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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第三章・上坂一存の世界
45/137

チューボーですよ!

 寺務所を出ると真夏の太陽が脳天を焦がした。まるで紫外線が突き刺さっているかのようなチクチクする光線を、目を細めてやり過ごしながら縦川はあたりを見回した。雑居ビルに囲まれた狭い境内は墓地で埋め尽くされており、参道に立って門の方を向けば全体が見渡せる程度の広さだった。


 正午前のこの時間、学校がない日の上坂はいつもその境内の掃除をしているはずだった。朝のお勤め以外は別にやらなくて良いよと言ってあるのだが、手持ち無沙汰なのか、はたまた生来のきれい好きなのか、彼は放っておくと勝手にあちこちを掃除してくれるので大いに助かっていた。尤も、下柳が遊びに来てる時は、大抵2人でテレビゲームの前に陣取っているから、単に掃除が好きということは無いのだろう。


 美夜が来てからは、彼のことを神と崇めている彼女が手伝いを買って出ているようだったが、注意散漫な彼女は暫くすると猫と遊び始めてしまうので、大して役に立ってないようである。因みに、最近は猫が美夜に懐いてしまって、縦川の相手をしてくれないのでちょっと困っている。


 そんなこんなで、縦川は本堂の前できょろきょろと上坂と美夜の姿を探していた。ところが、寺は狭いのですぐ見つかると思っていたのに、不思議なことに二人の姿が見当たらない。もしかして近所の散策にでも行ってしまったのだろうか。もしそうなら昼飯はどうしようか? 先に食べるのは気が引けるし、立花倖は腹減ったと連呼してるし……そんなことを考えていると、


「きぃー! 退くのれす、このサタン!」

「おい、美夜、やめろってば」


 ヒスった美夜の声が納骨堂の辺りから聞こえてきた。誰か参拝客でも来ているのだろうか? 縦川の寺はとにかく狭いので、お墓よりも納骨堂の方を訪ねてくる客のほうが多いのだが、納骨堂を開けるには来る前に予約が必要なので、今日は誰も来ないはずだと思っていたのだが……


 もし、美夜がお客に絡んでいるのだとしたら一大事である。彼女はなんでか分からないが、宗教がらみで攻撃的になりすぎる。縦川のことも邪教徒と言ってはばからないし、彼は大急ぎで納骨堂の方へ向かった。


 そして納骨堂の辺りに差し掛かった時、彼はそこに大勢の人影があることに気づいて面食らった。何でか分からないが、すぐ脇にあるケヤキの木の下に、おかしな格好をした女子の団体がたむろしていたのだ。彼女らはこんなくそ暑い中を、ゴスロリファッションというのだろうか? 白と黒を基調とした、フリルがふんだんにあしらわれた衣服を身にまとい、何故か縦川の寺に集まっていたのだ。


 一体、何の用事だ? 人数はそこまで多くはなかったが、見たところ少なくとも10人は超えているようである。その人の輪の中心に、背の小さい緑色の髪の毛がちょこまかと動いているのが見える。すぐ後ろで上坂がおろおろしているのを見ると、どうやら縦川の予想通り、美夜が参拝客と揉めているようだ。


 すぐに止めなきゃ……そう思って縦川が小走りに近寄って行ったところ、


「我は古より至れりアトランティスの末裔。神秘と真なる神の叡智を司る巫女なり。君こそ退くがいい、アーリマン」


 同じく人の輪の中心で、美夜と相対していた少女がおかしなセリフ吐いているのを聞いて、彼はずっこけそうになった。何を言ってるんだ? このゴスロリ少女は……


「さあ、戦乙女よ。ルシファーの子らよ。腕を天に伸ばしこの地に息づく気を受け継ぎマントラを解放せよ。終末の時は近い。万人の万人に対する戦いに備えるのだ」


 少女が謎めいた言葉を口にすると、彼女らを取り巻いていた他のゴスロリ少女たちが、片方の手の平を天に向けて、もう片方を胸の前で握りしめ、祈りを捧げるように何やら神妙な面持ちで目をつぶった。よくわからないが、何かの儀式をしているようだった。


 それを命じたリーダーっぽい少女は、美夜よりも少しだけ背が高い程度で、日本人女性の平均身長からしてもかなり小柄な少女だった。もしかしたら混血なのかも知れないが、肌は恐ろしく白くて静脈が透き通って見えるくらいだった。形の良い卵型の頭部を際立たせるような、少し長めのボブカットをしており、一房だけピンクのメッシュが入っていてそれがアクセントになっていた。元の肌が白すぎるせいか化粧っ気がないように見えたが、よく見ると唇には黒い口紅を塗っていて、アイシャドーで眼窩が落ち窪んでいるように見える。


 その特徴的な服装も相まって、どちらかと言えば秋葉原よりも原宿とかにいそうな感じであったが……どうしてこんなのが寺にいるんだろうと首を捻っていると、美夜がまた彼女に突っかかっていくのが見えた。


「むきーっ! 誰がアンパンマンれすか! そんなにおいしくないれすよ! お前の言ってることはさっきから変れす! 変なのれす!」

「おーい、美夜、もういいだろ。やめとけってば」

「友愛を説きしキリストの教えに従うものよ、君もサウロの気持ちが分からぬでもあるまい。約束の地より至りし盟約の主の名において、この場は許そう。ルシファーの寵愛にも感謝するがいい。だが、次は無いぞ、アーリマン」

「きぃー! 許せないれす! 上から目線れす! おまえに何が分かるれすか!」

「おい、だからやめろって」

「神様どいて、そいつ殺せないれす!」


 そろそろ放っておくわけのもまずいだろう。


「おーい、上坂君。こりゃ一体なんの騒ぎだい」

「あ! 雲谷斎! ちょうどよかった。今あんたを呼びに行こうとしてたんだ」


 縦川が渋々このおかしな団体の元へ近づいていくと、変人だらけの間で相当ストレスを貯めていたのだろうか、上坂がまるで神様でも見るような目つきで迎えてくれた。縦川は苦笑しながら、美夜を羽交い締めにしている上坂に代わってゴスロリ少女の前に出ると、


「えーっと……失礼ですが、あなた方は? うちの寺にどういったご用件でしょうか。俺はここの住職ですが」


 縦川がそう名乗り出ると、彼女は一瞬だけ目を丸くしてから、


「ほう……あなたが住職? 若いのになかなか徳のあるお方のようだ」


 いや、確かに坊主にしては若いかも知れないが、目の前のちんちくりんな少女にそんなことを言われると調子が狂う……縦川はほっぺたを引き攣らせながら続けた。


「何か用事があるなら声をかけてください。ここは私有地だし、勝手に入られては困りますよ。あなた方は? 見たところ、みんな学生さんのようだけど……えーっと、これは何をしてるのかな? 俺に出来ることがあれば、お手伝いしますけど」


 すると少女は肩を竦めてから、


「そんなに気を使わなくても良い。どうせおかしな連中だと思っているのだろう?」


 縦川はポリポリとこめかみのあたりを指でかきながら、


「これは何かの儀式かな? ここは一応仏閣だから、別の宗教的な儀式はあんまりして欲しくないんだけど……」

「儀式ではないさ。単に僕たちは霊的なスポットを巡り、そこに渦巻く大地のパワーによって癒やしを求めているだけさ」

「……パワー?」


 少女はいかにもといった感じに頷いて、


「都会には自然が少なく、故に神が少ない。人は神に造られた生き物だから、神性が失われると身体的にも精神的にも病みやすい。八百万信仰のあるこの国なら、仏教徒のあなたでも分かるだろう? 僕たちは、都会的科学的な生活でかき乱された体内の気を正常に戻すために、こうしてパワースポットを巡っているただの団体さ」


 彼女はそう言うと、自分の持っていたハンドバッグから名刺を取り出し、


「僕の名は饗庭(あいば)江玲奈(えれな)。この団体(サークル)、エイジ・オブ・アクエリアスの代表を務めている。勝手に入ったことは謝罪しよう。後で寄進ついでに挨拶に寄るつもりだったんだが、この……」


 美夜のことを指差し、


「へんてこりんに絡まれてね」

「誰がへんてこりんれすか!」


 美夜が抗議の声を上げる。話がややこしくなりそうだから、縦川は極力そっちの方を無視しながら言った。


「あー、つまりスピリチュアルな団体なのね。テレビなんかでよく見かける」

「そう思ってもらって構わない」


 縦川はそれでなんとなく納得がいった。一時期、テレビの影響で、スタンプラリーみたいに神社仏閣を巡り、御神体や御神木をペタペタ触る連中がいたのだ。自分の寺では初めてだったが、同じ宗派の会合で仲間の僧侶が迷惑そうに話しているのを聞いたことがあった。


 大方、彼女たちはこのケヤキの木に霊的なパワーが宿っているとでも思っており、こうして手を翳して受け取っているつもりなのだろう。バカバカしい限りだが、なんとあのNHKまでもが公共の電波を使ってパワースポット紹介をしてたそうだから、真に受けてしまう者が出てきても仕方ないことだろう。


 縦川は頷くと、


「分かりました。特に建物を傷つけたりしないのなら構いませんよ。でも、今度から入ってくるときに声かけてくださいね」

「そうしよう」


 少女は素直に頷いた。


 正直、彼女らがやってることは理解が出来なかったが、放っておいても害はないだろう。それに、人が風光明媚な場所を求めるように、神社仏閣のような建物は見ているだけでもなんとなく落ち着くものだ。そういう気持ちはわからなくもないので、これ以上とやかく言う必要もない。


 それにしても……何となく、こういうのに興味を持つのは、仕事に疲れたOLとか、もう少しお年を召された方々だと、勝手にそう思っていたのだが……見たところこの団体はミドルティーンの女の子ばかりで、おまけにみんなゴスロリファッションのような個性的な出で立ちをしていて、何だか感じが違った。


 どうしたらこんな子たちばかりが集まったのだろうかと、縦川が理解に苦しんでいると……すると饗庭江玲奈はその空気を察したのか、


「僕たちは同じ学校に通ってる生徒でね、その縁で一緒にいるだけさ」

「ああ、同じ学校の……じゃあ、これはクラブ活動みたいなものなのかな」

「どうかな。そういうのとは少し違う。僕たちは、どちらかと言えばそういう学校やクラブ活動から排除された側だから」

「排除……?」


 彼女はニヒルな笑みを浮かべながら、自分たちがどうしてこんな活動をしているのかを滔々と語り始めた。なんというか、オタクに好きな作品のことを聞いたばっかりに、延々と一方的に喋り続けられてしまうような、そんな感じである。


「今、この国は大人と子供とで世界の見方が違ってきて、そこに摩擦が起きているんだよ。汎用AIはとても便利で多くの人の助けになってるけれど、それによって出来た新たなシステムに、旧世代がついてこれてないのさ。


 君、もし君が子供の頃にベーシックインカムがあって、将来働かなくても食べていけると言われたらどうしたと思う? きっと学校にいっても勉強なんか手に付かないから、遊んで暮らすのが普通だろう。


 ところが、子を持つ親はそう思わない。そんな甘い考えじゃ将来心配だ、勉強しなさいと尻を叩く。しかし子供の方は勉強なんてしたくないから、勉強なんて何の役にも立たないと、いつの時代も普遍の言い訳をする。以前ならここで親が雷を落として、子供が渋々従ったことだろう。ところが、ベーシックインカムはその言い訳に説得力を与えてしまうんだ。


 すると大人はどう思う? 頭にくるだろう? 子供に言い訳されて、それに上手く反論出来ない。プライドが傷ついた彼らの怒りは子供に向かう。すると子供は家に居場所がなくなってしまう。家だけじゃないぞ? 学校でも同じことが起きてる。つまり、親に従順な子供とそうじゃない子供の間でさ。従順な子供は無駄だと思っても今までどおり勉強をする。ところが周りで遊んでる連中が、なんでそんな無駄なことをするんだと言ってくる。頭にくるだろう? 必死にやってるのに、無駄とはなんだ! と。しかし反論しようにも出来ないんだ。おかげで学校はいつもギスギスしてて、争いが絶えなくなる。


 すると何が起こるかといえば、言わなくても分かるだろう。イジメさ。ストレスに弱い子供がイライラを募らせて、自分より弱い子供をイジメて鬱憤を晴らそうとする。普通なら学校はそれを止めなくちゃいけないんだろうが、だが教師からすれば勉強する生徒とそうじゃない生徒、どちらが正しく見えるだろうか? 学校は勉強をする場所なんだ。教師たちは勉強をする子供の方の味方をするだろう。


 僕たちはそんな学校を切り捨てたのさ。だって、こんな茶番をいつまでも続けていても無意味だろう? 現実世界は、汎用AIの登場で変わってしまったんだよ。今、僕たちは何のために勉強するんだ? そして将来、何になろうと言うんだ? 日本は先進国だというけれど、僕たちが大人になった時も、本当にそのままでいられるんだろうか。先進国と途上国の差はほぼ無くなっている。汎用AIの登場でますますそうなってくる」

 

「それじゃ君たちは学校に行かないで、こんなことをしてるって言うのかい?」


「まあね。3千年紀が始まり、水瓶座の時代が訪れた。世界は変貌し、今までの価値観は失われる。汎用AIの登場が、その新時代の幕明けを告げたのさ。


 でも、皮肉なことじゃないか、この便利な機械が現れたことで、僕たちはいよいよ人間らしさを失ってきた。勤勉さは失われて遊び呆ける者もいれば、逆に穴を掘って埋めるような不毛な作業を続けている者もいる。そのどちらが良いとも悪いとも言えず、美化された過去を賛美して、学校も家庭も社会は諍いが絶えず、みんな行き場を見失ってしまっている。


 思えば我々の作り出してきた機械文明は何をもたらしてきたというのか。みんな楽がしたくて、便利な機械を生み出してきたはずなのに、高度になればなるほど、我々は楽になるどころか、より忙しくなっていった。1日に移動する距離が増え、一度にやれることが増え、一人が抱える仕事量がどんどん増えていった。ストレスがストレスを生み、自殺者が絶えなかった。それが機械が仕事をしてくれるようになったら解放されたかと言えばそんなこともなく、新たなシステムに適応出来るものと出来ないものとで争いが起き始めた。


 新時代の幕明けとは何だ? それはもしかして、終わりの始まりなのではないか。考えても見ろ、こんなにも高度に発達した文明が、滅ばずにいられるものだろうか。


 洪水によりアトランティス大陸は没し、我々の時代が始まった。我々の時代は万人の万人による戦いという、精神的な混乱によって破壊されるとシュタイナーは予言した。そしてそのあとに新たな時代が始まるのだと。僕もそう思う。間もなく救世主が再臨し、人類を導くだろう。そしてヨハネの黙示録の予言による破壊と再生が起こり、我々は新たなステージへ達し、新人類(ポスト・ヒューマン)となるのだ」

「は、はあ……」


 縦川は嵩にかかって語り続ける江玲奈に気圧されてしまい、冷や汗を垂らしながら、一歩二歩と後退った。変な子たちだと思っていたが、どうやら変なだけでなく、中二病的な団体でもあるらしい……いや、中二病だから変なのか?


 彼女は自分の喋りたいことを喋ってすっきりしたといった感じに、ふっと笑うと、


「失礼、少々喋りすぎたようだ。まあ、そんなわけでね」どんなわけだろう……「僕たちは来るべき終末に備え、こうしてパワースポットで力を溜めているわけさ。世界に混沌が訪れた時、救世主を手助けする尖兵として」

「そうですか。わかりました」


 縦川は彼女が言ってることが全然わからなかったが、わからないと言うと話が長くなりそうだったので、とりあえず頷いておいた。


 気がつけば上坂と美夜はいつの間にか居なくなっており、彼一人だけが取り残されていた。喧嘩っ早い美夜を連れて戻っただけかも知れないが……先に逃げるなんてずるいぞと心の中で非難しながら、縦川はさっさと自分もずらかろうと思い、


「それじゃ昼ですし、俺は寺務所に戻りますんで。終わったら声かけてください……あ、やっぱりそのまま帰ってくれて結構ですよ。飯食ってると思いますんで」

「ならば今、共に行こう」

「え! なんで?」

「帰りに寄ると言っただろう。寄進のために」

「寄進なんて……そんなのしなくていいですよ? 別にあなた方、うちの信者でもないでしょう。勝手に入ったことなら気にしてませんから」

「いや、僕たちはここの神性な気を使わせてもらったのだから、その対価を支払うのは当然じゃないか。寧ろ支払わせてくれ。代償のない契約は汚れを呼び寄せてしまうんだ」

「そ、そうですか。わかりました」


 もちろん、本心では全くわからなかったが、多分何を言っても聞かないだろうと思って、縦川はその申し出を受け入れることにした。普通に考えて有り難いことであるし、自ら進んでお金を払った寺に、彼女らが悪さをするとも思えないから、お互いにとっていいことかも知れない。


 縦川と江玲奈は手かざしする他の女の子たちを置いて、寺務所へと足を運んだ。


 寺務所に入ると先に帰っていた上坂が実に嫌そうな顔を見せた。まさか縦川が彼女を連れてくるとは思ってなかったのだろう。同じく冷蔵庫から取り出したカルピスの原液をちゅーちゅーやっていた美夜が、江玲奈を見つけてヒスを起こした。


「むきぃー! どうしておまえがここにいるれすか! ここは美夜の家れす! 余所者は帰るれす!」


 いや、ここは縦川の寺なのだが……暴れる美夜を上坂が羽交い締めにして連れ去っていった。


 縦川はやれやれと肩を竦めて首をポキポキと鳴らすと、江玲奈を応接セットに案内してから、寄進帳を取りにパソコンデスクへと向かった。さっきまで倖がここでパソコンを弄っていたはずだが、寺務所に入ってきてから姿が見当たらない。そう言えば、下柳のときも最初は警戒して姿を隠していたはずだ。徹底してるな……と思いながら彼は江玲奈の元へ戻ると、


「こちらに署名をお願いします。金銭以外の奉納物があれば、その品目も書いてもらえますか?」

「心得た……ここはなんだか懐かしい空気の匂いがするな。古い木の香りのせいだろうか。まるで前世に縁があった者が、ついさっきまでここに居たような感じがするよ」


 古ぼけた建物で、幽霊でも出るっていいたいのだろうか。本当におかしな少女だなと思っていると……パタンとドアが閉まる音がして、上坂が帰ってきた。多分、美夜を倖に預けてきたのだろう。彼は寺務所に入るなり、遠巻きに江玲奈を観察しているようだった。倖に何か言われたのだろうか?


 そんなことを考えていると……


「ときに和尚……あなたは眠り病を知ってるかい?」

「眠り病……? さあ? ナルコレプシーとか、そういうのですか?」


 なんでいきなりそんなことを聞くんだろうか。


「いいや、違う。最近、都内の若者の間で頻発しているそうだよ。若者がある日突然、眠ったまま、ずっと夢から覚めなくなるらしい。患者は寝たきりで、そのままだと体力が衰えて死んでしまうから、入院が必要だ。そんなのが、都内の病院にゴロゴロと居るんだと。あくまで、噂だがね」

「……そんな病気が? 原因は?」

「原因は不明。さっぱり分からない。病気なのかさえわからないから、保険が利かなくて家族はとてつもない負担を強いられるそうだ。最近、頻発してるそうだが、早ければ20年前くらいから存在したらしいという噂もある」


 20年前から存在するのに、未だに治療法すら無いということか……ただ延命するためだけに莫大な医療費がかかるとしたら、家族は堪ったものじゃないだろう。江玲奈は原因不明と言うが……


「ただ、なりやすい若者の特徴だけはわかってる」

「それって?」

「自意識過剰で、依存心が強くて、偽ってでも自分を大きく見せようとする、承認欲求が異常に強い者がなりやすいそうだよ。そう……例えば、目立ちたがりのユーチューバーみたいな連中だ」

「ユーチューバー……?」


 それって確か……世間を騒がせている超能力者の特徴じゃなかったか? また超能力絡みで変な事件でも起きてるというのだろうか……いや、それよりも、


「どうしてそんなことを俺に言うんですか?」

「特に意味はない。僕たちも気をつけなくてはねって世間話さ」

「はあ……」

「よし、書けた。玉串料はこれくらいでいいか?」

「玉串料は神社ですよ……って、え!? こんなに?」


 寄進帳には想像してたよりもゼロが一個多い金額が書かれていて縦川は目を丸くした。よくわからないティーンの団体に、こんなお金を貰うなんてとんでもないと思い、彼は断ろうとしたが、


「いや、こんなにいただけませんよ。本当に気持だけでいいですから」

「気にしないでくれ……僕たちにとってこの程度の金額は大した額じゃない」

「でも……」


 それって親の金だろう? と思う気持ちが顔に出ていたのか、見透かされたような言葉が後に続いた。


「どうせ、新秩序の前には、金なんていくらあっても無意味だろう? ベーシックインカムがあれば、衣食住は保証される。僕たちは一生遊んで暮らせる。これ以上、何を望むことがあると言うのさ」


 なんだか棘のある言い方だが、特に反論も出なかった。縦川は子供にこんなに貰うのは気が引けるが、何を言っても彼女が翻意することは無さそうだと思い、口を噤んだ。結局、寄進も迷惑料も本人がどういうつもりで払うかという気持ちの問題で、金銭に名前が書いてあるわけじゃない。


 江玲奈はまごついている縦川を一顧だにせず立ち上がると、手にしていたハンドバッグから予め用意していたらしき、のし袋を出して寄進帳に挟んだ。縦川も、ここまでされては何も言えなかった。


「ありがたく頂戴いたします」

「では和尚。大日如来の慈悲あらんことを」


 饗庭江玲奈はそう言うと、フリルのひらひらしたスカートを翻し、颯爽と寺務所から立ち去った。宗派が違うと突っ込む暇もなかった。縦川はその後姿を呆然と見送りながら、ぼんやりと考えた。


 なんだかおかしなのが出てきちゃったな……やっぱり寄進なんか断って、寺に近づくなって追い返せば良かっただろうか。美夜が先にキレていたものだから、何となく話を流してしまったが……もうちょっと警戒したほうが良かったろうか。


 手渡された名刺を改めて良く見てみる。エイジ・オブ・アクエリアス代表・饗庭江玲奈。続けて、連絡先のメールアドレスや、風水やら占星術の何やらも書かれていた。裏を返すと、チベット密教の曼荼羅らしき幾何学的な模様が描かれており、色々とチャンポンしてわけがわからなくなってしまったオカルトサークルみたいだ。


 ご丁寧にサークルのHPもあるらしいので、後で覗いてみようか……などと興味本位で考えている時、はたと気づいた。彼女のメールアドレスはerena2015@xxx.xxxと続いているが……これは多分、自分の名前でメアドを取ろうとしたけどありきたりな名前のせいで取れなくて、数字を混ぜたパターンだろう。とすると、この数字は何だ? 彼女らの見た目からするとサークルの創立年とは考えにくい。大体、みんな学校に通っていると言っていた。とするとこれは誕生年の可能性が高いが、2015年生まれなら……


「14歳!? 中防じゃねえか」


 やたら中二病臭い連中だなと思っていたが、それどころかリアル中二ではないか。みんな、あんな格好してるくせに、化粧っ気が無くて肌ツヤが瑞々しかったが、そんだけ若けりゃそりゃそうである。


 ああ、警戒して損した……と、縦川がため息混じりに脱力していると、


「……行った?」

「うひっ!?」


 いつの間にか彼の背後に立っていた立花倖が、耳元でぼそっとつぶやいた。


 飛び上がって振り返ると、彼女は縦川の肩をガシッと掴んで身を乗り出すと、寺務所の出口の隙間から、こそこそと外の様子を覗き始めた。思った通り、さっきから姿が見えなかったのは、見知らぬ連中がいることに気づいて警戒していたからのようだ。


 身を低くし、真剣な目つきで外の様子を窺っている彼女の姿を見ていると、縦川はなんだかいたたまれない気分になってきて、


「心配要りませんよ。あれ、中学生のオカルトサークルみたいですよ」

「……どうしてそれが分かるの?」

「ここに書いてある」


 縦川が名刺を差し出すと、それを受け取った彼女は矯めつ眇めつ確かめて、やがて納得するように頷くと名刺を返しながら、


「考えても見れば、ここって公共の場なのよね。周りも高いビルに囲まれてるし……襲撃者からすると、これ以上ない場所だわ」

「襲撃って……」


 相手は中学生だぞと言いかけたが、彼女はもうそんなことは考えていないようだった。


「たまたま今日はそうだったけど、次はどんな連中がやってくるかわからないわ。いつまでもここにいるのは危険ね。やっぱり早めにこの国を出たほうがいいのかも……縦川さん。あなた確か、東京都のブレーンと話がついたわよね?」

「ええ、よくご存知で」

「連絡取ってちょうだい。話をしてみたいわ」


 国を出るには上坂を保護している東京都や政府と話をつけなければならない。もしそれが無理なら密出国という形になるが……彼女はそろそろ姿を隠したままでは限界だと判断すると、苛立たしげに親指の爪を噛みはじめた。頭の中が相当忙しくなっているのだろう。その表情はとても険しく、近づきがたい雰囲気だった。


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