欧州某所
欧州、某所、ビルダーバーグ会議の会場に一人の日本人男性が現れた。御手洗善行は災害から5年が経過した東京都の復興状況と、被災地に特例で実施されたベーシックインカムの導入について講演するため、会議に招かれたのだ。
日本の政権与党リバティ党を差し置いて、ホープ党の若手が欧米の富裕層が主催する会議に招待されることはショッキングな出来事であり、渡欧する前から政財界のあらゆる方面から探るようなコンタクトが殺到した。
ビルダーバーグ会議は先進各国の政界に、極めて強い影響力があると噂されており、過去の招待者の中には、後に国家元首にまで上り詰めた者もいるのだ。そのため、もしそうなった時のために今からパイプを繋いでおこうとする者たちや、逆にそうはさせじと牽制するものたちが入り乱れて、ここのところ御手洗の周りはうるさかった。
しかし当の本人の方は至って落ち着いたものだった。というのも、自分が呼ばれた理由は明確で、会議の主催者たちの腹の中に怪しげなものなど感じられなかったからだ。
今、彼らは純粋に、変わろうとする社会に不安を抱いているのだろう。テクノロジーの急激な進歩で、自分たちの生活がどうかわっていくのか。とりわけ、しこたま溜め込んだお金がどうなってしまうのか、気になってしかたないわけである。
汎用AIやベーシックインカムなんてものが出てきてしまったが、果たしてこれは自分たちに害があるのかどうか、それが知りたくて御手洗が呼ばれたのだとしたら、大丈夫ですよと言ってやればいい。彼はそう思ってここにやってきていた。
「お招きありがとうございます。みなさまのご支援により東京も復興のめどがついてきたことを感謝いたします。本日は東京復興5年間の経過をご報告するとともに、その際に導入された様々な政策について、特にみなさまが最も注目されていらっしゃるでしょう、ベーシックインカム制度についてのご説明させていただきます。よろしくお願い申し上げます。
5年前の隕石落下の影響で、東京湾岸は壊滅し内陸部のインフラにも様々な影響が出ておりました。交通路は遮断され、東京の大動脈である鉄道はそのほとんどが機能を失い、瓦礫の撤去も物資の補給も進まず、生活もままならない状況でした。
このような状況下で人口流出が止まらず、東京は復興のための資金と労働力とをいっぺんに失い、政府も匙を投げ出す始末。
当時はとにかく、金と労働力が全く足りず、東京としてはなんとかして安い労働力を確保しようと試行錯誤しておりました。そこで我々は件のベーシックインカムを導入を検討したのです。
人口流出が続く東京では安い労働力を手に入れるのに、結局、外国人労働者を頼るしかありませんでした。彼らは移民とは言っても殆ど出稼ぎですから、母国に送金するための外貨が欲しい。それで今までなら彼らを雇い入れるために、生活費+送金分の賃金が必要だったわけですが、そのうちの生活費をベーシックインカムで補ってしまえば、雇用側が支払うのは送金分だけでいいと考えたわけです。
実際に今、東京は国連に人権侵害を疑われるレベルで、非常に安い賃金で外国人労働者を働かせています。それでいて誰も文句を言いません。更には歴史的に移民と先住民は軋轢が生じやすいはずですが、ベーシックインカムがあるお陰で、衣食住が保証されているのでそれも起きにくいのです。
ただ、言うまでもなく、これだけのことをするには元手が要る。それだけの財源をどうやって確保するか。そこで活躍したのが汎用AIでした。
復興当初は義援金や各国の支援がありましたが、それもいつまでも続くわけではありません。そしてもちろん、借りたお金は返さねばなりません。政府が復興債を発行しても焼け石に水で、この期に及んで我々に出来ることは、とにかく東京の復興を急ぐことだけでした。
東京が元通りにさえなれば、財源確保の目処は立つはずです。だから形の上だけでも元通りにしなければならない。東京都はインフラの整備をする傍ら、工場やオフィスの再建を急ぎました。ところが一度流出してしまった人口は、中々元に戻ってはくれません。こっちがいくら雇用を創出しても、もう他所に生活の基盤が出来てしまったら、そりゃ難しいでしょう。かと言ってここまで外国人労働者に任せるわけには行きません。それで始めは苦肉の策として、それを機械に行わせることにしたのです。
例えばもう何年も前から、工場ではオートメーション化は進んでいました。我々人間がやることは検品のような単純作業で、複雑なことはみんな機械がやっていた。極端な話、人間が居なくても困らないくらいでした。ただ、それでも不測の事態が起こって、機械には出来ない判断が求められることもありうる。それで工場を監督する人間が必要だったわけですが……
汎用AIの登場はその必要すらもなくしてしまいました。自律して人間と同じように物を考えられるようになったAIは、すでに能力の上で人類を超えていたのです。AIはエネルギーさえあれば眠りもせずに働き続ける。人間が見張らずに済むのですから、休まず動き続ける。更には今までは人間の手が介在することによって落ちていた品質もどんどん向上される。
AIは人間と違って一度教育がされたら、その情報をコピーが出来る。工場で言えば、一つのラインが出来れば、それをいくらでもコピーすることが可能です。人間を雇って教育する必要が無いのですから、物理的な制約に引っかからない限りは、無限に生産力を増強することが出来るというわけです。結果、東京は現在、歴史上類を見ないほどの生産力を誇っているのです」
御手洗は一旦話を区切って会場の様子をぐるりと見渡した。ここまでは東京の5年間の出来事をなぞっただけで、本題はここからなのだ。そして多分、この会場にいる人達が一番気になっている部分のはずだ。彼は気合を入れ直すと、水を一口飲んでから話を続けた。
「人間の手が入らない方が都合がいいというのは、言い換えれば人間の仕事を機械が奪ってしまったと言うことになるでしょう。我が国でも、それを危惧し、AIの使用を禁止しようと言う声が高まっています。
ですが本当にそうですか? AIを使わなければ、我々に仕事が戻ってくるんですか? AIが登場する以前から、我々先進国は途上国の低コストな労働力に太刀打ちできず、その仕事の殆どを奪われていたのではありませんか? 工場も始めは中国や韓国などに建てられていましたが、それらの国が豊かになり賃金が上がり始めると、今度はより低賃金な東南アジアの国々へと移っていったではありませんか。それがAIに変わっただけの話じゃないですか。
何故こんなことが起きるのか。AIほど上手くなくても、人間だって技術をコピーできるんです。先進国で新たな技術が開発されると、途上国はそれを後追いで大量生産し、低価格で売りさばいて市場を奪ってしまいました。それを汚いと言って関税をかけても何も始まりません。また新しい技術が出るたびに、同じことが繰り返されるからです。
昔はこんなことはなかったはずだとお思いでしょう。ですが、実は昔から同じことは繰り返されてきたんです。ただ、昔は先進国が新技術を開発しても、コピーされるまで時間がかかったからそれが分からなかった。
例えば戦前、我々日本人は一ヶ月かけて船便が到着するまで、欧米の最先端の論文を読むことが出来ませんでした。飛行機便が出来て論文が早く届くようになったところでも、世界で何が流行していて、何を作れば売れるのか、現地の空気は中々分かりづらいものがあった。そんな具合でしたから、先進国で新しい物が出来て、途上国がそれをコピーしても、その頃にはもう技術は洗練され尽くして、先進国では別のことをやり始めていたんですね。だからコピーされても誰も困らなかった。
ところが時代が流れるに連れて我々の情報伝達速度は上がり、従って技術の移転も早くなってしまった。どんな情報も飛行機で1日で届くようになり、今じゃインターネットで一瞬です。先進国がいかに技術でリードしていても、すぐに追いつかれてしまう。
そして技術というものは、高度になり、複雑になればなるほど、実はコピーするのが容易になるんです。そんな馬鹿なとお思いでしょうが、本当のことです。何故か? 例えば高度な技術と言ったらどんな物が想像出来ますか? コンピュータのCPUなんかはそうですよね。ところでこのCPUってどうやって作ってると思いますか。単結晶のシリコンウエハに溶かした配線を吹き付けて作るんです。こんなの手作業で出来るわけがない。当然、それ専用の機械を使って作ってる。機械が機械を作ってるんだから、じゃあその機械を買ってくればいいだけの話じゃないですか。
近年、技術は倍々の勢いで発展し続けています。最先端だと思っていた技術があっという間に過去のものとされ、専門家の寿命はどんどん短くなっている。私達は高度な教育を受けてきたわけですが、そんな私達でもついていくのがやっとだ。
つまりこれが何を意味しているかと言うと、途上国と差がないということです。先進国の私達も新技術が出てきたら、何もないところから手探りでやってかなきゃならない。そしてようやく物になりそうだと思ったら、途上国に市場を荒らされてもう次の技術が生まれている。
子供たちなんてもっと大変ですよ。子供は技術に対する抵抗が少ないですから、途上国の子供はみんなパソコンもスマホも当たり前のように使いこなします。グーグルで検索し、アマゾンで買い物し、ウィキペディアで調べます。私達の子供はみんな、技術をキャッチアップしたアフリカやアラブなんかの途上国の子供たちと競争するわけです。なのにスマホも満足に活用できないおじさんおばさんが、しっかりしろと余計なことを言ってしまう。これじゃやる気なくなりますよ。時代はとっくに変わってしまっているのに、それに気づいていないのです。
私達、先進国はお金をたくさん持つことの優位性を失うことを危惧して、移民労働者やAIを遠ざけようとしています。一部の先進国では関税をかけて保護主義に移行しようとしています。ですがそれは得策じゃありません。先進国が使いたくなくても、追いかけてくる方が使うんです。すると、自分たちの富を守るつもりで、まったく逆のことが起きかねない。寧ろ先進国こそが積極的にそれを利用すべきだ。
今、新しい時代が始まり、古いやり方はもう通用しなくなりつつあります。ボーモルのコスト病という言葉がありますが、古いやり方にしがみついていては、業界自体が無くなりかねない。
少し古い例をあげてみましょう。アメリカのレコード業界は80年、90年代とどんどんセールスが落ちて苦境に立たされていました。それは単に既存の業界のやり方が飽きられていただけなのですが、彼らは新しく出来たCDのコピーや、MP3のようなデジタルデータのせいだと言って攻撃を開始した。CDにはユーザーの不利益になる細工を施し、MP3の交換ソフトを作っていた会社を潰し、見せしめに大学生に訴訟をふっかけました。
結果、彼らの望むとおりCDのコピーはされなくなり、MP3交換ソフトも使用が不可能になりました。ですが、それでまた以前のように売上が回復したかと言えばそんなことはありませんでした。当然ですよね。敵意を剥き出しの相手から、一体何を買おうと言うんでしょうか。
ただし話はそれで終わりません。その後どうなったかと言えば、この騒動を見ていたアップル社がiPodを販売し、と同時にMP3データを安く売り始め、あとは知っての通りです。CDは相変わらず売れませんでしたが、iPodは世界的な大ヒットとなり、低迷していた音楽業界の売上が回復し、彼らは首の皮一枚繋がった。
このように、技術は確かに既存の業界を破壊もしますが、適切な使い方をすればちゃんと延命が出来るんですよ。スティーブ・ジョブズはMP3交換ソフトがあれだけ使われるんだから、そこにそれだけ需要があると考えたわけです。あとはその需要を満たしてやればボロ儲けだ。逆にレコード業界の方は今までのやり方を変えたくなくて、ユーザーの方に変われと押し付けた。
変わらなきゃいけないのはどちらか。我々がすべきことは排除ではなく、やり方を変えることではないでしょうか。移民労働者や新興国を排除するのではなく、AIを活用してもやっていける、新たなルール作りをするべきなのです。そのためにベーシックインカムがあるのです。
東京インパクトから5年。東京はベーシックインカムを導入しても上手く行っております。懸念された移民との諍いは全くありません。そりゃそうでしょう。みんな満足な生活を送れるだけの賃金が保証されているのだから、争いようがないですよ。
そしてそれこそが政治が目指す社会なんじゃないでしょうか。
返す返すも汎用AIの利用は避けられません。だったら最初から抗うこと無く受け入れましょうよ。それに新しいルールが世界に広がれば、戦争も起きなくなるでしょう。人は奪うために争ってきた。その必要がなくなるんですから。
ここにお集まりのみなさんは各国に強い影響力を持っていらっしゃる。是非、東京のやり方を、世界に広めていって欲しいです。ご清聴ありがとうございました」
会場は拍手に包まれた。