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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第二章・愛と嘘 - AI & Lie.
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ええ! 100万円も当てたんですか!?

 秋葉原。昭和通り口を出て、通り沿いを上野方面へ少し進んだ先のビルの中にある、フランス料理店ビストロ・ル・シャ・ノワール。その玄関先に賑やかな声が近づいてきた。


 レセプションの給仕アンリエットがいち早くそれに気づいて、にこやかな営業スマイルを浮かべながら出迎えにいくと、そこにはあの事件以来、およそ3ヶ月ぶりの縦川たちの姿があった。


「あ! いらっしゃいませ。縦川さん、下柳さん。お久しぶりです」


 久しぶりの常連客を出迎えて、満面に笑みを浮かべたアンリの姿は、10人いれば10人が見惚れてしまうくらい、完璧なものだった。ところが、やってきた客たちは、そんな彼女には見向きもせずに、なにやらごそごそやっている。


 若い男の三人組は、この店の客層の中では、それほど落ち着いた部類でも無かったが、それにしても今日は何故だかいつもよりも騒がしい感じがして、アンリは首を捻った。


「ささっ! 殿、こちらが我々の行きつけの店にござります」

「足元にお気をつけくだされ、間もなく店のものがやってまいりますので。パンパン! 誰ぞ! 誰ぞある!」

「おい、やめろよ、もうわかったから……恥ずかしいだろ」


 何をやってるんだ? こいつらは……


 アホな大人を見る目つきで、若干引き気味にそれを眺めていたら、その三人組がいつもの三人ではなくて、その中に自分のクラスメートが居ることに気づいて、アンリの100点満点の笑顔は、さっと崩れてしまったのだった。


「あ……なんだ。上坂じゃないの。そっか、縦川さんの知り合いだから、こういうことも有りうるのね……油断したわ」

「よう、委員長。終業式以来だな」

「久しぶり……でもないけど。出来れば同級生に働いてるとこは見られたくなかったわね。あんたも出禁にしとけば良かったわ」

「そりゃ悪かったな」


 上坂とアンリがそんな不穏な会話をしていると、大人二人がずずずいっと二人の間に割って入って、


「控えおろう、頭が高い! この御方をどなたと心得る」

「殿、市井のものが大変失礼いたしました。只今席までご案内させますゆえ……あ、アンリちゃん悪いんだけどもうちょっと丁寧に扱ってあげて」

「はあ……」

「おい、やめろよ。困ってるだろ」


 変なノリの二人を尻目に、アンリは職業倫理から営業スマイルを取り戻すと、にこやかに三人を席まで案内した。上坂はそんな彼女に申し訳なくて、肩身を狭くしながら着いていった。教室での彼女を知ってるから、明らかに上坂が来たことを嫌がってるのが分かるのだが、それを二人に全く感じさせないのは流石プロである。


「ええ! 100万円も当てたんですか!?」


 席に案内されると、いい加減に可哀相だと思ったのだろうか、縦川がどうしてこんなことになってるのか、掻い摘んで説明した。ビギナーズラックで100万円当てたことを知ると、アンリは今まで見たことのないキラキラした視線を上坂に向けてきた。男の価値を財布の重さで測るその様は、飢えた女豹のようである。


 縦川がにこにこしながら続けた。


「そうなんだよ。それでお祝いしなきゃなってなって、帰り道に寄ったんだ。もうじきラストオーダーだって分かってたけど、ごめんね」

「お祝いじゃなくってタカリだろ」


 上坂の抗議なんぞ誰も聞いちゃいなかった。彼の頭越しにアンリが続ける。


「いえいえ、時間内なんですから、そんなことお気になさらず、いつでも来てくださいよ。あ、なんなら店のメニュー全部持ってきましょうか」

「おいこら、それでGBは出禁になったんだろ。知ってるんだぞ」

「うるさいわね。そのピカチューのせいで、うちは今、閑古鳥なのよ」


 プリプリしながら彼女がそう言い放つ。言われてみれば、確かに店内は寂しいものだった。もう閉店間際だからだと思っていたが、どうやら元から客が少なかったらしい。ため息混じりにアンリが続ける。


「うちみたいな常連客で保ってるような店って、継続営業が途切れると、途端に客足が遠のくのよね」

「そういうものなのか」

「お店の被害は直せばいいかもだけど、お客様の一度途切れた習慣は、私たちがどうこう出来るわけじゃないからね」

「エティ」


 同級生の気楽さか、アンリが注文も取らずにそんな話を続けていたら、店の奥の方から声がかかった。彼女は、あ、ヤバイと言った感じの顔をしてから、ピンと背筋を伸ばして姿勢を正す。


 見れば、アンリと同じフロアの制服を来た背の高い女性が、申し訳無さそうな表情でペコリとお辞儀をしていた。怒られちゃうのかな? と思ったらしい縦川が慌てて弁解をする。


「すみません。我々が引き止めてしまったのが悪いんですよ。だから怒らないであげてください」


 すると女性は心外だと言った感じに、


「まあ、従業員にお気遣いありがとうございます。お客様がご不快でなければよろしいのですが」

「ええ、上坂くんと……こちらの彼と彼女が、同じ学校の同級生なもんで、つい話し込んでしまったんですよ」

「まあ、そうなんですか?」


 女性が目をパチクリさせていると、すかさずアンリが上坂の紹介をする。


「クロエさん。こちら上坂君です。私のクラスメートで、とても勉強が出来るので期末試験ではお世話になりました。その時のお礼をしていて、つい話し込んでしまって……」

「そうだったんですね。いつもうちのアンリエットがお世話になっております」

「え、あ、はい、まあ……」


 別に何の世話もしていないので返事に詰まったが、ここは流れに乗っておこうと上坂は頷いた。


 そのままなんとなく自己紹介する流れになって、上坂は縦川の家に厄介になってることを話し、代わりにアンリは女性の家で一緒に暮らしてることを知った。


 女性の名前はクロエと言った。実はこの店のオーナー兼マダムだそうである。縦川は、いつもフロアで見かけていたから、てっきりアンリの同僚だと思っていたそうだが、どうやらそうではなかったらしい。


 年の頃は40代前半のようにも見えるが、もしかしたらもう少し行ってるのかも知れない。年齢不詳のスリムな女性で、一見、日本人のように見えるが、クロエという名前や、少し褐色がかった肌に、よく見れば灰色の瞳からすると、どこかの国の混血なのだろう。


 シャノワールと言う店は、元々は彼女の夫でオーナーシェフの日本人男性が、10年以上前に作ったものだそうである。当時の秋葉原は、日本でも屈指の観光スポットとして外国人に大人気で、飲食店が急激に増えていた。


 その流行をあてにして本格フレンチレストランとして開業し、最初は外国人観光客相手にそこそこ儲かっていたのだが、やはり日本に来てまで何故フレンチなのかと、徐々に客足が遠のいてしまい、なんやかんやあって、今のビストロ形式に落ち着いたらしい。


 その後、オーナーシェフは腎臓の病気を患って入院し、そのまま他界。クロエが店を引き継いで現在に至るそうである。縦川たちが最初に来たのは、本格フレンチの経営が厳しくなっていた末期の頃で、若い新規の客が珍しかったので覚えが良かったのだそうだ。


 因みに、女主人(マダム)というのが何をやってるのかといえば、客の相手もそうであるが、一番重要なのは、その店の味を決める役割りなのだそうだ。素人からすると、料理のことは料理長(シェフ)が決めそうな気がするが、もしも雇われシェフが味を決めていて、その人が店を辞めてしまったら、店の味自体が変わってしまうから、それを避けるために、店の味はその店の責任者やオーナーが決めるものなのだそうだ。


 彼女の前のオーナーはシェフも勤めていたから、その日出す店の料理の味を決めた上に、料理の際も普通に味見をするから、とにかく一日中何かを食べていたらしい。日本人は民族的に淡白な味を好むから、そんなことをずっと続けていたせいで腎臓に負担がかかり、ある日ついにダウンしてしまったというわけだ。フレンチシェフと言う職業は、華やかそうに見えるが意外と過酷なようである。


 そんな話を交えながら注文を終えると、彼女は最後にお辞儀しながら、鷹宮のことを尋ねてきた。いつも三人一緒だったけど、今日はどうしたのか? と問われて、縦川たちの表情は曇った。


「……え? お亡くなりになった?」


 下柳が代表して、事件のことを伏せつつそのことを伝えると、アンリとクロエはお互いに目を見合わせてショックを受けていた。その困惑ぶりが少し大げさなように見えたから、どうしたのかと思っていたら、


「実は、あの事件の後、鷹宮さんが一度ここにいらしたことがありまして。店の修繕費と言って、多額の寄付を置いていってくださったんですよ」

「え? そうだったんですか」

「ええ。頂けませんと最初は断ったのですが、あの少年を挑発した自分も悪かったからと……こちらとしてはとても助かりましたし、それでありがたく頂戴したのですが」


 店が再開してから、ぜひ来てもらおうと、何度か電話してみたのだが繋がらなかったそうである。多分、その時にはもう鷹宮は死んでいて、あの家にいくら電話をかけても無駄だったのだろう。


 クロエは鷹宮の訃報を聞いて、落胆しながら続けた。


「鷹宮さんには生前ご贔屓にしていただいた上に、寄付までしていただいたというのに、とても残念でなりません……せめて彼のためにも、また店を盛り立てていきたいところですが、再開してからは見ての通りのがらんどうで、情けない限りですよ」


 そんなことは無いと言いたかったが、閉店間際とは言え縦川たち以外の客がもう帰ってしまった後では、慰めの言葉も言えなかった。


「やはり、一度客が離れちゃうと中々帰ってきてくれないんですかね」


 生前の鷹宮も言っていた。疲れたら休めと簡単に言うが、休暇はリスクでしかない。一度途切れた習慣は中々取り戻すことが出来ず、自分が放送を休んでいる間、リスナーは別の放送を見ているのだと。客商売もおんなじで、客からしてみれば、店の休業は他の店を開拓するチャンスでもあったわけだ。


 しかもシャノワールはあの一件以来、新規客の開拓も及び腰だったようで……


「もしかしたら、また変な客がこないように、少し敷居を上げたせいでしょうか」

「そうなんですか?」

「ええ、ドレスコードこそありませんが、店の雰囲気を少し落ち着いたものに変えて、今はクーポンや食レポサイトの記事も差し控えさせて頂いております。全面ガラス張りもやめにして、外から見えないようにしてしまったせいで、もしかして営業再開してないと思われてるのかも……」


 ため息をつくクロエの表情は深刻で、オーナーの苦悩を如実に表していた。縦川たちはなんとかしてやりたいと思ったが、常連客とは言え、ただの一般人の彼らに何かが出来るわけもない。


 そんな風にみんなが考え込んでいると、いつの間にか場が暗くなっていた。それに気づいたクロエがハッとした表情で手をパンパンと叩き、


「あら、いけません。お客様にこんなお顔をさせては店主失格ですね」

「俺達のことは気にしないでください」

「やっぱりそう簡単にやり方を変えてはいけないのかも知れませんね。以前と同じくらい店を明るくして、誰でも気楽に入ってこれるように戻そうかしら」


 そう言ってニコニコと笑うクロエの顔は、もういつもの営業スマイルに戻っていた。その誰もが笑顔になりそうな幸せな表情の裏側に、どんな苦悩が隠れてるのかと思うと胸が痛む。彼女らにこんな表情をさせることになったGBの所業は許せなかったが、今更彼を責めたところで仕方がないし、自分たちに出来ることは何か無いかと、縦川たちが考えていると……


「ピアノ……」


 と、それまで黙って縦川たちの会話を聞いていた上坂がポツリと呟いた。


 彼は店の隅っこに置いてあったグランドピアノを指さして、


「なんであんなところにピアノがあるんですか?」

「ああ、あれは、このお店を開業した時の名残です。元々、主人はこの店を生演奏を聴きながらディナーが楽しめるお店にしたくて、最初は楽団を呼んだりしていたんですよ」

「なんで演らなくなっちゃったんですか?」

「それはですね……実際にこういうお店をやってみたら、料理の良し悪しではなく、演奏の良し悪しで、店の評判が決まってしまったんですよ。口コミサイトの評判でも、音楽のことばかり書かれてしまって、肝心の料理の方はついでみたいに書かれてて。それは主人が意図していたものではなかったので、すぐに取りやめになりました」


 それを聞いて、上坂は呆れた感じに言った。


「それは、演奏家が下手くそだったんですよ。本物の演奏家なら、普通は自分が呼ばれた趣旨をよく考えて、場の空気を壊さずお客さんのために一生懸命演るもんです」

「……そうかも知れませんね。なんだか演奏も浮ついていて、店の雰囲気に合わないから、もっと落ち着いたものにしてくれませんかとお願いしたんですが……そういうのは最近流行らないからって言われて」

「なるほど……」


 上坂はその深く刻まれた眉間のシワを更に寄せて、難しそうな顔をして俯いていた。縦川は、そんな彼の姿を見て、数日前にお台場で見かけた少女のことを思い出し、


「上坂君は、そういう本物の演奏家ってのに会ったことがあるのかい?」


 探るように尋ねてみた。すると上坂は、一瞬だけちらりと縦川の方を見てから、またすぐに難しい表情に戻って、


「いや、ただなんとなくそう思っただけだ」


 そう言って沈黙してしまった。その姿は、ほとんど知ってると言ってるようなものだったが、今そのことを聞いても無駄だろうと思い、縦川はそれ以上追求しないでおくことにした。もしそれが出来るなら、彼はあの時、彼女に声をかけていただろう。


 その後、二言三言を交わし、オーダーを取ってクロエは去っていった。アンリはホッとした表情でペコリとお辞儀し、ごゆっくりと言い残して、玄関とフロアが見通せる位置へと戻っていった。


 店内にはもう客がなく、文字通り貸切状態だった。カウンター席から覗ける厨房も、今は全く活気がない。3ヶ月前に来たときとは、まるで別の店みたいだと思いながら、縦川と下柳の二人は乾杯してワイングラスを傾けた。


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