ふざっけるな!
欧州の状況は逼迫していた。ドイツのクーデターから始まった欧州争乱は、フランスやベネルクス地方、北欧など、各地で相次いで起こるイスラム過激派のテロにより、民族紛争の様相を呈してきた。元々、移民への不満が燻っていた欧州各国では、これにより移民排斥運動への機運が高まり、パリでの大規模カウンターデモを皮切りに、続々と各国の一般市民達が非難の声を上げ始めた。
為政者たちは経済発展を謳いながら移民や難民を受け入れていたが、それで本当に自分たちの暮らしは楽になっただろうか。人道支援を声高に叫んだが、それで我々の社会が安全になったのか。移民反対。難民が可哀想などと悠長なことを言っていたら、いつの間にか自分たちの身に危険が迫っていたのだ。金持ち共の言うことは、もう当てにならない。そもそも、あいつらは自分たち庶民のことを監視していた悪党ではないか。倒されるべきは金持ちと、奴らが選んだ現政権だ。
インターネットを通じた呼びかけは各国の若い世代を中心に波のように広まり、特にフランス国内で大きなうねりとなっていた。元々、先進国の中では異様に高い出生率を誇るフランスでは、その分だけ若者の失業者が目立っていた。仕事がなく、尊厳を傷つけられ、日陰を歩き、暇を持て余していた若者達が、明日食べる物にも困るような状況に追い込まれたら何が起こるかは言うまでもない。
フランス各地では若者たちが目を血走らせながら商店を襲い始め、路上駐車していた車を片端からひっくり返していった。政府は混乱を収めるべく警官隊を投入したが、勢いづいた若者たちの前では放水などは文字通り焼け石に水でしかなく、ついには警察署を襲撃されて、署長が拘束されてしまうなどという大失態を演じてしまう。暴徒と化した若者たちの群れは勝利宣言を行い、パリの凱旋門広場を埋め尽くした。
年寄りや金持ちたちは、そんな若者たちのことを同情と哀れみの目で見ており、何も言えなかった。フランス政権は第二次大戦以来の国家存亡の危機だと煽り、国軍を投入しようとしたが世論の協力が得られず、おまけに東のローゼンブルク、ドイツ国境が気になって身動きが取れない。そうこうしている内に、フランスの若者たちに勇気づけられた、他国のこれまた若い世代が、同じようにデモを暴動へと過激化させ、それがイタリア、スペイン、北欧と広まっていき、ついにイギリスにまで広まってしまった。
そんな政治的混乱に拍車をかけるように、欧州各国の政権を担う政治家達が続々と眠り病に倒れていった。ここ欧州も日本同様、FM社のワクチンが広く流通しており、そのキャリアは国民の大多数がそうだったのだ。
眠り病に倒れるのは政権側、反政府側まちまちだったが、これを引き起こしたドイツのクーデター勢力……ナチスにとってはどっちでもいいことだった。結局、混乱さえ起こればそれでいいのだ。
政権の中の誰かが倒れれば、それだけでその国の政治は混乱する。すると日本と同じようにインフラが乱れ、国民の不安が高まる。そんな時に移民への憎しみを煽られたら、彼らはころっと騙されてしまうだろう。
中東では戦争が長引き、難民が続々とトルコ~ギリシャ国境を越えてくる。頼みの綱のアメリカは依然沈黙を保っており、もはやデモ隊と難民の衝突は避けられない状況となっていた。
ドイツ国内はそんな世界情勢を受けて、徐々にクーデター側への支持が批判を上回ってきた。特にベルリンの若者たちや東欧から出稼ぎにきた白人たちが中心となって、国内のトルコ人やアラブ人、東洋人を攻撃した。
ネオナチであることを隠さない彼らに対し、既に火の車になっていた貧困世代が呼応する。この期に及んで生半可なことを言って尻込みしている穏健派は、指をくわえて見ているがいい。革命とは国を憂えるから行われるのではなく、奪うために行うのだ。
こうして国内世論と一部過激な軍部隊の後押しを受けた新生ナチス政権は、ついにローゼンブルクへの侵攻を決意する。既にドイツ国内の欧米企業の拠点は、軒並みデモ隊によって抑えられており、あとはヨーロッパ最大の拠点であるローゼンブルクを落としてしまえば、欧州でのアメリカ……ひいてはNATOの動きは完全に封じることが出来るはずだった。
言うまでもなく、欧州混乱の影にはヒトラーの手引きがあった。フランスで暴動を起こしたのも、イタリアの若者たちが決起したのも、その発端となるアラブ人たちのテロ事件も……実はネオナチ達が準備していたものであり、彼らは状況を見計らって次々と混乱を演出していたのだ。
そうとは知らない若者たちは、ただ暴力に酔いしれ、金持ちから奪うことに満足していた。今まではこっちが奪われてきたのだ、今度は自分たちが奪う番なのだ。ヒトラーはそんな愚かな若者たちのことを操り、ほくそ笑みながら最後の仕上げを行おうと、各国に潜伏させていた部隊へと指令を飛ばしていた。
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ジーク・ハイル! ハイル・ヒトラー! の呼び声が、ローゼンブルク国境の山間に響き渡った。熱狂的な彼らの声に呼応するように、装甲車の中から軍服を着た小柄な少女の姿が現れる。屈強な男たちに両脇を守られながら彼女が野営地に現れると、そこを守っていた兵士たちは爛々と輝く瞳を彼女に向けた。兵士たちはもはや、神がかり的な作戦能力で欧州を混乱せしめた彼女のことが、ヒトラーの生まれ変わりであることを疑っていないようだった。
彼女はそんな兵士たちの熱狂的な声援を浴びながら野営地に作られた演壇に登ると、ついに始まるローゼンブルク侵攻作戦に向けて、士気向上のための最終演説を行った。
「諸君! 我がナチス軍は、明朝、日の出とともに、ローゼンブルク国境を越える。それと呼応して、各国の若者たちが立ち上がり、各国の都市を襲撃する手はずとなっているのだ。愚かな群衆は、いくつかの商店を襲い始めれば我先にと強奪を始めるだろう。既にここ欧州も、インフラが麻痺しており、民衆は空腹に耐えかねている。そんな民衆に食料を分け与え、空腹を満たしてやれば、誰が正義で誰を憎むべきかを即座に理解するはずだ。
監視チップの存在を覚えているか!? 我々弱者は、金持ちによって虐げられていたのだ。奪われていたのだ。唾棄すべき金持ち共は、ユダヤ人は、こうして世界を私物化してきた。もはや独占を許してはならない。正義は我にあり。そう言えば、殆どの者が呼応し、哀れな金持ちどもは、ユダヤ人は、群衆によって八つ裂きにされるだろう。
そして欧州の全ての都市を制圧した暁には、我がナチスドイツが各国の軍隊を吸収し、ヨーロッパに新秩序を作るだろう。そして生まれ変わった第三帝国は、ヒトラーの旗のもとに、イスラエルへと宣戦布告を行う。第二次大戦以来、ずっと世界が混乱しているのは、全ては中東の癌であるイスラエルの仕業だったのだ。我々は現代に蘇った十字軍としてこれを許してはならない。我々は今より、ユダヤ人から世界を取り戻すための最終戦争を行うのだ!」
ジーク・ハイル! ハイル・ヒトラー! 兵士たちの熱狂的な叫び声が響き渡る。高速道路を挟んだ向こう側には、ローゼンブルクの戦車数台が砲塔を向けており、それに随伴する歩兵が不安そうな目でこちらを見ていた。
ヒトラーはそんな哀れな敵兵を見てほくそ笑むと、壇上からナチスの制服を着た頼もしい兵士たちに向けて、満足げに手を振った。
彼らにはまだ話をしていない機密事項であったが、既にロシアとは話がついていた。明日、ナチスがヨーロッパを制圧した暁には、ロシア軍はアラスカへ向けて進軍を開始する。大統領不在の移民国家アメリカは、未だに国内の暴動を満足に収めることも出来ないでいるのに、中東に派兵した兵力のせいで分断状態にあった。かつてないほど弱体化している本土を、ロシアとナチスで挟撃すれば、あのアメリカであっても落ちるのは時間の問題だ。
中国もあの目障りな在日米軍、そして日本を叩けるチャンスであるからと、ナチスへの協力を約束してくれている。かの商人国家は『金』を所望しており、日本の抱え込んでいる莫大な外債を餌にしたら簡単に話に乗ってきた。彼らが太平洋艦隊を釘付けにしてくれている間に、電撃作戦で敵本陣を急襲するのだ。
無論、アメリカを潰したあと、ロシアに好きにさせるつもりはない。スラブ人を奴隷化するための手もすでに打ってある。奴らは憎しみを輸出しすぎてきたことに、まだ気づいていないのだ。アメリカ無き世界で覇権を握るのはこのドイツだ。
面白くなってきたぞ。あの絶望的なベルリン攻防戦……その最中で死を選ぶしか出来なかった屈辱に対する意趣返しだ。馬鹿なアメリカよ。東西から挟まれて虫けらのように死ぬがいい。
「ふふふふ……ははははははは!!」
ヒトラーの高笑いが山間に不気味にこだまする。
東の空が徐々に白み始めてきた。もう間もなく、世界は最終戦争に向けて動き出す……ついに第三帝国の、ヒトラーの勝利が始まるのだ。
「総統閣下! 大変です!!」
しかし、そんなヒトラーのもとへ、一人の伝令が駆け込んでくる。
「なんだ、騒々しい!」
気持ちよくなっているところ、水を差されたヒトラーがムスッとした顔を向けると、伝令は一瞬だけ引きつけを起こしたように固まってしまったが、すぐに自分の役目を思い出して、必死に恐怖に耐えながら続けた。
「ジ、ジーク・ハイル! お知らせします。たった今、ベルリンの議会に残していた部隊から、捕らえておいた議員共が反乱を起こしたとの連絡が入りました!」
「なんだとっ!? しかし、議員共は捕まったショックから、殆どが眠り病を患っていたはずだ。抵抗できるような力は残っていないはずだ」
「そ、それが、報告によりますと、抵抗を始めた議員たちを指揮しているのは連邦首相その人であるとのことで……」
「馬鹿な!」
連邦首相は議会を占拠した時に真っ先に痛めつけ、絶望させておいたはずだ。彼は他の議員に先立って眠り病に罹り、その事実が他の議員たちの心を折ったはずなのだが……
「議員たちが続々と目を覚まし、こちらの間隙を突いて議会から逃亡、外で様子を窺っていた警官隊に保護されたようです。首相は議会に残り、我々から武器を奪って応戦、外の警官隊と連携して手がつけられない状況です」
「くぅ……我が方が押されているのか。こうしてはいられない。すぐにベルリンに戻らねば……しかし、今から駆けつけて間に合うものか……」
「お、お待ち下さい、総統閣下、まだ続きが……!」
「まだ何かあるというのか!!」
ヒトラーが声を荒げると、さっきまで周囲で彼の演説を聞いていた兵士たちが、なにか悪いことでも起きたのかと不安そうな目を向けてきた。ヒトラーは彼らの士気を減らしてはならないと、声を潜めたが……その試みは間もなく無意味なものとなった。
「それが……ご報告します。議会の攻防が始まる数時間前、ホワイトハウスからアメリカ大統領が目を覚ましたとのニュースが飛び込んできました。大統領は目覚めるなり、すぐに国連に姿を現してドイツを批判。この騒動を収拾すべく、イラクに集めた兵力を欧州へ向けると宣言しました。中国はそれを追認し、大統領に賛辞を送っております」
「ふふふ……ふふっふふっふふふふ……」
ヒトラーが不気味な笑い声を上げる。しかし、それは笑い声でも何でもなくて、
「ふざっけるなあああああーーーーっっっ!!!!」
ヒトラーの……彼女の金切り声が山間に響き渡る。そのヒステリックな声に驚いた兵士たちが目を丸くしている。
そんな彼らの頭の上を、イギリス空軍のユーロファイターが通過していった。ローゼンブルクの航空支援を行うために飛来した戦闘機が、ドイツ上空を旋回している。その姿を見て自分たちの負けを悟った兵士の中から、一人、また一人と、パタパタとその場に倒れる者が続出しはじめた。
一体何が起きたのかと驚いた他の兵士たちが彼らを抱き起こすが、一度倒れた兵士たちは何をしても目を覚まそうとしなかった。眠り病だ。彼らはどうも、旗色が悪くなった瞬間に現実逃避してしまったようである。
そんな蜘蛛の子を散らすような騒ぎの中で、ヒトラーは膝からどっと崩れ落ちた。
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12月中旬。東京都知事選の投開票日が迫るクリスマスウィーク、まるでサンタクロースが人類にプレゼントを配り歩いているかのような吉報が世界中にもたらされた。アメリカ合衆国大統領、日本国内閣総理大臣、その他、世界各国の眠り病になってしまった政治家や、有名人、著名人が続々と目を覚ましたのだ。
大統領は目を覚ますなり、まるで昨日寝て今日起きたと言わんばかりに精力的な活動を開始した。彼は自分が眠ってる間に中東に派兵した副大統領のことを、徒に地域の不安を煽る行為だったと批判し、イスラエル、サウジアラビア両国に矛を収めるよう嗜めた。その上で自分が眠っている間に核開発を急いだイランを厳しく批判し、国際原子力機関の査察を受け入れるよう、国連に働きかけた。
彼は中東情勢の悪化もさることながら、欧州の混乱はとても洗練された民主主義国家の出来事とは思えないと嘆き、何者かの悪意を感じるとして、ナチスを名乗るドイツ新政府を名指しで批判、現政権が秩序を取り戻すまで未来永劫に渡って協力することを表明した。
これを受けて沈黙を守っていたドイツ国軍はナチス政権を敵と見做し防衛行動を開始した。クーデターに加担した一部部隊には一日の猶予を与えて、原隊復帰を呼びかけた。同時刻、連邦議会に捕らわれていた首相を始めとする現職議員達が、議会奪還のために反抗を開始すると、ナチス軍に参加していた兵士たちの多くは続々と離反、逃亡した。
攻防戦は外で待機していた警官隊との連携で、議員側の勝利で終わったが、その際に数人の議員が命を落としたと言う痛ましい発表がなされると、もはやナチス側に大義は無く、彼らはただのテロリストと成り果てた。首謀者である少女……ヒトラーはドイツ国内の憎悪を一身に浴びせられ、間もなく国際手配されることとなる。
各国に輸出された移民排斥デモも、それを焚き付けていた張本人がやられてしまうとあっという間に勢いをなくし、尻すぼみになって解散していった。それは飽きっぽい若者を象徴するような出来事であり、やがてその背後には自分たちを扇動するために紛れ込んでいたテロリストが居ることが発覚すると、彼らは自分たちこそが被害者だったのだと弁解し始める始末だった。
また、これら一連の出来事の間に、欧州各国に点在していたナチスの拠点が暴かれると、そこに踏み込んだ警官隊たちによってその場所が機械人形、九十九美夜の生産拠点を兼ねていたことが発覚し、世界は戦慄した。
もしもあのまま大混乱が続いていれば、いずれこれらの機械人形が動き出して、欧州の抵抗力を根こそぎ奪い去っていたはずだ。そうなったら最後、欧州はナチスの言いなりになり、その後どうなっていたかわかったものじゃない。
欧州騒乱の最中、デモに参加こそしなかったものの、ずっと身動きが取れずに沈黙を続けていた人々は、自らが何も行動を起こさなかったことを反省するとともに、アメリカ大統領に感謝した。
一方、内閣総理大臣や眠っていた議員達が続々と目を覚ました日本も、一時期の混乱から回復して落ち着きを取り戻していた。
総理の不在をこれ幸いと、自分勝手な政策を推し進めていた若手議員たちは、彼が目覚めるや大叱責を受けて反論もできず、世論の軽蔑の視線を浴びながらだんまりを決め込むしかなくなった。その後の解散総選挙を見据えて党運営に口出しできずに黙っていた議員たちも、これを受けて手のひらを返し、リバティ党内は穏健派が息を吹き返す結果となった。
総理は、東京都知事選で彼らが公認したという人民党候補を追認はせず、都民に対して党内の混乱と、不安を煽ったことを謝罪した。そして、なんと都知事選最終日には現職・饗庭都知事の応援に駆けつけ、集まっていたテレビカメラの前で両者が握手したことで大勢は決したのであった。
翌23日、AIとドローンの活躍によって、ようやく普段の物流を取り戻した東京の街は、久々の喧騒に満ち溢れていた。自粛ムードだった表参道のイルミネーションが輝きはじめると、どこからともなく集まってきた若者たちで、渋谷や原宿の街は以前を彷彿とさせる賑わいを見せた。
そんな中、開票と同時にほぼ勝利が確定していた饗庭都知事は、新宿都庁前で勝利宣言し、集まっていた支持者によって祝福されていた。その隣には車椅子に乗った御手洗善行の姿があり、彼は若者たちに担ぎ上げられると、都知事の万歳三唱と合わせて彼らに胴上げされていた。
こうしてお先真っ暗だった世界情勢は一転して祝賀ムードとなり、各国は落ち着きを取り戻していくことになる。その影には眠り病から回復した各国の重鎮たちの姿があったわけだが、その彼らが何故突然示し合わせたかのように目を覚ましたのか……その理由を世界はまだ知らなかった。




