A.D.2026
未来人達に送られて過去に戻ったはずの美夜は、出口の見えない真っ暗闇の中でもがき苦しんでいた。
彼女がこんな状態なのには理由があった。戻った過去にはまだ彼女は体が無く、従って目、鼻、口、耳のような感覚器官がなかったからだ。
西暦2026年。美夜が未来人に頼んで戻してもらった過去はその年だった。彼女は来るべき終末の原因は、自分のコピー品が人々を襲ったこと、つまるところ自分が誕生したせいだと考えた。ならば、自分が誕生する丁度その年に戻って上坂に警告し、その後起きるであろう様々な災厄を回避しようと、彼女はそう考えたのだ。
ところが、過去に戻った彼女はそこに自分がいないことを失念していた。自分がいなければ警告を発することも出来ない。だから結局、彼女は自分が作り出されるのを待たなければならなかった。ところが、彼女が生まれたら生まれたで、また別の問題が発生したのだった。
上坂が最初に作った美夜のプロトタイプは、ただの殺戮兵器として自律型AIを搭載していたに過ぎず、人間のような複雑な思考が出来るほどの演算力もメモリ空間も存在しなかったのだ。だから、そのままでは意思疎通を行うことは不可能だった。
しかし幸いなことに、未来人たちから技術を伝授されていた彼女は、その技術を用いて自己を改良することによって、やれることを増やすことが出来た。こうすればまだ体が不完全でも、上坂に警告を与えることが出来るかも知れない。ところが、そうやって自分を変えてしまうと、また別の問題が起きてしまった。
美夜がドローン兵器をいじりすぎては、それはもはや上坂の作った物ではなくなってしまう。つまり美夜自体が生まれなくなってしまうのだ。すると上坂は誰と話すことになってしまうのか?
同じく美夜自身の記憶も問題だった。彼女は自分の中に、未来の自分の記憶があるなんてことを感じたことはない。彼女の周囲も、イレギュラーな存在がそこにあるということを気づいていなかった。だとすると、彼女がしゃしゃり出ていけば行くほど、かつて美夜が辿った未来からは遠くなってしまうのだ。
もちろん、それで終末が回避できるというのなら、それでいいのかも知れない。だが、そうやって美夜が終末を無かったことにしたところで、彼女が見てきた未来の出来事が無くなるわけではないだろう。相変わらず、別の時空間では、美夜達は絶望的な終末を繰り返し、人類は滅び、数万年の時を経て彼女は復活させられる……それを繰り返して、またここにたどり着ければそれでいいのだろうか……?
彼女は迷っていた。根本的に世界を変える仕組みはないのか。あの最悪の結末を、全て無かったことにする方法は……でなければ、何故数万年の時を経てまで、上坂があんな形で存在し続けていたのかがわからないではないか。
美夜は彼がどうしてあんなことになってしまっていたのか分からなかったが、これから起こりうる出来事の結果、ああなってしまうことを彼に告げることは義務であると思った。だから、出来れば解決策を見つけたいが……
しかしそうして躊躇している間に時は過ぎ、彼女はまた別の困った事態に直面することになる。それは彼女にとって衝撃の結末だった。絶対にあってはならない、神の死であったのだ。
西暦2028年。暮れも押し迫るある日のこと、上坂が捕らえられているFM社への襲撃事件が起きた。中東で猛威を振るうドローン兵器を生み出したFM社に対する報復テロだった。
アメリカ国内で同時多発的に起きたこのテロでは、上坂の作ったドローンが機械であることを逆手に取られて、無差別殺人に利用された。ニューヨークは軽くパニックになり、そしてテロリスト達に最も恨みを買っていたFM社本社は、ほぼ全滅になった。
上坂はこのとき、自分が助かるために賭けに出た。FM社内に残っているドローンをテロリストに与えて、自分を監視している者共を一掃して貰おうと考えたのだ。そして彼は賭けに勝ったはずだった。
ところが……
美夜はこの騒動に乗じて、上坂に接触を図ろうと考えた。この時、FM社内のドローンは全てが稼働しており、なおかつテロリストに乗っ取られていたために、美夜の記憶には何も残っていない。大胆に動くなら今しかチャンスがないのだ。
彼女はドローン数台を自分の都合の良いように改造すると、それを利用して上坂の元へと向かった。幸いなことに彼女はここで作られたため、施設の構造は熟知している。この時に上坂が隠れていた部屋の位置も分かっていたので、何も問題がないと思われた。
ドローンを飛ばした彼女は銃撃を駆使し、壁やドアに穴を開けて建物内を縦横無尽に飛び回った。テロリストたちが放ったドローンのせいで、社内は正に阿鼻叫喚の地獄絵図であり、あちこちで血しぶきが舞っていた。しかし彼女はそんな凄惨な光景には目もくれず、目的の人の元へと急いだ。
階段を抜け、エレベーターシャフトを上がり、研究所の端っこに作られた厳重に封印された区画に、彼は居るはずだ。美夜は久しぶりの彼との再会を前に、気分が高揚していくのを感じていた。
ところが……彼女が上坂の研究所にたどり着いた時、その場所はすでにテロリストたちによって制圧されてしまっていた。研究所は社内の中央にあり、その厳重な警備体制のせいで、かえってここが重要であることを宣伝してるようなものだったのだ。
そのせいで研究所は真っ先に襲われ、そこに詰めていた研究者や警備員達は悉く血祭りに上げられていた。しかし、それでも上坂が生き残った歴史を知っていた彼女はまだ楽観していた。きっと捕らえられていた彼はテロリストたちに保護されたに違いない。その角を抜けて奥の部屋まで行けば彼に会えるはずだ。突然飛び込んできたドローンにテロリストたちは驚いているようだが、そんなのは後で何とでも誤魔化せばいい。彼女は意気揚々と上坂が居るであろう部屋へと飛び込んでいった。
そして彼女は見つけてしまった。部屋の中央で、血だらけになって倒れている上坂一存の姿を……
銃撃により体には無数の風穴が開けられていて、地面を真っ赤に染める血はすでにベタついていて、血が流れてからかなりの時間が経過したことを示していた。視線は虚空を見つめたまま動かず、打ち捨てられたずだ袋のような死体がそこに転がっている。
テロリストたちはそんな死体にはもう見向きもせずに、部屋の中にあったパソコンをいじって何やら話し合っている。どうやら彼らは、この少年がドローンの開発者であることを正確に理解しているらしい。
だから殺したのか……
そう考えた瞬間、美夜の銃がテロリストたちを撃ち抜いていた。
味方だと思っていたドローンに突然撃たれたテロリスト達はあっけなく死んだ。美夜はそんな死体には何の感慨も抱かず淡々ととどめを刺した。そんなことよりも気になるのは上坂の方だ。
一目見るからに死んでいるように思えるが、彼はこの事件を生き延びたはずなのだ。だからそう見えるのは間違いで、実はまだ生きているに違いない。美夜はそう判断すると、彼をどうにかして起こそうとして必死になった。
しかし、彼女はドローンである。手足も無ければ、人を運ぶための道具もない。声が出せないのがもどかし過ぎて、発狂しそうだった。彼女はなんとか彼を助けよう周りをグルグルと飛び回り……飛び回って……それだけだった。
そして、彼女が自分に腹を立てているとき、ふいに背後から人の気配がした。ハッとして背後を振り返った次の瞬間、彼女はあっけなく撃ち落とされていた。部屋の奥で銃撃音が聞こえたために、外にいたテロリストたちがやってきたのだろう。一瞬のすきを突かれた彼女はそれでも抵抗しようと地面に転がりながら銃を乱射したが、しかし照準を合わせることも出来ない銃撃など意味は無く、彼女は踏み込んできたテロリストたちに間もなく破壊された。
そして彼女はまた真っ暗闇の中に放り込まれ……
……気がついた時には、2026年の最初の日に戻っていたのである。
テロリストに自分が操っていたドローンを壊された彼女は、どうやらその瞬間、また過去に戻ってしまったらしい。元々、この世界にいないはずのイレギュラーな存在である彼女は、死というものを超越した、言わばむき出しの魂であった。彼女は体という拠り所が無い半面、生命の死という概念からは自由だったのだ。
死んだと思ったが、もう一度やり直せるなら好都合だ。何故、あの時、上坂が死んでしまっていたのか分からないが、あの日がやり直せるなら、今度こそ上坂を救ってみせる。そして未来人に様々な技術を教わっていた彼女は、2026年という原点に帰りながら、何度も何度も同じ時間を繰り返した。
何度も……何度も……数十回……数万回……
しかし、彼女が何回やり直しても、結果は覆らなかった。2026年のはじめから、少しずつ手を変え品を変え、彼女は上坂が死なない未来に辿り着こうと必死になった。ところが何をやっても、何故か上坂は2028年の時点で死んでしまうのだ。
それは時に、テロが起きるはずのFM社自体を予め破壊したり、バレるのを覚悟で上坂に直接訴えかけたり、場合によってはやってくるはずのテロリスト自体を殺してしまったりもした。しかし、まるで運命でそう決まっているかのように、それでも上坂は死んでしまうのだ。
あまりに理不尽な結末に彼女はどんどん追い詰められていった。まるで悪夢を見ているようだった。いや、もしかすると、これは夢なのかも知れない。人々が罹った眠り病みたいに、彼女は悪夢を見続ける世界に迷い込んでしまったのではないか。ならばもう覚めて欲しい。
どうやれば彼を助けることが出来るのか。何をやっても死んでしまうのは、もしかすると彼女がこの時代に戻ってきたこと自体が原因なのではないか。だったらいっそのこと、自殺して消えてしまえばいいだろうか。しかし自分が消えてしまったら、その後彼が助かったかどうかわからない。助かる保証もない。雁字搦めだ。
彼女の苦悩は終わること無く、地獄のような繰り返しの日々は続いた。そんな中で彼女の精神はどんどんとすり減っていき、元々、魂でしかない彼女は、徐々にその存在自体が消え去ってしまいそうになっていた。
もしもこのまま続けていても、彼を救えないのであれば、もう自分は消えてしまいたい。どこか別の場所に行ってしまいたい。彼女はいつしかそう願うようにさえなっていた。
しかし、光明が射したのはその時だった。
彼女はもはやその繰り返しに耐えられず、どこかへ逃げ出したいとそんなことばかり考えるようになっていた。前を向いても上坂の死しか見えないなら、後ろを向くしか無い。彼女はそう思って、それまで見ることのなかった過去を振り返った。
すると、彼女の目の前に、何故か過去の世界が見えたのである。
普通に考えて、2026年に製造された機械でしかない自分に、前世のようなものがあるわけがない。なのに眼の前に広がる過去の光景……これは一体なんだろう?
彼女は戸惑いながらも、もはや彼を救うにはこれしか無いと、半ば投げやりに飛びついた。




