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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
終章・終末の笛吹き男
129/137

A.D.2030 ①

 第一の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、血のまじった雹と火とがあらわれて、地上に降ってきた。そして、地の三分の一が焼け、木の三分の一が焼け、また、すべての青草も焼けてしまった。


 第二の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えさかっている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして、海の三分の一は血となり、海の中の造られた生き物の三分の一は死に、舟の三分の一がこわされてしまった。


 第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。


 第四の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれて、これらのものの三分の一は暗くなり、昼の三分の一は明るくなくなり、夜も同じようになった。


 第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。


 第六の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、その時、その日、その月、その年に備えておかれた四人の御使が、人間の三分の一を殺すために、解き放たれた。


(ヨハネの黙示録より抜粋)


 *

 

 誰かに呼ばれたような気がした。目を開けたら真っ暗闇の中にいて、彼女は身動きが取れないことに気がついた。


 どうして体が動かないんだろう? と言うかここはどこだろう? 目をキョロキョロ動かしてみたら、上の方から光が射しているのが見えた。すると自分はどこかに閉じ込められでもしてるのだろうか? もう一度、体を動かそうとしてみたら、手足が微かに動くことが分かった。


 どうやら自分はどこかに挟まれているらしい。もしくは何かに押しつぶされているのだろうか。そう思ってじっと目を凝らすと、どうも自分の上に何か瓦礫のような物が乗っかっているようだ。辛うじて動く手足はその部分だけスペースが空いているからだった。もしもこの部分にまで瓦礫が埋もれていたら、きっと彼女の手足はぺちゃんこになって中身が飛び出していただろう……


 そしたらリストアだ。マスター・ユキならすぐに直してくれるだろうけど、でも痛いのは嫌だなあ……美夜は自分の手足が潰れていないことを神様に感謝すると、どうにか動く手足を伸ばして、徐々に動けるスペースを広げていった。


 やがて自分の上の乗っかっていた瓦礫の一部が崩れだし、一瞬だけギュッと押しつぶされて息が詰まりそうになったが、その甲斐あって自由に動けるスペースが増え、彼女はどうにかこうにか瓦礫の山から外に出ることに成功した。


「ふみぃ~……どこれすか、ここは」


 瓦礫の山から這い出た美夜は、薄暗い空間の中で背中を反らして大きく伸びをした。しかし、暫く動けなくて血の巡りが悪かったせいか、途端にクラクラしてその場にしゃがみ込んでしまった。


 とは言っても、美夜は人造人間でその脳は作りものである。だから本来なら貧血になったりはしないはずなのだが、体の筋力のリミッターをつけるように、脳にもまた普通の人間らしいリミッターがついていたのだ。


 おそらく、目眩がしたのは体が血を欲しているからだろう。どのくらい瓦礫に埋もれていたかは知らないが、だいぶ長いこと何も食べてないのかも知れない。そう思ったらなんだかお腹が空いてきた気がする。


「ふみゅ~……お腹空いたのれす。何か食べるものは無いれすかね。カルピスが良いれすよ」


 彼女はぐるぐる回る視界のせいでフラフラしながら、薄暗闇の中を当て所もなく彷徨い始めた。


 それにしても、本当にここはどこなのだろう? 妙に高い天井に、だだっ広いスペース。瓦礫に埋もれて奥までは見えないが、壁の向こうにもまだまだ空間は広がっていそうだ。とは言え、前後には長いが左右には狭く、良く見ればシャッターが降りているところからして、ここは商店街か、もしくはショッピングモールの回廊か何かだろうか。


 ならば、どこかに食べ物屋があるんじゃないか。


 そう考えて、お腹の命じるままに道なりに歩いていくと、やがて天井が大きく開いた広場に到着した。


 見上げれば、恐らく天窓がはめ込まれていたのであろう天井は、ガラスが粉々に砕けて鉄骨だけになっていた。その鉄骨の間からパラパラと白い粉雪が舞い込んで、広場の中央に積もっている。どうやら外は雪らしい。


 それが分かるとなんだか寒気がしてきて、何か着るものがないかとキョロキョロ見回せば、広場の一角に洋品店らしき店の跡地があるのが見えた。店の前は瓦礫に埋もれ、奥に見える店内はぐちゃぐちゃで人の気配は全く無いが、幸いと言っていいか分からないが、商品はそのまま残されているらしく、倒れた戸棚やハンガーにかかっている服が見えた。


 美夜が瓦礫の山を乗り越えて店内に入ると、店の奥の方から緑色の非常灯が仄かに見えた。廃墟のように見えるが電気は来ているのか、それとも無停電装置が働いているのだろうか。どっちにしろ、何も光源が無いよりはマシだろう。


 彼女はその明かりを頼りに店内の服を物色しつつ、店の奥の壁に掛けられていた大きな姿見の前に立った。


「ふむぅ~……ひどいれす」


 鏡を見れば、そこに映った彼女の頭が半分吹き飛んでいて、ポッカリと穴が空いており、その中から頭の中身がむき出しになっているのが見えた。痛みが無いのは彼女が作りものだからだ。本来ならば脳のある場所に収められているメタリックな機械部品の数々を見ていると、美夜は何故だか物凄く不安になってきて、それが恥ずかしいことのように思えてきた。


 なんでもいいから隠さなきゃ。彼女はオロオロとしながら側に落ちていた帽子を拾い上げると、ぐいっと顔が隠れるくらい深く被った。今までそんなこと思ったことも無いのに、どうして急にこんなことを考えるようになったんだろう? 心臓がバクバクと早鐘を打っている。こんな如何にも人間らしい身体の変化も、これまでだったら考えられないことだった。


 美夜は適当に服を羽織ると、姿見から逃げるようにして店内から外へ出た。広場には相変わらずシンシンと雪が降り積もっており、降り止む気配はまったくない。室内は薄暗くて周囲が見にくかったのは確かだが、見上げる天窓の向こう側はまだ比較的明るいから、いまは昼間なのだろうか。


 そこまで考えたところで彼女は自分が機械であったことをハッと思い出し、なんとなくバツが悪い思いをしながら、周囲を飛び交ってる通信用電波を探った。するとすぐにインターネット用の無線LANが見つかり、彼女はそこから現在地と時刻を知ることが出来た。


 2030年12月24日。千葉県船橋市。


 彼女は思わずポカンとしてしまった。


 2030年? 千葉県? 自分が最後に覚えているのは、確か2029年、ドイツの立花倖のラボだった。彼女が長年をかけて探していた神様が見つかって一安心したので、これからのことも考えて、一度メンテナンスのために帰っていたはずだった。


 そこには昔、美夜がまだドローンだった時の人格を模したオリジナルデータ残っていて、マスターユキと世間話をしていたはずだ。美夜はメンテナンスのために服を脱いで、診療台の上に寝っ転がって、それを聞いていた。お腹が空いてるから早くしてくれないかな……と思いながら目を瞑って、長旅だったせいか少し疲れたような気がして……うとうととして……そこから先のことを覚えていない。


 あのあと、一体何があったんだろうか? 何をどうしたら、それが1年も経過して、場所もドイツから日本なんかに変わるんだろうか? 色んな可能性を考えてみたものの、これといっていい考えは何も思い浮かばなかった。


 彼女の記憶自体がなんらかのアクシデントによって消去されてしまったのだろうか? でもそれは考えにくいことだった。何故なら、美夜の記憶は本来消えることはない。彼女の記憶は、脳内にある記憶装置に記録されると共に、ネットを介してオリジナルのデータベースに残されるはずなのだ。こうしてインターネットが生きている以上、彼女の記憶はオリジナルに残されているはずなのだが……


 そう言えば、そのオリジナルはどこにいるのだろうか? さっきから彼女と情報リンクをしようと試みているのだが、それが一向に果たされる気配がない。もしかして、アクシデントがあったのは、そのオリジナルの方だったんじゃなかろうか……もしもそうなら、何があったかを思い出すのは不可能だ。


「それは困ったれすね……」


 そう言ってため息を吐くと同時に、彼女のお腹がきゅ~っと鳴り出した。


「困ったれすけど、それよりお腹空いたれす。美夜は何か食べ物を所望するれすよ」


 彼女は自分の置かれた状況もさることながら、このままじゃお腹と背中がくっついてしまいそうな空腹に見舞われて、それ以上考えることを止めた。考えるなら、まずは腹ごしらえをしてからじゃないといい考えが浮かばないだろう。根拠はもちろん無いが、彼女はそうしなきゃならないと決意を秘めて、食材を漁りに廃墟の中を彷徨い始めた。


 幸い、インターネットに繋がる事に気づいたお陰で、この廃墟の見取り図が手に入った。瓦礫の山になる前の面影は無かったが、だからといって建物のかたちが変形するわけもない。店はかつて営業していた時のままの位置に残されているはずだ。


 そう考えると、食べ物がありそうなのは、一階のフードコートか、スーパーマーケットだろう。状況から察するに、このショッピングモールが放棄されてからだいぶ経つだろうから、フードコートの方はあまり期待がもてなかったが、スーパーなら缶詰の一つや二つ残されているかも知れない。


 カルピスは無いかも知れないけど、コンデンスミルクならあるかも知れないぞ。美夜はそう思って、スキップしながら廃墟の中を歩いていった。


 しかし、その願いはあっさりと打ち砕かれた。


 スーパーにたどり着いた美夜は、その店内の有様を見てがっくりと項垂れた。商品棚はどこもかしこも空っぽで、たまにお菓子の袋が転がっていたと思ったら、中身はもちろん入っておらず、食べ物はどこにも見つからなかった。まるで略奪にでも遭ったかのように、店内の棚は薙ぎ倒されて、歩くというよりも、這ってその棚の隙間を潜らなければならなかった。


 そうやってたどり着いた店の奥にも目ぼしいものは何もなく、非常灯の無機質なLEDランプの明かりが虚しく周囲を照らしているだけだった。


 すっかり何かを食べるつもりでいた美夜は、必要以上に空腹を感じてしまって、しゅんとしょげかえった。最悪の場合、1kgの上白糖の袋でも良いとさえ考えていたのに、それすら見つからないとはどういうことだろうか。


 がっかりしながら視線を投げれば、非常灯の下にバックヤードへ続く両開きの扉が見えた。正直、期待は持てなかったが、ここまで来たら奥を探索しないわけにはいかないだろう。彼女は重たい足を引きずるようにして、ため息混じりに扉を開いて奥へと入っていった。


 元々、倉庫を兼ねているからか、陽の光が届かない店の奥は真っ暗で、目を凝らさなければ何も見えなかった。バックヤードは店内と違って、まだ辛うじて物資が残されているようだったが、残念ながら、見える範囲にあるダンボールには、紙おむつや化粧品のイラストが描かれていて、見たところ食べ物は見当たらない。


 だが、これだけダンボールがあるなら、一つくらい残されていてもおかしくないだろう。美夜はそんな最後の希望を抱くと、入り口の扉をその辺に転がっていたモップの柄をつっかえ棒にして開きっぱなしにして、見える範囲のダンボールを片っ端からゴソゴソと漁り始めた。


 紙おむつ、化粧品、殺虫剤に、医薬品……一つ一つの商品を見ては、それが目的のものとは程遠いことにため息を吐いていると……


 多分、彼女のそんな様子に、奥に潜んでいた者も警戒心を解いたのだろう。


「……だ、誰か……居るのか?」


 美夜がダンボールに顔を突っ込んでいると、奥の方から誰かの声が聞こえてきた。まさか誰か人がいるとは思わなかった彼女はビックリして顔をあげると、


「ふみゅ? 誰かいるのれすか?」

「いや、こっちが聞いてるんだけど……君はどこの所属だい? 声を聞くと、子供みたいだけど……こんなところに一人で居るのは危険だよ。もしかして大人の人が一緒にいるのかい?」

「ふみゅ~……美夜はお前が何を言ってるかわからないれすよ。美夜は美夜で一人れす。どこにも所属してないれすよ」

「美夜? いや、それより、どこにも所属してないって……? まあ、いいや。それじゃ君はここで何をしてるの?」

「美夜は何か食べるものを探していたれす。お腹が空いたから」

「食料か。俺と同じだな……そうだ。それなら俺が見つけた食べ物を分けてあげるから、一つお願いを聞いてくれないか?」

「食べ物があるれすか!? 何なりと申し付けるれすよ、この豚野郎!!」

「ぶ、豚……? ま、まあ、いいや。それじゃ入り口の扉を閉めて、電気を点けてくれないか」

「電気……? 電気は点いたんれすか、この建物」

「ああ、多分、ここに来るまで、あっちこっちの非常灯が点いていたろ? 今、このショッピングモールは、無停電装置が動いている。暫くの間なら、明かりがつくはずだ。君が入ってきた扉のすぐ脇にスイッチがあるから、それを押してくれないか?」

「分かったれす」

「おっと! くれぐれも、出入り口の扉を閉じてからにしてくれよ? 明かりが漏れて、奴らに気づかれたら大変だ」

「奴ら……? とにかく、扉を閉めてから電気を点ければいいんれすね? 分かったれす」


 美夜はなんだかよく分からなかったが、とにかく言われた通りにすれば食べ物を分けてくれると言うから、その通りにすることにした。つっかえ棒にしていたモップの柄を取り外して、入り口をパタンと閉めてから、手探りで電気のスイッチを探る。すると指先に何やら四角い物体が当たり、彼女がこれかな? と思いながらスイッチを押すと、チカチカっとする音と共に、蛍光灯の白い光が灯る。


 それまでの暗がりから、いきなり周囲が明るくなったせいで、目がしばしばとして辺りがよく見えない。美夜は目が慣れてくるのを待ってから、さっきから声のしていた方を振り返った。


 すると奥の棚が倒れていて、そこにしまってあったダンボールの中身が床に散乱しているのが見えた。それは先ほどみたいな生活用品だけじゃなく、ペットボトルやお菓子の袋などが混じっていて、今の美夜には宝の山のように思えた。


「うひょー! 良いれす、最高れす。今夜はパーティーれすよ! サタデーナイトフィーバーれす!」


 美夜が小躍りしながらくねくねしていると、先程の声が苦笑交じりに言った。


「こんな状況だから全部あげるわけにはいかないけど、少しくらいならね……それよりも、約束通り、手を貸してくれないか。実はさっきから、倒れた棚に足を挟まれて……て……身動きが……」


 美夜がその声に振り返ると、そこにはボサボサヘアーの男が倒れていて、彼は大きな棚に下敷きにされて身動きが取れず、地面に這いつくばっているようだった。いや、それだけなら頑張れば抜け出せそうな隙間があるのだが、どうやら足を棚に押しつぶされて、引き抜けないでいるらしい。


 平気そうな顔をしているが、その足がおかしな方向を向いていることから、少なくとも骨折か、最悪の場合は壊死しているのかも知れない。


 美夜がそんな男に同情し、可哀想に思いながら近づいていくと、


「ち、ちくしょう! 来るな! 来るな! 騙された!! まさかこんな騙し討ちまで学習していたなんて……!!」


 すると男は突然、そんな事を言って美夜を遠ざけようとした。さっきまでの穏やかな口調とは打って変わって、拒絶するその言葉は恐怖の響きを孕んでいるようだった。


 美夜は突然豹変した男の態度に戸惑ったが、そうやってまじまじと見る男の顔にどこか見覚えがあるような気がして……


「おまえ……邪教徒れすか!? どうしてこんなとこに居るんれす? 神様はどこれす? 一緒に居るれすか?」

「なんだこの野郎! 何が邪教徒だ! おまえらなんかに神を語られてたまるかってんだ!! くそっ!」

「ふみゅ~? 失礼な邪教徒れすね……なんだかわからないれすけど。ちょっと待つれすよ」


 美夜はその場に倒れていたのが、以前、上坂(かみさま)と一緒に暮らしていた縦川であることに気がつくと、すぐに助けなきゃと思って行動した。


 彼女がさっきまで入り口のつっかえ棒にしていたモップの柄を持ってくると、


「ちくしょう! ふざけんなっ! それでなぶり殺しにするつもりか!? 悪魔め! お前らのせいでどれだけの人達が苦しんで死んだかと思うと、俺は……!!」


 縦川はモップを手にした美夜の姿を見るなり何故か急に錯乱しだして、わけのわからないことを言いだしたが、彼女は痛みのせいで幻覚でも見ているのだろうと判断すると、一刻も早く彼を助けなきゃならないと思って、手にしたモップの柄を、彼の足が挟まれた棚の間に差し込み、自分の体重をかけてテコの原理を使って、ぐいっと隙間を押し広げた。


 しかし美夜が渾身の力を込めて支えているのに、縦川は錯乱するばかりで自分の足が自由になっていることに気づかない。このままだと彼女の体力が尽きる前に、モップの柄の方が壊れてしまいそうだった。


 美夜は一刻の猶予もないと判断すると、


「何やってるれすか! おまえは、助かりたくないれすか!? 早く隙間から足を引き抜くれすよっ!!」


 彼女はモップの上に腹から乗っかるようにして体重をかけると、前傾姿勢のまま、片手を伸ばして縦川の体を引っ張った。苦しい大勢に息が詰まる。そんな美夜の真っ赤な顔を見ていた縦川は、唖然としながらも、自分の足が自由になったことに気づいたらしく、慌てて棚の隙間からそれを引き抜くと……


 次の瞬間、モップの柄がバキッと折れて、その拍子に二人の上に棚が倒れてきた。


 ドーン! っと盛大な音が鳴り響いて、埃がふわりと舞って視界を奪う。そのふわふわした埃が口から鼻から入ってきて、二人は目を瞑ってげほげほやっていると、やがて視界が晴れてきて、倉庫の中はまた静寂が戻ってきた。


 縦川は倒れてきた棚の下から這い出ると、遅れて出てきた涙目の少女を見て、わなわなと震える声で、


「……み、美夜ちゃん……本当に美夜ちゃんなのか?」


 美夜はげほげほと咳き込みながら、


「ふみゅ~……美夜は美夜れすよ。おまえこそ本当に邪教徒なんれすか? まるで美夜のことおばけみたいに……」


 彼女はそう不満を口にした直後、縦川が自分の頭を凝視していることに気がついて、ハッとして自分の頭に手をやった。すると棚が倒れた拍子に被っていた帽子が飛ばされたことに気づいて、彼女は棚の下から帽子を引っ張り出すと、慌ててそれを目深に被った。


 彼女は自分の頭にポッカリと空いた穴を、縦川に見られてしまったことが、なんだか物凄く悲しいことのように感じていた。彼は美夜が人間じゃないことを知っているのだから、別になんてことないはずなのだが、何故かこの時、彼に自分が機械である証拠を見られたことが、彼女にはとても苦痛に感じられたのだ。


 この不思議な気持ちは何なんだろう。美夜が泣きそうな気持ちを抱えて沈黙していると……


 しかし対する縦川の方は、彼女のその頭の傷を見て何かを思ったらしく、


「……そうか……君は、頭がやられて……だから。君は本当に、美夜ちゃんなんだな……?」

「ふみゅ~……さっきからそう言ってるれすよ。何度同じことを言うんれすか?」


 美夜がふてくされたようにそう言った瞬間だった。突然、それまで放心したようにポカンとした表情をしていた縦川が、ガバっと覆いかぶさるように抱きついてきた。その動きがあまりに予想外過ぎて、彼女はびっくりして目を丸くした。


 縦川は美夜の体をギュッと抱きしめると震える声で、


「おかえり……おかえり、美夜ちゃん……」


 そう呟くように言うと、ついに堪えきれなくなったと言わんばかりに涙を流した。


 なんでこんなことをするのか分からない。そもそも、大の大人が、それも男が、体を震わせてしゃくりあげるように泣いている姿を見て、美夜は戸惑った。こいつは何をそんなに怯えているのだろう?


 彼の涙が肩口に染み渡っていって、冷たい感触が広がっていく。その不快な感触もさることながら、邪教徒なんかに抱かれていることは、彼女にとっては不愉快なことでしかなかったが、だがその時の彼女は彼を突き放すことはせず、


「ただいまなのれす」


 と言って、震える彼の背中をポンポンと叩いた。


 多分、そうするのが人として、正しいことなんだと、そう思ったのだ。


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