ここが保健室、ここが体育倉庫、そしてここが校舎裏よ
興奮したアンリの暴走と、暴力に手慣れたクラスメートたちの連携で、あっという間に転がされたGBは泣きべそをかきながら床に這いつくばった。GBは確かに気色悪いかも知れないが、今は別に誰かに迷惑をかけたわけでもないのに、この仕打ちは酷かろう。
転校初日でいきなりこんな目に遭わされた彼に、上坂は少しばかり同情したが、さっきまで理不尽な暴力を振るっていたはずのクラスメートたちが、サイキックなんてなかなかやるじゃないかとちやほやしだすと、すぐにいつも通りの調子のいいセリフを吐き出したので、多分その必要はないのだろう。
GBは本名三千院光宙と言うらしい。なんだか華族みたいな名字と、壮大な雰囲気の名前であるが、実際のところ庶民の生まれだし、名前はピカチューが元ネタらしい。その件でからかわれて、またヒスを起こして暴走しては、クラスメートたちに子供扱いで制圧されていた。それにしても、よく暴走するやつである。
学校の連中はみんなこの手の騒ぎに慣れっこなようで、椅子が弾け飛ぼうが窓が砕け散ろうが慌てず騒がず、何事もなく淡々と後片付けを済ませると、どこからともなく用務員らしき男がやってきて、新しい窓をはめ直して去っていった。その切り替えの早さは見事の一言であるが、特に慣れたいとは思わなかった。
GBは恥をかくとパニックになりやすい性格で、そして能力の発動条件もズバリその『恥』らしかった。彼は恥ずかしいという気持ちで頭が一杯になると、周囲のネット家電を暴走させて、手当たり次第に破壊してしまうらしい。その現象自体は派手であるが、要するに泣いた子供がよくやるあれと考えれば、イメージもガラリと変わるだろう。実際、彼の能力は直接人に危害が加わることは滅多にないし、一旦落ち着かせてしまえばすぐ大人しくなるようだ。泣きつかれた子供みたいなものだった。
問題は、共感性羞恥でも発動してしまうそうで、誰かが怒られていたり、恥をかかされている場面を目撃するだけでも、彼は暴走してしまう危険性があった。この手の羞恥心は他人と自分の区別がちゃんとつけられれば克服できるものだが、見ての通り恥の多い人生を送ってきた彼にとっては難題である。彼は悪い意味で感受性が強く、他人に同情しやすいのだ。
だからだろうか、彼は秋葉原の事件後、美空学園からの再三の呼び出しにもかかわらず、それを拒否して逃げ回っていたそうだ。鈴木も言っていたが、超能力者はそれだけで犯罪者扱いされるわけではないから、学園も無理強いは出来ずに今まで放置していたようだが、この間の鷹宮の事件でたまたま下柳に見つかってから、警察にマークされるようになって仕方なく初登校したようである。
おそらく学校というものにあまりいい思い出がないのだろう。例えばいじめとか、いじめとか、多分いじめとか。もう人には関わりたくない、でもちょっとかまって欲しい、そんな気持ちが彼をユーチューバーに走らせ、持ち前の痛い性格が受けてそれなりに有名になっていたようだ。なんというか、話を聞いてみたら、まあ、頑張れという感じである。
そんなわけで、改めて鈴木が、GBは本物のサイキックで力が暴走しやすいから気をつけるように言うと、クラスの連中は素直にそれを承知していた。さっきまでのウェットな歓迎とは対象的で、サバサバした反応だったが、みんなそれぞれ事情を抱えているから、超能力なんてものがあっても気にならないといったところだろうか。
因みに上坂の方はといえば、クラスメートたちはまさか転入生が二人も同時にやってくるとは思っておらず、GBの件が一段落着いてようやく彼のことに気づいたらしく、もう興味が薄れていたからか、誰それ? といった感じの反応だった。ぞんざいに扱われるのは腹立たしいが、あまり目立ちたくなかったから、まあ良しとする。
その後、鈴木が上坂のことを軽く紹介し、頭に古傷があることを説明すると、何人かの顔が真っ青になっていた。本当にGBが居なかったら何が起こっていたのだろうか、上坂はここでやっていけるかどうか不安になった。
そんなこんなで、ホームルームが終わると一限目は、急遽鈴木による超能力に関する講義になった。クラスメートへのおさらいというよりは、自分の力をよくわかってないGBのための授業のようだ。その内容は先程廊下を歩いてるときにあらかた聞いてしまっていたので、上坂は教室の最後方に無理矢理置かれた自分の机で、あくびを噛み殺しながらそれを聞いていた。
超能力の正体はAIの誤作動で、ネット家電が引き起こしている。能力者はAI感応者なのだ。でも、どういう仕組みでそれが起きているかはまだ分からない。東京都は、超能力者を保護し、研究もしているが、その内容は包み隠さずみんなに話すから安心してくれと、そういった趣旨のものである。
ところで、さっきのGBの暴走だけでも、もう鈴木の話では説明がつかない現象がある。この学校は能力者がたくさんいるのだから、当然ネット家電やAI搭載機器を持ち込むことは避けているはずだ。実際、校内にはそれらしきものはなく、スマホの電源を切ってしまえば、ここは安全地帯のはずだった。
にもかかわらず、彼の能力が発動したのは何故だろうか?
それは最大の謎ではあるが、非常にシンプルな答えがあった。
何故、先程GBが能力を使えたか言えば、それは偶然たまたま不思議な事に、この近辺を飛んでいた警備会社のドローンが上空を通り過ぎたからなのだ。
そのドローンには汎用AIが搭載され、犯罪者に警告するためにスピーカーがついている。それが偶然、この上空を飛んでいて、たまたまGBの能力に作用した。それも数十台という単位で。まるでAIが予めここで起きることを予測して、自ら飛んで来たみたいに……
不思議なことに超能力者が力を使うと、毎回こういう現象が起きているのだ。
例えば他にも、能力者が触れても居ないのに人が吹っ飛ぶことがあるのだが、それはその人のスマホや身近なネット家電に、暗示によって条件反射で体が動くようなサブリミナルアプリが仕込まれているからなのだ。もちろん、そんなものが仕込まれていることに本人は気づいてないし、必ず暗示にかかるわけじゃない。しかも調べてみるとそのアプリは、実際に現象が起きる数日前から、長ければ一年も前から稼働しているのだ。
ただAIが誤作動するだけではない。これは超能力者がAI感応者だからといって、どうこう出来る類の話ではないだろう。だから何か仕組みがありそうなのだが、今の所、誰もこの理由を説明できなかった。当然、上坂もである。ところで……
ズバリ言ってしまうと、上坂は超能力者である。
だが、その事実を誰かに話したことはない。彼は、何故かは分からないが、嘘を吐くと時間が止まる能力者だった。それは他人の嘘を見抜くことでも起きてしまう。そして困ったことに時間が止まると、自分でそれを解除することが出来ないのだ。
彼が時間停止から脱するには、その切っ掛けとなった『嘘』を解決すること……嘘を嘘で無くしてしまうか、誰かの嘘を看破しなければならない。彼の能力はそんな特殊なものだった。
だから、このことを誰かに話してしまうと、最悪の場合、時間停止状態から抜け出すことが出来なくなる可能性があり、彼はそのことを話したがらなかったのだ。それに、ここ5年間、彼が置かれていた状況がそれを許さなかった。彼はずっと周囲が敵だらけの場所で暮らすことを余儀なくされていたのだから……
ともあれ、そんな能力、AIが引き起こしたなんて到底考えられないだろう。時間が止まっている間、上坂は自由に動き回れるし、物を動かしたり、パソコンを使ったりも出来る。AIやネット家電を使って、どうやってこんな能力が実現出来るだろうか?
ただ、そう思うと同時に一つだけ引っかかることがあった。彼はこのことについて考察していると、いつも同じ考えにたどり着いた。
もし、ナナが生きていたら、彼女はなんて答えただろうか……
人類を超えた彼女であれば、こんなことにはスラスラと答えることが出来ただろうし、もしかしたらこの現象をそっくりそのまま実現してみせたかも知れない。彼はそんなことを考えて、いつも虚しさに見舞われた。
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退屈な授業を終えて放課後、上坂とGBはアンリの案内で校内を回ることになった。彼女が学級委員長であることもそうだが、朝GBをからかったことで、担任の鈴木に注意された罰でもあった。
元を質せば店を破壊したGBが悪いと彼女は渋ったが、放課後になると大人しく彼らの面倒を見るために教室に残っていた。内申が悪くなると、外でアルバイトさせてもらえなくなるからだと言い訳していたが、なんやかんや委員長に任命されるくらいで、根は真面目なのだろう。
「ここが女子トイレよ。で、あっちが職員トイレ。どっちも入ると怒られるわ」
「あの、男子トイレの場所も教えてください」
「我慢できなければ漏らせばいいのよ」
「おいこら」
「そうそう、あそこが保健室よ。あんた、確か頭悪かったわよね。頭が悪いなら行くと良いわ」
「頭の怪我の調子が悪いと言ってくれ」
ただその爽やかな見た目とは裏腹に、彼女は同い年には割と容赦ない性格をしていた。もしかしたら生まれや育ちが悪いのかも知れない、どことなく蓮っ葉なところがある、リーダー気質と言えば聞こえは良いが、強引で有無を言わさぬ話し方をする少女であった。
GBはそんな彼女が苦手なのか、それとも過去のトラウマがあるからか、その態度にいちいちビクビクしていて、案内される間はずっと上坂の後ろに隠れるようにしていた。詳しい話はしてくれなかったが、どうやら金玉を蹴られて失神させられたことがあるらしい。上坂は彼女だけは怒らせないようにしようと心に誓った。
「ここが体育倉庫。彼女が出来たら連れ込むといいわ。マットがいい感じに柔らかくて、背中が痛くならないで済むはず。でも夏場は気をつけなさい、サウナになるから」
「あのさ、こんなところ案内されても困るだろ。もっと役に立つような普通の場所を案内してくれないか、食堂とか購買とか」
「まあ確かに、あんたら彼女なんて出来そうにないし、役に立ちそうにないわね」
「そういう意味じゃねえだろ!」
「そしてここが校舎裏よ。あんたらみたいのが連れ込まれるとしたら、寧ろこっちの方ね。教室への帰り方をよく覚えておきなさい。きっと役に立つから」
「おまえ、喧嘩売ってんだろ、そうなんだろ」
「いやねえ、親切心からに決まってるじゃない。あんた、見るからに生意気だから、ガラの悪い連中に絡まれそうだわ」
「そんな奴いるのかよ?」
「ここがどういう学校か忘れたの。どこまで堕ちても馬鹿が治らないようなのは、いくらでもいるわよ。って……ほら見なさい、先客が居るから」
アンリに言われて校舎裏を覗き込んでみると、校舎の影の暗がりに、複数の影が動いているのが見えた。体格のいい生徒5人が、中央の小柄な生徒と取り囲むようにして立っていた。仲良しグループにはどう見ても見えない。ひいき目に見て、カツアゲくらいだろうか……せめて暴力を振るわれなければいいがと思っていると、そんな甘い考えなど吹き飛ばされるくらい、あっけなくその小柄な生徒は殴られた。
上坂が眉を顰めていると、
「ああいうのもいるから気をつけてね」
アンリはサバサバした調子でそう言って、踵を返して校舎裏に背を向けた。驚いてGBが彼女を引き留めようと声を掛ける。
「た、助けたほうがいいのではないか?」
「じゃあ、あんたが助けたら? 待っててほしいなら待ってるけど」
そう言われてGBは言葉を失い、またおずおずと上坂の背中に引っ込んだ。GBはキレやすいが小心者であるらしい。結局、見なかったことにしようと言うと、上坂の背中をグイグイと押した。アンリはもう先を歩き始めている。
性格的にヤバイのは、どうやらアンリもGBも同類のようである。流石、特殊学級……いや、特殊な学校だと、上坂は頭痛がするような気分になりながら、彼らに促されるままに校舎裏を後にしようとした。
と……その時だった。
頭が痛い。と思っていた上坂の頭が、本当にズキズキと痛みだした。突然、刺すような鋭い痛みが走って、それから火で炙られているかのような、絶望的な痛みが体全体を襲ってくる。
なんだこれは……もしかして、能力が発動しようとしてるのか?
上坂はフラフラとして立ち止まると、その場にしゃがみこんだ。GBがそんな上坂の様子に気づいて、怪訝そうに振り返る。
「どうしたんだ? 転校生」
いや、おまえも転校生だろうと突っ込みたいのはやまやまだったが、そんな余裕もない上坂はふらつきながら周囲の様子を確認した。
校舎裏では先程のガラの悪そうな連中が、小柄な生徒をサンドバッグにしている。パチンパチンと人を叩く乾いた音と、意地の悪い笑い声と、時折小さな悲鳴のような声が混ざっていて、それを聞いているだけで気分が悪くなってきた。ボディブローを食らった小柄な生徒がくの字に崩折れて地面に転がると、周りの連中はサッカーボールみたいに蹴りを入れている。100%イジメの現場だ。ここに嘘は何一つない。
じゃあ、一体何に反応してるんだ? 上坂が必死になって考えを巡らしている間も、頭はガンガンと割れるように痛かった。脳みそが悲鳴を上げていて、考えが上手くまとまらない。これだから、この能力のことを誰かに話すわけにはいかないのだ。上坂は絶望的な気持ちになりながら、この頭痛の原因である『嘘』を見つけるため、周囲の様子を更に探ってみた。
「どうしたの? 酷い顔してるけど……」
酷いのは顔じゃなくて顔色だよなと突っ込みたいが、声が出てこなかった。上坂が視線だけで彼女の顔を見ると、アンリは少し心配げな表情をしていたが、先ほどとあまり変わらない様子だった。対してGBの方は顔面蒼白と言った感じで、上坂のことを同情的に見つめていた。だが、それはどちらかと言うと上坂のことを気にしているというよりは、ここにとどまっていたら、あの校舎裏の連中に絡まれるんじゃないかという心配の方が強そうだ。上坂を心配げに見る目が、時折チラチラと校舎裏の方に飛んでいる。
あ、これだな……と、上坂は思った。
きっと、GBは心情的にイジメの現場を見過ごすのが嫌なのだ。彼は出来れば助けたい。でも自分の力じゃどうしようもないから、自分に『嘘』を吐いて、ここから立ち去ろうとしていた。上坂はそれに反応したんじゃないか……?
ならば、この痛みから逃れる方法は一つ。あのイジメを止めればいい。上坂はそう思うと、フラフラしながら立ち上がり、校舎裏の方へと足を向けた。
「ちょっと、あんた! 何しようとしてるのよ。やめなさいって、あんなのに口を挟んだらただじゃ済まないわよ」
立ち上がった上坂が、校舎裏の方へ歩き出すのを見て、驚いてアンリは止めようとした。しかし、それが出来れば苦労がないと、上坂は彼女の手を振るだけの返事を返して、そのまま校舎裏へと躍り出た。
すると、小柄な生徒をイジメていた連中が、乱入してきた上坂に不快な視線を浴びせてきた。
「ああ? てめえ何見てんだよ? 黙ってねえで何か言えこら、ケツ穴に腕突っ込んで奥歯ガタガタ言わせんぞこら!」
上坂はのっけから飛び出るそのチンピラみたいなセリフに、臆することなくこう言った。
「やめろよ、そいつを放してやれ」
「ああ!? やめろだあ? 何正義ぶってんだ、てめえの意見なんざ聞いてねえんだよ。黙んねえと口パーンすっぞ、口パーン」
「おまえが何か言えと言ったんだろうが。いいからそいつを放してやれ」
上坂が再びそう言うと、校舎裏の連中がゲラゲラと笑いだした。どうやら、標的をあの小柄な生徒から、こっちに切り替えたようだった。上坂はズキズキする頭でその不快な笑い声を聞いていた。
男がニヤニヤとしながらこちらへ歩いてくる。体格は自分よりも二回りくらい大きい。筋張って見える二の腕は筋肉で覆われて硬そうだ。きっと、あれで殴られたらただじゃ済まないだろう。
だが、そうはならないだろう。そうなる前に、上坂の能力が発動する……
上坂は、猛烈な痛みに耐えながら、その瞬間を待っていた。しかし、その瞬間は、ついに訪れることは無かった。
「やめなさいよ」
その時だった。スッと、上坂の視界の真ん中に、アンリが躍り出て、相手の男と上坂の間に割って入った。
上坂よりも更に背の小さい彼女は、男の前に立ちはだかると、その顎の辺りをギロリと睨むように見上げた。体格差は大人と子供ほどもありそうだった。とてもじゃないが、相手になるはずがない。
だが、相手の男はまだ他にも誰かが出てくるとは思いもよらず、面食らってアンリの前で立ち止まる。
「なんだあ? おまえは……ちっ」
そして素っ頓狂な声を上げてから、面倒臭そうに舌打ちした。すると周りの連中が彼に向かってなにか言っている。
「おい、その女に手を出すと後が面倒だぞ。B組の連中が黙ってるとは思えない」
どうやらこの学校にも色んなヒエラルキーがあるようだ。男は苛立たしげに、
「わかってるよ! ちっ……B組の委員長様が、何の用だ? 他のやつらはああ言ってるが、事と次第じゃただじゃ済まないぞ。俺にもメンツがあるからな」
するとアンリは平然とこう言ってのけた。
「別に、あんたのメンツを潰すつもりなんてないわよ。ただね、この男は頭が悪いのよ。だから、あんたに殴られたら死んじゃうかも知れないから、先にそのことを教えておかなきゃなって」
アンリのそのセリフが面白かったのか、男たちはゲラゲラと笑いだした。しかし彼女はまったく表情を変えることなく、冷徹な視線で男を見上げながら、
「冗談で言ってるんじゃないのよ。こいつは本当に頭が悪い。一発でも入れちゃったら、そのままお陀仏ってくらいに、酷い大怪我を負ってるの」
「……なんだと?」
「だから、殴るんなら相当気をつけないと、あんたら殺人犯になりかねないわ。でもまあ、その覚悟があるってんなら、止めないからその男を殴りなさい。私はそいつが死体になるのをここで見てるから」
アンリが殺伐としたセリフを吐くと、男たちは全員凍りついた。多分、彼女が嘘を吐いていると思っているのだろう、表情は薄ら笑いが張り付いていたが、それでも何故か無視できない迫力が彼女にはあった。
気が強い女だとは思っていたが、一言二言で、これだけの大人数を止めてしまうとは、大したもんだと思っていると、その大した御仁がじろりと上坂のことを睨みつけてきた。最初は何を怒ってるんだろうかと思ったが、すぐに察しがついた。彼が自分の髪をかきあげて、昔負った傷を男たちに見せると、
「ちっ……くそが。今日のところは見逃してやんよ」
グロテスクなその傷跡を見て、男たちは顔を青くすると、白けた調子でそう言い捨ててから、その場を去って行った。三下の捨て台詞みたいだったが、彼女の言う通り、殺人犯にまではなりたくなかったのだろう。担任の鈴木の言葉を思い出す。みんないい子、みんな被害者。まったく、素敵なセリフである。
上坂がそんな風に皮肉に思っていると、不良たちを退けたアンリが近づいてきて、じっと彼の目を覗き込んだ。何か嫌味を言われるのだろうか……一瞬そう思ったが、彼女の瞳は純粋に彼を気遣っているように見えた。
「あんた、大丈夫? 凄い汗、びっしょりよ?」
「え……? ああ、大丈夫だ。ありがとよ」
言われて自分が汗だくになっていることに気がついた。さっきまで必死に痛みに耐えていた反動だろう。その頭の痛みはもう感じられない。多分、能力を発動することなく、問題を解決してしまったからだろう。これはこれで良かったと上坂は思った。
二人がそんなやり取りをしていると、さっきまで不良生徒にサンドバッグにされていた小柄な生徒が、おずおずと近づいてきて頭を下げた。
「あ、あの、助けてくれてありがとうございます。俺、あの人たちに逆らえなくって……あ、俺、日下部って言います」
小柄な体格通り、童顔でまるで女の子みたいな青年だった。その見た目も、小動物みたいにせわしなく動く様も、見る者が見るとイジメたくなるのだろう。多分、そんな下らない理由で殴られてたんじゃないか。
上坂は制服の袖で、額の汗を拭うと、その青年に向かってぶっきらぼうに言った。
「別に、お前を助けたつもりはないから。礼ならそいつに言っとけよ」
実際、彼は自分の頭痛の種を取り除こうとしただけだった。しかも助けたのは自分というよりもアンリの機転だ。礼を言われた彼はバツが悪くなって、プイッと背中を向けてその場を後にした。
「あ、ちょっと、あんた待ちなさいよ。いい? あいつの言う通り、助けたのはこの私よ? 礼を言うなら私にしなさい。そうね、明日あたり購買のプリンが食べたいわ。昼休みに入ってだいたい30分くらいしたら食べたくなるに違いないわ」
助けた青年に恩着せがましいセリフを吐いているアンリの声を背後に聞いて、やれやれと思いながら上坂は校舎裏の端まで戻ってきた。あれじゃ殆どカツアゲだ。まあ、嫌な野郎に殴られるよりもよっぽどマシかも知れないが。そんなことを考えつつ周囲を見渡すと、彼はGBが居ないことに気がついて、
「おい、GBはどうしたんだ?」
まだ青年相手にあれこれと自分勝手なことをくっちゃべってるアンリに向かって尋ねると、彼女はぽんと手を叩いてから、
「いっけない! あいつに先生呼びに行かせてたんだった。追いかけたらまだ間に合うかも知れない。大事になる前に止めましょう」
彼女をそう言ってから、上坂の背中をバチンと叩いて、一目散に校舎に向かって駆け出していった。背中の中央の手が届かない場所がヒリヒリと痛む。中々頼りになる委員長だなと思いながら、彼はその後に続いた。




