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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第二章・愛と嘘 - AI & Lie.
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共同生活のはじまり

 縦川と上坂の共同生活は、毎朝の読経から始まった。


 鷹宮の家を追い出され、縦川の寺にお世話になることになった上坂は、寺で暮らしていく上での決まりとして、朝のお勤めだけはきちんとやることを義務付けられた。縦川の宗派では、古来から旅人やワケありの人に対しいつでもその門戸を開いていたのだが、その代りに寺の掃除などをするのが、昔ながらの習わしなのだそうである。


 朝、日が昇るとまだ暗いうちから叩き起こされ、顔を洗ったらすぐに本堂へと向かい、縦川が読経している間、その後ろで正座し、初日に手渡された冊子に書かれている、ふりがな付きのお経を唱和させられる。


 それが終わると、晴れた日は布団を本堂の縁側に干して、その本堂を縦川が掃除している間に、上坂は寺務所の掃き掃除と拭き掃除、それからトイレ掃除を行うのが日課であった。


 これを毎日やるのは大変だったが、そのかわりに、それさえやってしまえば後は何をしていても文句を言われないので、ここに住まわせて貰えるなら、そう悪くない取引と言えた。それにこの程度ならなんやかんや午前中には終わってしまうので、慣れてきてしまうと逆に手持ち無沙汰になって、そのうち自分の部屋まで掃除する習慣がついてしまった。お陰で上坂の持ち場はいつもピカピカである。


 そんな具合に上坂が掃除に熱中していると、いつも縦川の部屋からこの世のものとは思えないような叫び声が聞こえてきた。上坂はそれを9時の時報と心の中でこっそり呼んでいた。


 縦川は僧侶のくせに、何故かやたらとギャンブル好きで、平日は株取引、土日は競馬と、ラジオNIKKEIさえあれば生きていけると豪語するような、場末の酒場にでもいそうなおっさんみたいな生活をしていた。


 それで前場が寄り付く9時になるとオハギャーを叫び、泣きながら下手くそな売買を繰り返すのが日課みたいなものだったのだ。


 最初は、一体何が起きたかと驚いたものだが、今では逆に、これだけ毎日同じ失敗を繰り返せることの方が驚きだった。多分、センスがないんだろうから、もうやめたら? と勧めているのだが、こればっかりはやめられないと聞く耳持たない。


 聞けば貯蓄はゼロで(少しでもあるとすぐ入金してしまう)何度も破産しているらしく、下手の横好きもいいが身を滅ぼしたら元も子もないぞと言ってやったら、そうなったらそうなったでベーシックインカムがあるから何も怖いものはないと、彼は真顔で言っていた。


 現在の東京都が行っているBIは、ぶっちゃけ経済を回すために金を使えと言って配ってるようなものだから、ある意味これで正しいのだろうが、その退廃的な姿を見ていると、本当にいいのだろうかと不安になる。


 彼が好きなものはギャンブルだけではない。


 昼になり、上坂がはたきを掛けながら本堂にやってくると、朝に干しておいた布団の上に、たくさんの猫たちがゴロンと乗っかっているのが見えた。日が昇り、縁側にも日があたるようになったから、そこに干しといた布団が温くなってて気持ちがいいのだろう。


 その姿はとても可愛いらしかったが、野良猫がノミを持っている可能性も否定出来ないので、追っ払おうかどうしようかと迷っていると……


「うにゃ~、うにゃにゃにゃ~、にゃあちゃんだにゃ~。おはようにゃ~。今日はいい天気だにゃ~。にゃあちゃんのふわふわお毛毛もぬっくぬくだにゃ~。ふわふわふわ~」


 前場が引けて暇になっていた縦川がフラフラと縁側にやってきたと思ったら、猫が転がっている布団にダイブして、目尻が地面にくっつくんじゃないかと言うくらいに下げながら、猫にじゃれつき始めた。


 こんなでかいのが気色悪い動きで近づいてきても、猫たちは慣れた様子で毛づくろいしていたり、布団をふみふみしたり、中にはこの闖入者にすりすりして甘えだす猫もいたりしていた。感極まったブサイクが猫を抱きしめながら、


「にゃあー、にゃにゃにゃ、うにゃーにゃにゃーにゃにゃにゃー!」


 と、もやは言語にすらなっていない奇声を発する姿はあまりにも異常であった。上坂は自分が自然と何歩も後退っていることに気がついた。冷や汗を垂らしながら、見なかったことにしようとこっそり本堂を出ていこうとしたら、背中に戸が当たってドンッと音がし、


「……あっ!?」


 縦川は目を丸くすると、顔を真っ赤にして、ワナワナと震えながら、


「いいですか、上坂君。心頭滅却すれば火もまた涼しと言いまして、この場合、猫の気持ちになって猫に接すれば、猫はまたかわゆしという仏の教えがですね」


 と、言い訳にもなってない言い訳を勝手にまくし立ててから、バツが悪そうにどっかに行ってしまった。多分、居候が居ることをすっかり忘れて、普段やってることをそのままやってしまったのだろう。上坂は邪魔をしたなら悪いことしたかなとも思ったが、翌日には吹っ切れたらしくて全く同じことをやっていたので、もう気にしないことにした。縦川は羞恥心より可愛さが勝ってしまうくらい、猫が大好きなのだ。


 因みに、これらは実は近所の飼い猫らしくて、ノミは飼っていないそうである。元々は寺の参道に撒かれた砂利が、猫がトイレにするにはちょうど良かったようで、散歩のついでにうんこをしてったのが猫たちが来るようになった切っ掛けだったそうだ。


 普通なら怒りそうなところだが、縦川が嬉々として猫の世話をしてくれるものだから、そのうち気がついた飼い主がやってきて、恐縮のあまりに率先して境内を掃除してくれるようになったそうだから、災い転じて福となすと言おうか、悪くない結果である。


 午前中、上坂が掃除をしていると、おばちゃんたちが勝手にやってきて境内を掃除し始めたので、上坂は自分もやったほうがいいのだろうかと戸惑った。それでぼんやり眺めていたら、それを目ざとく見つけたおばちゃんたちに寺の坊主と勘違いされたらしく、あっという間に取り囲まれて、しっかり修行しなさいと井戸端会議のネタにされた。


 そんな具合に上坂がおばちゃんにとっ捕まっていると、見兼ねた縦川が出てきてくれたのだが、これまたすぐにおばちゃんパワーでとっ捕まると、ねえねえ聞いてよと愚痴のはけ口にされていた。それを全く嫌な顔ひとつせずに受け答えしているから、大したものである。若い住職は彼女らにとってアイドルみたいなものらしい。


 こんな感じで縦川は、この寺の住職として地域によく溶け込んでいた。例えば縦川も上坂も料理が出来ないものだから、昼になると托鉢と称して買い出しにいくだが、


「おう、住職さん! どうだい、今日も刈ってかないかい?」

「ツルッパゲになっちまうよ」

「お寺さんお寺さん、最近付き合い悪いよ。今度の日曜日は青年会の会合来てよ」

「ごめんね、G1ある日だけは勘弁して」

「よう、雲谷斎。また飯タカリに行くんか? たまにはうちにも寄ってってくれよ。へへへ、テンピンでいいからよ」

「おめえが死んだら、お経ならあげに行ってやらあ」


 彼が下駄をカラコロ鳴らして商店街を歩いていると、数メートル置きにあちこちから声がかかっている感じだった。


 縦川の寺は別段この近所に檀家を多く抱えているわけではなかったが、都会の片隅にひっそりと佇む小さな寺院でも、なんやかんや地域の顔として機能しているらしい。おそらく宗派の約束事なのだろうが、青年会や子供会、消防団や町内会など、地域の行事の何にでも参加しているから、とにかく顔が広くなってしまったようだった。


 商店街の端っこにあるコンビニまでやってくると、縦川は店に入るなり、


「ちわーっす! 托鉢に来ました~」


 と、まるで神様の押し売りみたいに気安い態度で店の奥に声を掛けた。するとバックヤードからオーナー兼店長のおじさんが愛想の良い笑顔で出迎えてくれて、廃棄弁当あげるからこっちにいらっしゃいと手招きをした。


「やあ、縦川さんいらっしゃい。上坂君ももう慣れたかい」

「どうも」

「今日は新作が入ったから取っておいたよ。好きなの持っていってくれ」


 それはもう廃棄弁当じゃないのでは……と突っ込みたいところを堪えて、ありがたく頂戴する。縦川はどうも毎食どこかしらで、こうして飯をタカって暮らしているらしかった。


 二人が廃棄弁当(?)を物色していると、店に隣接した居住スペースからオーナーの家族が出てきて、


「あ、お寺さんこんにちわ。おばあちゃん待ってるんで、お願いできますか?」

「はいはい、少々お待ちを」


 何やら頼まれごとをされたかと思ったら、彼は上坂を置いて店の奥に入っていってしまった。何をしているんだろう? と思って見守っていたら、しばらくすると奥の方からお経を読む声が聞こえてきた。どうやら弁当の代金代わりにお経を読んであげているらしい。ただで弁当を貰うのは気が引けると思っていたが、これで等価交換になってるのだろう。上坂は素直に感心していた。


 縦川と初めて会った時、若いのに坊さんなんてやってるなんて、よっぽどの堅物なのだろうかと思っていたが、彼はこの通りどちらかといえば自由人で、この生活を案外楽しんでいるらしい。


 縦川のお経が終わるまで、店先で貰ったガリガリ君アイスを食べていたら、見知らぬ通行人が親しげに挨拶をしてきた。上坂は相手が誰か分からないまま、ペコリとお辞儀を返した。こりゃ、とんでもないところの居候になっちまったなと彼は思った。


 夕方、納骨堂の参拝客のためにお経をあげたりなんなりして、やがて日が暮れると、昼間境内を掃除していたおばちゃん達がやってきて、飲みに行こうと誘われた。


 未成年だからと断ろうとしたが、縦川に首根っこをひっ捕まえられてずるずると、商店街の裏通りにあるこじんまりとしたスナックに連れて行かれた。


 店には昼間会ったばかりのコンビニのオーナーやら青年会の人たちやら、見知らぬおじさんおばさん達が屯していて、「この子は誰だい?」と挨拶をしていると、どこからどう見てもオカマにしか見えないママがやってきて、デュエットしない? とカラオケを勧められた。店はそんなに狭くないのに、ぐいぐいと一次接触を求めてくるから、正直言って怖かった。


「あ、いや、自分は持ち歌とかないんで……」


 上坂がビビりながらそう返すと、諦めきれないママは、


「やだあ、お店に入る時にイヤホンしてたの見たわよ。音楽聞いてたんでしょ。あなたはどんな曲が好きなのかしら」

「ああ……これ、歌じゃないですよ」


 言われた上坂がスマホを差し出すと、ママは目をパチクリさせながら、それを受け取り、そしてイヤホンジャックとカラオケマシンを繋ぐと、店のスピーカーから瀟洒なピアノ曲が聞こえてくる。


 ショパンの夜想曲第9番。誰でも聴いたことがあるであろうメジャーな曲だ。そのうっとりするような優しいメロディに、ほんの少しだけ店内が静かになった。ママは、へぇ~っと溜息を吐くと、


「あんた若いのに、いつもこんなの聴いてるの?」

「ええ、まあ」

「でもこのピアノ、どこかで聴いたことあるわね。昔CMか何かで流れたことなかったかしら」


 すると二人のやり取りを見ながら酒をちびちびやっていたコンビニオーナーが、赤ら顔をしながら言った。


「ほら、あれだよ。何年か前の天才ピアノ少女……名前はなんて言ったかな?」

「エイミー・ノエル」

「そう、それだ。懐かしいな。テレビ企画かなんかで、オーディションに落ちてそのまま消えちゃったんだっけ」

「一発屋ってやつね」


 その言葉を聞いて、上坂は少しムスッとした表情を見せた。表情の変化に乏しい彼にしては、珍しく子供っぽい反応だった。多分、自分が好きなものを貶されたと思ったのだろう。それを見ていた縦川は気を利かせて、


「まあまあ、上坂くんも苦手だと言ってるんだから、その辺で。デュエットだったら俺とどうです? 若い子の方がいいのは分かりますが、俺もママと歌いたいな」

「あらやだ、お寺さんたら女殺し。私、今日はお寺さんの女になっちゃう」

「おいオカマ、イラッとするから程々にしとけよ」

「ひどいわ」


 そんなやり取りの後、上坂にスマホを返した二人は、店内のリクエストに答えてマイクを握った。上坂は縦川に気を使わせてしまったのかな? と反省しつつも、またカラオケに誘われたら堪らないと、出来るだけ端っこにいようとしてカウンター席へとやってきた。するとバーテンが手招きをして空いてる席に案内してくれた。上坂はペコリと頭を下げて席に座る。


 縦川がママと楽しそうにデュエットしている間に、そのバーテンが作ってくれたパスタを食した。所詮は飲み屋の軽食だろうと思っていたら、そいつがまたすこぶる美味い。腹が減っているのも確かだが、彼の腕も確かのようだった。


 上坂は感嘆しつつも、こういう店で食べると高く付くんじゃないかと思っていたら、


「安心しろ、坊さんから金を取ろうなんて思っちゃいないよ」


 と言われた。どうやら、上坂のことを坊主だと思っているらしい。そういえば、昼間のおばちゃんたちも勘違いしていたような……


「おまえさん、もうお経の一つもあげられるようになったかい? 早くご住職さんみたいに、立派な僧侶になれるといいな」


 いや、別に寺に修行に来たわけじゃないのだが……かと言って本当の理由を説明もしづらく、上坂は黙って首を縦に振っていた。


 こんな具合に夜は更けていく。縦川はママとのデュエットが終わると、今度はコンビニオーナーに誘われて、また合唱していた。上坂は、世の中にはこんなに楽しそうに生きている人もいるのだなと、感心しながら、その光景を眺めていた。


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