まったく、ユーチューバー様々だぜ
「おいっ! 雲谷斎ってばよ」
「だから誰がうんこくさいだっつーの! いい加減、そのあだ名はやめてくれ」
競馬場からの帰りの電車の中で、縦川雲谷は男に呼びかけられた。高校時代から友人で、今は刑事をしている下柳という男だった。縦川が不愉快なあだ名を呼ぶ友人に眉を吊り上げて突っ込むと、同じ車両に乗り合わせていた乗客たちは、『うんこくさい』とは人のあだ名だったかとホッとした様子で、またそれぞれの世界に戻っていった。
縦川はニヤニヤとしながら寄ってくる下柳をムスッとした顔で迎えた。
「よう、大将奇遇だな。まさか同じ電車に乗ってるなんてな。どうしてこんなとこ居るんだよ? おまえんち、逆方向だったろ?」
「中山競馬場に行った帰りだよ」
「ああ~……そういや今日は日曜か。刑事なんかやってると、日付曜日の感覚が狂っちまって仕方ない。今日は何のレースだったんだ?」
「皐月賞だよ。クラシック」
「へえ、もうそんな季節か……にしても、わざわざ競馬場にまで足を運ぶなんて今どき珍しいよな。おまえ、高校の頃から好きだったもんな」
「まあな」
「で、どうだった? 儲かったのか?」
「……聞くなよ」
「はっはっは!!」
下柳は快活に笑うと、バンバンと縦川の背中を叩いた。縦川はゲホゲホとむせながら、迷惑そうに聞き返した。
「で? そういう下やんはどうしたんだよ。これから勤務……って感じじゃないよな」
「あれ? おまえ聞いてないの?」
「何を?」
「小一時間ほど前に、えっちゃんから電話があったんだよ。今日、久々に暇が出来たから会わないかって。おまえにも連絡するって言ってたけどなあ」
縦川は目をパチクリさせてから、自分のポケットの中のスマホを取り出してみた。どうやら交番でおまわりさんに泣きつく際に、電源を切ったままにしていたらしい。慌てて電源を入れてみれば、着信が何件も入っている。
彼は五厘刈りの後頭部をザリザリとかきむしりながら言った。
「あちゃ~……全然気がつかなかった。悪いことしちゃったな」
留守電のメッセージには、アキバに来いとだけ素っ気なく入っていた。縦川は下柳に尋ねた。
「秋葉原って言うと、シャノワール?」
「おうよ! おまえもいくだろう?」
「実はさあ……今日はもう金欠なんだよなあ」
「はははっ! なんだなんだ、競馬で帰りの電車賃まですっちまったのかい?」
彼が事情を説明すると、下柳は呆れた素振りで大げさに返事をしてから、
「金がないのはご愁傷様だが、でも安心しろよ。呼び出しておいてあれだからって、今日はえっちゃんが奢ってくれるって言ってたぞ」
「マジで? あの店だってそこそこするだろう」
「なんでもまたフォロワー数が増えたとかで、使い切れないほどお金が溜まってるんだとよ」
「はあ~、あやかりたいものだねえ……」
「まったく、ユーチューバー様々だぜ」
そんな具合に会話を続けていると、やがて電車は秋葉原へと到着した。二人は電車を降りると、昭和通り口を出て上野方面へと向かった。
えっちゃんこと鷹宮栄一は縦川と下柳の高校時代の友達だった。高校を卒業した後、三人は別々の進路に進んだが、社会人になってからも交流を続けている。
その彼と待ち合わせをしているシャノワールという店は、ビストロ・ル・シャ・ノワールというのが本来の名前で、その名の通り軽めの料理を出してくれるフレンチレストランである。
10年前、鷹宮が大学を卒業する時、既に社会人だった下柳がお祝いにと言って、なんとなく秋葉原にあった高そうな店に入ったのが切っ掛けで、それ以来、時折利用するようになった行きつけの店だった。
当時は店名も業態も違うドレスコードが厳しい本格フレンチの店だったのだが、あまり流行らなかったのか、隕石落下後、ビルの建て替えの際に店名と一緒に変えてしまった。以前は店の前を通っても、もうこの店に入ることはないだろうと思っていたが、ビストロになってから入りやすくなったので、最近ではちょくちょく一人でも来るようになっていた。
因みに、変わってしまったのは店だけではない。あの日、この店で将来の夢を語り合った三人もまた、だいぶ変わってしまった。
先程下柳がちらりと触れたとおり、鷹宮という男は現在ユーチューバーなんかをやっているが、そんな彼はストレートで東大に合格するような秀才で、大学卒業後は外務省に内定が決まっていたエリート中のエリートだった。父親も外務官僚で、母親は長年どこかの国の大使を努めた家系の出身であり、一家揃って外交官という凄い家柄である。
将来は約束されていたようなものだったのだが、ところが、人間というのはどこでどう転ぶか分からないもので、入省してすぐパワハラに遭った彼は1年後に体調を崩して入院し、出世コースから外れてしまう。そしてそれを厳格な父親が咎めたせいで、彼は精神的に追い詰められてしまい、ついには引きこもりになってしまうという重い過去があった。
当時の縦川は友人として父親に一言言ってやらねば気が済まんとばかりに、彼の家に乗り込んでいったものだが、いざ父親を前にすると彼の迫力に呑まれてしまい、まだ学生をしている自分ではと気が引けて何も言えなかった。元気づけようとしていた鷹宮にも会えずに、尻尾を巻いて逃げ帰ってしまった苦い思い出がある。
こういう家で引きこもりになってしまった鷹宮は、浮上する切っ掛けが中々掴めず、その後数年間を棒に振ることになった。ところが、こうして暗い引きこもり生活を続けていた彼の風向きが変わったのは、意外にも隕石落下が切っ掛けだったのである。
災害後、移民を受け入れて復興を始めた東京都であったが、まず真っ先に問題になったのは、その移民同士の意思疎通であった。何しろ世界各国からこの東京に集まってきたのだから、移民同士もみんなしゃべる言語がてんでバラバラだったのである。
このままでは復興事業に支障を来すと恐れた東京都は、そこで苦肉の策として、復興事業に従事する労働者全員にスマホを配った。そして翻訳アプリを使って、なんとかやってくれと丸投げしたのである。
非常に情けない対応だったが、ところがこれが上手くはまった。
例えばアフリカ人と一口に言ったって、よっぽど未開の部族でもなければ、彼らは普通にスマホを使いこなす。一般的な日本人同様、グーグルで検索し、ウィキペディアで調べ、アマゾンで買い物をするのだ。
翻訳アプリを使いこなす程度はお茶の子さいさいで、彼らは音声入力を駆使して簡単な意思疎通なら苦もなく行えた。この頃にはもう、翻訳アプリは実用レベルにまで達していて、文法の間違いを推論するような芸当も出来たから、下手したらバカな日本人同士の会話よりも、よっぽど知的な会話をすることが出来たのである。
これはひとえにインターネット上にある膨大なビッグデータと深層学習の賜であったが、人工知能の技術革新はこれだけにとどまらなかった。
移民同士のコミュニケーション問題を解決した東京都であったが、問題はそれだけではない。今度はその移民を管理したり、衣食住を提供したりするサービスを行うホワイトカラーの数が圧倒的に不足していたのだ。
事務員を雇おうにも、高等教育を受けた日本人はほとんど関西に逃げてしまっている。無理に呼び戻そうとすれば足元を見られコストがかかるし、だからと言って移民にそんなことやらせるわけにもいかないだろう。
そこで東京都はこれもAIによる自動化で解決することにした。ロボットなら不正を行う心配もないし、間違いが起きても対処しやすい。それに考えてもみれば、役所の仕事は大半が書式の整った書類を作るというルーチンワークで、こういった仕事は本来は機械が最も得意とするところであった。
そして実際にやらせてみたら、特に問題なくシステムは動き出してしまった。寧ろ人が介在しないお陰で仕事は段違いに早くなり、役所の窓口で待たされる人が居なくなってしまうほどだった。それに何より人件費がかからないのでいい事ずくめだ。
味をしめた東京都はこの経験を活かし、これ以降、人手が足りなくなったら、とりあえずなんでもまずは機械にやらせるようになっていった。診療所が不足したら、AIに問診をさせるように手配し、薬剤師の代わりに機械が処方箋を読んで調剤する。訴訟が起きても簡単なものなら過去の判例をAIに吟味させる。
電車の運転士が不足したら無人化し、タクシーや資材搬入のトラックなんかも自動運転に切り替えた。何しろ、破壊されたインフラが再整備されたばかりだから交通量が少なく、お陰で社会実験をせずともいきなりそういうことが出来たのである。
こうして機械化がどんどん社会に浸透していくと、人々の抵抗もほとんど無くなっていった。旧来のシステムは新しいものへと置き換わっていき、復興事業の開始当初、心配されていた人手不足は解決された。
そして技術は求められれば進化する。
AIはそれまでの目的に特化したものから、自律的に考え、様々な問題を解決するという、より人間らしい汎用AIへと進化していったのだ。
この汎用AIの登場が、一つの歴史的転換点となった。汎用AIは簡単な作業であるなら、命令されればすぐに学習出来るようになっていたから、例えば工場で行われる軽作業の殆どはこれに置き換わってしまったのだ。
復興のために東京近郊に新たに建てられた工場のほとんどは、これによって完全自動化され、例えばビルを作る建築材の殆どをロボットが作るようになった。
ロボットが工場で生産した資材を、無人のトラックが運んできて、現場の作業員が荷降ろしして組み立てるという、なんだか機械と人間が逆転してしまったような不思議な世界になっていったのである。
こうして東京都は復興のための圧倒的人材不足を解決することが出来たのであるが……
ところが、身に過ぎた果報は災いの基とでも言おうか、便利になった反面その裏では困ったことが起き始めてもいた。人材不足を解消するために、機械にどんどん人間の仕事をやらせていたら、今度は人間の仕事が無くなってしまったのである。
元々、移民労働者は復興のために受け入れたのだから、仕事がなくなったから帰れというわけにはいかない。かと言って、今更機械の代わりに彼らに仕事をさせるのは効率が悪いどころか害悪にしかならない。そして仕事が無ければ給料がもらえず、人は生きていけない。それが社会全体に蔓延してしまえば、経済は破綻して国が滅びてしまうだろう。
なんだか前世紀にカール・マルクスが予言した資本主義社会の終焉みたいな事態に陥ってしまったのだが……これに関してはそれこそ予言されていたからこそ、ある程度の対策は考えられていた。
東京都はこの事態に際し、代用通貨を発行した。これは日本円と同じように使えるが、使用は復興特区に限定される。機械のせいで仕事にあぶれた労働者は、失業手当としてこのトークンが支給され、そしてそれは新しい仕事が見つかるまでいつまででも保証される。もし働きたくないならそれならそれでいい。社会にお金が回らなくなることだけが困るから、とにかく使ってくれというわけである。
要はベーシックインカム(BI)を導入したのだ。
そんな財源どこにあるのかといえば、それこそ機械が人間の代わりに稼いでくれるので、何の心配もなかった。機械は電気がある限り疲れることを知らず24時間動き続け、給料を支払う必要もない。だがそれが作り出す製品は人が作り出すものと同じである。
例えば中国が、安価な中国人労働者を雇ってスマホを作ろうがテレビを作ろうが、タダで働く機械にはもちろん敵わない。おまけに一度生産ラインさえ作ってしまえば、生産量は人間の比ではなく、需要がある限り生産し続けることが可能だ。
そうなるとどんな企業であっても、人間の手が介在する限りは勝てる見込みがない。せいぜい貿易摩擦を盾に関税をかけるくらいだが、このグローバル社会で全てを締め出すことが不可能なことは、アメリカが何十年も前から証明してくれている。
結局、どの国かが完全機械化を成し遂げてしまえば、人間社会は全て機械化するしかないだろう。2029年の世界はその途上にあったのだ。
因みにBIの導入により、多くの労働者は働くことを辞めてしまったが、それでも働いていたほうがいろいろと得なので、全く誰も働かなくなったわけじゃない。
それにまだまだ機械では出来ない仕事もたくさん残されている。例えば、配送業のラスト1マイル問題、犯罪を取り締まる警察官、医者や弁護士……これは機械にもできそうだが、どうしても機械に任せたくないという人には需要があった。あとは僧侶などである。
さて、話を戻すが、今から約2年前、復興の過程でこうしてみんながみんな働かないでも良いという社会が実現したことで、引きこもりだった鷹宮栄一の生活に光が差した。
彼は、高い学費を払って十分な教育を受けさせてもらえたのに、自分の弱さがそれを台無しにしたと責められ、父親に強い負い目を感じていたのだが、それが無くなったのだ。
お陰で、それまでは部屋に引きこもって誰とも会わずに、家族が寝静まる深夜にこそこそ行動していたのだが、以前と同じように家族と食卓を囲めるまでに回復した。仮に両親に仕事しろと嫌味を言われたところで、「働いたら負けかなと思ってる」と堂々と言えるようになったからである。
そうして気楽になった彼は、時代の流れについていけず、未だにあくせく働く家族とは裏腹にどんどん活動的になっていった。
彼は、今までは東大に入り官僚になるのが人生の最大の目標だと思っていたが、まったく馬鹿げた目標だったと思うようになった。そんなことよりもたった一度きりの人生なのだから、自分のやりたいことをやったほうが良い。これからはどんどん、やりたいことにチャレンジしようと思った。
手始めに、彼は引きこもり時代にこっそり始めたオンラインゲームのゲーム実況をすることにした。親に対する罪悪感に駆られながらも、有り余る暇を潰すために始めたのだが、筋金入りのニートであった彼はなんやかんやでそのサーバーで最高レベルの集団、いわゆるランカーと呼ばれる集団に属していたので、ゲームの世界ではそれなりに有名だったのだ。
そして動画制作を始めると、元々東大に現役合格するような彼は凝り性で話題も豊富にあり、見るものを飽きさせない動画を作るようになっていった。おまけに真面目であったから毎日の投稿を欠かさずに、また新アイテムや大規模アップデートがあっても、すぐに彼なりの鋭い考察を披露して見せたから、またたく間にフォロワー数が増えていった。
そしてこの手のニッチなゲームの実況は、そこでトップにさえなれば、結局それをやってる全てのユーザーが見るようになり、放っておけば勝手にフォロワーが増えるようになっていく。そして更に、ある日突然そのゲームがブレイクしたお陰で、彼は期せずして日本でも有数のユーチューバーになってしまったのである。
人間、何がどう転ぶかわかったものじゃない。今では彼は、彼を苦しめた一家の稼ぎ頭となり、父親の倍以上の年収を稼ぐ億万長者の仲間入りをしていた。
数年後、元気を取り戻した彼は友人たちと再会し嘯いた。
「今ではあの時のパワハラ野郎に感謝しているくらいだよ」




