どうして君がここにいるの
水上バスの速度が落ちてくると、やがて前方に蜃気楼みたいな街が見えてきた。美空島学園都市はメガフロートという平べったい土地の上に、建物が林立するという構造をしていたために、海上から見るとまるで海からニョキッとビルが突き出しているような、そんな不思議な印象を受けた。
水上バスはぐるりとそのメガフロートを迂回して、都心とは反対側の多摩川河口へと向かうのだが、それがなかなか到着しない。美空島は空港を再建するつもりで作られたから、旧羽田空港そのままの面積があり、そのあまりの広さに感嘆のため息が勝手に漏れてきた。これだけの広さの埋立地が隕石落下時に蒸発してしまったというから驚きだ。
バスターミナルに降り立ちその広大な敷地に足を踏み入れると、同じく陸地の方からやってきたばかりの普通のバスからも、たくさんの制服達が溢れ出し、みんなそれぞれの学校へと楽しげに散らばっていった。
現在の美空島は、隕石落下の時に失われた東京沿岸部にあった高校と大学が、統廃合を経て13校ほど存在しており、学生の総数は軽く1万人を超えるそうである。すぐ近くの再開発地区では、現在急ピッチでタワーマンションが建設されており、そこから通ってくる学生も大勢いるようだった。
上坂が通うことになる美空学園はそのうちの最古参の一つで、当初はいわゆる超能力者を隔離するための施設として創立されたが、現在では幅広い少年犯罪者などの更生施設になっていた。
学園の敷地はこの広大な学園都市の端っこに位置し、その近辺までやってくると途端に人影がまばらになった。人波から外れて、そっちへ向かおうとする縦川たちの姿を、学生たちがチラチラと横目で追いかけている。やはりそういう目で見られてしまうのだろうか。視線に耐えつつ、殺風景で人工的な並木道を更に歩いていくと、やがて外壁が他の学校よりも明らかに高い、無機質で白い門が見えてきた。
刑務所みたいなそのごついゲートを潜り、屈強な守衛の詰め所の横を抜けて構内に入ると、中は一転してのどかな雰囲気で、どことなく郊外の大学キャンパスみたいな感じであった。
運動場には陸上用のラバーのトラックとその真ん中に芝のサッカー場兼テニスコートがあり、更にその横には野球場が併設されている。このまま大会が出来そうなくらい、非常に贅沢な作りになっていた。
そんな運動場の脇を石畳の舗装路が本校舎まで伸びていて、両脇に添えられているベンチには、まだ始業前の生徒たちが騒がしく屯しており、前を通り過ぎていく縦川と上坂を物珍しそうに眺めていた。
一見するとよくある学校の風景であったが、実際にはアメリカンスクールにでも迷い込んだかのような違和感があった。さっきまで校外を歩いていたときには気づかなかったが、他の学校は日本人だらけなのに対して、この学園の生徒は人種が多様なのだ。
パッと見ただけでも黒人と白人、黄色人種ならアラブ人やインド人、東南アジア系におそらく南米系の感じの者もいる。大半は日本人のようだが、生徒たちの会話の声を拾ってみると、大陸の独特なイントネーションが聞こえてくるから、中国人や韓国人なんかも混じっているのだろう。
おそらく、他の学校は元からあった日本の学校をそのまま移設したのに対し、この学園は新設だったから、今の東京の人種構成がそのまま出ているのだろう。こうしてみてみると、本当に東京は国際色豊かな街になったものだと痛感させられる。縦川はそんな風景を面白そうに眺めながら、職員室のある本校舎へと歩いていった。
外の様子が凄かったから多少期待していたものの、本校舎は普通の建物で面白味の欠けるものだった。なんというか、本当にどこにでもある公立中学校みたいな感じで、あのグラウンドと比較すると、がっかりな印象を拭えない。
元々少年の更生を目的としていたから、学業より体育の方に力を入れているのだろうか。どちらかといえば、あまり体育は得意そうでない上坂がやっていけるのか、少々不安になった。まあ、本人はどっちにしろ最初からやる気はなかったようだが。
昇降口で来客用のスリッパに履き替え、英語と中国語とその他どこの言語かも分からない大量の文字が刻まれた案内板を頼りに、職員室へと向かった。
途中ですれ違った教師が気を利かせて案内してくれたお陰で、目的地へとスムーズにたどり着いた二人が職員室内へ入っていくと、彼らがやってくるのを待っていたらしき教師が目ざとく見つけて駆け寄ってきた。
「おはようございます。今日転入してきた上坂一存君ですね?」
爽やかそうな笑顔が好印象な、若い男性の教師だった。更生施設と聞いていたから、もっと怖い教師が出てくると思っていたので、ホッとする。
「ええ、はい。彼です。よろしくおねがいします」
あまり保護者面したくなかったから黙っていたら、当の本人がガン無視していたので、仕方なく縦川が愛想笑いしながら答えた。元々、コミュ力はあまり高くない上に、学校に行きたくない様子だったから、このスタンスでずっと通すつもりなのだろうか。そういえば、つい最近までアメリカで拘束されていたそうだが、そのときはどうしていたのだろうか?
もしかして、上坂が学校に行きたがらなかったのは、それが原因なのかなと考えていると……その様子を見ていたやけに体格のいい別の教師が、不愉快そうな表情を隠そうともせずに割り込んできて、
「おい、おまえは口も聞けないのか! 挨拶もまともに出来ないんじゃ幼稚園児にも劣るぞ、バカ野郎が」
こんな耳元で大声出さなくても聞こえるよと言いたくなるような声で、苛立たしげに注意をした。慌てて最初の教師が間に割って入る。
「まあまあ、外田先生、彼も初日で緊張しているでしょうから……えーっと、ご挨拶が遅れましたね。私はこれから彼の担任を務めることになります、鈴木です。担当教科は数学です。こちらは外田先生、生活指導員をしていらっしゃいます」
「こりゃどうもご丁寧に」
上坂はどうも早速生活指導に目をつけられてしまったらしい。縦川は引きつった笑みを浮かべつつ、二人にペコペコとお辞儀した。これで穏便に済ましてくれればいいのだが多分無理だろう。上坂の方は相変わらずいつものフラットな表情で微動だにしていない。
その態度がよっぽど気に食わなかったのだろう。生活指導員が眉を吊り上げて彼へと威圧的に近づいていく。
「おい、おまえ! 担任の先生が挨拶してらっしゃるのに、なんだその態度は! それにさっきから気になってたが、その髪の毛の色はなんだ! ガキがいっちょ前に色気づきおって、この野郎っ! お前みたいな腐ったみかんが周りを腐らせるんだ。俺が叩き直してやるっ!!」
顔を真っ赤にして外田は怒鳴り散らすと、腕を振り上げて上坂を威嚇した。一応とは言え保護者が目の前にいるのに、この20世紀みたいなノリについていけず、一瞬対応が遅れた鈴木が慌てて止めに入ろうとする。
ところが、彼がそうするよりも早く、さっきまでピクリともしなかった上坂が、びっくりするほどものすごいスピードで、外田の振り下ろそうとする拳から飛び退いた。
そしてまるで殺されるとでも言いたげな、信じられない表情で彼のことを見上げている。手を上げた本人も困惑するような劇的な反応が、よほど心外だったのか、
「き、きさまー! 教師の言うことが聞けないのかーっ!」
体罰教師のレッテルを貼られたとでも思ったのか、いよいよ怒り心頭と言った感じで外田が怒鳴り散らすと、職員室内に残っていた教師たちも何が起きたのかと振り返り、辺りはしんと静まり返ってしまった。
他の教師たちはすぐに外田が激昂していることに気づいたようだが、だからといって止めに入ろうとはせずに、黙ってことの成り行きを見守っている。
縦川は流石にこれはまずかろうと、鈴木と一緒に生活指導員を押し留めた。しかし未だ腹の虫の居所が悪い外田は、二人を振り払うように腕をバタバタやっていた。
「上坂君! 謝って、謝って」
こうなっては仕方ないとばかりに、縦川は取り敢えず謝っておけと上坂に言った。流石にそこで嫌がるほど意固地では無いだろうから、すぐそうすると思ったのだが、ところが上坂はバツが悪そうに、お手上げのポーズをしてみせると、
「いや、違うんだ……驚いたのはあんたのその態度じゃない。だから落ち着いてくれ」
「貴様、教師に向かってあんたとは何様だ!」
上坂は面倒くさいことになったなと言いたげに、表情を歪めると、突然、おもむろに自分の髪の毛を引っ掴み、左の側頭部を向けながらその髪をかきあげた。
すると、彼がかきあげた髪の毛の下から、ぎょっとするほどの深い傷跡が出てきて、頭髪の一部が禿げ上がっているのが見えた。何針……いや、何十回ホッチキスを当てられたか分からない、グロテスクな傷跡が見るものを戦慄させる。
「5年前の災害でね。俺の頭は人より柔らかくなっちまったんだ。下手に叩かれたりしたらどうなるか分からないから、あんな態度をとっちまった。気に触ったなら謝るよ。あと、この髪は地毛だ。こんな真っ白でも、伸ばさないわけにはいかなくてね」
その傷口を目の当たりにして、さすがの外田も振り上げた拳を下ろさざるを得なかった。しかしまだ怒りが収まらんと言った感じで唇を震わせながら、
「……ふんっ! 最初から素直に謝ればいいんだ。今日は大目に見てやるから、明日から染めてこいよっ!」
彼はそう言い捨てると、足音を立てながらズカズカと職員室から出ていった。多分、居心地が悪くなったから逃げ出したのだろう。上坂は少し大人気なかったかなと思いつつ、その後姿を見送った。
他の教師たちがほっと胸を撫で下ろし、またさっきまでやっていた作業に戻っていく。縦川は、そんな我関せずの態度に少々ムッとしたが、口には出さなかった。これが今どきの教師なのだろう。いや、昔からこんなもんだったか……そんなことを考えていると、隣にいた鈴木と目が合った。
鈴木は苦笑いすると、まだ床に座り込んでいる上坂に手を差し伸べながら言った。
「うちは海外からの生徒も多いですからね、別に頭髪の色に規定はないんで、上坂君がいいならそのままの色で結構ですよ。外田先生は生活指導の先生ですから、普段から厳しい態度を取っておられますが、根が真面目なんです」
「そうですか……」
この学校の設立理念を考えると、あのくらい高圧的な教師も必要なのかも知れない。少々癇に障ったが、不快なことをいつまでも考えていても仕方ないだろう。上坂は気にしてないと言った感じで、鈴木を促した。
「それで俺、どうすればいいんですか。教室まで行けって言うなら、一人でもいけますけど」
「ああ、ごめんなさいね。実はもうひとり待っているところなんですけど……」
とその時、鈴木がそう言うと同時に、職員室のドアがコンコンと叩かれた。鈴木の言う待ち人がやってきたのだろうかと、そちらの方へ視線を向けると、間もなくドアがガラガラと開かれる。
「失礼します」
その挨拶の声が、どこかで聞いたことがあるような声に思えて、縦川は驚いた。まさかと思いつつ、やってきた人物をまじまじと見てみれば、学校の制服に身を包んでいて印象が違ったが、やはり彼の知っている顔がそこに立っていた。
スレンダーな体にピッタリと張り付くようなジャンパースカート、その上に小洒落たボレロを羽織り、ゆるくウェーブのかかった赤毛をポニーテールに結んでいる。人懐っこい顔をしてるが、どことなく気の強そうな目つきをしたその少女に、縦川は戸惑いながら声をかけた。
「アンリちゃん!? どうして君がここにいるの」
その声に目をパチクリさせながら、彼女が縦川の顔を凝視する。
「え……? ええーっ!? 縦川さん? それはこっちのセリフですよ!? どうしてこんなところにいるんですか」
お互いに素っ頓狂な声を上げて、指を差し合う二人に対し、さっきからうるさい来客だなと言いたげな視線があちこちから突き刺さる。戸惑いながら二人は声のトーンを落とし、やはり自分の思ってる通り知り合いだと確認しあう。
そんな二人の様子を見て、鈴木は首を傾げつつ、アンリに尋ねた。
「委員長さん。二人はお知り合いなのですか?」
「はい。私のバイト先のお店によくいらしてくれたお客さんなんです」
「あー……確かフランス料理の」
縦川がその言葉に割って入る。
「暫くご無沙汰だったけど、まだ営業再開の目処は経ってないのかい? っていうか、え? 委員長? 委員長だったの? 今度からそう呼んだほうがいい?」
「いえ、もう仮オープンはしてるんですよ。でも中々お客さんが戻ってきてくれなくて。何しろあの被害だったから……あ、縦川さん、また来てくださいね。あと店で委員長とか呼んだらしばき倒しますよ」
「ああ、うん。もちろん、また下柳にも声かけて遊びに行くよ」
「ありがとうございます。鷹宮さんにもよろしくです」
「あー……うん」
鷹宮の名前が出て縦川は口ごもってしまった。そういえば、アンリはまだ知らないのだ。鷹宮と店に行ったのはもう2ヶ月以上前のことで、その時に店を壊されてしまったせいで、縦川はあれから店に近づいていない。
一応、店の常連客だったのだし、彼の訃報を伝えたほうがいいのだろうか……
でもこんな場所で立ち話もなんであるし……
縦川が逡巡していると、キーンコーンカーンコーン……と、昔ながらの学校のチャイムが校舎に鳴り響いた。職員室にいた他の教師たちが一斉に立ち上がり、各々クラス名簿やらなにやらを持って出ていく。
「あちゃー……弱りました」
鈴木は片目を瞑って苦笑いすると、
「余計なことに時間を取られ過ぎちゃいましたね。本当はこの後、校長室にご案内する予定だったんですが……予鈴が鳴っちゃったなら仕方ありません。上坂君はこのままクラスに向かいましょう」
「すみません、俺が気を利かせてもう少し早く来るべきでした」
縦川が恐縮してそう言うと、鈴木はブルンブルンと首を振りながら、
「いえいえ、こちらこそ不手際で、あなたにはご心配をお掛けしまして。上坂君の頭部の怪我のことも周知させておきますのでご安心ください」
「ありがとうございます」
「ところで、申し訳ないんですけど……隣の校長室までは、お一人でお願いできませんか? このままだと私、授業に遅れてしまう」
「あ、はい。それくらいなら大丈夫ですよ、ご心配なく」
「校長先生がお待ちですから、詳しい話はそちらの方でお尋ねください。では、上坂君、委員長さん、参りましょう」
「あの、私、一限目のプリント取りに来たんですけど……」
鈴木は上坂を連れて慌ただしく職員室を出ていった。去り際にアンリがペコリとお辞儀し、いつもの営業スマイルを向けてきた。にっこりとしながらそれを見送り、縦川も職員室から外に出る。
上坂がクラスに溶け込めるかどうか、少し心配していたところだが、知り合いがいてくれて本当に助かった。今度、機会があったらシャノワールへ行って、彼のことをお願いしておこう……
と、考えたところで、縦川はふと気がついた。
そういえば、この学校にいるってことは、もしやアンリは超能力者なのだろうか? あの快活な彼女が非行に走る姿は想像できず、かと言って、ここへぶちこまれる理由が他に思い浮かばなかった。
そう考えると、あの日ジーニアスボーイに臆することなく立ち向かった姿を思い出して見れば、なんとなく手慣れていたような感じがしなくもない。
今度確認してみようかどうしようか……と思いつつ、彼は職員室の隣の部屋へと急いだ。それにしても、校長と会って、何の話をするというのだろうか。そっちの方も気になるところだ。
外田に邪魔されたり、アンリと話したりして時間を無駄に使ってしまったが、もっと鈴木に詳しい話を聞いておくんだったと、彼はちょっぴり後悔していた。




