坊主ですからね
12月も2週に入り、朝晩も一段と冷え込む本格的な冬到来を直前にして、東京都では都知事選が告示された。
12月23日の大安吉日に投開票が予定されているその選挙は、普段ならばクリスマスに浮かれる若者には見向きもされなかっただろうが、世界が混乱して先の見通しがつかないこの時勢にあっては注目度が段違いで、高い投票率が予想された。
前回の選挙でも、東京復興のための浮遊票を集めて当選した現職・饗庭玲於奈陣営は、今回の選挙でもその不遊標を期待していたが、与党リバティ党と人民党が擁立する反移民の候補者の前に苦戦を強いられていた。不遊標は主に30代以下の若者たちが握っていたが、その若者たちが軒並み反移民だったのだ。
饗庭陣営は任期中に実現した復興の成果をアピールするも、それは過去のものとされ、寧ろその過程で導入したAIや移民政策が批判され、彼女は売国奴と陰口を叩かれた。
対する反移民候補はそれらの支持層を吸収し躍進が予想されたが、体制的に極左であるはずの人民党と組んだことで、そのなりふり構わない姿勢が疑問視され、結局の所、不遊標の行方は未知数だった。
そんなわけで告示がされると、両陣営とも初日から都内各地を飛び回る、激しい選挙戦が始まったわけだが……しかし、彼らが熱い激論を交わすそのすぐ横では、このところのインフラ停止のせいで、食べるのにも困っている都民がスーパーやコンビニに列を成しており、彼らが投票を呼びかければ呼びかけるほど、その視線は冷ややかなものになっていった。
みんな本音ではうんざりしていたのだ。選挙戦よりも先にやることがあるだろう。世界は混沌としており、中東では戦争が始まっている。欧州の火種はくすぶり続け、日本だっていつ戦争に巻き込まれるかわかったもんじゃない。
だが、それでも彼らは選挙を行うしかない。仮に選挙を行わなければ、任期を満了した都知事がそのまま都政を続けるわけだが、既に不満を抱えている都民がそれを許すわけがない。かと言って、じゃあ対抗馬の方にやらせるのかと言えば、選挙もしてないのにただ与党から推薦されただけの人物を信任するわけにもいかないだろう。大体、総理大臣は未だに眠っていて起きる気配もないのだ。
結局、どんなに世界が混乱しようと、彼らには選挙をするより他に選択が残されていなかった。それが民主主義というものなのだ。良い悪いはともかくとして……
他方、本命候補達の熱いキャンペーンの裏側では、泡沫候補達が勝てる見込みもない選挙戦で今回も、ただ目立つための目的でパフォーマンスを繰り広げていた。
東京都知事選は昔から、注目度が高いのに候補者が少ないことを見越して、政見放送を行う権利を目的に立候補するパフォーマーが全国からやって来る傾向があった。それこそ大昔は立候補さえすればタダでテレビ出演が出来るから、しょうもない候補者がずらずらと並んだものであるが、平成になってそういう候補を排除すべく、供託金を求めるようになってからはずいぶん減った。
しかしそれでも全国規模の知名度を得るチャンスがあると言うことで、高い金を支払ってでも立候補するものは後を絶たず、2029年の現在でも相変わらずそう言った候補者は都知事選の度にやってきたのである。
さて今回も戦国武将や唯一神、笑顔が売りの党首や革命家達が立候補する中で、とある新人候補がネット掲示板の話題をさらっていた。ネットではこういうしょうもない候補者達をウォッチして、動画をアップしてみんなで笑おうという風習があった。
その候補者は『縦川うんこくさい』を名乗っており、政党名は『かりん党』……御手洗にホープ党推薦で出ればと言われたのだが、そのままなし崩しに取り込まれるのを恐れて、それだけは勘弁してくれと拒否した挙げ句にでっち上げた政党名だったが、うんこにかりんとうと言う組み合わせで、ここまで選挙を愚弄するやつも珍しいと、妙な関心を得ることに成功していた。
選挙が始まり、『だが、本名だ』をキャッチフレーズとしたポスターが張り出されると、え? 本名だったの? と二度驚かれて、彼の知名度は意外なほどに伸びていた。
そんな彼の立候補の目的は、もちろん政見放送に出たかったからであるが、選挙前に大急ぎで作ったホームページしかないホームページに、政策やマニフェストを書かずに、政見放送を見てくださいと日時を宣伝するという、その立候補理由を隠そうともしない姿はある意味で潔いと好感すら持たれていた。
と言うか、ここまでしてこいつは何をしたいんだ? よっぽどしょうもないパフォーマンスするんだろうなと、ネットで評判になった彼は、逆の意味で期待の新人として注目され、いよいよその放送が始まる時間が近づいてくると実況板まで作られて、多くの人々が録画待機して彼の登場を待った。
世界が混乱しているこのご時世、下手なことを言おうものなら死ぬまで叩き続けてやるぞと、視聴者達が手ぐすね引いている中で……しかし彼が登場すると、袈裟に五厘刈りの僧侶スタイルという、思ったよりも拍子抜けな姿に、期待していた彼らは少々がっかりしていた。
「えーっと、あー、どうも。はじめまして。私はですね、縦川と申しまして、えー、僧侶をしてるものですけど、あー、そうだ、立候補した理由なんですけど……おほん」
おまけに本人は明らかに緊張しているらしく、そのぎくしゃくした動きを見ていると、幼稚園のお遊戯会を見ている親のような気分になって、楽しむよりもハラハラしてきた。多分、面白い話は望めないだろう。だが、ここまで待ってしまったのだから、仕方なく録画ボタンを押して彼の主張を聞いてやろうと人々が構えている中で、彼は一旦深呼吸すると、声を上ずらせながら話を始めた。
「すみません、あまり時間もないので手短に。えーとですね、視聴者の方はもうお気づきかと思いますが、私が立候補したのは都知事になりたかったわけではなく、どうしてもお伝えしたいことがあったからです。
私は都内で僧侶をしている者ですが、このところ毎日のように葬儀の依頼が舞い込んでいました。この暗いご時世ですし、自殺者が相次いでいたのもありますが、それよりも多かったのが独居老人など、世間で孤立している方々でした。若い皆さんはあんまりこういった方々の孤独死は馴染みないでしょうが、こういう生業をしてますとこれが意外と多くて、始めはそれほど不審に思っていませんでした。
しかし、それでも寝る暇もないくらい葬儀が重なり、毎日のようにあちこち出掛けていて、近所の人たちとろくに会話もしていない中で、ある日ハッと気づいたんです。いくらなんでもこりゃ多すぎると。それで何かおかしいなと思った私は近所の方々と協力して、街の見回りをしてみたんです。
そうしたら案の定と申しますか、あちこちで見つかったんです。今、総理大臣も緊急入院されてます、眠り病です。
どうして最近、孤独死が続いていたのかと言うと、世間から離れてひっそり一人暮らししているような人たちが眠り病に罹って、そのまま誰にも発見されずに死んでしまっていたんですね。
他にもご家族の誰かしらが罹患したって方々もいました。ところが、そういう方々が病院に相談に行っても、検査で大混雑しちゃってて、結局自宅介護するしか選択肢が無い。そういう方々が、いま、社会から孤立してしまって困っている。ですから、私たち宗派の仲間は、地域にそういう方々がいないかと見回りしていたところなんです。
それで皆さんにお願いがあります。もしも、自分の身近に、そう言った一人で困っている方がいらっしゃったら、私達に教えてもらえませんか。もしもテレビを見ているあなたが、たった今、一人で不安を抱えているなら、良かったら私達の寺に遊びに来てみませんか。
寺は日本全国どこにでもあります。誰にでも門戸は開いてますから、気楽にやってきてください。それでもし良かったら、一緒に困ってる人たちを助ける手助けをしてくれるとありがたいです。人手はいくらあっても足りないくらいですから、私達で支え合っていきましょう。
そんなわけで、私からのお願いは以上です。今日、この放送を見てくださった方は、出来ればこのことをご家族やお友達にも教えてくれると助かります。本日はご清聴ありがとうございました」
縦川の五厘刈りがカメラを向く。両手をついた姿勢で、彼はそのまま数秒間じっとしていたが、やがて上目遣いでちらりと画面を見てから、未だに向けられ続けるカメラを前にオロオロとしだし、画面外の誰か(御手洗)とやり取りを始めた。
「……え? まだ時間あるの? いや、でも、もう良いですよ。言いたいこと言っちゃいましたよ……は? なんでもいい? いいから喋れ? 早くしろ? いや、噺家じゃないんだから……う、う~ん……そうですねえ……じゃあ、法話でもしましょうかね。坊主ですからね。
えー……おほん。仏教ってのは紀元前5世紀ごろにお釈迦様が開いたわけですが、それが広く伝わったのはお釈迦様の死後の紀元前4世紀、アレクサンドロス大王の東方遠征が切っ掛けだそうです。インド人じゃなくて、ギリシャ人の征服が切っ掛けだったんですね。
大王はこの時マラリアを患って亡くなられるんですけど、その後に残ったギリシャ人勢力をマガタ国のチャンドラグプタが一掃してマウリヤ朝が興ります。そのチャンドラグプタの孫のアショーカ王が仏教を強く庇護したことで、仏教というものは広まったようです。
そんなわけもあって、この頃のインドとギリシャはなかなか交流が盛んだったようで、仏典にもその事がちょこちょこと書かれています。中でも2世紀中頃に中東の広大な地域を支配していたミリンダ王の問いというものが有名です。
インド北部に侵出してきたミリンダ王は、そこで仏教に触れるわけですけど、ギリシャ人にとって仏教という考え方はよほど奇妙に映ったようです。
大体において宗教というものは、神や霊魂について考えるわけですが、仏教はそういう形而上学的なものは一切考える必要はないという立場を取ってます。ギリシャ人からしてみれば、ビックリです。霊魂がないなら、どうやって人間が生きているんだ? ってことになるわけです。
また、この頃のインドはもう解剖なんかもやっているくらい医学が発達していて、街には病院がいくつあって、貧乏人でも医療を受けることが出来たわけです。ミリンダ王にはその病院というのも不思議で仕方がなかったようです。というのもギリシャやローマ帝国は奴隷制をとっていたから、その奴隷が病気に罹ったところで、医者に見せるなんて考えが無かったんですね。
それでミリンダ王は仏陀・ナーガセーナに尋ねるわけです。あなたたちは霊魂が存在しないなんて言うけど、それならナーガセーナとは何なのか? ナーガセーナと言っている、お前自身はどこにあるの? ナーガセーナから落ちた髪の毛がナーガセーナなのか? ナーガセーナの切った爪がナーガセーナなのか? 歯は? 皮膚は? 腕は? 足は? 内臓は? そうやって一つ一つの部位がナーガセーナか否かと尋ねていくと、全部否定するしかないわけですから、ついにナーガセーナは居なくなってしまう。やっぱり霊魂が存在しないなんて、嘘じゃないかとミリンダ王は言うわけです。
これに対してナーガセーナは答えます。王は車に乗って来たというけど、車の轅は車なのか? 車輪は? 車台は? 車室は? 鞭打ち棒は? これら全部をごちゃ混ぜに置いた物は車か? それとも、それ以外のどこかに車があるのか? こう問われたミリンダ王は、それら全ては車ではないと答えるしかない。それじゃあなたは何に乗ってやってきたと言うのか?
そんな風に言われ、王は最初はナーガセーナが先程の意趣返しをしているんだと思いましたが、その時にハッと気づくわけです。車ってものは部品をただ集めただけでは車にはならない。ちゃんと一つ一つの部品があるべき場所にあって、あるべき用途で使われて、初めて車という物は出来ている。
人間も同じことで、人間を構成する一つ一つの部位はそれだけでは人間とは呼べない。私というものは、髪に縁って、爪に縁って、手足に縁って、脳や内臓に縁って、私というものがある。この縁って起こることを仏教では縁起と言って、因果、即ちそれぞれ適当な位置に繋がっていることで一個の人間が出来上がるわけです。
私達の社会というものも同じでしょう。私個人がいくら何をしようと、社会には何の影響もない。ですが私が居なければまた社会も成立しない。社会は私達一人ひとりに縁って起こるわけです。ですから、無駄だからと言って何もしないよりは、今やれることをやったほうが良い。私達は一人ではなく誰かと繋がっている。適材適所。車の部品がそうであったように、あるべき場所に私達もまたあれば、その方が縁起が良い。
お釈迦様の教えですが、過去を追わず未来を願わず、今日成すべきを熱心に成せという言葉あります。ガンジーの明日死ぬかのように生きよと言うのと似ています。チェ・ゲバラはそれはいつまで生きるつもりの生き方かと自問したそうです。およそ過ぎ去りしものはすでに捨てられたものであり、いくら未来を願っても到達していないものからは何も得られない。私達はただ現在を、各々の処において善く生きるより他ありません。
誰かを恨むこと無く、また誰かのためでもなく、過去に囚われず未来を渇望せず、一人ひとりが今日を熱心に生きることで、私達の社会があるわけです。
こんなご時世ですから、皆さん未来を思うと不安になるかも知れません。ですが、我々は今までだって、つまるところ今日を生きるより無かったわけです。何も変わってないわけですよ。だから慌てず騒がず、落ち着いて、みんな社会の一員なのですから、仲良く寄り添って生きていければ幸いですね。
そして繰り返しになりますが、もしよろしければ私達に力を貸してください。大勢の人たちが、今孤立して死のうとしている。眠り病という厄介な病気で苦しんでいる。それを阻止……するとまではいきませんが、困ってる人を助けられるのは、生きている私達にしか出来ないわけですから。
それじゃ今度こそ時間なんで。本日はどうもありがとうございました」




