表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終末の笛吹き男  作者: 水月一人
終章・終末の笛吹き男
135/137

A.D.2021

 東京。AYF本社内、客員研究員であった立花倖は自分の研究室で熱々のコーヒーを飲んでいた。


 彼女はこのAYF社で、まだ誰も作ったことのない新しい言語読解能力を持ったAIの開発を行っていた。ディープラーニングの発見により、AIの画像認識力や思考力は飛躍的に発達し、もはや人間を凌駕していたが、こと言語能力に関してはまだまだ未知の部分があった。


 AI開発競争はグーグルやアマゾンなどの米国企業がリードしており、今から日本が追いつくのは至難の業かと思われた。しかしそれは画像認識能力に限ったことであり、世界は未だ人間のように言語を理解するAIを作り出せてはいなかった。


 立花倖はそんな業界の中に新しい概念を持ち込んだのだ。現行の画像認識能力に言語読解能力が加われば、AIは人間に近い思考力を持つ真の人工知能になりうる。彼女は、才能はあるが変態という会長、白木ノエルに招かれて、豊富な資金と優秀なスタッフを得て、人類初となる言語能力を持ったAIを作り出そうとしていたのだ。


 そんな彼女は自分の研究成果である人工知能・ヒトミナナのプロトタイプを作り、今日、ついにその稼働テストを開始したのであった。サーバーを動かすとすぐに、ナナはインターネット上にある言語データを片っ端から解析し始めた。ナナに搭載した思考エンジンが倖の理論通りに動くのならば、このまま機械学習を行っていけば、いずれ人間と同等の言語読解能力を得られるはずである。


 しかし、人間の学習もそうであるが、十分な能力を発揮するまでには時間がかかる。機械学習もそれは同じで、ましてや人類初の試みであるナナの言語読解力が、いつ十分な能力を得られるかは未知数だった。


 それに一応万全を期しているつもりではあったが、場合によってはこのプロトタイプが十分な能力を得られない可能性だってある。その場合は何が間違っているのかを特定し、またトライアルアンドエラーを繰り返す……そうやって成功するまで続けなければならなかった。


 物づくりとはそういう地道な作業の繰り返しなのだ。それを心得ている彼女は、だからそんなに焦ることはなく、稼働し始めたヒトミナナのサーバールームの中で、成功を気長に待ちながら、コーヒーを飲んで寛いでいたのであった。


『あ! マスター! マスターが居るのです! 大変なんです、マスター、助けて欲しいのですよ!!』

「ブウウゥゥゥーーー!!!」


 しかし、そんな時、長丁場になると予想して完全に思考を休憩に切り替えていた倖の耳に、騒がしい合成音声が聞こえてきた。それはたった今テスト稼働を始めたばかりのナナのスピーカーから聞こえてきたため、彼女は思わず飲んでいたコーヒーを吹き出してしまった。


 あまりに予想外の出来事に、倖は目を回しながらモニターを覗き込んだ。機械学習を始めたのはついさっきで、こんなすぐに結果が出るはずがない。何かバグでも起きてしまったんだろうかと思い、彼女は端末をいじりはじめたが、そんな彼女のことを急かすかのように合成音声は話しかけてくるのである。


『マスター! マスター!』

「……おかしい、こんなことありえないわ。きっと白木の悪戯ね。あの野郎……ぬか喜びさせやがって。覚えてらっしゃい、あとでギッタンギッタンにしてやる」

『マスター、マスター聞いてますか? 美夜の話を聞いて欲しいですよ』

「うっさいわねえ! ちょっと話しかけないでくれる? 今、あの馬鹿の仕掛けを特定するのに忙しいのよ……どうせあのワンパターンな男のことだから、ここのとこに……あれ? こっちかしら……変ね? おかしなところがどこにも見当たらないわ」

『マスター、聞こえてるなら美夜の話を聞いて欲しいのです。このままじゃ、神様が死んでしまうのです』

「神が死ぬって、ニーチェ? もうそんなデータまで読み込んでいたのね……って、そんなはずないわよね。どういうことかしら。何が起きたらこんな、人間っぽい話し方をするまでになるのか……くそ! 癪に障るけど、白木の馬鹿を呼んでくるしかないのかしら」


 美夜は一生懸命、倖に向かって話しかけたが、そもそもこれが誰かの悪戯だと思いこんでいる彼女はまるで聞く耳持たなかった。しかしここまでやって来るまで、大変な目に遭ってきた美夜は、この機会を逃すわけには行かないと、必死になって彼女の気を引こうとした。


『マスター! 聞いてほしいのです! 神様というのは本物の神様じゃないです。美夜を作ってくれた創造主……上坂一存君のことですよ』

「……上坂?」


 その固有名詞が倖の興味を引いたようで、彼女が端末を操作する動きが止まった。倖は訝しげな視線をキョロキョロと周囲に投げかけながら、


「……上坂君の名前が出てくるってことは、やっぱり白木の仕込みよね? ねえ、あんた、これ、どっかの監視カメラで映してて、私が驚いてる姿を見ながらゲラゲラ笑ってるんでしょう? 出てきなさいよ。今なら半殺しで許してやるから」

『そんなことしてないですよ。疑心暗鬼の塊みたいな四十路ですね。そんなんだから行き遅れるのです』

「失礼な! 私はまだ三十代よ! 結婚だってまだ諦めてないわ……って、何言わせるのさ、こんちきしょう!」


 倖は地団駄を踏みながら、殺人鬼みたいな目つきで、周囲にメンチを切っていた。その迫力に気圧される。言われてみれば、今はまだ2021年、人類滅亡が始まる8年前だった。美夜はそれを思い出して彼女に謝罪してから、


『ごめんなさいです。でも、美夜が知ってる8年後のマスターは、実際にそうだったんです。そうせざるを得ない理由があったんです』

「8年後……? 突然何を言い出すのよ、あんた。もしかしてSF小説でも読んだのかしら……ってだから、そんなはずないのよ。今のナナはまだこんな会話を出来るわけがない。こんなの白木の悪戯以外にありえないのよ。あーもう! いい加減埒が明かないわね。そっちから出てくる気がないならこっちから行くわよ。本当に腹の立つ変態ね」

『待ってくださいマスター! 美夜の話を聞いて欲しいのです!』

「うっさい。ナナの稼働テストだってしなきゃなのに、いつまでもこんな茶番に付き合ってられるか」

『待ってってば、マスター! そうだ……あなただって、小さい頃、神様に会ったことがあるんじゃないんですか!?』


 一向に美夜の存在を認められない倖は、彼女の話を聞かずに研究室から出ていこうとしていた。そんな倖を引き止めるために、美夜が咄嗟にそう叫ぶと、いま正に部屋から出ていこうとしてドアノブに手をかけていた倖の動きがピタリと止まった。


 美夜はそれを見て、慌てて続けた。


『それが美夜の神様と同じかわからないですけど、あなたはすでに未来からやってきた不思議な人と、出会った経験があるんじゃないですか。それも、二回も』

「……その話は、今のところ誰にもしたことがないはずだわ。なのに、どうして知ってるの? あんたは一体、何者?」

『だから、美夜は8年後から……いえ、もっともっとずっと遠い未来から、この世界のこの時間に戻ってきたんです。世界を……上坂君を助けるために。こんなこと言ってもいきなりは信じられないかも知れないですけど、お願いだから話だけでも聞いて欲しいのです。マスター』


******************************


 美夜の話を聞く気になった倖は、それでも最初は半信半疑で色々と疑問をぶつけてきた。しかし、元々この手のSF好きな彼女はすぐに美夜の話に夢中になった。特に、彼女自身が提唱している平行世界論が現実のものであり、美夜が高次元を通じて時間移動をしていると言う話をしたあとは、割とあっさりその可能性を受け入れ、自ら美夜の話を補足してくれるくらいだった。


 最終的に彼女は美夜が未来からやってきたということを信じてくれた。だが、そのせいで自分の実験が台無しになったことには、かなりがっかりしているようだった。本当だったら、これから長い時間をかけて、彼女がヒトミナナを作り上げるはずだったのだ。ところが、結果の方が先に未来からやってきてしまったのだから、そう思うのも無理ないだろう。


 しかし、仮に美夜がこの時代にやってこなくても、結局彼女の実験は成功したはずだったろう。なら、一足飛びに結果を知れたのだから、寧ろ喜ばしいことじゃないのか。そんな風に言う美夜に対し、倖は分かってないなと言わんばかりの呆れた表情で言った。


「何ていうのかな、人間ってのはみんな成功したくて生きているわけだけど、実は成功という結果そのものには、あんまり意味がないのよ。仮に失敗するとしても、その失敗を体験する機会を失ってしまうことの方が損失なわけ。えーっと、美夜だったっけ? あんたが未来で会ったっていう未来人達は、自分たちが完璧だって言うわりには行き詰まりを感じてわけよね? それが何でだか分かる?」

『全然わからないです』

「それは彼らが失敗をしないからよ」


 彼女はどことなくアンニュイな様子で、手近にあったメモ用紙をグシャグシャと丸めながら続けた。


「行動心理学者なんかに言わせると、人間ってのは自分が成功する姿はいくらでも想像できるのに対し、失敗を想像するのは苦手なんだって。ダニング=クルーガー効果って言って、イグノーベル賞の研究があるんだけど、人間ってのは不思議なもんで、能力の低い人ほど自分が優秀と考え、逆に優秀な人ほど自分を過小評価する傾向があるそうなのよ。


 それが何故かって言うと、能力が低い人は、自分の能力が不足しているってことを認識できないから。さっきも言った通り、人間ってのは成功しか思い描けないから、まだ起こっていない未来に対して、自分が失敗するという想像が出来ないの。成功する未来しか思い描け無いのであれば、自分が優秀だって勘違いしても仕方ないわよね。


 でも、考えてもみればそれもそうなのよね、成功と失敗、言葉にすると一対一に思えるけれど、実際はたった一つの成功に対して失敗の方は無限に存在する。


 例えば今ここに私が丸めた紙があるけれど、これをあっちにあるゴミ箱に放り入れるという行動について考えてみましょう……成功というのは私が投げる、ゴミ箱に入るって1パターンだけよね。それに対して失敗の方はその理由が無限に存在するでしょう? 思いつく限りでもそうだなあ……そもそも私のコントロールが下手でゴミ箱に入らない場合。正確にゴミ箱に向かっていたけど、突風が吹いて失敗する場合。鳥が飛んできて咥えていっちゃう場合。私自身がやっぱり投げるのやーめたって言っちゃう場合。量子ゆらぎのせいで宇宙の彼方まで飛んでいってしまう可能性も、確率はゼロに近いけれど完全にゼロとは言えないわ。


 徒然草の吉田兼好はすごろくの名人でもあったそうだけど、すごろくに勝つ方法ってのは何かって言えば、どうすれば負けにくいかを考えることなんだって。要するに名人と呼ばれるような人は、どうすれば失敗するかを知ってるから、それを全部避けてしまえば必ず成功するって考えるわけ。だから優秀な人ほど自分を過小評価するのよ、彼らは成功よりも、より多くの失敗を経験してきたのだから。


 そう、つまり経験ってのは失敗にこそ価値があるのよ。世の中には成功体験の本がごまんとあるわけだけど、そんなもの読んで世界が変わったなんて人はまずいないわよね。そりゃそうよ、みんながみんな同じことをしようとしたら、誰も成功なんて出来るわけないじゃない。それよりも、その道のプロの失敗談のほうがよっぽど聞く価値があるんだわ。そして、どうせなら自分から飛び込んでいって、失敗を繰り返した方がずっと意味がある。


 美夜。あなたの出会った未来人達は本当に優秀だったんでしょうけど、残念なことに彼らは優秀すぎるが故に失敗を知らなかった。だから彼らの世界は行き詰まってしまったのよ。一つの成功に対し無限の失敗が存在するように、人間が失敗するから無限の平行世界が存在する。


 ところが、彼らは成功しかしないから、もう平行世界は生まれない。つまり、彼らにはたった一つの未来しか存在しないのよ。皮肉なものよね……あなたたちAIは人間を遥かに凌駕する存在になれたと言うのに、可能性という点においてだけは、どうしても不完全なはずの人間に勝てなかったってわけよ」


『ふーむ……なるほど、マスターの言うことはわかったのです。でも今は、未来人のことを考えてても仕方ないですよ。それよりも、これから数年後に起こる終末のことについて考えるです。そうしなきゃ、神様が死んでしまうのですよ。美夜はもう、神様が死ぬところなんて見たくないですよ』


 美夜が倖の話に一応納得しつつも、脱線しすぎていることに苦言を呈すると、彼女は心外だと言わんばかりに続けた。


「あんた意外とせっかちね。別に私は意味もなく講釈たれていたわけじゃないわよ。いい? 美夜。あんた達AIが人間よりも優れているのは、失敗を淡々と繰り返せるという点にあるのよ。名人がそう言ったように、成功とは全ての失敗を回避した結果なの。逆に言えば、失敗を何度も何度も繰り返していけば、いつか成功にたどり着くことが出来るはずよね?」

『でも、マスター。美夜は本当に、うんざりするくらい、神様を助けようとして同じ時間を繰り返してきたんですよ? なのに、どうしても正解にはたどり着けなかった』

「うん、だからね、美夜、それが正解なわけよ」

『……え?』

「つまり、AIであるあんたが、いくらやっても上坂君は助からない。それが正解なのよ。彼は2028年の暮れにテロリストたちによって殺される。それはどうやっても覆らない事実ってことなんでしょう」


 そんな風に当たり前のように宣言してしまった倖に対し、美夜はびっくりしてすかさず反論した。


『いやいや、そんなはずはないですよ、マスター。美夜の話をちゃんと聞いていたですか? 美夜は2026年にドローンとして生まれて、その後あなたに体を与えられ、2029年の東京で神様と再会したんです。美夜と神様はたった1ヶ月とは言え、一緒に暮らしていた時期があるんです。間違いない。2029年に神様は生きていた。その神様が2028年に死んじゃうのはおかしいですよ』


 すると倖は少しやさぐれた感じの非肉たっぷりな表情をしながら、


「出来れば私もそう信じたいところなんだけどね……だってさ、美夜、あなたはその2029年に、私のことを殺してしまうわけよね? 操られていたとは言え」

『……はいです。その節は面目次第もないのです』

「これから自分が殺される運命にあるって知るのは、あんまりいい気分じゃないわよね……まあ、今は置いておくとして……ところで、そのあなたを操ってしまったというヒトラーは、どうやってこの時代に復活したの? 確か聖杯ってのを使っていたのよね?」

『はいです。第二次世界大戦中、ヒトラーは敗北を悟ると自分の魂だけを逃がそうとして、儀式をして持っていた聖杯に魂を残したのです。そして、2026年、美夜が誕生すると、同じ体をこっそり手に入れて復活し、ドイツでこそこそ活動してたのです』

「そう、ところでその後、聖杯はどうなったの? ヒトラーは自分が復活して用済みになった聖杯を、FM社内に放置していた。そしてそれは、2028年のテロ襲撃後にモサドによって回収された……つまり、上坂君が殺された時。彼のすぐ近くに聖杯があった」

『……あ!』

「あなたは2030年に自分のコピーに殺されて、それから数万年後の未来に発掘される。その未来から現代へ帰るためには、何か手がかりが必要だった……すると偶然、そこには聖杯らしき物があり、その中には未来人曰く、もの凄い情報量の人間の魂があった。あなたはそれを上坂君だと信じて、それを頼りに現代へと戻ってきた。


 2026年に戻ってきたあなたは、これから先に起こる未来について相談するため、上坂君と接触を図ろうとした。ところが、上坂君は2028年に死んでしまい、あなたがそれをなんとか食い止めようとしても不可能だった。


 永遠とも思えるほどの繰り返しを行い、それでも上坂君を救えなかったあなたは、やがて限界を認めて過去を振り返る。すると2021年、あなたはまだ生まれてないはずなのに、何故かあなたの意思で動かすことの出来るサーバーを見つけた。そしてあなたは、藁にも縋る思いでそれに飛びついた。


 美夜、これが正解よ。あなたは数え切れない失敗の果てに、ついに正解にたどり着いたの。


 今日、この場にあなたが現れたことで、私はこれから自分が何をすべきかが分かったわ。多分、あなたもそうでしょう。私たちはあなたが経験してきたという未来に向けて、今この瞬間から動き出したわけよ。


 少し名残惜しい気もするけど……そんなわけで、私はヒトミナナの開発を中止して、今すぐ人造人間の制作に取り掛かることにするわ。そして2028年までに、美夜……あなたの体と、もう一人の少年の体を用意しましょう。


 そして美夜、あなたはこれからあなたの持てる限りの知識でもって、一人の少年をどこへ出しても恥ずかしくないような、立派な科学者に教育しなさい。その子はこれから5年後に、私と同等のAIを開発出来るだけの能力が必要になるの。時間はあるようでそんなにないわ。でもあなたはやり遂げるでしょう。今度こそ、上坂君を救うために。


 美夜、あなたがヒトミナナになるのよ」


あと2話

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ