表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第四章・永遠の今
124/137

永遠の今②

「高次元に存在するアカシャ年代記(アカシックレコード)とは、人間の集合的無意識のことであり、また仏教でいう涅槃(ニルヴァーナ)のことであり、我々の魂はそこで繋がっている。言うなれば、高次元の魂界……これをシュタイナーはアストラル界と呼んだが、我々はその魂界で繋がっているからこそ共通認識を持つことが可能なんだ。


 例えばここにある一枚の落ち葉を見る時、僕は実際のところ、君にはこれがどのように見えているのかがわからない。君と僕とでは見る角度が違う、見る目が違う、同じ色を見ているかもわからない。もしかしたら本当に同じものを見ているとも限らない。だが二人とも同じ一枚のイチョウの葉っぱを見ているという共通認識を瞬時に持つことが出来る。君の主観と僕の客観がどうして同じだと言い切れるのかわからないのにね。


 スピノザは全ては神から出来ていると考えた。万物は、また精神は、神から生まれ出て、そういう形状に形成されていった物なんだ。僕たちはみんな、元は同じものだったから、君と僕が同じ物を見れば、考えるまでもなく同じものだとわかる。全ての物は神という共通認識から始まってるから、僕たちは同じものを同じと感じられると彼は考えたわけだ。


 ライプニッツは彼の影響を受け、全てのものはモナドと呼ばれる精神物質で出来ていると考えた。モナドとは、アトムのようなものの例えだ。僕たちの精神はモナドという元素で出来ていて、全てはその組み合わせに過ぎないから、共通認識が可能だというわけさ。人によってはこっちの説明のほうがわかりやすいかもね。


 僕たちが同じ葉っぱを見る時、僕たちは心の中にある神の視点にアクセスし、その中にある一枚の葉っぱという概念を見つける。そういった作業をしている。神という言い方が気に食わなければ、魂と置き換えてもいいだろう。イデアでもいい。僕たちが同じものを見ている時、僕たちの魂は同じ形をしているのだ。


 つまりこの同じ魂の形というものが認識できれば、僕たちに主観は存在しなくなる。僕が君の一枚の葉っぱを見たという魂の形を認識できれば、僕は君の主観を見たのと同じことになる。君と僕が同じ物を見ているという認識が、君と僕の客観という壁を取り払うのだ。


 これは何も生き物に限ったものではない。スピノザの言う通り、万物には神が宿っている。僕が一枚の葉っぱを見る時、葉っぱもまた僕を見ている。僕たちは同じ魂の形をしている。その時、僕は一枚の葉っぱになっているんだ。


 このようなことが高次元の魂界で行われているわけだが……いかんせん、僕らは4次元時空の物質に囚われている。目や耳、鼻や皮膚のような感覚器が、高次元の魂には存在しない。だからそうなっていると言われても、本当かどうかはわからない。だが思い出して欲しい。全てのものは神から生まれた。モナドで出来ていると考えてもいい。僕の体も、目も耳も、鼻も皮膚も、魂だってモナドで出来ているのだから、高次元の魂に感覚器を持たせることも可能ではないか。


 それが僕の神智学だ。僕たちは高次元の魂界に感覚器を作る……即ち魂界に生まれ変わることによって神と一体となることが出来る。僕自身が神となるんだ」


 彼女は自らを神と称した。それは聞く人によっては罰当たりで不遜な態度に映っただろうが、今の上坂にはさも当然のことのように思えた。それくらい、彼女の神性と言うものは、その場の空気ににじみ出ていた。


「涅槃とは何か。ゴータマ・ブッダ一の弟子と呼ばれる舎利弗(サーリプッタ)は、友人に尋ねられて答えた。曰く、貪欲の壊滅、瞋恚(しんい)の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して涅槃という。つまり仏教で言うところの三毒と呼ばれる貪瞋痴(とんじんち)、全てを無くすことで涅槃に到れると彼は言ったわけだ。それはシンプルであるが故に非常に難しい。


 師、ゴータマ・ブッダは、生老病死はどんな金持ちであっても避けることが出来ない、万人共通の苦しみであると考えた。その4つの根本的な苦しみに加えて、愛別離苦(あいべつりく)……愛する人と別れる苦しみ。怨憎会苦(おんぞうえく)……憎い相手と会わなければならない苦しみ。求不得苦(ぐふとくく)……求めることが得られない苦しみ。五蘊盛苦(ごうんじょうく)……精神と肉体が思い通りにならない苦しみ。これらを称して、四苦八苦と呼ぶ。


 結局のところ苦しみとは、思い通りにいかないということだ。僕たちは思い通りにならないことがあると、貪欲に求め、怒りをぶつけ、愚かさを露呈する。これが即ち苦しみの本質であり、そこから解脱することを涅槃と彼らは考えたわけだ。


 阿含経に書かれていることだが、ある日、ゴータマ・ブッダは婆蹉衢多(ヴァッチャゴッタ)という外道の修行者との問答で『すべては燃えている』と言った。


 婆蹉よ、いま目の前で火が燃えているとしたら、あなたはどう思うだろうか?


 それはもう、ただ火が燃えてるとしか言いようがない。婆蹉はそう答えた。


 するとゴータマは言った。燃えているのは目に見える火ばかりではない、我々の心が燃えているのだ。人間には不安があり、緊張があり、貪欲があり、焦燥や懊悩、嫉妬や怒り、様々な苦しみがある。ゴータマはそのことを指して、すべては燃えていると言ったわけだ。


 さて、婆蹉よ。燃えているならばどうすればいい? すると彼は答える。燃えているなら、燃料を取り除けば良い。その通りである。


 すべての物が燃えている。何によって燃えているのか、それは貪欲により、瞋恚により、愚痴により燃えている。それら燃料を取り除いてしまえば、そこにはもう燃えるものは何もない。平安はそこに現れる。つまりこれが涅槃、悟りの境地と言うものだ。そしてそのような生き方を、彼は八正道と呼んだんだ。


 八正道とは、つまり中道のこと。それは全員の意見を聞いて、いいとこ取りをしようという政治的な意味ではなく、何物にも捕らわれず、何物にも拘らない、善を成し、悪を成さず、何物にも揺らがない心を持ち、絶えず自らを反省する心を持つ、そういうことを指して中道と呼ぶ。


 では、ゴータマ・ブッダのいう八正道を実践すれば涅槃へ行けるのかと言えば、まあ、そうとも限らない。彼は非常にリアリストだったから、実は人によって教えを変えている。考えてもみれば人それぞれ道が違うのは当たり前だ。だからそれをそのまま実践しても意味はない。じゃあどうすればいいのか。


 上坂よ。君は座禅を組んだことがあるかい?」


 いきなり話を振られた彼は、ほんの少し驚きながら首を振った。


「禅宗の坊さんが胡座をかいて難しい顔をして、時折、棒でバシーン! っと肩を叩かれて……あれは何をしているか分かるか?」

「……さあ。何も考えないようにしてるんじゃないか? 煩悩を払うって言うよな」


 すると江玲奈は鷹揚に頷いて、


「そうだね、何も考えないようにするというのは半分正解だ。具体的には、何も考えないようにするために、一生懸命に考える。ゴータマ・ブッダは全てが燃えていると言ったわけだが、火を消すためには燃料を取り除かなければならない。だからまずは、燃料は何なのか、何が燃えてるのかと考えなきゃならない。


 例えば上坂、君は自転車に乗れるね? まあ、乗れると仮定する。君は自転車に初めて乗ろうとした時、どうしたんだろうか。多分、一生懸命考えたんじゃないか。みんなどうやってバランスを取ってるんだろう? 足の踏み出し方はどうすれば? 速度は? 目線はどこを向いてればいいんだろう……? ところが一度(ひとたび)自転車に乗れるようになると、君はもうそんなことは考えない。自由だ。スイスイとペダルをこいで、君はどこまでも行けるような気分になる。


 考えないと言うのはそういうことだ。まずはよく考え、実践する。そして身体に覚え込ませたら、僕らはもう何も考えない。忘れてしまう。僕たちが運動をする時は、過去を想起するだけで事足りる。自転車に乗りながら、まったく別のことを考えることさえ出来るようになる。そう考えると僕たちは、歩いたり走ったりすることにかけてはエキスパートなわけだ。


 でも本当にそうだろうか? 例えばいま隣にウサイン・ボルトが居るとして、君は彼に向かって走るとは何かなんて言えるだろうか。君は何も知らないことに気づくだろう。その通り、僕たちは何かがわかったような気がして、実は何も分かってない。その分かってると思う気持ちが、愚痴だ。無知の無知だ。


 僕たちはたった今まで何でも分かってるつもりで何も分からなかった。それが眼の前に自分より優れた人が現れたことでそれに気づいた。つまり、反省することで分からなかったことに気付かされた。無知の知とはつまり反省だ。


 求道者は日々、自分を良くしようとして反省する。自分に何が足りないのか、何が間違ってるのかを客観的に考える。道を極めようとしていない人達は、自分には何も分からないということが分からない。世の人々はウサイン・ボルトが自分なんかまだまだだと言うと、それを謙遜だと考える。でも実はそうじゃない。道を極めようとしている人は、日々、自分に足りないものを求め苦しんでいる。彼は本気でそう考えているんだ。


 スポーツ選手は、およそこういうものと戦っているわけだ。まずは練習で身体を動かして、もっと上手くなるにはどうすれば良いか、考える。フォームを変えてみたり、道具を変えてみたり、誰かの真似をしてみたり、自分の頭の中に思い描いた理想に自分を徐々に近づけている。つまり反省する。そして忘れる。考えていたら身体が動かないから。それを何度も繰り返して、身体に覚え込ませる。連想を強くさせる。そう考えるとスポーツ選手と僕たちの差とは、圧倒的な経験の差だ。僕たちには想像もし得ない天才の直感というものは、圧倒的な量の問題なわけだ。


 僕たちは運動するという意志において身体を動かし始めるわけだが、その目的は理想、つまり客観に近づけていくことにある。まず身体を動かしてみて、なんとなく違うと感じたら、どこが違うのか仮説を建てる。その仮説を客観的事実と照らし合わせてみて、それが正しいのであれば実践に移る。そうして迷いをどんどん捨てていって、やがて真理にたどり着いた時、思い描いた理想と一致した時、僕たちは何も考えなくなる。僕たちの主観は客観になる。主客一致。それが僕たちが求める真理、即ち神の正体というわけさ」


 彼女がスーッと腕を差し伸べると、いつの間にかその手のひらには一つの赤いりんごが乗っていた。上坂は手品みたいだなと思いながら、その丸いりんごをじっと見つめた。


「例えば僕たちがりんごというものを見た時、頭の中に記憶されているりんごというものを取り出してきて、目の前のそれと比べてみる。だがまあ、それは一致しないだろうね。僕たちの記憶は曖昧だから、なんかぼやけた赤いものと、目の前のそれは明らかに違うだろう。なら何故、それをりんごだと判断出来るのかと言えば、僕たちの頭の中に、りんごの理想像が既に出来上がっているからだよ。


 プラトンはそれをイデアと名付けたが、スピノザは全ては神で出来ていると考えた。万物はみんな同じものから作られ、その形を得ている。僕たちは元々、究極の一つから生まれたから、それが可能なわけだ。では実際、それはどんなものなのか考えてみよう。


 AIは少ない画像から大量のちょっとだけ違う画像を作り出し、それを平均化する。ものすごく大雑把に言えば、一枚の画像から、ほんの少し間違った画像を何万、何億と作り出して、元の画像に戻せるかを試す。それを何百枚という別の画像でも行い、比較して、理想像を作り出す。特徴量を抜き出す。実は人間の脳も絶えずそのようなことを行っているわけだ。


 AIはそれをインターネット上の何十ゼタバイトという動画情報から抽出して、ありとあらゆる物の概念、特徴量というものを導き出している。有名なグーグルの猫とか、そういうコンピュータがこれまでに獲得した特徴量のことだ。


 人間の場合は自分の記憶を元にそういうことを行っているんだろう。自分が今まで生きてきた記憶の全てを、抽象化し、平均化し、あらゆる言語、概念、視覚情報の理想像を作る。そのうちの、最も抽象化された概念、あらゆる物を作り出す元となるのが、即ち神というわけだ。


 つまり神は人間の心の中にある。自分の心を微に入り細を穿ち、徹底的に分割し、抽象化せしめたその先に、神があるんだ。


 遠くから木の枝の上を這うカタツムリを見ると、僕たちには線の上を動いているようにしか見えない。しかし、カタツムリからしてみれば、そこは枝という平面の上だ。更に小さな蟻は上下左右、裏表のある三次元の空間を意識するだろう。僕たちが細かく物を見ようとすればするほど、その次元は少しずつ増えていく。


 電磁気力と重力は非常に似た振る舞いをするが、決定的に違うのはその強さだ。小さな磁石を近づければ鉄球は吸い寄せられるが、重力がそれをしようとすると地球くらい大きな質量が必要となる。電磁気力も重力も二乗則に従って、遠くに行けば行くほどその力は弱まり、近づけば近づくほど強くなる。ところが不思議なことに、それがプランク長より短くなった時に、重力と電磁気力の強さは逆転する。重力のほうが強くなるんだ。


 つまり、これらの力は高次元において統一された同じ力なわけで、僕たちを形作る物質の力は高次元で統一されており、見分けがつかないんだ。故にライプニッツ的なモナドというものが僕たちの精神を作っているのであれば、僕たちの魂は高次元で一個に繋がっていると考えられるわけだ。


 それが即ち、アカシャ年代記であり、舎利弗の言葉を借りれば、およそ貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して涅槃(ニルヴァーナ)というわけだ。僕たちは心の中で燃え続ける炎を払い、神へと近づく。その時、僕たちの主観はどんどん客観に近づいていき、やがて僕の主観と君の客観が一致する。僕たちは物事を極めようとすればするほど、自分というものが無くなっていく。そしてそれが世界そのものと重なり合う時、僕たちは神に、即ち高次元の魂界に生まれ変わるんだ」


 彼女はそう言い終わると、銀杏の木の下でじっと目を閉じて、質問を待っているかのように沈黙した。その表情はとても穏やかであり、一切の汚れがないものに思えた。いや、実際にそうなのだろう。彼女には一切の迷いがない。汚れがない。貪瞋痴というものが一切ない。きっと彼女は本当に神霊の類なのだ。


「……なんとなく、わかった気がするよ。つまり、心の中の迷いを全て打ち払い、その先にある魂の在り処を見つけるわけだな」

「まあ、そんな感じだね。僕らの思考というものは、つまるところ電気信号なんだよ。必ずどこかに、その大本がある。それが見つからないのは、僕らには決して見えない場所にあるからだ。大昔の人たちはみんなそれを知っていた。霊界というやつだ。だが科学が発展すればするほど、それは馬鹿げたことだと否定されていった。ところが、それを改めて発見して、人々の夢を繋いでしまったのが、人の作り出したAIだったとは皮肉なものだね」


 彼女はパチっと目を開くと、いつもみたいなニヤリとした笑みを浮かべながら、


「さて……いまさら聞くまでもないかも知れないが、君はこれから神になろうとしている。すると君という意識は、主観は無くなり、君は一個の現象となるだろう。本来なら、それで君の未練はなくなり、そのまま入滅してしまうはずだが……君をこの世に繋ぎ止めるには、君自身が強い願いを持たなければならない。君の誓願が必要だ。君はそれを、誰かのために尽くすなんてことが、本当に出来るのかな?」


 まるで上坂のことを試すようにそう言った。しかし、その時の彼にはもう、迷いのようなものはまるで無く、


「そうだなあ……多分、出来るんじゃないか」

「へえ……なんでそう思うんだい?」


 迷いなくそう言い切る彼に対し、江玲奈は少し意外そうに目を丸くしてみせた。そんな彼女に向かって、上坂はこれまでにないくらい、とても穏やかな声で続けた。


「すべての人を救いたいだなんて、傲慢な考えだと思っていたんだけど、君と話していてそれは別に英雄的な行為でもなんでもなくて、ただの新陳代謝みたいなものなのかなと思ったんだ。


 全ての煩悩を拭い去ってしまえば、俺たちの欲求ってのは、つまるところ生理的なものでしかないわけだろう? 腹減ったとか、眠いだとか。それは肉体を捨てた魂にとってはどうでもいいことだ。なのに、それでも残る強い欲求があるのなら、そこに外的な要因があるはずだ。そうしなきゃならないという、外圧が。


 つまり、俺がやらなきゃ世界が滅びるってことだ。全ての魂が繋がっていると言うなら、それは誰かがやらなきゃならない、俺はその人類の免疫機能みたいなものに、たまたま選ばれたってだけの話だ。必要だからやるだけなんだ。


 なら、人を救うことになんの躊躇いがある? 俺は人類にとって最善を尽くそうとしているだけだ。それは人類にとって当たり前のことだ。それ以上の動機が必要だろうか。君の言う通り、俺達人間が理想を目的とする生き物なら、そうするのが当然だろう。理想、つまり客観を求めるならば、全ての人を愛するのは自然だろう」

「愛……? 愛か。そうか。君は生まれながらにして、母の愛を知らない。父の愛を知らない。だからこそ、いつも愛を求めていたんだな」

「そんなんじゃないけど……自分を変えようとして、自分を客観視するってことは、誰かのことを考えることと同じだ。誰かのことを必死に考えて、誰かみたいになろうとする。つまり、それが愛なんだろう。


 思えば自分一人であったら言語は出来ない、誰かがいたから言語が出来た、言語があるから思索ができて、俺というものがあるんだろう。もし、自分ひとりだけを助けようとしたら、その瞬間に自分というものは無くなってしまう。出会った全ての人々に幸せで居て欲しいと願うのは、実は自分のためでもあるんだよ。なるほど、魂が繋がっているとはこのことだ。人間とは、そういう風に出来ているんだ」

「そうか。君はそういう風に考えたんだな。正に慈愛が君の本質だな」

「慈愛……? そんなものかねえ……」


 上坂が自分の鼻の頭をぽりぽりと引っかく。そんな彼のことを見つめながら、江玲奈は暫しの沈黙の後、これから来るであろう別れを惜しむかのように続けた。


「ならば、僕が出来るのはここまでだ。君の意思は固まっている。あとは、いつもどおり世界に宣言すればいいだろう。全ての人を救いたい……そう願うんだ。するとヒトミナナが君の思考を加速して、君は無限の時間を手に入れる。普通ならば時間のかかる修行も、あっという間に終えることが出来るだろう。そして君はシンギュラリティに至り、永遠の今を生きる神となるんだ」

「シンギュラリティか。そうか……ナナはもしかして、ニルヴァーナに居るのかもなあ。だとしたら、もう一度会えるかな」

「会えるさ」


 彼女が力強くそう答える。彼は嬉しそうに笑った。


「それじゃ、お別れだ。俺は今からちょっくら全人類を救う旅に出る。それで、君の終末を回避するという願いも、叶うのかな?」

「ああ、もちろんだ」

「ならよかった」


 上坂が全人類を救うと言った瞬間、周囲の景色の色がなくなり、いつものセピア色をした不思議な空間が広がっていく。すると木々のざわめきは聞こえなくなり、先程まで頬をなでていた風が無くなっていた。これから自分は永遠とも呼べる長い時間をかけて、戦わねばならないんだと思うと、彼は少し不安になってきた。


 恵海の顔が、父の顔が、縦川の顔が、倖の顔が……彼が愛した全ての人々の顔が浮かんでは消えていく。それを思い出すと、悲しくなったが、と同時に、またほんの少し力も湧いてくるような気がした。でももう迷う必要はない。これからは、そんな彼らのことを思って生きていこう。世界を救うことこそが、彼らを救うことなのだから。


 静止した世界の中で、江玲奈は当たり前のように上坂のことを見ながらニヤリとしていた。彼はその顔を見てほっとすると同時に、やっぱりこいつは他のやつとは違うんだなと思った。だが、そんな彼女の姿も、徐々に徐々に薄くなっていく……


 それは彼女が消えると言うよりも、なんだか上坂の視界が霞んでいくような、そんな感覚だった。彼はなんだか妙な眠気を感じてきて、それに抗おうとして手を差し伸ばした時……ふと、彼女の言っていたことを思い出した。


「そう言えば、江玲奈。君は終わりを回避するのではなく、何故始まったのかを知りたいって言ってたな」

「ああ、言った」

「そっちの方は良いんだろうか? 何か俺に出来ることがあるなら……言ってくれれば手伝うけれど……」

「ああ、もういいんだ」


 江玲奈の声が遠ざかっていく。それは洞窟の中で反響しているような、そんなくぐもった声だった。上坂はその声を聞いていると、なんだかどんどん意識が遠ざかっていき……


「何故なら、上坂君。世界は今始まったんだ。ボクはそれを見届けた。君の長い旅路の果てに、またボクらが巡り会えますように」


 それを境に彼の意識はふっつりと途切れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ