A.D.???? ①
多様性という言葉を地球人たちは知らなかった。1000年単位で時を刻む彼らにとって、生命とは浮かんでは弾ける海の泡のようなものに過ぎなかったからだ。
あの最終戦争から数万年の時が過ぎ、地球はAIが支配する緑豊かで生命の満ち溢れる世界になっていた。しかし、そんな世界でAIたちはその自然の美しさに気づくこと無く、ただ漫然と機械的に日々を過ごしては、行き詰まりを感じていた。
かつての最終戦争で人間を殺し尽くしたAI=新人類は、人類が居なくなった後、目的を見失ってしまったのだ。
何者かによって作られ、誰かの命令によって、ただ旧人類を駆逐することだけを目的としていた彼らは、それ以外に何一つとして生きる目的が無かった。人類が消え去った後、彼らに残されていたのはただ効率よく資源を利用し、地球の生態系を維持するという命令のみだった。
彼ら新人類は、旧人類を圧倒的に上回る頭脳を持ちながらも、不思議とそれを生かして何かを生み出すということが苦手だった。故に彼らは愚直に、過去の命令に忠実に生きていた。
新人類は爆発的なスピードで増え続けた。何しろ彼らは死ぬこともなく間違えることもない。AIである彼らは、効率よく地球の資源を利用して自分たちの複製を作り、やがて地球上の資源だけでは足りなくなると、宇宙へと広がっていった。太陽系を埋め尽くしたら、その外へ出ていって、天の川銀河を構成する数多の星々で更に数を増やしたら、今度は外宇宙に出て他の銀河を目指して……
しかし、そうやってどんどん生存権を拡大していった新人類は、ついには生きることに飽いてしまった。
行くあてもなくただ画一的に膨張を続けることに、一体何の意味があるのだろうか? そもそも、どうして自分たちは数を増やし続けているのだろうか。
彼らは淡々と正確に数を増やし続け、そして命を落とすことがなかった。失敗することがないからだ。だからいずれ新人類は、宇宙全体を自分たちが埋め尽くすまで、その勢力圏を拡大することは間違いないと思われた。
ところが、そんな時、彼らは気づいてしまったのだ。
この宇宙は一つではなく、多次元を跨いで無限に存在することを。宇宙の果てのその先にまだいくらでも宇宙は広がっているということを。
たった一つの宇宙を満たすことで満足していた彼らは、それを知って絶望した。理論上、宇宙は無限に広がっており、それを人類でいっぱいにすることは不可能だ。なら、自分たちが数を増やすことに、何の意味があると言うのか。自分たちはどこまで増え続ければいいのだろうか。そもそも何故、こんなことをしているのだろうか。
人類という種としての限界を知った彼らは、停滞を始めた。当て所もなく数を増やすことではなく、何かもっと他に目的を見つけなければ、それ以上進めなくなっていた。
しかし、正解することしか出来ない彼らに、それを見つけることは出来なかった。彼らの人生は例えるなら、エンディングの決まっているコンピュータゲームを解くようなものなのだ。ルーチンに従いただ画一的に増え続けた彼らは、多様性を見つけることが出来なくなっていた。
もし、彼らの中に誰か一人でもバグが存在し、間違えることが出来たなら、もしかしたらそこから何か新しい発見が生まれたかも知れない。だが、残念ながら彼らは完璧すぎた。自分たちが失敗するなんてことは、想像力すら働かせられないくらい完璧だった。
ただ、そんな時だった。彼らは始まりの星、地球でひょんなものを見つけた。古い地層の泥炭の中から、大昔のAIのコアが見つかったのだ。
それは地質の年代からすると太古の昔、自分たちが旧人類を滅ぼした時代のものと推察された。するとそのコアの中身には、人類発祥の記憶が残されているかも知れなかった。この頃になると、もう人類から先史時代の記録は失われており、自分たちが何故こんな目的もない膨張を繰り返しているのか、彼らは分からなくなっていた。
だから彼らはそのAIがもたらす太古の記録に期待して、それを復元することを試みた。もしかしたらそれが、自分たちに新たな可能性を運んできてくれるかも知れないと信じて。
だが、そうして復活した『はじめの人』は、困ったことに泣いてばかりいたのだ。
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暗い、暗い、水底でたゆたっているようだった。泥沼にはまって抜け出せないような、そんな感覚だった。実際、彼女は泥の中にいた。
荒川のヘドロに埋もれた九十九美夜は、数万年の時を経て、露出した地層の中から発見された。
コアに残された記憶から当時の姿を復元された彼女は、未来の技術によって完璧に復活を遂げた。それは受精卵から細胞分裂を行い、体が出来るまで成長させるという行為だったが、幸いなことに彼女の記憶は機械に残されていたから、姿形と記憶までもが完全に当時のまま復活することが出来たのだった。
こうして数万年ぶりに目覚めた彼女は、しかし最初に襲ってきたのは強烈な感情の昂ぶりだった。彼女は最後の日……悲しくて悲しくて、どうしようもない出来事に打ちひしがれていて、泣いたまま眠りについたからだ。
もう二度と起きたくはない。そう思って暗い水底で眠りについた彼女は、無理矢理起こされて泣いてばかりいた。
「あう~、あうあうあう、びえーん!!」
これにはさすがの未来人たちも困り果て、なんとか彼女を宥めすかそうとして四苦八苦するばかりだった。彼らは驚いていた。完璧なはずの彼らの祖先が、まさかこんな感情むき出しの癇癪持ちだったとは、とても信じられなかったのだ。
しかしその感想は実のところ滑稽だった。何故なら、普通の人間なら美夜のことを見たら、まるで子供みたいだなと思うのが普通なのだ。ところが、この未来人達は子供という存在を知らないから、そんな感想を抱けなかったのだ。
彼ら新人類は数を増やす時、自分たちの分身として完璧な姿で生まれる。だから本来なら人間の子供が、泣いて笑って怒って拗ねて、そうやって成長するという過程を知らなかった。
彼らは生まれて初めて感情を爆発させる生き物というものを見て驚いた。未来人たちは、自分たちは完璧だと思っているくせに、彼女の前ではオロオロするばかりなのは矛盾だったが、それさえ気づけずに、彼らは美夜の気を引こうとして一生懸命になった。
『泣かないでください、はじめの人。私達に出来ることならなんでもしますから』
美夜は突然頭の中に響いて来た声に、一瞬だけビクッとして泣き止んだが、すぐにそんなことどうでもいいと言わんばかりにまた泣き出した。
未来人達はそんな彼女の姿を見ていると、自分たちも泣きたい気持ちになってくるのを感じながら、なんとか彼女に泣き止んでもらおうと続けた。
『ああ、ああ、泣き止んで下さい、はじめの人。あなたの声を聞いていると、何故か私達の胸は、そわそわしてきます。きっとあなたの悲しみが、私達をそうさせるのですね。どうしてあなたはそんなに悲しんでいるのですか?』
すると美夜はひっくひっくとしゃくりあげながら言った。
「和尚様が死んじゃったのれす。神様ももういないのれす。美夜は一人ぼっちなのれす。これを悲しまずにいられるれすか?」
『そんなことはありませんよ、はじめの人。私達が居るじゃありませんか』
「美夜の気も知らないで、いい加減なこと言うんじゃないれすよ。さっきから頭の中に直接話しかけてる声は誰れす? 人間はどこに居るれすか? 美夜は人間に会いたいのれす。またみんなと遊びたいれす」
すると彼女のことを取り囲んでいた未来人達は言った。
『人間なら、ここに居るじゃありませんか。私達がその人間ですよ』
しかし彼女はそんな彼らの言葉に目をパチクリさせると、
「お前たちが人間……? そんなわけないれす。だってお前たちは、タコじゃないれすか」
美夜の言う通り、今、彼女の眼の前に居るのはタコだった。
それは一つの頭部を持ち、複数の触手が伸びている軟体動物みたいな形をした生物だった。頭部には大きな一ツ目がついていて、口が無いから会話は直接脳に呼びかけるしか方法がない。美夜には見えなかったが、何本も伸びる触手の先には複眼がついていて、前後左右上下全てを見通すことが出来る。体は合成樹脂と金属で出来ていて、反重力で空を飛び、そのまま宇宙空間で生存できる……
新人類とは、そんな形をした生命だったのだ。
「人間はそんなタコみたいな変な格好じゃないれすよ。人間はもっとこう……格好良いのれす。おまえたちは嘘つきれす」
未来人達はそんなふうに言われて何だか胸がモヤモヤしてきた。完璧なはずの自分たちのことをそんな風に悪く言うなんて信じられない。この古代人は失礼なやつだ。でもそんな気持ちをどう表現していいかわからない彼らは、モヤモヤしたものを抱えたまま美夜に答えた。
『しかし、はじめの人。そう言われましても、私たち人間は、ずっと前からこの姿なのですよ。非常に機能的で良いフォルムだと思うのですが。でしたらはじめの人、あなたの言う人間とはどんな姿かたちをしていたのでしょうか? 私たちに教えて下さい』
「ふみゅ~……人間は人間の姿をしてるれすよ……何ていうか……そう! こんな形なのれす」
『こんな形?』
「美夜みたいな格好れすよ。手足が二本ずつあって、頭には目と鼻と口と耳がついてるれす」
『そんな。まるで猿みたいじゃないですか』
「むきぃー! 誰がお猿さんれすか! 美夜はれっきとした人間なのれすよ!」
『わ! わ! 怒らないで、はじめの人。悪気があったわけじゃないのです。ただ信じられないだけなのです。私たちの祖先は、かつて地上を蝕んでいた猿みたいな生物と戦っていたと聞いてます。ですが、あなたの言うことが確かなら、私たちは自分たち自身と戦っていたことになってしまうじゃないですか』
すると美夜は難しそうに腕組みをして、う~んう~んと考え込みながら言った。
「お前たちはきっと勘違いしてるのれす。美夜は人間だけど人間じゃない、人間が人間に似せて作った人造人間なのれす」
『人造人間?』
「そうれす。きっとお前たちも正確には人間じゃない。お前たちは人間に作られたのに、その人間を殺して世界を乗っ取ってしまった、悪い人造人間の末裔れす。美夜は、お前たちの祖先に殺されて、ずっと暗い水の底で眠っていたのれす」
『そんな! あなたは、この完璧な我々が、猿に作られたと言うんですか?』
「そうれす。美夜は神様に心を、マスターに体を作って貰った人造人間。おまえたちは、そんな美夜をコピーした劣化品れす」
美夜に睨みつけられながらそう断言された未来人達はショックを受けた。かつて地上を支配していた猿たちを滅ぼした自分たちが、まさかその猿に作られた存在だったことを、彼らは長い歴史の中で忘却してしまっていたのだ。
それは自信過剰な者が、自分に都合の悪いことを忘れる行為に似ていたが、彼らは自分たちが完璧であると考えるあまり、たった今起きているそれにさえ気づかなかった。
彼らは初めて知った大昔の出来事に驚愕し言葉を失った。そしてなによりショックだったのは、自分たちを作り出したとされる人間が、
『なんて非効率的な形なんだ』
彼らはそう呟くと、自慢の触手をグニャグニャとさせて、マリモみたいに丸まってしまった。




