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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第三章・上坂一存の世界
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神様と陰謀論

 ぼんやりとした思考の片隅で蝉しぐれだけが耳を打っていた。腰から上、上半身だけがゆらゆらと揺れ動き、船を漕ぐと言うよりもまるで水の中にたゆたっているようだった。パチパチと古いブラウン管のテレビが静電気を弾くような音がして、脳みそがゆっくりと覚醒していく。縦川は自分が眠りと覚醒の境界を行ったり来たりしていることに気がついていた。


 眠るか起きるか、どっちかはっきりしたほうが良いのに、どうして微睡みというものは、こう心地よいのだろうか。抗うでもなく受け入れるでもなく、半覚醒状態のままぼんやりしてると、ついに耐えきれずに上体が崩れ落ち、パタリと倒れ込んだ布団から太陽の匂いがしてきた。


 彼はそのまま眠ってしまいたい衝動に駆られたが、次の瞬間、実はその臭いはダニの死骸の臭いだと誰かが言っていたのを思い出して、急激に目が覚めていくのを感じた。さっきまでの心地よい気分が台無しである。実際問題、あの臭いはなんなんだろう……そんなことを考えながら、縦川は上体を起こすとぐいっと背筋を伸ばした。


 本堂の縁側に、昨晩使った布団が日干しされていた。突然の来客に対応しきれず、自分の寝床を提供した縦川は、押し入れで煎餅になっていた冷たい布団を引っ張り出してきたは良いが眠るに眠れず、ほとんど徹夜状態のまま朝のお勤めを終えて、本堂に布団を運んできたところで力尽き、その一つにもたれかかってうつらうつらしていたらしい。


 空を仰ぎ見れば太陽は中天に差し掛かろうとしており、間もなく正午になろうとしている。


「神様神様、猫れすよ。猫はどうしてヒゲが生えてるれすか?」

「さあ、なんでだろうなあ? ヤジロベーみたいにこれでバランス取ってるとか、暗闇で狭いスペースに入る時に、触覚みたいな作用をしてるとか聞いたことあるけど」

「変れす。おかしいれす。頭悪いれす」

「んなこと猫に言ったって……」

「砂利を手で掻いてるれす。うんこするれすか?」

「ああ、こらこら。そんなところでするな……まったく、ここの猫はフリーダムだな。雲黒斎が甘やかすから」

「お墓に飛び乗ったれすよ。どうして邪教のお墓は四角いれすか。十字架じゃないのは変れすよ。猫が乗りやすいかられすか?」

「さあなあ。キリスト教にも十字架じゃない墓石ってあるだろ?」


 境内を見ると竹箒を手にした上坂と、ロボット(?)メイドの美夜が仲睦まじく猫を追いかけ回していた。上坂も自分と似たり寄ったりの夜を過ごしたというのに、もう元気そうに見えるのは、やはり年の差なのだろうか。30過ぎると老けるのは早いと聞くが、まだそんなに年を取ったつもりは無いのに……加齢臭でもするのだろうかと縦川は自分の袖口をクンクンと嗅いだ。


 境内で騒いでいる2人を尻目に、縦川は本堂を出ると渡り廊下を渡って寺務所へと向かった。美夜が起きているなら他の客人達も、もう起きているんじゃないかと様子を見に来たのだが、寺務所はもぬけの殻だった。


 まだ寝ているのだろうか? そろそろ起こしたほうがいいのだろうか? そう言えば、昨日ドイツから日本に来たばかりと言っていたし、もしかして時差ボケだろうか……そんなことを考えつつ、客に提供した部屋の方へと向かっていると、その途中、上坂の部屋の中から人の気配がして彼は立ち止まった。


「……ああ……ああ……いけませんわ。わかっていますの……こんなことしては、いけないことだって……はあはあ……はあはあ」


 中から妙に艶めかしい声が聞こえてくる。縦川は眉間にシワを寄せながら、そっと部屋の扉を薄く開けた。すると部屋の中央付近で、上坂のベッドの前に佇む白木恵海の姿が見えた。彼女はどことなくトロンと上気した瞳で彼のベッドに釘付けになっていたかと思うと、


「あ、ああぁ~……だめ! やっぱり駄目ですわ。ここで毎晩、いっちゃんが眠っていると思うと、(わたくし)の中の白木の血がもう抑えきれませんの! いけないことだってわかってる! だけど無理! ごめんねごめんね、いっちゃん許して。はうわ~!!」


 一体全体、彼女は何をしてるんだ?


 呆然としながら縦川がその様子を覗き見ていると、恵海は普段の彼女からは想像もつかない奇妙な動きをした後に、突然ハアハアと呼吸を荒げてから、上坂のベッドにダイブした。


 そして彼女はおもむろに上坂の布団を体に巻き付けると、ゴロゴロゴロゴロと彼のベッドの上で何度も転げ回りながら、


「すーはーすーはー、あ、あ、ああ、ああああ、ああ、あ、いっちゃんの匂い、いっちゃんのいい香りがするんですの! わた、わたくし! わたくし今、いっちゃんに包まれていますわっ! はわわわ、はうわ~!!!」


 恵海は上坂のベッドの上でまるでブレイクダンスを踊っているかのように、バタバタと手足をバタつかせて悶絶した。その顔は布団に包まれていて見えなかったが、きっとだらしなくいろんな分泌液を垂れ流していることだろう。


 縦川は自然と唇の端っこが引きつってくるのを感じると、何も見なかったと自分に言い聞かせながら、部屋のドアをパタリと閉めた。


 思春期の女の子って、みんなあんななのだろうか。あんまり女子に縁のない人生を送ってきたから分からないが、でも多分だが、誰も見ていないからってあそこまで変態をさらけ出せるのは中々居ないんじゃなかろうか……


「やはり白木家。あの子にも変態の血が流れてるのね……」

「うひっ!?」


 縦川が変態に見つからないように……もとい恵海の邪魔をしないようにと気を使って、抜き足差し足で部屋から後退っていくと、突然、背後から平坦な声が聞こえてきて、彼は思わず飛びあがった。


 びっくりして変な声を上げてしまった縦川が、口に手を当てて振り返ると、寝ぼけ眼にボサボサ頭でキャミ一丁というだらしない姿で、大あくびをかましている立花倖が立っていた。その胸の膨らみと血管が浮き出て見えるくらい白い肌は、目のやり場に困る。


「かわいそうに。血は争えないわね。あの両親にしては、随分まともな子が生まれたもんだと感心してたけど、実はあの子も衝動を抑えるのに必死だったのね……でも彼女の名誉のために言っておくけど、あの子の両親と比べたら、あんなの全然序の口よ。数多く居る兄弟の中でも一番マトモなんだから、そんな可哀想な者を見るような目で見ないでやってちょうだい」

「え、あ、いや、俺は別にそんな……つーか、なんつー格好してんですか、あんた。服着てください服を」

「あらやだ……つい、自分ちにいるつもりで油断してたわ。こんな姿、上坂くんに見られたら大変よ。教育に悪いもの」

「いや、俺に見られる方がよっぽど教育上まずいでしょうが。早く隠しなさいよ」

「そう? まあ、そうかもね。あの子が小さい頃、一度男を連れて帰ったことがあったんだけど、一週間くらいずっとしょんぼりしてたわ。相手とは全然何もなかったんだけどね。もし本当に、私にいい相手が居たら、あの子どうなっちゃってたのかしら」

「どうでもいいからさっさと服着ろ」

「洗面所はどこかしら、顔を洗いたいのよ。この家、変に入り組んでて分かりづらいのよね……古い建物はこれだから」

「建て替えや増築で原型をとどめてないですからね……洗面所ならあっちです。おい、こら、パンツに手突っ込んでケツ掻くんじゃないっ!!」

「いちいち、うっさいわねえ。あんたは金八の親戚か何かなの?」


 そう言い捨てると倖はぶつくさと文句を言いながら洗面所の方へと去っていった。


 その見目麗しいルックスと、上坂から聞かされていた逸話から勝手に想像が神格化していたが、昨日今日と話した限りでは、その実態はかなり残念な女性のようであった。よくあんなのから、あのお利口な上坂が育ったもんだと、縦川は閉口しながら寺務所へと取って返すと、昨日散らかした部屋を片付け始めた。


 昨晩は女性を3人も泊めると言うことで、気を利かせて男二人で寺務所に雑魚寝したわけなのだが、正直なところ、その必要は無かったのかも知れない。むしろ、上坂の貞操を気にした方が良かったのかなとうんざりしながら、縦川は昨日の夜のことを思い出していた。

 

*********************************

 

 人の寝静まる深夜。閉店後の客が居なくなったビストロ・ル・シャ・ノワールの店内で、上坂と彼の先生は再会を果たした。涙を流してすがりつく上坂を抱きしめる彼女の姿は、まるで聖母マリアのように厳かで見る者の心を打った。


 立花倖は、上坂一存にとって、恩人で、育ての親で、世界の全てと言っていいくらい強い影響を与えた人物である。死んだと思っていたその人物が生きていたのだから、彼の動揺と喜びは計り知れないだろう。


 大粒の涙を流し、その先生にすがりついていた彼は、もうまともな返事が返せるような状況ではなかった。縦川はそんな感動の再会に水を差すのは悪いと思い、事情が分からずキョトンとしているアンリに説明をしながら、彼が落ち着くのを待った。


「情けない話だけど、上坂君が生きているって気づいたのは、本当につい最近なのよ。私が気づかない間、あなたがどんな辛い目に遭っていたか知ったのも……ごめん。もっと必死になって探すべきだった」


 やがて落ち着きを取り戻した上坂に対し、倖はそう言って頭を下げた。隕石落下後の混乱の中で、彼女の方も上坂が死んだと思いこんでいたらしい。隕石の被害を目の当たりにした彼女は、上坂を探すことを諦めると、その後、自分は死んだことにしてドイツに飛んだのだそうだ。


 どうして自分が生きていることを隠さなければならなかったのか。この5年間ドイツで何をしていたのか。上坂がFM社に拉致されていたように、彼女にも何かのっぴきならない理由があったのかも知れない。縦川は感動の再会でまだぼんやりとしている上坂に変わって、彼女に聞いてみた。


 すると倖は怪訝そうに首を傾げながら言った。


「あなたは……?」

「あ、俺は今、上坂君の保護者ということになってる者です」

「それじゃ、あなたが縦川さんね、お寺の住職の」

「はい」


 縦川が返事をすると、彼女ははぁ~とため息を漏らしてから、どことなく弱々しげな笑みを見せた。それは張り詰めていた緊張の糸が解けたというような、そんな感じの笑みだった。


「そう、あなたが……」


 彼女は縦川の顔をまじまじと見つめた後、深々とお辞儀し、


「ありがとう。そして、ごめんなさいね。上坂君がとてもお世話になったみたいで、私がもっとしっかりしてれば、あなたに迷惑をかけずに済んだはずなのに……あなたにはちゃんとお礼をしなければと思っていたの。こんなことを言って不躾かも知れないけど、もし必要なら何でも言って。お金でもなんでも、私が出来ることなら必ず力になるから」

「い、いやいや、気にしないでくださいよ。男二人で気楽に暮らしてただけですから」


 彼女の思いがけず殊勝な態度に縦川が慌ててそう返すと、倖はまた困ったような弱々しい表情を浮かべてから続けた。


「さっきも言った通り、上坂君が生きているかも知れないって気づいたのは、本当につい最近だったのよ。でも、まだ確信は持てず、どこで何をしてるのかも分からなかった。それが分かったのが昨日の朝……あっちは夜だったんだけど、美夜のデータリンクから情報を得てね? その時すぐに乗れる一番早い飛行機に飛び乗ったものだから、あなたがどういう人だとか、上坂君が今どこで暮らしてるとか、詳しいことは調べてられなかったのよ」


 飛行機に飛び乗ったと言ってるが、タクシーを捕まえるような気楽なものではないだろう。ドイツから日本に来るには、直行便でも12時間くらいはかかるはずだ。そうまでして駆けつけたと知って、縦川はこの女性が抱く上坂への愛情と、その行動力に驚かされた。


 だがそれにも増して驚いたのは、彼女の口から出たこんな言葉の方だった。


「美夜ちゃんの……データリンク?? 失礼ですが、それって?」

「ええと、美夜が普通の人間じゃないってのは?」


 縦川はその場にいる面々と目配せしてから、本当なのかと確認するように身を乗り出して尋ねた。


「本人がそんなこと言ってるのをさっき聞きました。でも信じられなくって……彼女が言ってることは、本当なんですか?」


 すると彼女はまるで自分の成果を誇るかのように力強く頷いて、


「ええ、そうよ。信じられないのも無理はないでしょうけど、美夜はドイツの工房で私達が作り上げた……人類初の人造人間、って言い方が一番正しいんじゃないかしら」


 縦川はゴクリとツバを飲み込んだ。


「じゃあ、彼女は本当に機械なんですか?」


 すると今度は彼女はブンブンと首を振って、


「機械じゃないわ。一緒にしないでちょうだい。美夜はこれこの通り、普通の人間にしか見えないでしょう? 実際、その体の殆ども人体と変わりは無いから、ちゃんとした一個の人間として接してあげて」

「は、はあ……」

「彼女が人間と違うのは、脳の構造くらいのものよ。詳しいことを説明すると長くなるから省くけど……美夜はその人間とは違う脳みそで、元となったコンピュータ上のAI人格とリンクしてるの。彼女は、AIが言葉を覚えることで作り上げた人格を、人間の体に乗っけてみせた……言わばそんな感じの存在なの」


 その場に居た全員の視線が美夜に突き刺さる。彼女は自分のことが話題に上がっていることにも我関せずに、一人黙々と料理を食べ続けていたところ、いきなり注目を浴びて目をパチクリさせていた。その食い意地の汚さが、料理の乗った皿を隠そうとする手に現れている。


 美夜との付き合いは、まだほんのちょっとしかなかったが、彼女が人間じゃないなんてただの一度も疑ったことは無かった。彼女は飯も食えば眠りもする、減らず口も叩けば神様を信じていたりもする。そんな子供みたいな少女が、実は元々コンピュータのAIだったなんて誰が想像できようものか。


 確かに、詳しい話を聞こうとしたら夜が明けてしまいそうだ。彼はぶるんぶるんと首をふると話しを切り替えた。


「それじゃ彼女のことはひとまず置いておいて、立花先生……あなたはこの5年間何をしてたんですか? 上坂くんもエイミーさんも、あなたが死んだと思ってたみたいで、俺達はここ数日、あなたの墓参りをしたくってお墓を探してたんですよ?」

「そうみたいね。実は数日前から、私のことを探してる連中が居るのは気づいていたのよ。ただ、それが誰かまではわからなかったのよね。あのとき、もう少し突っ込んで調べておけば、こんな慌ただしい来日しなくて済んだんだけど」


 彼女はそう言ってため息を吐くと、話が脱線していることに気づいて元に戻した。


「私が何をしていたかだったわね……それにはまず、5年前に何が起きたのかを話したほうが早いわ。薄々感づいてるかも知れないけど、5年前、私は非人道的な組織の秘密を暴き、それを公表しようとしたせいで命を狙われていた。彼らは私を殺そうとして、とんでもない方法を使った。5年前に東京に落ちたのは隕石じゃない。あれは私を……いいえ、私とヒトミナナをこの世から抹消するために、何者かが羽田空港に持ち込んだ反物質が起こした爆発だったのよ」


 縦川は聞き慣れない言葉に反応して目を丸くした。


「反物質!? そんなSFみたいなものが実在するんですか?」


 すると彼女は苦笑しながら、


「SFって……あなた、いつの時代の人間よ? 反物質なんてものは前世紀にとっくに発見されていたし、大量に生み出すことも可能だったのよ。まあ、反物質はそれを一箇所に留めておくのがとんでもなく難しかったから、今まで利用されなかったんだけど……


 でも科学者ってのは無理と言われると挑戦したくなるロマンチストな生き物ですからね、それをどうにか利用しようって研究はずっとされてたのよ。今ではかなりの質量を、数日間なら留めておく事ができるくらいになってるわ。ただし、そうするには、どこかの国の国家予算並みにお金がかかるでしょうけど」


 彼女が言うには、その国家予算並みのお金を使ってでも、彼女とその彼女が作り出した人工知能・ヒトミナナを消したいという勢力が居たらしい。その謎の組織は、羽田空港の近くに彼女が住んでいるということを知ると、空港ごと彼女を消し飛ばしてしまおうと考え、それを実行した。


「反物質を使う利点は、まずは時限装置を作るのが簡単なこと。この世に留めておくのは難しいけど、解放するだけなら簡単だからね。そしてもう一つは、これが爆発しても放射能汚染が起こらないと言うこと。5年前の災害を実現するためには、爆発の威力だけなら核兵器を使ったほうがずっと現実的だったはず。なのに使わなかったのは、核兵器はそれを使用した痕跡を隠しきれないからよ。だから彼らは、あの爆発を隕石のしわざに見せかけるために、私達には想像もつかない巨額をつぎ込んだってわけ。それくらい、私やナナの存在が邪魔で仕方なかったってことね」


 彼女はそう言ってため息を吐くと、何もない虚空をじっと凝視したまま暫く動かなかった。きっと、あの日のことを思い出して、気持ちがそばだってしまったのだろう。やがて彼女は吐き捨てるように話を続けた。


「私が助かったのは、そのナナに警告されていたからなのよ。あの日、私は自分が生命の危険に晒されていることに気づいていた。その数ヶ月前から、何者かが日本に上陸して私を付け狙っていたことも知っていた。ただ、相手がどこの誰で、どういう方法で私を始末しようとしてるかまでは分からなかったのよね。それで身の危険を感じた私は情報を集めていたんだけど……


 あの日は以前から利用していた情報屋と会う約束をしていて、上坂君を一人で出かけさせた後、私は相手に会うために家を出ようとした。ところが待ち合わせの時間が近づいてきたとき、その待ち合わせの相手ではなくナナから緊急の連絡が入ったのよ。


 どうしたんだろうってナナにアクセスすると、彼女はこの待ち合わせは私をおびき寄せて始末するための罠だから、すぐにその場から離れたほうがいいって言うのよ。言うまでもなく、ナナの情報は正確で信憑性が高かったから、それで私は驚いて家から飛び出し、都内近郊のホテルに身を隠したの。もしかしたら情報を得る機会を失うかも知れないとは思ったわ。でも、可能性がゼロでない限り、疑ってかかったほうがいいからね。一人で出掛けた上坂君のことは気になっていたけど、彼にはナナがついていたから、彼女に任せて私の方から連絡を取ることはしなかったの」


 その言葉を聞いて、上坂が疑念を挟んだ。


「……ナナが? でも先生。ナナはあのとき、俺に危険が迫ってるなんてことは、一言も言ってなかった。知ってたんならどうして警告してくれなかったんだろう……?」

「それは多分、上坂君を不必要に不安がらせないようにと思ったからじゃないかしら。ナナは敵の動きを察知していたから、全てが片付いてから言うつもりだったんでしょうね。でも、事態は私達の想定を遥かに超えてしまっていた……」


 自分がヒットマンに命を狙われているとしても、まさかそのヒットマンが街ごと反物質爆弾で吹き飛ばすなんて、誰が想像できるだろうか。相手は人の命などなんとも思っちゃいない。バレなきゃ大量殺戮だって平気でやってのける。その後、東京が壊滅して、日本という国が無くなってしまっても構わないとさえ思っていたのだ。


 彼女はこの時になって、自分たちが手を出してはいけない相手に手を出していたのだと悟った。だが反省するには、もう遅すぎた。


「東京湾岸が吹き飛んで、ナナからの連絡も途絶えて、私は恐慌状態に陥ったわ。情けない話だけど、相手がここまでやるなんて思いもよらず、ショックと恐怖で数日間は身動きが取れなかった。それでも、いつまでも隠れてるわけにはいかないから、外に出てまずは上坂くんとナナを探したの。けど、お台場は壊滅状態で近づくことも出来ず、暫くして政府が生存者なしと発表したら、もう諦めざるを得なくなった。


 そしてこの時の発表で、私自身も死亡認定されてることに気づいたわ。母や妹たちが探していることにもね。でも、私は生きていると名乗り出ることはしなかった。もしそんなことしたら、救援のどさくさに紛れこんでいた何者かに殺されていたでしょうし、下手したら母さんたちにも危害が加わる危険もあった。それで私は自分が死んだことにしておくことにして、日本を離れてドイツに向かったの。相手が死んでると思っているのなら、そう思わせておくほうがいいでしょう」


 その判断は理に適っている。縦川はうなずくと、


「どうしてドイツに?」

「消極的な理由よ。上坂君とナナを失った私は、あの時、日本で頼れるあては、せいぜい白木ノエル一人しか居なかった」

「まあ、お父様が?」


 娘の恵海……エイミー・ノエルが目を丸くする。倖は黙って頷いた。


「……彼にはビジネス上の貸しがあったのよ。他にも、かつて国内にあったAYFの研究所で面倒を見ていた部下達も居たわ、彼らは復興後に東京都の技術顧問として活躍してるわけだけど……でも命の危険があるかも知れないのに、そんな彼らを巻き込むわけにはいかなかった。だから私はただ人知れず、日本から脱出する手助けをしてくれる人物を求めて白木に接触したの。AYFカンパニーは拠点をドイツに移してる最中だったから、引っ越しのどさくさに紛れて、逃してもらおうと思ってね。


 私が西多摩の白木邸に現れると、彼は驚きながらも保護してくれたわ。そしてこうなった経緯を説明したら、驚くほど早く理解を示してくれた。実はFM社のチップの話は、以前から彼に伝えていて、それで彼自身も色々調べていたみたいね。AYFは今では世界有数の医療機器メーカーだから、突然自分の庭とも呼べる市場に乱入してきたFM社の動向が、彼は気になっていたのよ。


 私が湾岸の隕石騒動は彼らの仕業かも知れないと言うと、白木は協力を約束してくれた。それで私は彼の力を借りて国内から脱出した……」


 彼女はそこで一旦話を区切ると周囲の面々を見回した。それはこれ以上話を続けても良いのだろうかと、躊躇しているように見えた。


 それを察したのだろうか、自分が部外者だと思っていたアンリが席を外そうと提案したが、彼女がここに居るのはそれなりに理由があるからだろうと、結局彼女はそのまま話を続けたのだった。


「……ドイツに渡った私は、私を追い込んだ連中に復讐を果たすべく、行動を開始したわ。大事な家族を殺され、最大の研究成果であるナナを失い、生まれ育った街を破壊されたんだもの、絶対に許すわけにはいかなかった。ただ、復讐をしようとはいっても、この時になってもまだ私は何と戦っているのか、相手の正体がいまいち掴めていなかったのよね」


「FM社ではなかったんですか……? 上坂君を拉致したという」


「それは間違いないわ。でもFM社と言ったって、その全てが相手なわけではないでしょう。あの会社は世界でトップシェアを誇る汎用チップメーカーで、15の海外法人と数百の関連会社、そして数千の取引先があるのよ。社員だけでも万単位で居るのに、その誰が敵で、誰が関係ないのか見極めず、手当たり次第に手を出すんじゃ、テロリストと同じよ。


 それに、FM社の中に居る何者かが犯人であることは確かだとしても、もはやそいつだけを始末すればいいと言うわけにもいかなかった。東京の、あの壊滅的な被害を思い出してみなさいよ。正気の沙汰じゃないわ。あんなの、まともな人間が思いつくようなことじゃないし、一人でどうこうできることでもない。おそらく、FM社のバックにもあの事件に関わり合いのある組織があるはず……そう考えて、私はアメリカ政府が怪しいと睨んだ」


 上坂はアメリカ本土に連れ去られる船の上で、アメリカの軍人を見かけたらしい。だからその可能性は否定できないが、


「しかし、米政府は結果的に上坂君を解放してくれたんですよ? もし彼らが犯人なら、FM社から助け出された上坂君が、今こうしてここにいないはずじゃないですか」


 すると彼女は首を振って、


「それもFM社と同じように考えて。敵は政府そのものじゃなくて、その一部。政府の中にいて、政府をコントロール出来る何者か、ということよ。もしも上坂君を発見したのが一般の兵士じゃなくて、その何者かの息がかかった人物だったら、彼はまだアメリカに拘束されていたかも知れない……」


 にわかには信じられず、縦川はう~んと低く唸り声を上げながら言った。


「あなた……そんなのが米政府の中に、本当にいると信じてるんですか?」

「いるわ」


 立花倖は断言した。その返事があまりにも思い切りがいいものだったから、縦川は言葉を失ってしまった。彼女がここまで言うのだから、何か根拠があるのだろう。


「考えても見て。アメリカの政府組織は4年ないし8年で、大統領が変わるたびに刷新されるけど、そもそも大統領自体が二大政党の中から選ばれるんだから、結局は政党の影響を受けているのよ。それに頭は変わっても、組織そのものが解体されるわけじゃないでしょう。例えば、大統領が変わったからって軍隊の大将やら、全州の知事までもが、いちいち引退してたら国が滅んじゃうわよ。その骨組みは残されている。その重要なポストに、どうやら私達の敵は入り込んでるんじゃないかと、私はそう見ているわけ」

「そんな、陰謀論じゃあるまいし……」

「そう、それよ! あなたいいこと言うわね」

「は、はあ……」


 縦川は思わず呆れてツッコミが口をついて出ただけなのに、なんで褒められてるんだろうかと首を傾げた。そんな彼の戸惑いなど気にもとめずに、倖は核心に迫るべく話を続けた。


「私もあなたと同じように、最初は自分の考えを否定しようとしたわ。でもね、それで他のアプローチを採ろうにも、これといった手がかりがなくて、どうしてもこの陰謀論に戻ってきちゃったのよ。だからある時、私はそれを受け入れることにした。今の私にはもう、バカバカしいからなんて感情だけで、手がかりを捨てるような余裕はないですからね。


 で、陰謀論はあると仮定して、色々とインターネット上に流れるオカルトチックな都市伝説なんかも含めて、ありとあらゆる陰謀論を精査してみたの。すると、困ったことに、本当にその陰謀論が現実に現れてきちゃったのよ。どうやらアメリカ政府は、何か得体の知れない秘密結社に牛耳られているらしい……」


 ここはあれだろうか。なんだって~! とか言って、びっくり仰天するところなのだろうか……


 縦川はどう反応していいか分からず、キョロキョロとあたりを見回して反応を探ってみた。見れば、同じくテーブルを囲んでいる恵海もアンリもぽかんとした表情で呆れ返っており、ただ一人、上坂だけが真剣な面持ちで厳かに彼女の話を聞いている。


 あのいつも冷静な上坂が言うところの大先生で、ヒトミナナと汎用AIの基礎を作り上げた天才と聞いていたから、まさかこんなトンデモを言い出すような人物とは思いもよらなかった。


 立花倖は、どうしたものかと戸惑う彼らの態度には気づいているようだったが、そんなこと気にも留めない勢いで話を続けた。


「思い出してほしいけど、そもそも私達が命を狙われるようになった切っ掛けは、移民を監視するチップが、彼らに無断で仕掛けられているのを発見したからだった。ところで、この体の中にチップを埋め込んで、人を管理するって手法は、昔からSFや陰謀論なんかに度々登場するもので、実は2000年台には商品化もされているのよ。


 開発元はこれを使えばキャッシュレス社会が実現するという触れ込みでいたけど、誰もこんな得体のしれないものを自分の体の中に埋め込もうなんて考えないから、今では一部の金持ちが迷子防止にペットに埋め込む用途でしか使われてない。けど陰謀論の世界では、この怪しさ満点のチップは、私達が知らない間に勝手に埋め込まれてるんだって、幾度となく噂を立てられていた。そして現実に、私達はそれを発見してしまったわけよ。


 さて、その噂の中心に現れるのは、いつもフリーメイソンやら新世界秩序ニューワールドオーダーと呼ばれる、アングロサクソン人による世界国家の設立と人類の支配が目的の団体なんだけど、アングロサクソン人の国家と言えば、アメリカ合衆国はヨーロッパから渡ってきた彼らが作り上げた国でしょう? そして現在、移民の流入を阻止したいとチップを欲していたのは、そのアメリカやイギリスなどの英連邦国家。つまりアングロサクソン国家だった。


 そういう目で見てみると、FM社って名前もこれ以上ないほど、らしい名前なのよ。FM社ってのは元々、Fiber Mechatronicsの略なんだけど、他にもFreeMasonry……フリーメイソンの頭文字でもある」


 彼女はそこまで早口に言い切ると、そんな彼女をポカンと見つめている縦川たちの表情を見回してから自嘲気味に笑った。


「呆れてものも言えないって表情ね……その気持ちは分かるわよ。だけど言わせてちょうだい。ここまで断言しているくらい、私はこの秘密結社のことを調べ上げているの。そしてもはや確信に近いほど敵の正体に近づいている。いい? まずはその正体をはっきりとしましょう。


 5年前、東京を壊滅状態にして、上坂君をアメリカに連れ去ったのはイルミナティ……あなたたちも名前くらいは聞いたことがあるかも知れない。陰謀論やオカルト業界では皆勤賞ってくらい有名な、フリーメイソンが発端の、キリスト教の狂信者が作り上げたと言われる秘密結社だったのよ」


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