こいつ、サイキックかっ!?
始業前、3年B組の生徒たちが集まって他愛のない世間話をしていると、クラス委員長のアンリエットが息せき切って駆け込んできた。
いつも予鈴よりも前に教室にやってきて、教卓に飾られている花に水やりをしたり、教室の後ろの方に置かれているメダカの水槽の世話をしている担任の鈴木が今日は中々やってこないから、彼女を偵察にやったのだ。教卓を漁るとクラス名簿に見知らぬ名前があって、もしかしたら転校生かも知れないと思ったのだ。
教室に飛び込んでくるその様子を見て、やっぱり転校生だったかと確信するクラスメイトに向かって、アンリは意気揚々と、
「みんな! 予想通り生意気な新入りがやってきたわよ、鈴木と一緒にもうじき来るから、ここは入念に、慎重に、きめ細かに、細心をはらって、思う存分可愛がってあげましょう! トラウマになるくらいに!」
先程、上坂に言っていたのと真逆のことを宣った。クラスメイトたちはその様子を見て、いつもの彼女とはちょっと違うと感じた。
「どうしたんだ委員長。無論、可愛がるのは吝かでないが、狡猾と謳われた君らしくない慌てぶりじゃないか」
「それが、びっくりしたんだけどさあ。そいつ、私がお世話になってる人の知人らしいのよ。さっきその人によろしくされちゃった。だから優しくしてあげて」
「なんだと!? そうと知ったら丹念にここのルールを教えてやらねばならんな。初日から登校拒否になるくらいに。恐怖で眠れなくなるくらいに」
「そうしようそうしよう」「祭りじゃ祭りじゃ」「サバトじゃサバトじゃ」「んで、どうすんの? どう洗礼を受けてもらうんだ?」「入ってきたら必要以上に盛り上げてやろうか? 修造みたいに熱く」「自己紹介やってる間中、無言で写メ撮りまくろうぜ。フラッシュ焚いて」「机並べてステージ作って、プロレスやろうぜ」「女子が一斉に告白するのはどうか」「いや、生き別れの兄弟が10人単位で名乗り出るのはどうだ?」「いや、いっそガン無視で」
「「「それだっっっ!!!」」」
方針が決まると3-Bの生徒たちは、それぞれの席に戻って机と椅子を教卓とは逆向きにひっくり返し、ピンと背筋を伸ばして行儀よく座った。教室の後ろでは、鈴木がいつも世話しているメダカが泳いでいた。心なしかいつもより元気なく見えるのは何故だろう。もしや誰も代わりに餌をやってないのだろうかと思っていると、廊下から複数人の足音が近づいてきた。
ガラガラっと教室の扉が開くと、
「うわっ、な、なんですかこれ。みなさん何やってるんです?」
入った瞬間、いつもとは違う光景が目に飛び込んできた鈴木が素っ頓狂な声を上げた。ここまでは計画通り。生徒たちは上半身を動かさずに目配せし合うと、心の中でガッツポーズを決めた。あとは転校生がプレッシャーで泣いてしまうくらい、このガン無視を続ければミッションクリアーだが、残念なことにこの格好だとその様子が見れない。
生徒たちはしまったなー……と思いながらも、始めてしまった手前、もう後には引けずそのままじっと座っていると、
「ぬわ~! な、な、な、なんだこれはっ! こ、こいつら、もしかして俺を馬鹿にするつもりなの!? この、超有名超人気タレントの俺様がわざわざこんな場所まで足を運んでやったと言うのに、なんて失礼な奴らなんだ! これだから素人は。担任よ。俺はもう帰る! 帰るぞ! だから初めからこんなところ来たくないって言ってたんだっ! くそっ! くそっ! シット!」
鈴木の後にやってきた転校生らしき声が、実に良いリアクションで騒ぎ立てた。その内容は不遜であり、自分を一体何様と思ってるのかと言った感じである。これにはカワイガリに多少の罪悪感を持っていた生徒も、大分気が楽になった。
それにしてもこんな変なことを宣うような男は、一体どんなやつなんだろう……返って興味が湧いてきた。生徒たちは、後ろを振り返りたくてウズウズしていると、そんな彼らよりももっと振り返りたい欲求に駆られていたアンリが、ついに耐えきれずに一人こっそりと教卓を盗み見てしまった。
何故って、この人をイライラさせるようなセリフは、さっきの男らしくないからだ。上坂はもっと淡々としてクールな感じの男だった。こんなバカっぽいセリフが出てくるような感じじゃなかった。それに、よくよく聞いてみればその声も、さっきより甲高い感じがする。おまけに、何故かどこかで聞いたことがあるような気がするから、わけがわからない。
どうして聞き覚えがあるんだろう……? と、半ばパニックになりながらアンリが振り返ると、教卓の横には確かに、彼女が見たことがある男が立っていた。
「あああああーーーーっ!!! あんたは……あんたはぁぁぁーーーっっ!!」
その姿を見つけるや否や、アンリは突然大声を発し、机と椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。ガタガタと椅子が倒れて周囲の生徒たちがビクついた。普段の彼女らしからぬ慌てぶりや、その声の大きさにも驚いたが、それよりなにより、生徒たちは言い出しっぺが真っ先にガン無視の誓いを破ったことに腹を立て、彼女のことを非難した。
「ちょっ……! 委員長」「おいおい、生き別れの兄妹パティーンか」「お前が言い出したのに、真っ先にルールを破るんじゃないよ」「これじゃ新入りの教育に悪いじゃないか」
「え? あ、ごめん。いや、だって……ほら、あいつ、あいつは……!」
アワアワと泡を食った感じで両手をばたつかせながら、アンリは教卓の横に立つ男を指さして、なにやら訴えかけようとしている。何をそんなに驚いてるのかと、仕方なく生徒たちが彼女の指差す方を見てみると、
「むむむ、さっきから何なのだおまえらは……いや、そうか! さてはおまえらは俺をコケにしようとしていたのだが、この有名人たる俺の声を聞いただけで俺が誰だか分かってしまった女生徒が、たまらず立ち上がってしまったのだな。何しろ俺は超有名ユーチューバー! 70万フォロワーを抱える大人気チャンネルのパーソナリティ! 誰がが呼んだかジーニアスボーイ!!」
ジーニアスボーイは自分で自分を抱きしめるポーズをしながら、得意満面でバチンとウインクをしてみせた。そのおぞましい姿に、生徒たちは怖気が走ると身震いしながら目を伏せた。
「おやおや? どうしたんだい、みんな。もしかして照れちゃったかな。有名人を直で見れるなんて中々ない経験だもんな」
「気色悪い動きすんな。つーか、有名有名連呼してるが、俺はお前なんか知らんぞ? 他のみんなもそうだろ?」
堪らずクラスのリーダー格の生徒が言うと、他のみんなもそうだそうだと呼応する。驚いたGBが焦りながら、
「え? うそ? 知らない……? 70万フォロワーのこの俺を」
「知らねえよ。この世に何億人が生きてると思ってるんだ。70万って言っても、せいぜい1万人に1人が知ってる程度だぞ」
それも多分、痛いもの見たさに好奇心で登録してる人が殆どだろう。多分、きっと、間違いない。生徒たちが憐れむような視線を浴びせると、
「そ、そんなはずは……だって、あの女生徒は俺のことを知っていたじゃないか」
少しトーンダウンしたGBは、半泣きになりながらアンリのことを指さした。当の本人はまだ口をパクパクさせて固まっている。それを見た担任の鈴木が、
「おや、委員長さん。三千院君ともお知り合いで? あなたは本当に顔が広いですねえ……先生ちょっと驚きです。どこで知り合ったんですか?」
その言葉にようやく我に返ったと言った感じで、アンリはゴクリとつばを飲み込むと、一転してギラリと鋭い視線をGBに向けた。その迫力にGBが気圧され、どうしてこんな怖い目で睨まれるんだと思っていると、
「ここで会ったが百年目……あんたのせいで、うちの店は……うちの店はああ~……」
「え? え? なに?」
「あれ以来、全然客が戻ってこなくて経営ピンチなのよ! どうしてくれんの、こんちきしょー!!」
「ふぁっ!? 一体全体何のことで?」
「この顔に見覚えがないとは言わせないわよ……いいえ、もし覚えてないってんなら、体に思い出させてやるだけだわ」
「な、なにを言って……? うぬわ?! さては貴様はっっ!! あの時の暴力店員!?」
「誰が暴力店員よっ! ふざけんじゃないわよ。あのときはお店だから躊躇したけど、今は逃したことを後悔してるわ。今度こそあんたのDNAを根絶してやるっ!!」
「ひゃーっ!! やめてやめてっ!!」
アンリが飛びかかっていくと、何でか分からないが取り敢えず乱闘が始まったとばかりに、クラスメートたちは手慣れた様子で机と椅子を周囲にどけた。
「あ、こら、放しなさいっ!」
クラス担任の鈴木が間に入って止めようとするが、そうはさせじと誰かが飛んできて、すかさず彼を羽交い締めにした。その流れるような動きに、恐れを成したGBが脱兎のごとく逃げ出そうとするが、時既に遅く、そこはもはやアンリの間合いであった。
「おらおらおら!」
キンキンキンキンキンキン!
「守ってばっかりじゃ終わらないわよ!」
キンキンキンキンキンキン!
「やめてっ! 金玉蹴らないでっ!」
堪らずGBは飛び退いて距離を取った。その様子がおかしくて、クラスメートたちが笑い声を上げる。すると馬鹿にされたと思った彼は、顔を真っ赤にして突然奇声を発すると……
「ちっ、ちくしょうっ! ばばば、馬鹿にしやがって、ここここのこのこのーっ!」
GBがめくらめっぽう手を振り回して大声を上げると、突然、周囲の机や椅子がガタガタと揺れだした。すわ地震か? と一瞬驚いた生徒たちだったが、ここはメガフロートの上である。明らかに様子が違う揺れ方に、
「あっ! こいつ、サイキックかっ!?」
その声に呼応して、机や椅子がまるでダンスでも踊っているかのようにぐわんぐわんと揺れだした。教室の窓という窓がパリンパリンと、サッシを残して跡形もなく砕け散る。
「こいつは、やべー! 取り押さえろっ!!」
しかし、普通なら驚いてその場に固まってしまいそうなその現象も、この学校の生徒達は慣れっこの様子で、難なく暴れるGBを取り押さえると、四方八方から次々と生徒たちが飛び乗っていって、あっという間に人間サンドイッチが出来上がった。
「きゅ~……」
下敷きになった哀れなGBが目を回す。
と、同時にさっきまでの怪現象がピタリと止んだ。
彼の力が暴走して、多分、よそのクラスの窓も割ってしまったのだろう。なんだなんだ? と言った感じで、廊下に他クラスの生徒たちが顔を覗かせた。
上坂は一人取り残された廊下の隅っこで、その視線に耐えながら、教室の中でオロオロとしている鈴木に向かって言った。
「あの、そろそろ入ってもいいですか。それとも、もう帰ってもいいですか」
いくら待っても返事は返ってこなかった。