享年14歳
学校に通い始めてから数日後、上坂は意外と順応していた。
下柳という共通の知り合いが居るからか、上坂は不思議とGBに懐かれて、彼とクラスメートとのやり取りに巻き込まれている内に、なんだか彼の保護者みたいな立ち位置を確立していた。初日は無茶苦茶な連中だと思っていたが、慣れてくるとノリがいいだけの善人が多いようである。
アンリはそんな上坂たちを味噌っかすコンビと呼んで、なんやかんや良く世話を焼いてくれた。素は口が悪くてワイルドな性格のようだが、姉御肌とでも言おうか、委員長としての気配りが出来ていて、本当にクラスの尊敬を勝ち得ているようだった。縦川に聞いたところ、彼女はフランス料理店の女性給仕だそうだから、他人の機微を察するのに慣れているのだろう。
しかし、いくら味噌っかすと呼ばれても、上坂は学力に関しては高校生レベルではなく、最初の期末テストで高得点を叩き出して、クラスメートたちに驚かれた。GBが裏切り者と叫んでいたが、勝手に自分と同レベルだと思いこんでいる彼が悪い。
尤も、勉強が得意な半面、運動の方は苦手で、高校生の体力にはとてもじゃないがついていけそうもなかった。だが、上坂は頭の怪我があるお陰で、色々と免除されていたので別段困ることは無かった。GBが裏切り者と叫んでいたが、甘んじてそれを受け入れる。
そんな感じで友達(?)も出来て、最初の懸念など嘘のように無くなってしまい、新しい生活に馴染んで来た頃のことだった。
寺の生活は以前通りだったが、その頃の縦川はなんだかよそよそしく、どうしたんだろう? と思っていたら、ある日突然、お台場の慰霊祭に行こうと言い出した。
「実は、校長室で上坂君の事情を又聞きしちゃって……」
他人の詮索はしないと大見得を切った手前、聞かないでいるつもりだったが、申し訳ないと彼は謝った。そんなこと別に気にしなくてもいいのに、律儀なものである。
上坂は自分から言い出さなかったのは説明が難しかったからだし、聞かれたら普通に答えていたのだから、気にするなと返した。すると縦川はホッとした表情で、
「それで、災害から5年が経って節目でもあるし、あの日死んだ人たちの慰霊をするために、お台場の慰霊碑に坊さんが集まってお経を読むイベントがあるんだよ。うちの宗派からは、俺が参加することになったんで、よかったら一緒にいかないか?」
「良いよ。自分の慰霊に行くなんて、普通なら出来ない経験だ」
「やっぱり、慰霊碑に君の名前もあるのかな?」
「探してみないとわからないけど……実は日本に帰ってきてから、一度は見に行きたいと思ってたんだ」
そんなこんなで、7月も半ばに入って、夏休みまであと僅かという日曜日、縦川と上坂は二人連れ立ってお台場に向かった。いつもの中目黒の舟入場から船に乗って、天王州アイルでお台場に向かうフェリーに乗り換える。
昔はお台場には、りんかい線やゆりかもめが通っていて、一般人は北側から渡っていくのが普通だったが、今は船で南から行くようになっていた。お台場は復興が後回しにされ、今も更地のままほったらかされている。海岸線は言うに及ばず、内陸の方ですらまだ手付かずのところが残っているのだから、埋立地は後回しにされやすいのだ。
フェリー埠頭に横付けされた船から降りると、かつての国際展示場駅の方まで、舗装されただだっ広い道が続いていた。慰霊碑はそのすぐ近く、有明コロシアムがあった場所に建てられ、その周辺だけが緑が植えられて公園として整備されていた。そのお陰で、少しずつではあるが、観光客も戻ってきているようだった。
この日は慰霊祭というイベントもあり、お台場にはどこからともなく現れたテキ屋がたくさんのテントを並べており、まるで夏祭りみたいな騒ぎだった。それを不謹慎だと言う人も居たようだが、昔から盆踊りなんて風習もあるのだから、案外、こういうお祭り騒ぎの方が日本の慰霊祭として正しいのかも知れない。
式典まではまだ時間があったので、時間つぶしも兼ねて、二人は早速とばかりに慰霊碑を見に行った。そこに上坂の名前が無いか探すためだ。全部で数万にも上る人名の中から見つけるのは大変だろうと思ったが、50音順に並べられていたためあっさりとそれは見つかった。
『上坂一存 享年14歳』
名字をうえさかとも、名前をかずまさとも間違えられてはおらず、上坂一存のあるべき位置に、ちゃんとその名前は刻まれていた。
それを見た縦川が、思わず、
「はぁ~……本当に死人扱いなんだな」
と、他人が聞いたらギョッとするような感想を述べると、上坂も複雑そうに苦笑いしながら、
「後は葬式もやれば完璧だ」
と返した。
二人はそれっきり何を言っていいか分からなくなって、日本人特有のアルカイックスマイルのまま、慰霊碑の名前をぼんやりと見上げていた。
蝉しぐれがやけに耳障りに響いていた。それだけは復興前からずっと変わらない、夏の風物詩だった。
その後、式典のために袈裟に着替えた縦川と別れて、上坂は一人だけで有明埠頭の端をぷらぷらと散歩していた。
縦川と違って上坂は自分の名前を探すことだけが目的だったので、それが済んでしまったら手持ち無沙汰だったのだ。式典に興味が無いなら帰っていいと言われたが、それも薄情なので、仕事を終えるまでその辺に居ると、散歩しはじめたわけである。
それにもう一つだけ気になることがあった。慰霊碑の名前もそうであったが、あの日、自分が居た場所が今はどうなっているのか、自分の目で確かめても見たかったのだ。
因みに上坂はお台場に居たと縦川には言っていたが、正確にはその南側にある中央防波堤の海の森公園という場所だった。残念ながらこちらの方はお台場のように上陸することが出来ず、まだ遠くから眺めることしか出来なかった。それでも有明埠頭の端までくれば、すぐ目の前にあるのでその様子は窺えた。
当時はオリンピックのために作られたスタンドがあったりしたのだが、今はそれも吹き飛ばされてしまい、平べったい人工島の上に工事用の資材が並んでいるだけの殺風景な土地が広がっているだけだった。あの日、上坂が居た場所も、かつては緑が植えられた自然公園だったのだが、現在では土を退けられコンクリで埋め固められていて見る影もなかった。
上坂はその場に佇み、目の上に手を翳して何か見えないものかなと、その平べったい島影をいつまでも飽きることなく眺めていた。その姿があまりにも熱心だったからか、居合わせたカップルが釣られて双眼鏡で同じものを見ていた。上坂は自分も双眼鏡を持ってくれば良かったと後悔したが、肉眼でも何もないことは十分にわかったので、多分、もう二度とここに来ることは無いだろうと思いながら、背を向けて来た道を引き返した。
何かが見つかると期待していたわけではないが、何もないことが分かったらそれはそれで、彼は自分が落胆していることに気がついた。多分、次に現場を見に行くことがあったとしても、それはここではなく直接あちらの島に渡るときだろう。そしてその時もまたきっと何も見つからなくて、同じように落胆するんだろう。
あの日、置き忘れてきてしまったものを取り戻すまで、その落胆は続くはずだ。そしてそれは一生かかっても見つからない、死者の墓を荒らすような行為だった。
埠頭の先から元の場所まで戻って来ると、先程よりも人混みが増えているようだった。そろそろ式典が始まるから、それ目当ての人たちが海を渡ってきたのだろう。
小腹が空いていたのでたこ焼きの屋台で食料を調達し、食べながら式典会場の方へと向かう。さっきまで自分の名前を探していた慰霊碑は、人混みが凄くてもう近づけそうもない。さっさと用事を済ませて正解だったと思いながら、彼はそれを遠巻きに眺める位置で、壁に背を持たれながら熱々のたこ焼きを頬張った。
と、そんな時だった。
上坂の目の前を、何故か白黒のエプロンドレスを着た小柄な少女が通りすぎた。緑色のウィッグをつけて、それが太陽を反射してかなり目立つ。アニメから出てきたようなそのコスプレ姿は、かつては秋葉原とかに沢山いたらしいが、今どき珍しいなと思って目で追っていると……
「へぶしっ……!!」
どういう運動神経をしてるのか、突然、その子が何もないところですってんころりんと転がった。
「おーう……おおう、おう、おう」
顔面からゴチンとアスファルトにダイブしたらしい彼女が、鼻を抑えて涙目になっている。背丈は140センチくらいで、年の頃は小学校の高学年になったばかりと言ったところだろうか。
一人でこんなところに来るわけは無いし、親はどうしてるのだろうと思って暫く静観していたが、いくら待っても誰もやってくる気配は無かった。上坂はやれやれとため息を吐くと、残りのたこ焼きを頬張って、彼女へと近寄った。
「ん……」
彼は中腰になると、彼女に見えるようにぶっきらぼうに手を差し伸べた。すると突然差し伸べられた手に驚いて、少女がハッと顔をあげる。
二人の目と目が合った時、上坂は、おや? っと既視感のようなものを感じた。
彼女のことをどこかで見たことがあるような気がする。でもそんなはずはない。何かの見間違いだろう。でもどうしてこんな風に感じるんだ? と思った時、その理由に気がついた。
緑の髪にメイド服、なんてことはない、その有りがちなアニメキャラみたいな格好は、かつて自分が作り出したバーチャルYouTuber、ヒトミナナそのものなのだ。5年前のあの日まで、毎日のように話をしていた彼女の姿を、その少女から連想したのだろう。そう思って見てみると、なんとなくその少女がナナに似ているような気がしてくる。
でもそんなはずは無かった。何しろナナは永遠の17歳という設定で、目の前の少女とは年が離れすぎている。だからただのコスプレなのだけれど、なんとなく上坂はその少女から目が離せなかった。
「ありがとなのれす」
少女はパシッと上坂の手を取ると、グイッと全体重を乗せて起き上がろうとした。そのつもりで差し出したとは言え、突然の重みに思わずよろけそうになるところを、彼は懸命にこらえた。
なんかこの少女、見た目より重い気がするな……上坂は不思議な感覚に戸惑った。もちろん、そんなことを言ったら怒られそうだから黙っていたが、すると彼女は上坂の目をじっと見つめながら、
「もしや、あなたは神様れすか?」
突然おかしなことを言い出して、上坂は思わず吹き出した。
「そんなわけあるか。たかが転んだのを起こしたくらいで、大げさな」
「違うのれすか?」
「違うよ。神様はもっとこう、偉くてヒゲの生えた爺さんのことだろ」
「ふみゅ~……違うれすか。残念れす。神様じゃないならもうおまえは用済みれす。ではごきげんよう」
少女はそう言うと、頭をペコンと下げてから、何事もなかったように立ち去った。あまりの切り替えの早さには唖然としたが、別に礼が欲しくてやったわけでもないので、まあ、こんなものだろう。
変なのに絡まれちゃったなと思いながら、上坂が元の場所に戻りながら少女の姿を追っていると、また何も無いところでベチャッと転がっていた。三半規管がおかしいのか、頭がおかしいのだろうか、それともわざとなんだろうか?
見れば、哀れに思ったらしい通行人が、上坂と同じように彼女に手を差し伸べている。一言二言会話を交わしてる姿を見ると、彼のときと同じように、神がどうとか言ってるのだろうか。だとしたら、流石にちょっと奇妙すぎる。目的は何なのだろうか。このまま放っておいて良いものかと、彼が思案にくれてると……
そんな時だった。
「美夜っ!」
この人混みの中でもハッとするくらい、通りの良いソプラノが聞こえてきた。その心地よい声質に惹かれて、若い男性が何人も振り返った。
上坂もドキッとして、思わずその声の主に目を奪われた。しかし、彼の場合はその美声や、彼女自身の美しさに見惚れたわけではなかった。彼はただ、その声にどこか聞き覚えがあるような気がして仕方なかったのだ。
何だろう、この既視感は。
上坂はいつの間にか自分の心臓が早鐘を打っているのに気がついた。声の主を探して求めて目を走らせると、すると間もなく、さっきのメイド少女に向かって手を振っている黒尽くめの少女に行き当たった。
黒のスーツにタイトなスカート、襟元に輝く真珠のネックレス。ヘッドドレスから垂れ下がるベールに覆われていても、その美貌は隠しきれなかった。
その姿を見た瞬間、雷にでも撃たれたような衝撃が彼の全身を貫いた。脳みそが弛緩して上手く言葉にならない。その圧倒的な存在感と、胸から溢れ出てくる郷愁に、感情が押さえきれなくて今すぐ駆け出してしまいそうになった。
エイミーだ。
上坂は思った。間違いない、幼馴染のエイミーだ。
あの頃はお母さんの真似をして、きめの細かい髪を胸まで伸ばして金髪に染めていたが、今は元の美しくて真っ黒な髪をバッサリと切ってショートボブにしていた。背も手足もスラリと伸びていて、上坂よりも一つ年下で、小柄だった彼女の肩は、自分と並ぶんじゃないかってくらい大きくなっていた。
五年前の彼女はまだ子供で、あどけない顔をしていた。だから今の姿はほとんど別人だったし、懐かしいなんて思えないはずなのに、なのにひと目見た瞬間に彼女だと気がついて、どうしようもなく胸が苦しくなった。ああ、自分が死んでいた5年間、彼女はこうして生きて大きくなっていたのだ。その姿を見ているだけで目眩がするほど懐かしくて、そして5年という時間の長さを思い知った。
話しかけたい。でも話しかけられない。一体なんと言って声を掛ければいいのだろうか。さっき自分の目で確かめた通り、上坂は死んだことになっていて、5年間どこで何をしていたのかも話せないような、酷い人生を送っていた。それなのに、そんな自分が懐かしさのあまり彼女に声を掛けても、迷惑なだけなんじゃないか。困らせるだけなんじゃないか。
自分はもう過去の人間なのだ。この国に帰ってきたのは、単に余生を過ごすためみたいなもので、家族も頼れる親戚も戸籍すらない自分は、もう表舞台に戻るつもりは無いし、幼馴染の人生をかき乱すようなことはしたくない。
彼はそう結論すると、拳を握りしめて、ぐっと奥歯を噛み締めて、彼女から目を逸らして歩き出した。
死人は思い出の中にだけ存在してればいい。それが生者に対して、死者が出来る唯一の行為だ。
一方その頃……
縦川は本山の人たちや、他宗派の僧侶たちと打ち合わせを終えて、式典のために慰霊碑のある会場までやってきた。先程まではまばらだった会場は人で埋め尽くされており、慰霊碑にあげられた沢山の線香から、もうもうと煙が立ち上っている。
そんな白く煙る会場の中で、彼は慰霊碑から少し離れた壁に持たれるようにして、ぼんやり佇む上坂の姿を見つけた。式典には興味が無いから少し歩いてくると言って、さっきどこかへ行ってしまったのだが、手持ち無沙汰で戻ってきてしまったのだろう。
縦川はその姿を見つけると、
「おーい! 上坂君!」
袈裟を着た坊さんが数珠を振り回す姿を見て、一般客が目を丸くしているのもお構いなしに、彼は大声を上げて手を振った。
しかし上坂はそんな縦川の声に気づいていただろうに、一瞬だけちらりとこちらに目を向けたと思ったら、すぐに視線を逸らして逃げるようにどこかへ行ってしまった。シャイな彼が照れたのかな? と、縦川はポリポリと五厘刈りの後頭部を掻きむしっていると、ふと、誰かの視線を感じたような気がして、彼はそちらの方を向いた。
視線の主は、喪服を着た女の子だった。喪服を着た参加者なら、遺族とか他にいっぱいいたので、別になんとも思わなかったが、何故か目を引くその子から彼は目が離せなかった。
なんでだろう? 何が引っかかるんだ? それにしても凄く綺麗な子だな……と思った時に、彼はその正体に気がついた。
あれは多分、エイミー・ノエルじゃないか? 上坂が良く携帯プレイヤーで聴いている音楽の……
エイミーは縦川と目が合うと、さっと視線を逸らして、周りをキョロキョロし始めた。その姿は彼の視線から逃れたというよりも、お目当ての人とは違ったから、また目的の人を探して目を泳がせていると言った感じである。
縦川はその瞬間、ぱっと閃くものを感じた。
もしかして、彼女は上坂を探しているんじゃないか?
どうしよう。話しかけてみようか? 彼は悩んだが……結局、さっき上坂が逃げるようにこの場を去っていった姿を思い出して、勝手なことはしないようにと思いとどまってしまった。
式典は間もなく始まり、大勢の僧侶がお経を唱える中で、エイミーは時折思い出したかのように、周囲を見渡しているのだった。縦川はそんな彼女の姿を盗み見ながら、自分の選択は間違っちゃいないよなと自分に言い聞かせつつ、お経を読み続けていた。