ピカピカ~!
ヤシの木が植えられた芝生から出ると、木張りの遊歩道が海に沿って続いていた。その境目にある柵を乗り越え、上坂は海岸の砂浜へと転げるように躍り出た。
キーンと甲高いジェットエンジンの音が上空を通過していく。風を切るゴーッと言う凄まじい音が近づいて来たと思ったら、ドップラー効果で一瞬にして階調が変わり、あっという間に通り過ぎていく。
対岸の空港へと降り立つB787の機影を呆然と見ながら、上坂は本当にあれは羽田空港なのかと、何度も何度も自分の目を擦っては見返した。
海に突き出す橋のように伸びている真っ赤な誘導灯。その向こう側に見える真四角のターミナルから建ち並ぶ二つの丸い管制塔。そのフォルムは、かつて彼の先生が海外出張するたびに見送りに行った際、何度もお目にかかったから見間違いようがない。
何故、羽田空港があるんだ? 夢でも見ているのか……? しかし、これはどう見ても現実にしか思えない……もしかして過去にでも迷い込んでしまったのだろうか。
上坂はその可能性に思い至ると、ハッとして上着やズボンのポケットを探った。そして胸ポケットに無造作に突っ込まれていた見慣れないスマホを取り出すと、その画面に表示されていた日付をチェックした。
2029年8月×日……
ところがそこに表示されていたのは、彼が記憶する限り今日その日でしかなく……あっという間に過去の夢を見ているという可能性は無くなってしまった。
しかし、それじゃあこれが現実だとして、一体何が起こってしまったと言うのだろうか。ここで目覚めるより前、覚えている限りで最後の記憶は、GBが入院している病院で医者に彼の容態を聞いているところだった。その最中に突然頭痛がして、自分の能力が発動しかけていたのを感じて……気がついたらここに居た。
普通なら、上坂の能力が発動した場合、彼は静止した世界に放り込まれるだけのはずだった。そこではアンリのような例外を除いて自分以外に動く人間は居ないはずだ……ところが、今自分が目にしてる光景では人々が普通に動いていて、犬の散歩をしたり、ベンチでカップルがいちゃついていたり、おじさんがジョギングしていたりするのだ。
極めつけは対岸に見える羽田空港……美夜は上坂が世界を改変していると言っていた。倖は平行世界を移動していると言っていた。これはもしかして、本格的にパラレルワールドに迷い込んでしまったということか……?
「きゃあっ! 大丈夫ですか!?」
彼がその可能性について考えていると、すぐ近くで女性の悲鳴が上がった。何かあったのかと思い、声のする方を見てみれば、女性のすぐそばにジャージを着た男が倒れているのが見え、そんな彼は起き上がると驚いている女性に向かってペコペコと謝罪をし始めた。
その姿に見覚えがあるような気がして、上坂はどうしてそう思うのかと男の顔をよく確かめてみたら……
「え? 日下部……?」
日に焼けておらず、この暑いのに長袖のジャージを着ていたその男は、どう見ても日下部ユーリその人だった。何で彼がここに居るのだ? と思いつつも、何も手がかりのない場所で一人でいるよりよっぽど心強く思った上坂は、
「おーい! 日下部! 日下部!」
と言って彼の方へと駆け寄った。女性に頭を下げていた彼はその声に振り返ると、近づいてくる上坂の顔を見て、一瞬怪訝そうな表情を見せたが、
「え……? 先輩? 上坂先輩ですか??」
「そうだよ、俺だよ。ついさっきまで一緒にいたじゃないか」
「え、あ、はい……そうですけど……? いや、でも……」
「なんだよ?」
「先輩……いつ、髪の毛染めたんですか? って言うか、ここどこですか? 俺は一体何をしてたんだっけ……?? あれー??」
日下部はこの状況がよく飲み込めないらしく、自分の顔や体をペタペタと手で確かめていた。すると丁度その時、上空を飛行機が通過したものだから、彼はその大迫力に驚き、口をあんぐりと開けながら真上を見て固まってしまった。
「な、な、なんじゃこりゃああーーー!!」
上坂はそんな彼のパニクる姿を見つめながら、今しがた彼が言った言葉を思い出して、自分の前髪を一つまみして上目遣いでそれを確かめた。
「黒い……!?」
するとそこに見えたのは、いつもの自分の真っ白な髪の毛ではなく、5年前はそうであった、元の黒い髪の毛だった。彼は驚いて、パシャリと自撮りしてみると、そこに映っていたのは確かに自分の顔であったが、その頭髪は白髪一つ無い、綺麗な黒い髪の毛だった。
もしやと思い、自分の頭をそっと手で探ってみる。すると、本来なら側頭部にあるはずのハゲも、頭蓋骨を開けられたような形跡も見あたらない。
「ななな、なんですか、あれ!? どこですか、ここ!? 俺は一体……どうしていきなりこんな場所に来ちゃったんですか!?」
状況が飲み込めず、大騒ぎしている日下部の指差す先には羽田空港が見えていた。ここまで条件が揃えば考えられることは一つしか無い。
どうやら上坂たちは、東京インパクトが無かった世界に迷い込んでしまったようだった。
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その後、日下部が落ち着くまで、かなりの時間を費やした。上坂ですらほとんど状況が飲み込めていないのに、いきなりこんな状況に巻き込まれたのなら仕方ないことだろう。とにかく、二人してパニクっていては仕方ないので、上坂は出来るだけ冷静に受け答えするよう心がけた。
「……時空間跳躍?」
「ああ。よくSF映画なんかであるだろう? もしかしたらあり得たかも知れない世界に迷い込むようなの。あんな感じだ」
「あんな感じって言われても……本当なんですか?」
「俺もこんなことは初めてだから、絶対とは言い切れないが……あそこに羽田空港が見えることだけでも、そう考えるしかないだろう?」
「そ、そうですね……でも、どうしてこんなことになったんでしょうか?」
「正直言ってさっぱりわからないが……元々、俺の能力ってのがあってな? もしかしたらその能力のせいなのかも知れない」
上坂は、本来ならあまり関係ない人間に、自分の切り札である能力について話すのは避けたかったが、実際にこうして巻き込んでしまったからには、日下部に説明するしかなかった。彼は上坂の能力について聞くと目を丸くして、
「世界改変って……そんな能力があり得るんですか? もし本当なら、すごすぎじゃないですか」
「ああ、でも実際には色々と制約があって、うまく能力を使わないと、最悪の場合は時間停止した世界に永久に取り残されるはめになりかねないんだよ。実際に今、良くわからない世界に飛ばされて、困ってるだろう?」
「……確かに」
「それに、こんな力を持ってるって知れたら、悪いやつに何をされるかわからない。だから、おまえには仕方なく話したけど、絶対に周りの誰にも話すんじゃないぞ?」
「分かりました。で……これって、どうすれば元に戻れるんですか?」
「……分からない」
「え゛……?」
日下部は絶句した。上坂は非難するような目つきで見ている彼に向かって、バツが悪いような、逆に開き直ってもいるような、そんな投げやりな態度で答えた。
「だから、俺も初めてのことだから分からないって言っただろ。今まで普通なら、俺は元の世界の時間を止められるってだけだったんだ。その時は、自分がついた嘘を本当に変えれば済んだんだけど……」
「嘘……? ってことは先輩、俺たちが病院で先生に話を聞いていたあの時、何か嘘を吐いていたんですか?」
「いや、そんなことは無かった。だから、根本的に考え方を変えなきゃならないんだろうな……でも、手掛かりがなさすぎて、何をどうしていいのやら」
「手掛かりですか……美空学園があれば、先生たちに頼れたかも知れませんが」
「先生……そうか。先生なら」
上坂は日下部の言葉でピンときた。学校の教師たちはどうだか分からないが、彼の先生である立花倖であれば、力になってくれる可能性はある。彼は不安げに腕組みをしている日下部に言った。
「もしかしたら、この状況をどうにかしてくれるかも知れない人に心当たりがあった」
「ホントですか!?」
「ああ、俺の先生なんだが……昔この辺に住んでいたんだよ。東京インパクトのせいで吹き飛んじゃったけど、それがなかったこの世界なら、まだ同じ場所に住んでるかも知れない」
「なら、行ってみましょうよ。ここでこうしてても始まらないですし」
「ああ、そうしよう。だが、その前に……おまえ、金持ってる?」
「え?」
そう言われた日下部は目をパチクリさせてから、自分の着ているジャージのポケットをひっくり返した。ところが彼は自分が何一つ持っていないことに気づくと、
「ど、どうしましょう?」
「見た感じ、ちょっとジョギングしに来たって格好だもんな。でもさあ、もしそうなら、おまえこの近所に住んでるってことじゃないか? この辺りの景色に見覚えはないのか?」
「いいえ、全く……羽田空港を間近に見たのだって初めてですよ」
「となると、困ったな。俺も財布を持ってないんだよ。スマホにいくらか電子マネーがチャージしてあるかも知れないけど、それじゃ2人で電車に乗ることも出来ないだろう」
「その先生の家ってのは遠いんですか?」
「歩くと結構ある。丁度、空港を挟んで反対側だ」
日下部はため息を吐くと、
「なら仕方ないですね。俺はここで待ってます……あ、そうだ。せっかくだから、この辺りを歩いて何か手掛かりでも探してみますよ。先輩の言う通り、もしかしたら俺はこの近所に住んでるのかも知れないですし」
「そうだな。それじゃ二手に別れよう。調べ終わったら、またこの場所で落ち合おうぜ」
上坂はスマホを弄りながら他に何か手掛かりがないか探しながら駅まで急いだ。残念ながらこれといった物は何も見つからなかったが、それでも先生に会えさえすれば何とかなると、この時の彼はそれほど悲観していなかった。
ところが、目的地に到着した彼は期待していた分だけ、大きく落胆を覚える羽目になった。上坂があてにしていた先生の家……つまりは自分の家はそこには無くて、代わりに見慣れぬタワーマンションが建っていたのだ。
もしかしたらその一室に住んでるかも知れないと、管理人に問い合わせ、郵便受けを必死になって探しもしたが、立花倖の名前はどこにも見つからない。それじゃ一体、先生はどこに行ってしまったのだろう……? 探そうにも何の手掛かりもない。記憶を必死に辿って彼女の携帯に電話してみたが、番号自体がつながらなかった。西多摩の方に彼女の実家があるはずだが、上坂は一度も行ったことがなかったのでどうしようもなかった。
あと思いついたのは恵海の父親が経営するAYFカンパニーに連絡してみることだったが、困ったことにスマホで検索しても会社の名前自体が見つからなかった。ここは全く別の世界だから、もしかしたら会社自体が設立されていない可能性もある。
こうなってくると倖だけではなく、他のみんなもどうしているのか気になってくる。上坂は試しにネットで調べて縦川の寺に電話をしてみたが、出てきた住職は全く知らない人物で、縦川の名前を尋ねても何もわからないと返されてしまった。
シャノワールも不明、恵海も見つからない、美夜に至ってはもしかして存在自体が無いのかも知れない。一縷の望みを賭けて、下柳の勤務している警察署に電話してみたところ、何と彼が電話に出てくれたのだが、
「誰だお前?」
と言われて思わずガチャ切りしてしまった。彼とは縦川を通して知り合ったのだから、その縦川がいないんだからこうなることは予想できた。そんなことも思いつかないくらい、彼は切羽詰まっていた。
最後の可能性としてヒトミナナを探しもしたが、そもそもこの世界には汎用AIが無くて、中東で戦争は起こらなかったし、東京都は壊滅しなかったからホープ党は泡沫野党で、ベーシックインカムもないようだった。
上坂は思い知った。
ここは本当に、全く知らない別の世界なのだ。寧ろ、どうして上坂と殆ど縁がない日下部が一緒に居るんだと、首を捻りたくなるくらいだった。
もちろん、彼が居てくれたおかげで、自分の立ち位置を確認できて、多少気が楽になっていた面もあるのだが……彼に何か能力があるというわけでもないし、元の世界に戻るために役に立つかどうかも、あまり期待できそうにないだろう。
何の手掛かりも得られずに、トボトボと待ち合わせの公園に戻ると、日下部の方はとっくに帰ってきていたようだった。近づくにつれてはっきりと見えてくる冴えない横顔を見るだけで、彼の方も何の土産話もないことがありありとわかった。
上坂が帰ってきた事に気づいた彼の期待に満ちた視線が痛かった。上坂は黙って首を振った。日下部は落胆するように項垂れた。
「……この近所を探ってみても、何の手掛かりもありませんでした。辺りは工場だらけで、民家が全然無いんです。交番を見つけて日下部って家はないかと尋ねてもみました。でも何も見つかりませんでした。俺の着てるジャージが、もしかしてどっかの学校指定ジャージかと思って、ダメ元で聞いてみましたが、全然そんなことなくって、逆にどうしてそんなこと聞くんだって怪しまれて困っちゃいましたよ」
「こっちも似たようなもんだ。せめて知り合いと連絡が取れないかって探してはみたものの……そう言えばおまえ、自分ちの電話番号って分かるか?」
上坂がスマホを差し出すと、日下部は思いつく限りの場所に連絡を取っているようだった。だがそれを横で見ているだけで、上手くいってないことがわかった。彼の表情が次第に焦りを帯びてきて、冷や汗がポタポタと顎から地面に落ちていった。
それでも諦めきれない日下部は、スマホを持ち主に返さずに、ネットで色々と調べているようだった。多分無駄だろうと思いつつも、かと言って彼を止めることも出来ない上坂はため息を吐くと、座っていたベンチに体を投げ出した。
ベンチで寝っ転がりながら見上げる空は快晴で、少なくとも天気の心配はしないで済みそうだった。これでもし雨でも降ってきようものなら、どれだけ惨めな気分になっただろうか。そんなことを想像して、上坂は勝手に憂鬱になっていた。
しかし、まあ、憂鬱にならざるも得ないだろう。これからどうしていいのかさっぱりわからないのだ。元の世界に戻れるのか……戻れないにしても、今日は一体どこへ帰ればいいというのか。日下部だけでなく上坂だって、こっちの世界で自分がどこに住んでいるのかわからないのだ。
「ご迷惑おかけしま~す! お台場テレビで~す! ただ今大変ご迷惑おかけいたしておりま~す!」
と、その時、上坂達が不貞腐れたようにベンチに腰掛けていると座っていると、突然周囲がざわつき始めた。見れば公園内のボードウォークにハイエースを改造したようなゴツい車が乗り込んできて、中から同じTシャツを着た集団が現れた。
お台場テレビと名乗っているところからすると、そのものズバリお台場のテレビ局からやってきたスタッフらしい。そのTシャツには24という数字と、金はテレビを救うという、身も蓋もないキャッチフレーズがプリントされていた。
縦川の寺はテレ東しか映らないから、他のチャンネルはとんとお目にかかっていなかったが、どうやらお台場テレビの24時間放送か何かのようだった。そもそも、あっちの世界ではお台場が壊滅状態だから、テレビ局自体があるのか無いのか分からない。まあ、あったところで、どうせあの縦川のテレビには無用だろうが……
そんなことを考えていると、ロケ車からADみたいな若者が駆け寄ってきて、
「すみませ~ん! お台場テレビなんですが、今からちょっとここで撮影をしますんで、ちょっとここからちょっとどいてくれませんか、すいませ~ん!」
ちょっとちょっとと言いながらグイグイと2人のことを追い立てた。すいませんと謝る顔は、新興宗教の信者みたいな満面の笑みが張り付いていて、ただただうす気味が悪かった。2人はスタッフに誘導されてロープが張られた外側に追われると、
「あ、良かったらちょっと番組をちょっと見学してってください。あっち側からカメラが回りますんで、みなさんはちょっとこの辺りに固まってて、ちょっと! 声はあげないでください!」
ちょっとちょっとと言いながら有無を言わさぬスタッフに押されて、あれよあれよと言う間にたまたまその辺を歩いていた人たちで人垣が形成された。声を上げないでというのは多分、放送禁止用語でも叫ぼうものならぶっ殺すぞという強い意思の表れだろう。
なんでこんなのに混ざんなきゃなんないんだろう……同じく隣で迷惑そうな顔をしていた日下部に、さっさとずらかろうぜと言おうとしたら、その時、別の方向から変なうちわを持った女の子の大群が、競馬場の直線さながらの地響きを立てて殺到してやってきた。
ギャーギャーと言う黄色い悲鳴というよりも、もはや血の混じった黄土色みたいな絶叫をあげながら、女の子たちが人垣を背後からグイグイと押しはじめる。ロープの前に陣取っていたスタッフたちがそれを押し返すように、上坂たちをグイグイと押した。
後ろから前から押しくら饅頭されて、あんこが出てしまいそうである。こんな場所に、もはや一分一秒でも居るのはごめんだ。私利私欲しか眼中にない連中に揉みくちゃにされながら、2人は何とかこの地獄から脱出する方法を探していたら……
「きゃー! つ○さー!」とか「きゃー! た。きー!」
とかの絶叫に混じって、
「きゃー! ジーニアスボーイー!」
……とか言う、おかしな声援が聞こえたような気がして、上坂は思わずそっちの方を2度見した。
「ジーニアスボーイー! ジーニアスボーイー! こっち見てー!」
鼓膜が破れるんじゃないかというくらいの絶叫の中に、確かにそんな恥ずかしい名前を叫んでる連中が混じっている。彼女らはうちわを持った集団から相当出遅れたのか、人垣の後ろの方でぴょんぴょん飛び跳ねていた。
「先輩、どうしたんですか、早く逃げましょうよ」
後ろを気にして動かない上坂の上着を引っ張りながら、日下部が抗議の声を上げる。上坂は彼の方を振り返ると困惑しながら、
「いや、聞こえないか、あの声援が」
「何がですか?」
「ジーニアスボーイって、あいつら叫んでるじゃないか」
「……それが何か?」
日下部がキョトンとした顔で首を傾げる。その表情で合点がいった。彼はGBが、そんな恥ずかしい名前でユーチューバーをやっていた過去を知らないのだ。
上坂がそのことを説明しようとした時、突然、彼らを取り囲む女子の声量が一段と上がった。見ればロケ車の方から続々と、テレビで見たことがあるタレントたちが、おそろいのTシャツを着て現れた。
「あー! 先輩! あれを見てください!!」
そしてそんなタレントたちの最後尾に、見慣れたぽっちゃり体型の男が、ニヤニヤとした笑みを浮かべながらロケ車から飛び出してくるのが見えた。その姿を見るなり、日下部が目を丸くして指さす。
言うまでもない。三千院光宙こと、ジーニアスボーイその人である。
「あいつ……こっちだとユーチューバーじゃなくってタレントやってんのか」
上坂は独りごちるように呟いた。いや、もしかしたらユーチューバーとしてテレビに出演しているのかも知れない。さっきの女の子たちみたいに、わざわざこんなところまで駆けつけてくるファンが居ることからしても、それなりに人気があるようだ。
しかし、そんなことで感心している場合ではない。せっかく見つけた手掛かりかも知れないと思った2人は、タレントに混じってスタッフになにやら説明を受けてるGBに向かって声をかけた。
「おーい! GB~!! GB~!! ジーニアスボーイや~いっ!!」
だが、普段怒鳴りなれてない上坂がいくら叫んだところで、周囲を取り囲むの気狂いジ。ニオタ……もとい、少女たちの声量には到底敵わない。彼の声はかき消されて、GBには全く届いてないようだった。
「三千院先輩ー! 先輩ってばー!!」
日下部も負けじと大声で叫ぶが、こっちも似たようなものだった。
GBは目の前にいる。手を伸ばせば届きそうなくらいだ。なのに声が届かないもどかしさに、2人は憤死しそうになった。
何なのだ一体、何なのだこの餓鬼道から這い出てきた亡者みたいな少女たちは……どうしてここまで、自分の人生にとってなんの接点もない相手に熱中出来るのだ。彼らは気狂いジ。ニオタ……もとい、推しメンに純粋な愛を捧げる少女たち相手に、良くわからない敗北感を味わわされた。
とにかく、声量では彼女たちには絶対に敵わない。他の方法で、なんとかしてGBの注意を引くことが出来ないか。上坂は何か無いかと周囲の状況をぐるりと見回し……そして周囲の見通しが良いことに気がついた。確かに声量では彼女たちには勝てないけれど、女子と比べて男子の自分たちの方が身長は勝っているのだ。
なら、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、GBが気になることをやれば、そのうち気づいてくれるかも知れない。彼はそう思って、
「おい、日下部! おまえ、ピカチューのモノマネしろよ」
「え!? な、なんですか、いきなり?? イジメですか!?」
「あいつ、ピカチューって言うと怒るんだ! 俺もやるから、おまえもやれよ!」
「え? え?」
「ピカピカ~! ピカチュー! ほら、やれってばよっ!」
「え? マジっすか? ぴ……ぴっかー!」
「ピッカッチュー! ピッカッチュー!」
「ピカピカ~! ピーカー!」
しかし、ピカピカ言い出したところで上坂は気がついた。これはピカチューのモノマネじゃなくて声真似だ。これでは結局女子の声援には勝てそうもない。だが、顔を真赤にしながら日下部もやり始めてしまった手前、もう後には引けそうにない。
こうなったらやけくそだと、彼はぴょんぴょん飛び跳ねながらピカチューの気持ちになって、必死になって叫んだ。
「ピッカー! ピカチュー!」
すると、突然飛び跳ねながらピカチューのモノマネを始めた怪しげな男子高校生2人に恐れを成したのか、周囲の人垣が若干割れた。
そのせいで押し出されたジ。ニオタたちが、視線だけで人を殺せそうな目つきで、自分たちを押してきた方向を見る。すると、そこに意味不明なピカチューのモノマネを絶叫している二人組を見つけ、彼女たちはドン引きした。
それが連鎖反応のように周囲に広がっていって、声援がほんのちょっとだけ途切れた瞬間、
「ピカチュ~! ピカピカ~!」
上坂達の必死過ぎるピカチューのモノマネが周囲に虚しく響いたかと思うと、
「だ、だ、誰がピカチューやねんっ!!」
もはや脊椎反射のように、ロケ中のタレントたちの間から、GBのツッコミが炸裂した。
まさかこんな方法で本当に上手くいくなんて……自分でやっておきながら若干引いていた上坂は、ようやくGBがこっちを見てくれたことにホッとすると、彼に向かって手を振って叫んだ。
「おーい! GB! GB! 俺だってばよ!」
しかし、GBはそんな上坂の顔を怪訝そうに見るだけで何の反応も示さない。もしかして、下柳のときみたいに、こっちの世界では知り合いじゃないとか、そういうオチだろうか……?
上坂は血の気が引いていくのを感じながら、どうすればいいかと慌てて何かを言おうとした時、ハッと気がついた。
そう言えば、日下部も最初は上坂の事に気づかなかったのだ。何故なら、彼のトレードマークとも言える白髪が、今は元の黒髪に戻ってしまっていたからだ。
上坂はそのことを思い出し、前髪をかきあげて自分の顔を指差しながら、困惑気味のGBに向かって言った。
「俺だって! 上坂だよ!」
するとGBは怪訝そうに目を細めてから、何かに気づいたかのように目を見開くと、見る見るうちにその表情が焦りの色に変わっていった。上坂はどうしたんだろう? と思いつつも、彼のその素振りから、GBが自分たちの事に気がついていると確信して、
「おい、GB! わかってるんだろ! 俺だ、上坂だ。日下部も一緒だ。とにかく、ちょっとこっち来いよ」
ところが、そんな風に上坂が手招きをしても、何故かGBの方は泡を食ったようにブルブルと震えながら、
「し、知らない……知らない……俺はお前らのことなんか知らないぞ」
彼はまるで何かを恐れているかのように、上坂を指差し後退りしながら、直ぐ側に居たADらしきスタッフに叫ぶように命令した。
「おい、スタッフ! あいつをどっかにやってくれ!」
「ええ!?」
まさかそんなことを言い出すとは思いもよらず、上坂は目を丸くした。さっきの表情といい、この反応といい、どう見てもGBはこっちのことに気がついているようだ。なのに、どうして自分たちのことを知らないと言って遠ざけようとするのか?
上坂たちはGBに言われて飛んできたスタッフに対して、自分たちは知り合いだと言って、なんとかGBに取り次いでくれるように懇願した。しかし、そんなこと言っても彼らが信じてくれるはずもなく……彼らは人垣から引きずり出されると、タレントにつきまとう迷惑なファンみたいな扱いを受けて、大勢のスタッフに取り囲まれて説教される羽目になった。
どうしてこんな目に遭わなきゃいけないのか……そもそもこの世界は一体なんなのか?
GBを呪ったところで、未だ何も分かってないことに、上坂は焦りを感じ始めていた。