそうもないから、もしもあいつに逃げられた時のプランBって感じだな」
「なんだ……」
日下部はしゅんと項垂れた。上坂は落胆させてしまったかなと、ぽりぽり頭をかきながら……
「そうだ。でもそれで思いついたことがある」
「……今度はなんですか?」
さっきぬか喜びしてしまった日下部が半信半疑の目を向ける。上坂はそんな彼に顔を近づけると、周囲に聞かれないように小声で言った。
「俺の能力を使うんだよ。俺の能力は世界改変能力……能力が発動する条件である『嘘』を本当に変えるために、周囲の時間が止まる。上手くすれば、誰にも見つからずにGBのところへ行けるかも知れない」
「本当にそんなことが出来るんですか?」
日下部は半信半疑だ。それも無理ないだろう。
「まあ、この能力を発動してる最中、俺以外の人間は全員止まってしまうから、確かめようがないんだけどな」
一応、例外が2人ほどいるが……多分、日下部はアンリ達みたいに静止した世界では動けないだろう。そうなると、テレビ局内に潜入するのは上坂だけになる。一人になるのは心細いが、あまりゾロゾロと行って局員に気づかれるよりはマシだろう。見つかれば最悪の場合、不法侵入でお縄になる可能性だってある。
そうと決まれば時間停止を発動するための条件付けをするだけだが、この場合はどういう嘘を吐けば効果的だろうか。発動条件は意外とシンプルで応用が効く。競馬場では万馬券を当ててやると言っただけで能力が発動した。教室のロッカーに閉じ込められたときは、少し前の出来事に遡ってそれをチャラにしようとしたことで時間が止まった……まあ、そのときはアンリにぶっ飛ばされたわけだが……
今回の場合は、ただテレビ局に潜入するだけではなく、出来ればGBを見つけるところまで静止した状態で動き回れるのが望ましい。ならば彼に何かを頼まれたと言うことにすればいいんじゃないか。局内に入るにはガードマンが固めている入り口を突破しなきゃならないわけだが、そのガードマンに向かって、さっきGBから届け物をしてくれと頼まれたとでも言えばいいはずだ。
もちろん、何か届けてくれなんて言われてないんだから、それは嘘である。すると上坂の能力が発動して世界が静止する。そしたら止まってるガードマンの横をすり抜けて、局内にいるであろうGBを探して嘘の届け物を彼に渡してしまえば、嘘は本当になるはずだ。やり方さえ分かってしまえば、本当に便利で強力な能力である。
いや……逆に慎重を要する危険な能力と言えなくもないか。これはつまり、彼が予め結果を宣言するだけで、世界がねじまがり、因果が逆転する能力とも言えるはずだ。すると彼が暇つぶしに、『諸君、私は戦争が好きだ』なんて冗談でも言ったら、どんな事が起こるかわかったもんじゃないだろう。下手したら、彼の冗談一つで本当に戦争を呼び起こしてしまう可能性もある。
そう考えると、我が事ながら恐ろしい能力だと上坂は思った。ともあれ、今はその能力を利用してでも状況を打開するしか無い。ここがどんな世界なのか、元の世界に戻れるのか、それすら何にもわからない緊急事態なのだから。
上坂はそうして日下部に説明すると、まだ半信半疑で不安そうな彼を置いてテレビ局の中へと入っていった。そして玄関ロビーに入り、来客用の受付の横で睨みを利かしているガードマンの方へ真っ直ぐ向かっていくと、警戒するように腰の警棒に手を当てていた制服のおじさんに向かって、笑顔でこう告げた。
「あ、どうも、ご苦労さまです。タレントのジーニアスボーイさんに頼まれて届け物に来たんですけど」
するとガードマンはほんのちょっとだけ警戒を緩めつつも、なお慎重に、
「ああ、そうですか。じゃあ、そっちの受付にそう伝えて、来館許可証を貰ってください」
「はあ……」
上坂は目をパチクリした。予定ではこの時点で頭痛がして、目眩がしてくるはずだったのだが……
わざわざ案内してやってるのに、ボケっと突っ立ったまま動こうとしない上坂に対し、一旦は警戒を和らげたガードマンの表情が訝しげに曇り始めた。彼は慌ててガードマンにお礼を言うと、言われたとおりに受付に足を運んだ。
どういうことだ? ガードマンじゃ駄目なのか? 受付なら流石に今度こそ能力が発動するだろう。
上坂は受付に座っていた笑顔のかわいい受付嬢に向かってペコリと頭を下げた。
「あ、こんにちわ。ジーニアスボーイさんに届け物頼まれたんですけど」
「アポイントがございませんが?」
「いえその、さっき城南島公園で見かけて、そのときに、頼まれて」
「確認します。少々お待ちください」
受付嬢はそう言ってにこやかな笑みを浮かべると、受話器を取ってどこかに連絡をし始めた。
おかしい……どうして能力が発動しないんだ? 上坂は次第に焦り始めた。今までの経験からして、この状況で世界が静止しないのはありえない。嘘が嘘になっていないということだろうか? もっと大胆な嘘を吐けばいいんだろうか?
「あ、俺、実はタレントで……あいつとはタレント仲間で」
上坂がしどろもどろにそう口走るも、受付嬢は慣れた様子で全く意に介さず、にこやかな笑みを貼り付けたまま電話で誰かと喋っていた。心なしかその表情が、キチガイでも見るような緊迫感を帯びている。
おかしい……おかしいぞ? これでも能力が発動しないなんて……額からダラダラと冷や汗が垂れてきて目に入る。彼は腕でその汗を拭いながら、一旦出直した方が良いだろうかと、退路を確認するかのように背後を振り返った。
と、その時、ピカピカに磨かれたガラス張りの玄関ドアに映った自分の姿を見つけて、彼は自分の思い違いに気がついた。ガラスに映った上坂の髪の毛は真っ黒だ……つまり、この世界の彼はFM社に拉致されることもなく、頭蓋骨を割られもしなければ、脳みそをいじられることもない。
今の彼は、超能力自体が全く使えない体なのだ。
上坂はその事実に思い至り、嘘がバレることよりもそっちの方に愕然とした。
日下部と一緒にこっちの世界に飛ばされてきても、彼はどこか楽観的な気分でいられた。それは自分がもっている能力が破格であるから、きっとなんとかなるんじゃないかと、無意識的にそう思っていたからだろう。
だが今、その自信が粉々に打ち砕かれたのだ。
「あー! おまえはさっきのストーカー!!」
上坂が自分の能力が使えないことにショックを受けていると、先程のガードマンが守る社員用の出入り口から、公園で2人を捕まえた24時間テレビの番組スタッフが現れた。
「こんなところまで追いかけてきやがって……これはもうファンだからっていい訳じゃ済まないぞ」
彼は上坂が公園でGBに付き纏っていた男の片割れだと気づくと、直ぐ側にいたガードマンに彼を捕まえろと命じた。するとそれに気づいたのか、途端に、玄関ロビーのあちこちに散らばっていた制服のガードマンたちがワラワラと上坂の方へと駆け寄ってきた。
「ち、ちがっ! 俺は、違うんですっ!!」
慌てて上坂が自分に敵意が無いことを示そうとしたが、もはや後の祭りであった。ガードマンたちはあっという間に彼を羽交い締めにすると、その場にうつ伏せにするように寝転がらせ、後ろ手を捻りあげた。
「いたたたたっ! 痛いってば!」
抵抗するつもりも、その体力もない上坂が、あっさりと白旗を上げるも、興奮したスタッフやガードマンは彼の言うことを聞いちゃいないようだった。
「どうします? 警察に突き出しますか?」「そうしよう。さっきも一度警告してるんだ」「最近物騒ですからね」「武器持ってないか? 慎重に調べろよ」「女の子が刺されたりしたらヤバイよな」「まったく、生番組はこれだから怖いんだ」
その様子を見て驚いたのか、玄関ロビーの自動ドアが開いて日下部が駆け込んできた。彼は地面に寝転されて押さえつけられている上坂を見つけて、どうしていいのか分からない感じでオロオロしている。
このままでは2人とも捕まってしまうかも知れないと思った上坂は、日下部にさっさと逃げろと目配せをしたのだが、無論、そんな腹芸が通用するほど2人の仲は親しいものじゃない。
そうこうしていると、上坂の様子に気づいたスタッフが、彼の視線の先を辿って、
「あっ!! あそこにいるあいつもさっき公園でタレントに絡んでたやつです!!」
と日下部を指さして叫んだ。
ガードマンたちが一斉に彼の方に顔を向けると、気の小さい日下部は、脇を締めて背中を丸めるガード姿勢みたいな格好で固まった。普段から不良達にイジメられ慣れてるからだろうか。抵抗すると言う考えは無かったらしく、駆け寄っていったガードマンにあっという間に捕まっていた。
万事休すか……
上坂は自分の浅はかな行動を呪った。明らかに世界は異常な変貌を遂げていると言うのに、何故か自分だけは平気だと根拠のない自信を持ちすぎていた。そのせいで日下部を巻き込んでしまったのなら、あとで謝らなければ……
ともあれ、警察に突き出されるならそれならそれで悪くないかも知れない。何しろ、上坂も日下部も、自分たちの家の場所すら分からない状況なのだ。警察署に連れてかれて、名前や所持品からこちらの家族を探して貰ったほうが、案外この世界から抜け出せる近道なのかも知れない。
ところが、諦めの境地に達した上坂が、そうやって開き直ったときだった……
「あれ……? 何だよ、一存じゃねえか?」
ガードマンたちの大捕物を遠巻きに眺めている人垣の中から、一人の男がひょっこりと顔を出した。
彼はぽかんとした表情をしながら、床に這いつくばってる上坂の元へと歩いてくると、彼の前でしゃがみこんでその顔を確認し、
「やっぱり一存じゃねえか。なーにやってんだ、おまえ? こんなとこで。俺に会いに来たのか?」
「……え?」
今度は上坂がぽかんとする番だった。何しろ状況がよく飲み込めない。上坂には、眼の前にいる男の顔に見覚えがなかったのだ。
なのに、男の方は上坂のことをよく知ってる様子で、彼の代わりに番組スタッフに向かってペコペコと頭を下げ始めた。
こいつは一体何者だ……? さっぱり状況がつかめない上坂が目をパチクリさせていると、
「ADさん、すみません、家族が何かやらかしちゃったみたいで……害はないと思うんで、放してやってくれませんか? あ、そっちの彼も」
「藤木さんの知り合いですか?」
「はい、弟です」
眼の前の男のセリフに、上坂は口から心臓が飛び出るくらい驚いた。
今、この男はなんて言った……?
藤木と呼ばれる男は、あちこちから集まって来たガードマン達に対し、実に卑屈な調子でお詫びの言葉を並べ立てていた。その様子は見るからに、普段から謝り慣れてる男のそれだった。
男は番組スタッフとは顔見知りらしく、二言三言交わすと、仕方ないなと言った素振りで笑いながらスタッフは帰っていった。続いて大捕物を不安げに見守っていた受付嬢が駆け寄ってくると、彼は首から下げていた社員証を彼女に見せてから、来客用のそれを二枚用意してくれるように頼んでいた。
そして男は、ガードマンから解放されたのに、いつまで経っても呆然と床に這いつくばっている上坂のところへ戻ってきて、彼に向かって手を差し伸べた。
首からぶら下がっていた社員証が、上坂の目の前でブラブラと揺れている。
プラスチックのカードの表面には、眼の前の男の顔写真と、『藤木藤夫』の名前が刻まれていた。
今、目の前に、上坂が生まれる前に死んだはずの兄が立っている。
「ほら、いつまで地べたに座ってんだよ。通行の邪魔だろ」
上坂は差し伸べられた手を呆然と見つめ返すことしか出来ず……どんなに急かされても、腰が抜けて立てそうもなかった。
明日は一日お休みします。法事なんで。ではでは。




