星を見に行かないか
お台場に生存者はいない……
上坂は死んだのだ。
東京インパクト後、連絡がつかなくなった彼を探して、エイミーは必死に瓦礫の山をかき分けていた。
そんな泥だらけの少女を見るに見かねて、同じく生存者の捜索に来ていた自衛隊員にそう告げられて、彼女は崩折れた。
2024年の東京インパクトは東京湾岸部を壊滅させ、数十万人の命を一瞬にして奪った。
爆心地から数十キロも離れた西多摩地区も、直接の被害は無かったものの、信じられないほど大きな爆音が聞こえてきて、湾岸部が炎上したために出来た火災積雲による雨と、そして広範囲の活断層が刺激された影響での余震が続き、眠れない日々を過ごすことを余儀なくされた。
隕石落下直後、西多摩に住んでいたエイミーは、爆音のあまりの凄まじさに驚き、家の中で震えながら、夕方でもないのに東の空が真っ赤に染まるのを見ていた。テレビをつけてもラジオをつけても何も聞こえず、かろうじて繋がっていたインターネットでは、不安を煽るだけの怪情報が飛び交ってるだけで、何が起こっているのかさっぱりわからなかった。
戦争が始まった。ミサイルが飛んできた。クーデターが起きた。
そんな荒唐無稽な噂の中から人々は必死に情報をたぐり、ようやく都心から逃げてきた避難民の口から、隕石が落下したらしいことを突き止めた時、エイミーは絶望的な気持ちになった。
隕石が落ちたのは湾岸らしい。羽田は蒸発し、お台場は吹き飛んだというのだ。
そんな馬鹿なとエイミーは思った。そんなことあってはならないと。
何故なら、彼女はその日の午後、上坂にお台場に星を見に行かないかと誘われていたのだ。今、地球の近くにペルセウス座流星群が来ていて、ナナが見に行きたがっているから一緒にどうかと、彼女は誘われたのだ。
いつもなら二つ返事でオーケーだった。そして喜び勇んでおしゃれをして、教えてもらったばかりの薄化粧をして、母譲りの自慢の髪の毛をゆるくカールさせながら、姿見で一番可愛く見える角度を一生懸命探すのが、いつもの彼女のはずだった。
しかし、その日の彼女は彼のせっかくの誘いを断った。最近の上坂はナナに夢中で、エイミーが彼のためにどんなにオシャレをしていても、前みたいに褒めてもくれないし、殆ど見てもくれなかったのだ。上坂とナナはいつも二人だけで難しい話をしていて、エイミーは置いてけぼりを食らってしまう。だから、ナナがいるなら面白くないから、一緒に行きたくないと彼女は思ってしまったのだ。
上坂一存と出会ったのは彼女がまだ小学校低学年だった頃、父の仕事の関係で海外の偉い人達が沢山あつまるパーティでのことだった。大人だらけの会場の雰囲気に恐れをなして母のスカートの影に隠れていた彼女を、上坂は退屈なら一緒に遊ぼうと外に連れ出してくれたのだ。
エイミーとたった一歳しか違わないのに、ずっと大人びて見えた彼は、会場の偉い人たち相手にも臆することなく受け答えし、その博識を披露して彼らを驚嘆させた。
出会ったときから上坂は、聡明で、思慮深く、紳士だった。子供らしからぬ老成されたそのふるまいは、エイミーには眩しくて、あっという間に彼の虜になってしまった。
エイミーの父と上坂の先生が、仕事上のパートナーであることを知ってからは、度々理由をつけて父の仕事場にお邪魔した。上坂は幼い頃から英才教育を受けており、彼の先生に学ぶ一環で、その先生の仕事の手伝いをしていたのだ。だから、父の仕事場へ行けば彼に逢えるかも知れなかった。
彼女が何をしにくるのか周りの大人たちは良く分かっていたから、彼女がモジモジしながら職場にやってくると、彼らは気を利かせて上坂に彼女の相手をするように言った。とは言え、エイミーが上坂のことを好きなことに、当の本人は全く気づかず、始めは言われたとおり彼女の相手をしていても、しばらくすると自分の仕事の方に夢中になっていって、いつも彼女は置いてけぼりにされた。
でも、エイミーはそれでも良かった。仕事に夢中になってる上坂の横顔は凛々しくて、それを見ているだけで彼女は幸せだったのだ。周りの大人達は、そんな彼らを優しく見守っていた。気が早い大人の中には、二人が将来結婚するんじゃないかと言う者さえいたくらいだった。
風向きが変わったのは数年前のある日、先生がナナを連れてきてからだった。親譲りの美貌と誰よりも図抜けた才能を持ち、何でもスポンジのように吸収していくナナという存在に、上坂はどんどん夢中になっていった。天才少年と呼ばれる彼と同等以上に付き合えるような存在が、彼の前にあらわれてしまったのだ。
エイミーはナナに嫉妬した。今までどんなに健気に振る舞っても、自分の好意に気づいてくれなかった上坂が、他の女に夢中になっているのだ。そんな姿を見せつけられたら、悲しくてどうしていいかわからなくなる。
だから、ペルセウス座流星群を見に行こうと誘われたあの日、エイミーはわざとつれない態度を取ってみせた。いつも何でも言うことを聞いてあげるわけじゃないんだぞと、冷たい態度を取って見せたら、上坂が驚いてこっちを向いてくれるんじゃないかと思ったのだ。
でも彼はいつもどおりの彼でしかなく、特に焦る様子も見せず、それじゃまたねと電話を切ってしまった。その素っ気ない態度には寧ろエイミーの方がショックを受けてしまい、彼女は部屋に閉じこもると、何度もため息を吐いて己の行動を呪ったのだった。
彼にもっと構ってほしくてやったことなのに、結局ナナと二人きりにしてしまうなんて、本末転倒ではないか。楽しくないのは分かりきってるけれど、それでも一緒に行って二人の妨害をしたほうがずっと良かった。どうしてそうしなかったのかと後悔しながら、でも、そんなことを考える自分が嫌で、彼女はどんどん悲しくなっていった。
そして、運命の事件が起きた。
東の空が明るく輝き、衝撃波と爆音が首都圏百数十キロ半径に轟いて、隕石が東京湾に落下したのだ。
時間が経ち情報が増えるに従って、エイミーは気が気ではなくなった。上坂はお台場に行くと言っていたからだ。
被災民たちが言うには、隕石の落下地点は東京湾のど真ん中で、お台場は壊滅的な被害を受けたはずだという。建物の中に居てもその建物ごと木っ端微塵だろうし、仮にその難を逃れても生存は絶望的だろう。
そんなこと信じられない!
彼女は家を飛び出し、被災民の列を逆走して都心へと向かった。電車は全て止まっていたから、彼女は徒歩で何十キロも夜を徹して歩き続け、ついに東京湾岸までやってきた。そこは二次災害で炎上した家々が未だ黒煙を上げてくすぶり続けており、逃げ遅れた人々の死体があちこちに転がっているような地獄絵図だった。
彼女は泣き出したいのを堪えてお台場へ向かった。半狂乱になって瓦礫の山をかき分け、道なき道を進んでいった。自衛隊がそんな彼女を哀れに思い、止めてくれるまで、彼女は瓦礫をかき分け、死体を押しのけ、泣きながら、いつまでもいつまでも被災地を駆けずり回ったのである。
三日後……事件後に居なくなった娘を探しに来た母親は、避難所の片隅でボロボロになっている娘の姿を見つけた。自慢の髪の毛はクシャクシャにズブ濡れており、手も膝小僧も擦り傷だらけ。飛び出した日から着替えていない洋服は真っ黒に汚れており、元はどんな色をしていたのかも分からない。表情はうつろで、まだ悪夢を見ているようだった。
上坂のことが好きで好きで、たまらなく好きだった彼女は、生きる意味を失ってしまった。彼が居ないこの世界で、どうやって生きていけばいいか分からなかった。だから、そんな娘を抱きしめる母に向かって言ってしまった。
あの日、自分も一緒に星を見に行けば良かった。行って一緒に死ねば良かったと。
乾いた音が避難所になっていた体育館に響いた。
生まれて初めて娘を叩いた母親は、ズキズキする手首を押さえ、泣きながらそんなことは言わないでと懇願した。
上坂はまだ見つからないだけで、きっと生きているから、そんな風に諦めないで彼が見つかるのを祈りましょう。
母娘はどうしていいか分からず、二人抱き合っておいおいと泣いた。
周りの人達はそんな二人の姿を暗い表情で見守っていた。そんなやり取りが、ここ数日、幾度となく繰り返されたのだ。だけど、奇跡は一度として起きていない。みんな疲れ切っていた。
あれから五年の月日が過ぎた。
東京の状況が悪化する一方で、実業家であるエイミーの父親は、事業の本拠地を欧州へと移した。父母はドイツへ移住し、西多摩の家にはもう住んでいない。エイミーだけが一人東京に残っていた。残って上坂の帰りを待つと彼女は決めたのだ。
あの日壊滅したお台場で生存するのは絶望的だと分かっていた。そもそも5年も経って遺体さえ見つからない彼が生きているとは到底思えなかった。
だからさっさと上坂のことなど忘れて、彼女も家族の待つ欧州に行ってしまえば幸せな人生が待っていただろう。でも彼女はいつまで経ってもそうすることが出来なかった。
あの日、彼女が泣いた避難所は、今は取り壊されて犠牲者のための慰霊碑が建てられている。慰霊碑には犠牲になった人々の名前が彫られており、上坂の名前もその中に含まれていた。
彼女は時折、ここへ花束を持ってやってきた。慰霊碑の周りには災害から5年経った今でも、たくさんの花が添えられており、あの日を忘れられない人たちが、手を合わせて祈りを捧げていた。彼女も同じように皆に混じって手を合わせると、犠牲になった人々のために熱心に祈った。
だけど、彼女の祈りの中には、上坂の名前は含まれていない。彼は生きていると、彼女は信じているからだ。
彼女は手にした花束を慰霊碑に捧げると、踵を返してその場を後にした。その花束にはカードが添えられており、そこにはこう書かれていた。
『いっちゃん。いつまでもあなたの帰りを待っています。もしあなたがこれを見たら、どうか私のことを思い出してください……白木恵海』