愛と嘘 - AI & Lie.
上空で火の玉がいくつにも割れていた。夜空は一瞬にして真昼のように明るくなった。それがどんどん近づいてきて、まるで自分が焼かれてるような錯覚に襲われた。パニックになった群衆が波にように押し寄せて、13歳の少年を翻弄した。手にしていたノートパソコンが弾き飛ばされ、それを拾おうとして手を伸ばした時、視界が真っ白になって、彼は意識を失った。
次に目覚めたのはアメリカに来てからだった。いや、実際には何度か目覚めていたのだが、意識が朦朧として夢と現実の区別がつかなくて、ほとんど記憶に残っていなかったのだ。揺りかごのように揺れるベッドの上で意識朦朧しているとお、カンカンと床を叩く足音が聞こえて、点滴かなにかを取り替えていく。他にも迷彩柄の軍服らしきものを着た兵士がやってきて、殺してやったほうがマシじゃねえのかと言っていた。身動きが取れない中で、彼は殺さないでと哀願した。
やっと目が覚めた時、彼は手足が拘束されて身動きが取れなかった。体のあちこちが痛くて、泣きそうなくらいだったが、呼吸をするので精一杯で、泣いてる余裕なんかなかった。自分に何が起きたのか分からず、最初はパニック状態だったが、徐々に落ち着いてきてあの日のことを思い出すと、自分が隕石の落下に巻き込まれて病院に運ばれたんだと思った。
でも違った。そこは確かに病室というか、無菌室というか、集中治療室と言っていいような場所だったが、決して病院なんかではない。真っ白な壁に囲まれて、白衣の者たちが歩き回る。そこは病院ではなく何かの研究所だった。そして自分がモルモットだということに気付くのに、そう時間はかからなかった。
男が近づいてきて、彼の目に光を当てた。普通なら目をつぶりたい衝動に駆られそうなところ、何故かそうはならなくて、光を見ていると頭がボーッとしてきて、徐々に体が弛緩していった。なにかに熱中している時みたいに、思考がグーッと体の中心の方に集中してくる感じがして、ぐるぐると今まで生きてきた記憶が頭の中で渦巻いていた。
口がだらしなく開いて、よだれがダラダラと垂れている。なのに口を閉じようとしてもどうしても閉まらない。これは変だと思った時、多分麻酔か何か、薬のようなものを使われたことにようやく気づいた。そして体を拘束されている自分が、抜き差しならない状況に置かれていることも。
カッと、投光器のような強い光を浴びせられる。
「上坂一存。これから我々の質問に嘘偽りなく答えると言え。知ってることを洗いざらい喋るんだ」
ほんの少しばかり上の方から声が聞こえた。ザーッというノイズが混じっている気がしたから、多分スピーカー越しなのだろう。彼は突然のことに、何を言われてるのかさっぱりわからなかった。記憶が混濁して、自分が何者だったのかすら定かでない。何しろ状況が異常すぎるのだ。さっき隕石が飛んできたと思ってたら、目覚めてすぐこれだ。どうして自分が拘束されてるのか、ここがどこなのか、何もかもが分からない。
だがその何者かの要求は容赦なく浴びせられる。
「上坂一存。我々の質問に答えるんだ。そして洗いざらい何もかも吐くと誓え」
彼はこんな理不尽な要求は許せないと思った。彼らが何を欲してるのか分からないが、とにかく彼の言うなりになるのが気に食わない。だからその質問にNOと答えようとしたのだが、その途端、彼は自分のその行為を猛烈に後悔することになった。
体全身にビリビリと電気でも流れるような痛みがして、次の瞬間、全神経に針を刺されたような激痛が全身に走った。あまりの痛みに自分が絶叫していることにも彼は気づかなかった。
ようやくその痛みが引いたときには、視界が涙でぼやけて全身に力が入らなかった。いや、仮に力が入ったところで動けないのだからどうしようもなかったろう。鼻孔が鼻水で塞がって、彼ははあはあと息苦しそうに口で息をしていた。誰かが近づいてきて、そんな彼の顔を無造作にゴシゴシと拭った。
「上坂一存。質問に答えるんだ。もし君が嘘偽りを述べたなら、今と同じ苦痛が何度でも襲ってくると思え」
「……何を言って……」
「今の自分の立場が分かってないようだな。ではまず、君の状況を理解してもらうところか始めよう」
スピーカーの声がそういった瞬間だった。熱いと感じるほどに照射されていた光が突然パッと消えたと思ったら、部屋の中が急激に暗くなっていった。
だがそれは電気が消えたからではなくて、トンネル進入時のブラックアウトみたいなものだった。だから暫くして目が慣れてくると、段々と周囲が見えるようになっていった。ただ真っ白い壁が四方を囲んでるだけの、殺風景な部屋の中に彼は居た。さっきは周りに白衣の男たちがいたはずなのだが、今は警棒を持った看守みたいな男が立っているだけだ。その顔は映画に出てくる悪役みたいで、酷く暴力的だ。
身動きが取れない上坂は、状況を理解しろと言われても、どうすればいいのか分からなかった。手も足も動かない上に、首を回そうとしても、こちらも固定されて動けない。なのに何を知ればいいと言うのか……無茶苦茶だと彼は思ったが、すぐにその必要は無かったのだと理解することになった。
眼の前には大きな姿見のような鏡が置かれていて、巨大なベッドを縦に起こしたようなところに、拘束されている自分の姿が映し出されていた。手も足も、変な器具でガッチリ固定されていて、首や頭はもっとガチガチに固められ、そして自分の頭から変な棒みたいなものが突き出しているのが見えた。
何だこれは……と思ってマジマジとそれを見た瞬間。彼はあまりの恐怖で、自分が泣き声をあげていることに気がついた。
鏡の中の自分の頭に、電極を突き刺さっているのが見える。
頭蓋骨に穴が開けられていて、そこにピンク色で筋みたいな血が混じった大脳皮質が覗いている。
電極はその脳みその中に無造作に突っ込まれており、先端がどこまで続いているのかは分からない。ただ、その無造作に突き刺された棒と、そこから伸びる電極の線が、彼らが上坂の命などどうでもいいと思っていることを如実に語っていた。
「我々は手荒な真似をしたくない。君を痛めつけて吐かせるような、無駄な努力はしたくない。だからこういう手段を取った」
「な、何を言ってるんだ!」
「人が嘘を吐いた時に発する特殊な脳波を検出すると、痛覚に刺激が送られる手術を施した。故に嘘を吐かなければ、君が苦痛に苛まれることはない。君が苦しむのは、君が勝手に苦しんでいるだけだ。我々は何も悪くない。わかったなら質問に答えるんだ」
「離せ! 俺を自由にしろ!!」
「我々の満足が行く答えが聞けたら自由になれるかも知れない。だがそれも君次第だ」
「ふざけるな! おまえらそれでも人間か!?」
「人間……?」
するとスピーカーの声は、今までよりも一段と無機質な声で、
「君はまだ自分が人間だと思っているのか」
「……なんだと?」
「戸籍上の君は既に死んでいる。日本では今頃被災者として名前がカウントされているだろう。だから今更君が悶え苦しんで死のうが、手足がちぎれようが、脳みそが吹き飛ぼうが、誰一人として気にかける者はいない。死体には人権はないからな」
「な、なんだと……?」
「さあ、分かったら質問に答えるんだ。あまり手間をかけさせるつもりなら、容赦なく痛めつけさせてもらう」
男がそう言った瞬間、彼の腹部に激痛が走った。横に居た看守みたいな男が、警棒を彼の腹に打ち込んだのだ。胃がビクビクと痙攣し、口から吐瀉物が吹き出した。その吐瀉物には胃液しか含まれておらず、彼がもう何日も何も食べさせてもらえてないことが見て取れた。
それから後はただただ地獄だった。
こんな人でなし共に何一つ答えたくないと言うのに、彼は自分の知ってることを洗いざらい吐き出させられた。彼らはとにかく、彼を何でも答える機械に変えようとしていた。質問の中身は彼が犯した失敗や、どんな妄想でオナニーをするのかとか、プライドを傷つけるようなものばかりで、それに答えなかったり、嘘を吐こうとすると全身に激痛が走り、口答えすると屈強な男に警棒で殴られた。
体が熱くて焼けそうだった。熱が引かないのは、多分どこか骨折しているからだろう。意識が朦朧として倒れそうなのに、まったく眠くならないのは覚醒剤かなにかのせいだろう。彼は何時間も、何十時間も、意識が朦朧とする度に無理矢理起こされ、屈辱的な行為を受け続けていた。
こんなことが13歳の少年に耐えられることはなく、彼はどんどん従順に、口は滑らかになっていった。もはや嘘など吐けない機械になった彼は、要求される答えを何もかも包み隠さず喋った。にもかかわらず、彼が激痛から解放されることは遂になかった。
何故なら彼らの嘘発見器は不完全なものだったのだ。その機械は嘘だけに反応するのではなく、被験者が抱く不快感や憎しみのような反感にも反応した。だから、もし彼がFM社にとって都合の悪いことを言えば、機械が反応して激痛に見舞われた。
例えば、上坂は汎用AIの根本的な仕組みはほとんど知らなかった。それは先生が設計してプロジェクトのみんなで作り上げたものだからだ。だからナナの作り方を一口に説明しろと言われても、彼には答えることは出来なかった。だが、知らないと言っても、彼らが信じてくれず、嘘を吐けと罵られたり看守に痛めつけられて、反感を抱いた彼は結果的に激痛に見舞われるのだ。
FM社の連中は彼が何でも知っていると決めてかかっていた。知っていれば儲けもので、死のうがどうしようがどうでも良かったのだろう。だから機械の誤動作など全く考慮せず、彼を痛めつけることに終始した。それはとんでもないストレスだった。頭蓋骨には穴を開けられ、脳みそが吹きっ晒しの少年が、ホントなら死んでも言いたくない告白を強要され、警棒で殴られた骨にはヒビが入り、高熱に浮かされているのに寝ることすら許されない。
だからこの時、彼は自分でも記憶にない間に、何度か死のうと試みたようである。しかし彼が出来ることなんて、せいぜい舌を噛み切ることくらいなのだが、舌を噛み切ったところで人間はまず死ぬことはない。すぐに処置を施され、時間を置いて、また絶対に答えが出ない訊問が始まるのだ。
彼は疲弊しきっていた。どんなに正直になっても、FM社の都合の悪いことはすべて嘘と捉えられてしまうのだ。こちらは嘘を吐けないと言うのに、彼らは自分たちに都合の良い嘘しか信じない。だからそのうち、彼はその嘘にすら抗うことをやめてしまった。嘘を吐いたら吐いただけ激痛に見舞われるのだが、もうどっちにしろ苦痛しか待っていないのだから、嘘をついても本当の事を言っても変わらないのだ。
そして嘘を吐き続けた彼は、ある時気づいた。嘘を吐けば嘘を吐くだけ、痛みが増してくる。ならばこのまま嘘を吐き続けていれば、いつか体が耐えきれなくなり、死んで楽になれるんじゃないかと。だから彼はすべての質問にイエスと答えた。出来ないことを何でもかんでも出来ると答えた。彼はもう、ずっと前から、死にたくて死にたくて仕方なかったのだ。
「上坂一存、おまえはヒトミナナを一から作り上げた天才で間違いないのだな?」
「ああ、もちろんイエスだ」
そして彼が全てを諦め、そう答えた瞬間……
彼の頭の中で、何かがプツリと途切れるような感覚がした。
それまで彼を襲っていた激痛は嘘みたいに引いて、思考が鮮明になっていく。
世界は灰色がかったセピアに染まり、音はなく、動くものは何もない。
スピーカーから流れてきた不快な声はもう聞こえてこなくなり、彼を痛めつけた看守は石像みたいに固まっていた。
彼は思った。ああ、やっと死ねたと。
すべてが制止した世界の中で、彼はその状態が死であると思ったのだった。
でも、それは違った。彼はまだ死んだわけじゃなかった。単に時間のほうが止まっているのだと気付くのに、彼はそれなりの時間が必要だった。いや、時間が止まってしまってるのだから、時間がかかるとはおかしな話であるが……
世界が制止してからかなりの時が経ち、彼はその状況がいつまでも続くことに次第に焦り始めた。最初こそ、これが死なのかとニヒルに構えていたのだが、それも体感時間で数時間も経過すると、余裕でなんていられなくなっていった。
一体何が起きているのか、彼は段々パニックになってきた。隣に居る憎たらしい看守に話しかけてもピクリとも動かない。スピーカーの声になんとか言えと叫んでも何の返事もかえってこない。しかも今彼は拘束されていて、何が起きたか調べてたくても、身動き一つ取れないのだ。
果たして自分は生きてるのか死んでるのか、この状況は何なのだ? もし死んでるならそれならそれでいいのだが、死んだら何もかも綺麗サッパリ無くなってくれるならまだしも、思考だけがこの世に取り残されて身動きが取れないのでは、まるで拷問ではないか。眠ることも疲れることも知らず、ただ思考だけが永遠に続いている。こんなの生きていると呼べるだろうか。
そう考えた瞬間、彼は声を立てて笑っていた。さっきまで、あんなに死にたい死にたいと思っていたくせに、痛みが消えたと思ったら、そんなこと忘れて今度はこの静けさを苦痛に思っているのだ。死にたいと願ったくせに、今は自分の生死が気になって仕方がないのだ。人間とは度し難い、ただ自分勝手な生き物なのだと、我が事ながら笑えてきた。
それからどれくらい時間が経過しただろうか。制止した世界の中で時間という概念があるかは分からない。ただ、自分の体感時間で言えば、何百時間も……下手したら千時間が経過しててもおかしくないくらい時が過ぎ、彼は生きていることにも……もしくは死んでいることにも飽いていた。
人間誰しも死というものを経験したものはいないから、これが死と捉えるのは間違いでも無かったかも知れない。しかしそうだとしたら、死とはとんでもなく退屈なものである。彼は拘束されて身動きができず、やれることは考えることくらいだった。だから、そのうち彼は暇つぶしにあれこれ考え始めていた。彼は無限に続く制止した時間の中で、思考だけを楽しみに生きていた。
あのスピーカーの声……FM社はナナの作り方という言葉にやけにこだわっていた。多分、彼らが欲しいのは汎用AI技術なんだろう。もしあの時、彼らの要求に答えることが出来ていたら、今頃どうなっていたんだろうか。
拘束が解かれて自由になったとは思えない。必要な情報は引き出せたと思った彼らに殺されていたかも知れない。だが、それでも今よりはずっとマシだったに違いない。
そう思うと悔しくて、彼の頭の中は汎用AIのことだらけになった。何しろ、身動きが取れない中で自由なのは思考だけなのだ。こうなったらもう、思うがままに気が済むまで考え続けるしかない。彼は思考の海へとどっぷりと沈み込んでいった。
そして改めて考え始めたら、案外、自分は汎用AIのことを色々知っていることに気がついた。汎用AIの設計者である先生は、聞けば何でも教えてくれたし、プロジェクトのメンバーたちも彼には親切だったのだ。それに、ナナが成長してから、彼女自身が色々なことを教えてくれた。それはもしかしたら、先生の理論を超える重大な新技術も含まれていたかも知れない。不思議なことに、それがすらすらと思い出せた。
皮肉なものである。彼は今、身動きが取れず考えることしか出来なかったが、代わりに眠ることも疲れることも知らずに、いくらでも考えることが出来ると気づいたのだ。すると以前は理解することが出来なかった、憧れの先生の理論や実践が理解できた。かつてナナが彼に問いかけた、考えることを放棄してしまいたくなるような難問を、彼は一つ一つ執念深く追い求めることが出来た。
他にやることがない彼はそのことに没頭した。汎用AIの作り方、ヒトミナナの見た世界、そして新しくより洗練された汎用AIの作り方。
一度考え出した彼の思考は止まることを知らず、次々と今までの疑問が払拭されていった。気がつけば彼はいつの間にか、一端の技術者として汎用AIの何もかもを把握するに至っていた。
彼は思った。失敗したな……と。今なら、FM社の連中に聞かれたことをいくらでも答えることが出来るのに。自分の中には、これだけの知識が眠っていたのだ。あの時、もっと真剣に考えていたら、状況を打開できたかも知れないのに……
そう考えた時……
彼は目眩のような感覚がして、視界がぐるんと回転し、吐きそうな気分になった。パリパリと脳みその中で静電気が走り、さっきまで白黒だった視界が、いつの間にか色づいて見えた。
「上坂一存。改めて問う。ヒトミナナについて、我々の質問に答えるんだ」
と……突然、彼の耳に、体感時間で数ヶ月ぶりくらいの人の声が聞こえてきた。
ハッとして目だけを動かしたら、看守の男がニヤニヤとしながら警棒を手で弄んでいるのが見えた。彼はそれを見た瞬間、懐かしさに涙が溢れた。殺してやりたいほど悪かったあいつが、今は懐かしくて仕方がない。彼はいつの間にか白黒の世界から抜け出して、元の空間に戻っていたのだ。
ずきずきと全身が痛み、体は熱を帯びている。頭はボーッとして、さっきまでのクリアな思考はどこかへ言ってしまっていた。だが、意識ははっきりとしていた。そして、あの時、彼が到達したAIの新技術に関する結論も、ちゃんと頭の中に残されていた。
呆然とする彼に、無機質なスピーカーの声が再度投げかけられる。
「上坂一存。答えるんだ。君の知っていることを洗いざらい」
彼は言った。
「ああ、いいだろう。何から答える?」
彼はあの時ついた嘘を、本当に変えてしまったのだ。
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それからの数日間、彼は拷問の最中に何度も何度も時間停止を体験した。それは彼が嘘を吐いた時に発動すると気付くのに、時間はそれほど必要なかった。
彼はそれが何故起こるのか、どういう仕組みの現象なのかは分からなかったが、ただ窮地を切り抜けるための切り札として利用することにした。時間が止まってる最中は、腹も空かないし眠りもしない。つまり、嘘を本当にするだけの時間はいくらでも作れるのだ。彼はそうやって、次々と難題を片付けていった。
すると、最初は彼を使い捨てにしようとしていたであろうFM社の態度も変わっていった。彼らは殺すつもりで捉えてきた子供から溢れ出る知識に驚愕し、これだけの知恵者をただ殺すのは惜しいと考えを改めた。この哀れな少年は度重なる拷問の末に完全に服従しており、今更逆らうとは思えないのも、彼らの考えを後押しした。
やがて、上坂は拘束を解かれ、電極を外され、頭蓋骨も閉じてもらえた。拷問のせいで頭蓋骨は柔らかく、髪の毛は真っ白になってしまっていたが、見た目が変わってしまったくらいで、怪我さえ治れば元通りだった。
しかし彼は拘束を解かれたとは言え、もちろん自由を得ることは出来なかった。彼はFM社の用意した部屋に監禁されて、そこで24時間監視されながら、彼らのために自分の持ちうる限りの技術を提供することになった。
はじめに上坂は汎用AIを使ったドローン兵器の開発をさせられることになった。例の鳥のように群れで飛び、正確に目標を撃ち抜く兵器である。この技術はテロ戦争に苦しめられていた米政府に高く売れ、気を良くした彼らは上坂に課していた制限を緩めて、ほんの少しばかり自由を与えてくれるようになった。
そして彼は、インターネットにアクセスする権限を得た。もちろん、それは監視付きで、下手なことをやろうとしても検閲で引っかかってしまうような物だったが、それでも世間の動きを知ることには役立った。
彼はインターネットを通じて、自分が拐われてから4年の月日が流れていることを知った。そして自分がここで生きているんだか死んでるんだか分からない生活を送っていた間、世界が驚くほど変わってしまったことを知った。
東京は壊滅して、今も復興のために苦しめられているようだった。あの時、空から落ちてきた隕石が、本当に隕石だったのか……それは今もって分からなかったが、あの災害は東京に深刻な爪痕を残していることだけは確かだった。もしかしたらその片棒を担いだ連中のために働いてるのかも知れないと思うと、彼は遣る瀬無くなったが、かと言って何が出来るわけもない。
せめて東京のために何か出来ないかと思って色々調べていると、彼は超能力者の存在に気がついた。超能力者が大量に現れ始めたのは災害後、特に東京に集中しているように見えた。彼はこの現象に、とても興味を惹かれた。言うまでもなく、自分の時間停止能力も、超能力としか思えなかったからだ。
そして調べてみると、この現象は東京に限らず、世界中のあらゆる国で散見されることが分かった。東京が目立ったのは、彼らが情報公開をしていたからで、実際にはどの国も似たような能力者を抱えていた。
何故超能力者の存在が表に出なかったのか言えば、知っての通り、超能力者は直接人に危害を加えるような能力を持たないので、大した騒ぎになっていなかったからだ。殆どの国では、能力者が現れても、ただの手品師として無視されるか、せいぜいモルモット扱いした後に、原因不明の反社会主義者として追跡調査されるのが落ちだった。
だが、能力を持っている上坂は、これがただごとではないことにいち早く気がついた。そして、どうしてこのような人間が突然大量発生したのか、その原因が気になった。それで誰も調べようとしなかったその原因を独自に調査し始め……そしてついに、それを突き止めたのである。
能力を発動した人間にはある共通点があった。それは、FM社が開発してばら撒いた、例の予防接種を受けたことがある人たちだったのだ。しかも、その予防接種を受けた人物の中でも、例えばテロの被害を受けたり、上坂のように拷問を受けたり、親から虐待を受けていたりと、精神的外傷を負った人間に限られていた。
どうしてこのような人間に偏っているのか。それは脳毛細血管にある血液脳関門に原因がある。脳は血液から運ばれてくる有害物質が脳内を侵さないように、血液脳関門という仕組みで脳内血管を流れる物質を制御してる。それは、脳に必要な酸素やブドウ糖は通すが、細菌やウィルスなどの有害物質は通さないように出来ている。
ところが、精神的に過大なストレスを受けていると、その機能が上手く働かなくて有害物質を通してしまうことがあるのだ。
FM社の予防接種は皮下に腫瘍を作り、有機半導体として機能する。それが血液に入り込むと、全身に回ってしまうが、特に害は及ぼさないように出来ていた。ところが、これが脳に入ってしまった場合は話が異なる。ウィルスが大脳皮質に腫瘍を作り、それが特定の電磁波を受けてニューロンを刺激する、新たな器官のような働きをするのだ。
つまり、それが超能力者の正体だった。
超能力者がFM社の汎用チップが発した特殊な電磁波を受けると、脳内の腫瘍が反応し、いくらかのエネルギーを奪った後に反射する。その際、失われたエネルギーによって生じる周波数の変化が、AIにおかしな現象を起こさせているのだ。汎用AIは関係ない。それじゃどうやってあんな不可思議な現象が起きているのだろうか?
上坂はその原因をFM社の汎用チップに特定すると、現存するネット機器からランダムにそれを回収し、中身を調査した。
そして彼は気がついた。
汎用チップのメモリに、未使用領域に偽装された空間があり、そこにとあるコードを持ったマルウェアが仕込まれていることに。
彼はそのコードを見て、一瞬でそれが何を意味するのかを理解した。何故なら、それは彼が作ったヒトミナナが生成する一時ファイルに他ならなかったからだ。
ナナは最初の人格となるコアこそ一台のサーバーで形成されていたが、彼女の知識が膨大になるに連れ、一台では収まりきらずにどんどんとサーバーは増殖していった。それはそのうち、人間の手を離れて、彼女自身が自分の分身を次々と作り出し、ネットワークの海の中に少しずつばら撒いて巨大化していった。そうやって、ネット上にまんべんなく彼女は分身を作って、人類を凌駕する知能を実現していたのだ。
彼女の人格はあの日吹き飛んで消えてしまったはずだ。だが、彼女を形成していた膨大なデータは、すべてが消えることはなく、今もどこかに眠ってるはずだった。
それが今、FM社の汎用チップの中で偽装され、何かをやっている。多分、超能力者の能力を実現しているのは、彼女が残した彼女の一部……ナナの因子なのだろう。
そしてそれは、多分上坂の能力にも関係しているはずだ。そう考えなければ、あの不思議な能力が何なのか、あとは神様でも出してこない限り説明がつかない。
彼女が一体どうやって、あんな不可思議な現象を生み出してるのか分からないが、ただ一つだけ確実に言えることは……
上坂はナナに守られていたから、今こうして生きているのだ。
それに気づいた時、彼は自分の人生を諦めることをやめた。翻弄されFM社の言いなりになるのではなく、彼らを利用してこの状況を脱することを考え始めた。
かと言って、24時間監視されている状況では、下手な動きは出来ない。何か方法は無いかと思案に暮れていると、それは起こった。
中東や欧州では、アメリカのドローンが活躍していた。上坂が作ったそれは、瞬く間にテロリストを制圧し、欧州では秩序を取り戻すことに成功していた。だが、中東では引き続き激しい戦闘が繰り広げられており、ドローン兵器もかなりの数がテロリストの手に渡ったと言われていた。
そんなある日、それがニューヨークでテロを起こしたのである。
経済の中心地で行われたテロは911の時のように世界を震撼させた。ドローン兵器によるテロは、警察では為す術がなく、間もなく軍隊が投入された。だがテロはあちこちで断続的に起こり、アメリカ政府は対処に苦慮しているようだった。
そのテロの標的にはFM社も含まれていた。おそらく、テロリストたちはドローンを作ったのが誰かを理解していたのだろう。テロリストたちは、上坂が監禁されているビルにも襲撃をかけてきたのだ。
上坂はこれは使えると考えた。ドローンは彼が作ったものである。だからある程度の自由は利いた。どうにかしてこれをテロリストに渡して、この襲撃を成功させることは出来ないかと考え、彼は一か八かの賭けに出たのだ。
彼は混乱するビルの中で能力を発動させると、制止した時間の中で仕込みを行った。もはやバレることは前提でネットワークを乗っ取ると、利用できるありったけのドローン兵器をテロリストたちに向けて放った。もちろん、彼らを援護するためにである。
彼らはその動きに戸惑っていたようだが、すぐにドローンを奪うとそれを利用してビルへの襲撃を続行した。FM社の中は殆ど非戦闘員しかおらず、そこで行われたのは虐殺でしかなかったが、上坂はまったく同情する気になれなかった。
寧ろ、彼も死を覚悟した。テロリストたちは無差別に攻撃を仕掛けており、彼らを手助けしたのが上坂だとはまったく知らない。だからこの時、彼らに見つかっていたら、上坂はあっけなくこの世を去っていたことだろう。
しかし、彼は賭けに勝ったのだ。
ドローン兵器はFM社の社員を悉く撃ち殺したが、上坂のことは一切攻撃しなかった。そして残ったテロリストたちは、その後にやってきた米軍によって鎮圧されて……上坂は生存者として米軍に保護された。
アメリカ政府は、この時になって、初めて日本の少年が非人道的な手段で監禁されていたことを知ったらしい。その後、CIAは上坂を持て余し、その処遇をどうするか困っていたところ、ホープ党にせっつかれた日本政府から打診が来たようだ。米政府は上坂を返す代わりに汎用AIの技術を提供するという日本の提案に一も二もなく乗った。彼らにしてみれば棚からぼた餅に過ぎなかったのだ。
こうして、上坂は5年ぶりに日本に帰ってきた。だが、せっかく帰ってきた日本にはもう身寄りがなく、行き場所のない彼は紆余曲折の末に縦川の寺に預けられ……
そして現在に至るわけである。