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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第三章・上坂一存の世界
38/137

あの子……馬鹿でしょう? すっごいバカ

 シャノワールの出来事から一夜が明けた。


 アンリが飛び出していったあの後、追いかけていったクロエが店に帰ってくると、もはや話し合いなど出来る雰囲気ではなくなったため、縦川たちは店を出ることにした。


 帰り際、クロエは突然出ていってしまったアンリのことで謝罪していたが、絶対に怒らないでやって欲しいと言って縦川は店を出た。事情を知らないクロエからすれば悪いのはアンリに見えたのかも知れないが、あのまま残っていても彼女はいたたまれなかっただろう。


 あの時見せたアンリの反応から察するに、多分、彼女の父親は、上坂の作ったドローン兵器で殺されたのだ。


 それはもちろん上坂のせいではないが、肉親を殺された遺族からすれば、そう簡単に受け入れられるようなものじゃないだろう。特に彼の作った兵器は人間が引き金を引く類のものではなく、機械が自律的に動くから、怒りの矛先を誰に向けていいのか分からない。


 それにしても、アメリカで作った上坂の兵器が、フランスのアンリの父親を殺して、その2人が東京で出会うなんて、一体どんな運命の悪戯だろうか。2人は学校の友だちで、昨日は何やら不思議な体験もしたというから、まるで作り話かファンタジーだなと、縦川はため息が漏れるばかりだった。


 ファンタジーと言えばあのメイド少女、九十九美夜も十分ファンタジーな存在だ。昨日は、いろんなことが一度に起きてしまったせいでなし崩しになってしまったが……美夜自身も、そして立花倖も認める通り、彼女は人造人間だというのだ。


 寺務所から境内の参道を見れば、箒を抱えた上坂と美夜の姿見える。上坂がせっせと落ち葉を掃いている周りで、美夜がうろちょろと落ち着き無く動き回り、何かを見つけては箒を動かす手を止めて、あれはなに? これはなに? といちいち上坂に聞いて回っている。その好奇心の強さは人間の子供そのもので、それを怒ることもなく丁寧に教えている上坂の姿を見ていると、まるで2人は父娘みたいだった。


 あれは本当に、人ならざるものなのだろうか?


 九十九美夜と初めて会ったのは、白木恵海の西多摩の屋敷であったが、その時の攻撃的な態度といい、舌足らずの口調といい、何故か上坂のことを神と崇めてる姿といい、とてもそんなSFチックな存在には思えなかった。


 特に彼女はどうやらキリスト教徒らしく、縦川のことを邪教徒として敵視までしてるのだ。そんなロボットが有りうるだろうか?


「だからロボットじゃなくて人造人間よ」


 寺務所から2人を眺めながらそんなこと考えていると、顔を洗いに洗面所に行っていた立花倖が帰ってきた。短めの前髪を上げて、水の滴る顔はみずみずしくて、すっぴんでいると10代でも通用しそうなほど若く見える。とても40代には見えないこの人も、ファンタジーと言えばファンタジーだなと呆れながら、縦川は彼女に聞き返した。


「その人造人間とかロボットとかアンドロイドとか……違いがいまいちわからないんですよ。どれも似たようなもんでしょう?」

「あなた、そんなこと白木に言ったら、鬱陶しいほど絡まれるから気をつけなさいよ? まったく……相手が私で良かったわよ、ホントに」


 彼女の言う白木とは、恵海の父親のことだろうか。ぽかんとした表情でいると、倖はため息混じりの声で続けた。


「いい? ロボットってのは人間の作業を肩代わりする、目的を持った機械の総称よ。アンドロイドは人型のロボットのこと。そして人造人間は、人間が科学的医学的な方法で新たに生み出した生命のことよ。その体は人間と殆ど変わらないの」

「それじゃ彼女の体には血が流れてて、転んだら怪我もするんですか?」

「そうよ」

「一体何のために……いや、そもそも、そんな物を作るような技術がすでにあるんですか? 聞いたことないのに」


 倖は深く頷いて、


「もう、なんてもんじゃないわ。だいぶ前からあったわよ。いい? 例えばあなたの心臓が病に侵されたとして、医者に治る見込みが無いと言われたらどうする?」

「そりゃあ、もう諦めるしかないですね。とりあえず、保険証の裏のドナー登録にチェックして、あとは天命に任せます」

「あのね……そこまで想像できるなら、どうして心臓移植しようと思わないのよ?」

「あ、そうか!」


 縦川が感心していると、倖は大丈夫かこいつ? と言った感じで苦笑混じりに続けた。


「私達はあまり縁が無いから意識しないけど、今の医療は人間の体のどこかが壊れても、条件さえ整えば交換出来るまでになったのよ。それは心臓、肝臓、肺やあらゆる臓器、皮膚も、血液なんかもね。拒絶反応のないものなら、セラミックやチタンで強化することだって出来るわ。


 更に今世紀に入り、再生医療が発達したお陰で、現在ではiPS細胞を使ってあらゆる臓器が作れるようになった。やろうと思えばフランケンシュタインみたいに、寄せ集めの体を作ることも可能よ。だけど、倫理的な問題もさることながら、作ったところでその体は動かないのよね。


 何故かと言えば、体は作れても脳が作れないから。脳細胞を作ることは出来るわよ? でも脳ってのは、ただあればいいってものじゃないでしょう。私達が生まれてからこれまで生きてきた記憶があって、初めて脳が機能すると言える。体だけ作ってそこにまっさらな脳を乗せるくらいなら、普通に赤ちゃんを産めばいいじゃない。


 じゃあ逆に脳を移植する可能性を考え見てはどうかしら。私達は昔から、年をとったら若返りの方法ばかりを考えていた。もし可能ならば若い体に乗り換えたい、そして出来るなら永遠に生きていたい……それが再生医療の発達によって、割と現実的になってきた。ただ、それはさっきも言った通り倫理的な問題が邪魔をして、脳移植は禁忌の術となっている。みんな、出来るんじゃないかと考えては居るけど、手は出せない状況ね。何しろ、失敗したら患者は即死ですから。


 ところで、この倫理観の正体って、一体何なのかしらね。私達は心臓や肺を移植しても別段悪いこととは思わない。ところが、脳を移植しようとすると、途端に及び腰になる。悪魔の技だと恐れられる。心臓も肺も脳も、どれか一つでも欠けてしまったら死んでしまう重要な臓器であり、人間を構成するパーツであることに変わりないのにね」

「それは、人間の心が脳にあるからじゃないですか? 自意識と言うか……脳があるから、我々は自分を自分だと認識出来る」

「本当に……? 私達の意識は脳に存在しているのかしら」

「え!? ……いや、でもあなた、今自分で、記憶は脳の中にあるって言ってたじゃないですか」

「そうね。私達の脳に記憶が刻まれてるのはほぼ間違いない。でも、実はこの記憶がどうやって記述されてるのかってのは殆ど分かってないのよ。どうやら脳の特定部分のシナプス結合の変化が、記憶に関係しているらしいということはわかってる。でも実際にそれがどう作用してるのか、どういう方法で記憶が記述されてるか、そういうソフトウェア的なことは、よく分かっていない」

「でも脳の構造はかなりの部分が判明してるじゃないですか。あなたも脳細胞は作れるって言ってたし、もうじき分かるようになるのでは」

「材料があってそれを作ることは可能よ。でも、出来るのはそこまで。そこから先、脳に刻まれた記憶をどう紐解いていけばいいのかはわからないのよ。


 例えば……想像してみて? 今から1万年くらい時が過ぎて私達の文明が滅亡した後、新文明が誕生したとする。その文明は古い地層から、私達の時代のコンピュータのハードディスクを発掘した。それは奇跡的に中身が壊れて無くて、データが全て取り出せるとする。そしたら、未来人たちは、私達の時代の情報を正しく知ることが出来るでしょうか? 多分無理ね。


 何故なら、彼らはそのハードディスクの中に、どういうルールで情報が刻まれているのかがわからないから。下手したらそれが情報媒体であることにすら気づかず、ただの四角い化石としか考えないかも知れない。仮に、その中に収められている磁気ディスクの存在に気づき、2進数のパターンで何かを表現してると気付いたとしても、そこまでね。彼らはテキストデータとバイナリデータの区別もつかないでしょうし、その2進数の符号から元の情報を復元することも出来ないはずよ。


 私達が脳内の記憶や意識というものを探ろうとしてるのは、それと同じようなことなのよ」


「な、なるほどわからん。結局、どういうことなんですか?」


「結局、私達の脳の中に、本当に記憶や意識があるのかどうか……脳移植でもして確かめてみないことには、まだ何もわからないってことよ。


 もしも脳移植という手術が可能だとして、私の脳を取り出して、あなたの体に載せ替えたとする。そして目覚めたら、果たしてその体は、私なのか、あなたなのか……私なら、脳の中に私の意識というものが存在するということだし、あなたなら、脳はただの部品で、他の臓器と同じように、誰かと入れ替えてもあなたはあなた、意識はもっと別の場所にあるってことになる」


「なるほど、それならわかるかも。でも、それがわかったところで、何かいいことでもあるんですか?」


「私達の意識が脳という限られた場所にあるのがわかれば、いずれ私達は自分自身をコピーできるかも知れないでしょ?


 脳細胞というものは1兆個くらいあって、確かにとんでもなく多いけど、限りがあるのならその全てをスキャンすることは可能だし、生きている人間の脳の構造をそっくりそのまま再現できれば、人間の意識をコンピュータ上に再現できるかもしれない。


 私達の体は突き詰めれば原子から出来てるわけだから、近い将来3Dプリンターが分子構造まで再現できるようになれば、機械的なコピーすら可能になるかも知れない。


 そしたら、スタートレックみたいに、人類は瞬間移動をすることが出来るようになるわ。


 機械がポッドの中に入った私の全身をスキャンし、移動先にそっくりそのままコピーする。そして元の場所に残った私を消去すれば、瞬間移動の一丁上がりよ」


 縦川は眉をひそめると、


「げえ……それはなんか嫌ですね。順番からすると今の俺は消されて、新しい別の俺が生き残るってことでしょう?」

「違うわよ? 消されてしまえば何も残らないんだし、移動先のあなたは消される前の記憶しか持ってないんだから、あなたという意識が、何事もなく連続して生き続けるだけなのよ?」

「うーん……そうなんですかね? なんかそれ、割り切れないっていうか……」


 彼が複雑そうな表情で頭を抱えて見せると、それを見ていた倖は愛好を崩して穏やかな笑みを見せながら、


「ふふふっ……そうね、割り切れないわ。でも、意識が脳の中にあるってことは、そういうことでしょう。考えても見れば、このちっぽけな脳みその中に、私達の意識が閉じ込められてるってこと自体が、割り切れないものなのよ。だから私達は昔っから、霊魂というものを作り出して、肉体と精神は別のものだと分けて考えていた。そんなもの、誰も見たこともないのに、誰もがそう信じてる。不思議なものよね」


 確かに、我々は肉体のない魂と、魂のない肉体という物を別々に考えられる。肉体とは魂の入れ物のことだと、勝手にそう考えている。単に縦川がそう考えてるというわけではないだろう。多分、人類は普遍的にそういうイメージを持っているはずだ。


「話が脱線しすぎたわね。人造人間が作れるか作れないかって話に戻すと、作ろうとするとこんな具合に、どうしても脳の問題にぶつかっちゃうわけよ。体は作れる、でもそれに乗せる脳はまだ作れない。


 ところで、脳ってのは別に意識や記憶のためだけにあるものじゃなくて、飛んだり跳ねたり走ったり、運動を制御するのも脳の仕事でしょう? 特に体温を調整したり、心臓を動かしたり、眠ってても呼吸をしていられるのは、交感神経系と呼ばれる脳幹と脊髄にある神経系のお陰なわけだけど、これって私達が意識してどうこうしているものじゃない、生まれてから死ぬまで、勝手に、自動的に動き続けるものなのよね。


 例えば、植物状態って言葉があるけど、この状態の患者はもう立って歩いたり、誰かと話したりは出来ないけど、心臓は動いてるし呼吸もしてる。生きるための機能はそのまま動き続けている。意識は死んでいても、体を制御する脳機能はまだ生きている。


 逆に、心臓が動かなくなった人はペースメーカーをつければ生きてられるし、肺不全になっても人工呼吸器を付けて生きながらえる人も居るわよね。この人達はそれらを司る脳の機能が死んでて、機械でサポートしなければ死んじゃうわけだけど、死んでるわけじゃない、ちゃんと生きている。この違いはなんなのかしら。


 つまるところ意識を司る領野と、運動を司る領野は同じ脳内にあっても、直接的な関係はなくて、別々に働く機能なわけよね。仮にそのどちらかが失われても、人間は生きていける。そして脳の運動を司る機能の方は、今となっては大部分が機械で制御できるものなわけよ。


 だったら、脳がなくってもナナみたいな人格を持ったAIが体の機能を制御すれば……これは果たして機械なのか人間なのか。人間とは違う脳を持った、人造人間というのが相応しいんじゃない?」


「もしかして、それが、あの美夜ちゃんなんですか?」


 縦川がそう尋ねると、立花倖は日本人特有のアルカイックスマイルを見せながら、ゆっくりと首肯した。そして何か懐かしいことでも思い出しているかのように、話を続けた。


「ヒトミナナというAIが生まれてから、私はこの子を現実に誕生させることが出来ないかって考え始めたの。元々、言語を理解するAIは脳の構造をシミュレートしたモデルから生まれたものだから、そのシミュレートされて出来たものは、また現実の脳に落とし込めるはずだった。


 私は、もし、ゼロから作り上げた肉体にAIを乗せて、人間と同じように動かすことが出来たら、将来の脳移植の可能性にも道筋がつくんじゃないかって考えた。今現在は脳移植と言ったら、必ず体を提供する誰かが死ななきゃならなかったから、それが一番ネックだったのよね。でも死にかけている人間が、脳を人工の体に載せ替えてくれってんなら、倫理的にもギリギリセーフなんじゃないか……


 ところが、その研究をしてる最中に、私は陰謀に巻き込まれてドイツに逃亡する羽目になったのよ。


 お陰で私が進めていた研究は何もかもがパー。上坂君もナナも失ってしまって、あっちに行ってから暫く何も手がつかず呆然としていたわ。けど、いつまでもボーッとはしてられないからね。落ち着いたら、私はまたヒトミナナに変わるAIを一から作り始め、研究を再開させたの。


 と、同時に、私を追い詰めた連中に復讐するために、FM社のことも調べ始めたわ。私が生きていると悟られないように、慎重にね。


 するとある時、あのドローン兵器が登場して、私は不審に思ったの。自立した一個の人間のように物事を考えられるAI技術は、その時、まだ東京のチームにしか無かったはずだった。なのに、まるで門外漢のFM社がこんなものをいきなり作れるわけがない。これは何かあると睨んだ私は、欧州で鹵獲された兵器を手に入れ、リバース・エンジニアリングして、そこに自分の仕事の痕跡を見つけたわけよ。


 つまり、FM社のAIと東京のチームのAIは同じもの。もしかして誰かが情報を漏洩していることも考えたけど、いくら調べてもそんな痕跡はなかった。となると、こんな芸当を出来る人物はあとは一人しか考えられない。私はこの時になって初めて上坂君が生きている可能性を考え始めた」


 彼女はあの災害で上坂が死んだと思い、諦めてさっさとドイツに行ってしまったが、そこで認識を改めたわけである。


「もしかしたら、上坂君はFM社に捕らえられているのかも知れない。そう考えると気が気じゃなかったけど、とにかくことは慎重を要するわ。私は焦れる気を落ち着けながら、FM社の内部を嗅ぎ回った。でも、遠隔地に居て調べられることなんて限度があるわよね。大体、それで済むなら、もっと早く気づいてたはずよ。上坂君を本気で探すなら、アメリカに渡るしか無い。でもそんな敵の懐に飛び込むような真似して、生きて帰れる保証なんか無かった。それで、他に何か手がかりはないかと探していたとき……鹵獲したドローン兵器の中にそれを見つけたのよね」

「それは一体……?」

「兵器に使われていた汎用AIは、ただ機械的な動きをするだけじゃなくて、人間らしい判断をするために個性が植え付けられていたの。上坂君は、私がナナを作ったときの技術をそっくりそのままコピーしたのね。それはとても丁寧に作られていて、すぐにでもまたナナみたいな人格を生み出せるくらいの可能性に満ちていた。


 それで、私はこの情報共有システムに目をつけたの。全てのドローンはお互いに情報共有をしていて、そのネットワークは製作者も利用する可能性が極めて高かった。テストやアップデートの必要があるでしょうからね。その時、こちらから製作者の居所を逆探知することが出来るんじゃないか……そう考えて、それで私はドローンからAIを抜き出して、人格を持った新たなコアを作り出した。


 それが美夜。ヒトミナナ(137)の姉妹だから、九十九+美夜(38)


「それじゃ、美夜ちゃんの正体は、ドローン兵器だったんですか!?」


 縦川は目を丸くした。あのへっぽこな美夜からは想像もつかなかったが……思い返せば、昨晩アンリに向かって何やらそれっぽいことを口走っていたはずだ。テロリスト、今度は見逃さない……あれは彼女の記憶の中にある、現実の出来事から出た言葉だったのだろうか。


「そう。美夜はドローンの制御システムの中にあったAIを取り出したもの。あの兵器は群体として物を考える代わりに、一つ一つには十分なメモリ空間が無くって、最低限のことしか考えられなかったのよ。だから私は兵器の中からその部分だけをコピーして、ラボのコンピュータに載せ替えた。もし、これを上坂くんが作ったとして、ナナと同じ仕組みで動いてるならそれが可能だと思ったのよ。それは正しかった。そして私は手に入れた人格コアに、ナナのために作っていた体を与えたの。こうして、美夜は人造人間として生まれ変わったわけよ」


 兵器の中にあったAIの人格を取り出したのは分かった。それを動かすことが出来れば、上坂が生きているという確信に近づくと思ったからだろう。だが、それをわざわざ人間にする必要はないはずだ。


「一体、なんのためにそんなことをしたんです? コンピュータの中に居るんじゃ駄目だったんですか」

「それは……」


 コンピュータの中に居たほうが、メモリ空間とやらの問題も少なくて済むだろうし、第一、兵器をわざわざ人間にする必要なんてどこにも見当たらない。


 彼がそう思って尋ねると……すると倖は深刻そうな表情でじっと彼の目を見つめながら、実にいいづらそうに、何度も何度も口を開いたり閉じたりしはじめた。もしかして相当深刻な理由があるのだろうか……縦川はゴクリとツバを飲みこんだ。


 だが、倖の口から出てきた言葉は、ある意味意外を通り越して衝撃だった。


「それは……半分、趣味よ」


 縦川はずっこけた。倖はそんな彼のリアクションを見て、したり顔をしてから、


「だってさあ、私がナナの技術から人造人間を作ろうとしていたのは、さっき言ったとおりだけど、その準備をしている最中に、ナナをベースにしたらしきAIが見つかったんだから、乗せてみようかなって思うのは道理じゃない?


 私の作っていたAIは、学習を始めたばかりでまだまだ時間がかかりそうだったし、上坂君の作ったあの子の方が、あの時点ではずっとよく出来てたのよね。どうせドローンから情報を得るためには、外部にインターフェイスが必要だったし、だったら試しに乗せてみようかなって思ったのよ」

「ああ、そうですか。じゃあ、彼女を人造人間にすること自体には、なんの意味もなかったんですね」

「まあね。でも、やってみた甲斐はあったわよ。私は思わぬ拾い物をした」


 さっきの今でそんな思わせぶりに振られても素直には受け止められず、縦川は疑心暗鬼のジト目を向けながら尋ねた。


「……なんなんです?」

「ねえ、縦川さん。美夜を見て、あなたどう思った?」

「どうって?」

「印象よ。賢いとか、見栄えがいいとか、頼りになるとか」

「えーっと……」


 正直、そのどれでもないのだが、製作者に向かって悪口を言ってもいいものだろうかと縦川が口ごもっていると、


「あの子……馬鹿でしょう? すっごいバカ」


 その製作者が身もふたもないことを言い出した。彼は頷いて、


「ええ……そう、ですね。正直、美夜ちゃんのことを人間としか疑わなかったのは、それもあるんじゃないですかね。あと、口が悪かったり、キリスト教徒だったり……あれ、なんなんです?」

「実はね、ラボで美夜とリンクしているオリジナルのAIはとても賢いのよ。話し方もあんな舌っ足らずじゃなくて、必要最低限のことをキチッキチッと喋る感じ。なんというか、そう、それこそロボットみたいにね。もちろん、特定の宗教にかぶれてなんかもいないわよ。元のドローン兵器の動向についても、数万台に上る端末の全てを把握していて、ネットを通じて今も情報をモニターし続けてるわ。だから私は、この子が肉体を得たら、とんでもない天才が生まれて、ひょっとしたら人類と取って代わる新人類になるんじゃないかと思ってたのよ。親バカだけど。ところがどっこい、蓋を開けてみたら……」

「ああだった……」

「そう。肉体を得た美夜は、ボケーッとしてて、すぐに色んなことを忘れてしまって、集中力が無くて、何もないところで転んだり、癇癪起こして暴れたり、まるで子供みたいだったのよね……肉体を得た弊害として、もしかしたらって考えられることだったかも知れないけど……いくらなんでも劇的すぎて肩透かしもいいとこよ。オリジナルの方は相変わらず賢いままなのに」

「……確か、そのオリジナルとリンクしてるとかなんとか言ってましたが、それってつまり、情報を共有してるってことですよね?」

「そう。美夜とオリジナルは同一の存在。なのに美夜はそれを生かせないのよ。何ていうか……ウィキペディアを脳内に持ってるのに、検索が下手過ぎて意味がない。もしくは、何か気になることがあってもいちいち調べない……そんな感じかしらね。だから私は最初、実験は失敗したんだと思った。美夜の体に、オリジナルの人格を移植したつもりでいたんだけど、オリジナルとは別の何かを生み出してしまったんじゃないかと……でも、それも違った。美夜とオリジナルは互いをちゃんと認識して、情報交換も行っている。美夜が学習したことをオリジナルは獲得することが出来るし、時間をかければ美夜はオリジナルから情報を引き出せる……ただ、美夜は熱心にそうしようとしないんだけど」

「もしかして、体を動かすことで精一杯なんじゃないですか? それで思考の方まで手が回らないとか……そう言えば、よく転ぶって言ってましたよね」

「そうね、美夜はいつも一生懸命なのよ。それはあなたの言う通り、体を制御するということもそうだった。でも、それ以上に熱心なことがあってね……実は彼女はこの世に誕生して以来、ずっと神様のことを探し続けていたの。彼女はそのことで頭が一杯になっていたのよ」


 ここで、神様が出てくるのかと縦川は思った。西多摩の白木邸で、彼は美夜に邪教徒と呼ばれ追い払われた。だからよほど熱心なキリスト教徒なのだなと、その時はそう思っていたのだが……普通に考えてAIが信仰心を持つとは考えにくい。なんで彼女は、神様なんてものを信じているのだろうか。


「あなたの言うとおりよ。普通に考えて、AIが信仰を特別視する理由はないでしょうね。そりゃネットから情報を得て形成された人格なら、多少影響はあるかも知れないけれど、キリスト教だけを信じて他の宗教を否定するなんてことはないはずよ。そもそも、美夜のオリジナルの方はそんな傾向は無いし」

「そうなんですか? そりゃ、おかしいですね」

「ええ、変ね。なのに美夜は神様神様って言い続けてる。だから私は、一体この神様ってのは何なのかと思って、ある日そのことを調べてみたのよね」

「調べる? そんなことが出来るんですか?」

「美夜はAIでしょう。だから彼女が世界をどういうふうに見ているのかは、オリジナルの獲得した映像から推察出来るのよ。グーグルの猫みたいに、彼女は特徴量と意味を画像として認識しているはずだから……それで、ある日私は彼女の言ってる神様ってのが、彼女にはどういう風に見えてるのかって調べてみた。すると、彼女の持つイエス・キリストというイメージに、どことなく見覚えのある白髪の少年の顔が浮かんできたのよ」

「もしかして……それが上坂君だったんですか?」

「そう、そのとおり。ただ、このときの私には確信は持てなかったけどね。だから私は、この少年が何者か、本当に上坂君なのかということを更に調べてみた。どうして彼女は、わざわざキリストと彼のことを同一視するのか。キリストをモチーフにした絵画なんて、いくらでもあるでしょうし、神様なら他の宗教にだっているじゃない……どうして上坂君なのか。どうしてキリスト教なのか。でも結局、私はそれが何故か分からなかった」


 彼女はお手上げのポーズをして見せてから、続けた。


「で、まあ、美夜は神様を探しているのだから、つまるところ上坂くんのことを探してるってことでしょう?」

「ええ、そうなりますね」

「ならもしかして彼女の好きにさせてみたら、それが正解にたどり着く一番の方法じゃないかって思ったのよね。それである日、私は彼女に、神様を探しに行きたいなら好きにしていいわよって言ったのよ」

「なるほど……それで、彼女だけが日本に居たって言うわけですか。あれ? でも、その時上坂君って、東京に居たんですか?」

「いいえ、昨日の話を聞いた限りでは、その時あの子はまだアメリカにいたはずよ。だからその時の私も、てっきり彼女はアメリカを目指すもんだと思ってた。ところが日本に行きたがるから、とんだ肩透かしだったのよね……


 もし上坂君が日本に居るんだったら、味方の多い日本で彼が見つからない理由がないでしょう。それで、変だなと思いつつ、期待せずに日本に送ったんだけど……


 日本に着いた美夜は白木邸で恵海と普通に暮らし始めて、近所の教会に通ったり、お坊さんに喧嘩売ったり……変なことばっかりして遊び呆けてたのよ。だから私は、こりゃ駄目だと思って、そのうち期待しなくなっていた。


 ところが……彼女を日本に送ってから二年ほど経った昨日、突然、美夜は上坂君を発見したと報告してきた。私がいくら探しても見つからなかった彼を、こんな場所に居るわけがないと思っていた日本で見つけてしまった」

「それは……どういうことなんでしょう? 単なる偶然なのか、それとも……」


 彼女には、いずれ上坂が白木邸に現れると言うことが分かっていたということだろうか。


「私にはさっぱりよ。あの子は神様なんて良く分からないものを探しに日本に旅立ち、そして本当にそれを見つけてしまった。これは偶然だったのか必然だったのか。彼女に聞いても要領を得ないし、信仰心のかけらのない私では分からないのかもね。縦川さんはどうかしら? 僧侶のあなたなら、今の話を聞いて、何か思い当たることはある?」


 縦川は黙って首を振った。立花倖は肩をすくめると、


「ま、そんな感じ。九十九美夜と言う子がどうして生まれたのか、そして私がどうしてここにやって来れたのか。偉そうに色々喋ったけど、結局、肝心なところはよく分かってないのよ。がっかりした?」

「そんなことは……いや、そうですね。どうしてこうなったのか、気にはなりますね」


 隕石落下に偽装した反物質爆弾、それを仕掛けた秘密結社の存在、そいつらにアメリカで拷問まで受けた上坂。その彼を神と呼んで慕う美夜(AI)


 彼女は上坂の持つ能力を、世界改変の力だと言っていた。更にはそれに巻き込まれてしまったアンリ。彼女はどうやら、上坂の作り上げた殺人兵器に身内を殺されてしまったようだ……


 不思議な事がいっぺんに押し寄せてきて、いっぱいいっぱいだ。縦川は、どうして自分がこんなことに巻き込まれているのかさっぱり分からなかった。だからといって、どれもこれも、もう知らーん! と言って放棄するわけにもいかないだろう。


 付き合いは浅いとは言え、もはや仲間と言って差し支えない間柄だ。上坂が困ってるなら、自分も助けになりたい。でも、そう思ってたのは彼だけだったようで、


「だから、すぐにでも上坂君を連れてドイツに戻るわ。そこで色々調べたら、また新たなことがわかるでしょうし、いつまでもここでこうしては居られないわ」

「……え? 上坂君、ドイツに連れてっちゃうんですか?」


 縦川が目をパチクリさせて言うと、倖はあなたには感謝していると前置きしてから、


「さっき、起き抜けに彼にも確認しといたわ。ここじゃ設備も整わないし、私達はいつ命を狙われるかわからないからね……あなたには迷惑をかけたけど、私達が居なくなれば、あなたに危険は及ばないでしょうから、すぐにでも連れて帰るわ。だからもう、安心してちょうだい」

「いや、迷惑とかそんな、気にしてませんから……でも、そうですか、上坂君はドイツに……」


 縦川はとても残念な気がしたが、かと言って引き止めるわけにもいかなかった。上坂との共同生活はまだ始まったばかりだし、彼の身内がこうして迎えに来たんだから、そちらに返すのが当たり前なのだ。彼女の言う通り上坂がいれば、もしかすると自分にも危険が及ぶ可能性もある。だから、そうした方が良いはずなのだが……


 なんだか彼は妙に煮え切らない気分になった。自分だけ除け者にされたような、なんというか、そんな疎外感をやけに感じるのだった。


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