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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第四章・永遠の今
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簡単なお仕事

 御手洗が刺されたと聞いた上坂と縦川の二人は、電車に乗り継いで彼の入院しているという病院がある飯田橋へ向かった。無人運転の電車は辛うじて動いていたが、平日の午後だと言うのに何だか乗客の数が少なく、ここは本当に東京なのかと錯覚しそうなほどだった。


 渋谷から新山手線で代々木へ。代々木から総武線で飯田橋へ。乗り換えの際に代々木駅の前を新宿方面へ向かって移民排斥運動のデモ隊が通り過ぎていく。聞くところによれば、御手洗を刺したのは彼らの仲間だそうだが、何のお咎めも無かったのだろうか。


 飯田橋駅を降りて病院へ到着すると、その玄関前にはマスコミが詰めかけていた。丁度ワイドショーの時間帯であったためか、テレビのロケ車があちこちに停まっており、レポーターがカメラに向かって深刻そうな表情で話しかけている。


 しかしその内容を聞いていると、犯人は移民に仕事を奪われ就職が決まらなかったとか、奨学金の返済のめどが立たず追い詰められていたとか、刺された御手洗のことを心配する声は何一つ聞こえてこなかった。


 憤りを感じつつも、かかわり合いにならないように、一般外来のふりをしながら病院内へ入る。受付で御手洗の名刺を渡して、こっそり見舞いに来た旨を伝えると、それを察した看護師が黙って御手洗の病室まで案内してくれた。


 古い建物特有の入り組んだ廊下を進みながら、案内の途中、患者の容態について軽く話を聞いた。刺されたとだけしか聞いていなかったから心配したが、幸いなことに傷はそこまで深くなく、手術も終わって彼は集中治療室ではなく、今は一般病棟に運ばれているようである。


 ホッとしながら進んでいると、やがて南側に面した廊下の突き当りに、御手洗の政策秘書の男が立っていた。御手洗と一緒にいるところを何度か見たことがあったが、多分、縦川に電話してきたのは彼だろう。近づいていくと、申し訳なさそうに深々と頭を下げて、彼は二人を迎えた。縦川が尋ねる。


「御手洗さん、意外と元気そうなんですって?」

「はい、おかげさまで。突然お呼び立てして申し訳ございませんでした。手術直前に御手洗が、意識を朦朧とさせながら、自分に何かあった時は、あとは全部縦川さんに任せるなんて口走ってたものですから、我々もこれは一大事だと思って」

「え!? 御手洗さん、そんなこと言ってたんですか? 任せるなんて言われても、俺は政治家じゃありませんから、何にも出来ませんよ。よっぽど混乱していたんですかね」

「いえ、御手洗は普段から、割と先生のことは頼りにしてるみたいですよ。彼が誰かに相談にいく相手なんてあなた以外にいませんし」

「相談って言っても、お茶飲みながら話してるだけですけど……まいったな。何か知らないけど、あの人、俺の評価高いんだよな」


 最初に会ったときなんてホープ党に入らないかと言われた。丁重に断ったが、あれはまだ諦めていないのだろうか。と言うか、地味に政策秘書も縦川のことを先生などと呼んでいる……はっきり断わっておかないと、いつの間にか入党させられてしまいそうだ。


 縦川は苦笑いしながら、秘書の男と二言三言話してから、御手洗の病室へ入った。


「あ、縦川さん。上坂君。来てくださったんですか。いやあ、お恥ずかしい、うっかり死に損なっちゃいましたよ」


 日当たりの良い病室の中央には一台のベッドだけがあり、そこに御手洗が横になっていた。心電図などの計器がその周りを埋め尽くすように置かれていて、点滴やら何やらのチューブが天井からぶら下がっている。それだけ見てると重病人のように見えたが、実際、看護師が言っていた通り軽傷だったようで、血を流した割には血色も良くて縦川は安心した。


 上坂は縦川のために二つパイプ椅子を引っ張り出してくると、それを並べながら軽口を叩く御手洗を嗜めるように言った。


「元気そうで何よりですけど、そういう冗談はやめてください。俺はあなたが刺されたって聞いて、肝を冷やしましたよ」

「う……すまない。上坂くんに向かってこんなこと言うんじゃなかったな」


 彼はつい最近、本当の親よりも大切な義母を亡くしたばかりなのだ。死因は鋭い刃物による刺殺である。御手洗は面目ないと頭を下げてから、


「このところ逆境続きで、つい皮肉が出てしまったみたいですね。こうも日本中から悪者扱いされてると、自虐的にもなるってものです」


 縦川は上坂の隣に腰掛けながら、


「大変そうですね……実はここに来るまでにマスコミを見かけましたが、誰も御手洗さんの容態を心配してる人は居ませんでしたよ。逆に犯人には同情して、弁護するようなコメントばかり……人間ってこうも浅ましくなれるものなんですかね? 普通、刺された方より刺した方に同情するなんて、ありえないでしょう」


 すると御手洗は苦笑しながら、


「いやあ、そんなものでしょう。マスコミは空気を読むのが仕事ですし、今は与党も移民排斥側に回ってますから。お茶の間は敵を求めているのです」

「……意外とサバサバしてますね。悔しくないんですか?」


 彼は首を振り振り、


「悔しくないと言えば嘘になりますけど、我々も彼らを利用する時は利用しますからね。今は移民で叩かれてますが、東京復興の時には彼らは味方でした。さっさと逃げ出したリバティ党の責任を追求したり、復興法案を通すように圧力をかけてくれたり、大変役に立ちました。彼らはスポンサーの意向や世論でコロコロ主張を変えますが、視聴者が求めてるものを提供しているだけなんだって考えたら、そんなに腹も立たないでしょう」

「うーん……そんなもんですか」

「結局、嫌でも我々は彼らと付き合っていくしかないですからね。それに……私だってそんなに犯人が憎いわけでもないんですよ」

「ええ?」


 まさか刺された本人が、刺した相手に同情するようなことを言い出すとは思わず、二人は目を丸くした。御手洗はそんな二人に向かって、どこか悟ったような顔つきで言った。


「今は移民排斥運動なんてのが世界的に流行ってますけど、彼らが本気で移民が国を滅ぼすなんて考えてると思いますか? 多分、真面目に考えたことすらないでしょう。だって移民なんて今までだってずっと居たのに、デモが起きるまで、誰もこれっぽっちも、彼らの存在を気にしたことなんてないじゃないですか。みんなノセられてるだけですよ。


 普通に生きていると、我々は彼らのことを意識することはありません、どこで働いてるのかすらもよく知らない。我々は移民と働くことなんてまずないんです。当たり前です。求人しても人が来ないから移民を雇ってるんだから……それが急に仕事が奪われたとか、移民が国を滅ぼすだとか言い出したのは、相対的に国民の生活が苦しくなった証拠です。政治が悪いんですよ、政治が」


 御手洗は自分で話している内に段々と興奮してきたのか、まるで演説でもするかのように朗々と語り始めた。聞くところによれば、演説の途中でデモ隊に遭遇し、そこで刺されたらしいから、まだ気分が抜けていないのだろう。


「人間ってのは、いつも安心して見下せる相手を探しているものなんです。生活が苦しければ苦しくなるほど、そういう傾向は強くなる。みんな自分よりもっと苦しい相手を見つけてホッとしたいんですよ。実際、ツイッターなんか見てると、毎日毎日、ビックリするくらい、愚痴ばっかり書かれていますよね。そしてたまに有名人が失敗すると、まるで鬼の首を取ったように批判する。そうすれば相対的に自分が上になれたような気がするからでしょう。


 第二次大戦前はユダヤ人がそういう役目を負ってました。ユダヤ人と言うと、一部の大富豪ばかりクローズアップされますが、普通に考えてみんながみんな金持ちなわけないでしょう。大体、差別されてろくな仕事につけない彼らが、金を持ってるわけないじゃないですか。彼らは誰もやりたがらない仕事しか出来ませんでした。今の移民と同じような仕事です。


 昔の人達はそうやってユダヤ人を差別することで、大富豪を批判し、自分より立場の弱い労働者を軽蔑しました。その結果があの大戦争です。敵意を煽ったところで生活が良くなるわけはないのに、人々は一時の快楽のために、ヒトラーの口車に乗ってしまった。同じことを今、我々は移民に対してやっているわけです。


 みんな将来に不安があるから、自分より弱い移民を叩いて鬱憤を晴らそうとする。それを紛らわせるのは、本来なら政治の領分でしょうに。我々は将来の不安を払拭し、明確なビジョンを示して導かねばならない。それが政治家も一緒になって、移民を追い立ててるんだからどうしようもないですよ。


 競争とは本来、自分より強いものを引きずり下ろすものです。弱い立場の者から仕事を奪うものじゃない。ところが若者たちはずっと、自分たちより立場がうんと上の人達に、仕事を奪われ続けてきたから、それがわからないんですよ。


 私を刺した若者だってそうです。彼は奨学金を貰って無理して大学を卒業してまで、ろくな仕事に就けなかった。学生のうちはテストの点数だけを気にしていればそれで良かったでしょうが、社会に出たらそれが通用しなくなる。人は自分よりも優れた相手を蹴落とすためには、平気で卑怯な手を使います。それでも敵わなければ徒党を組んで意地悪する。ところが社会に出たばかりの新成人は、そこにスポーツマンシップのようなものがあると勘違いしているから苦しくなるんです。教育は、平等しか説きませんからね。


 ですがまあ、それは正しいでしょう。政治とは本来、フェアな競争が出来るようにすることのはずなんだ。ならば彼らが安心して巣立てるような社会になってなきゃおかしい。ところが現実はそれと真逆になってるんだから、若者たちのせいには出来ませんよ」


 御手洗はそこまで興奮気味に語ると、力を入れすぎたのか、いたたたた……っとうめき声をあげながら、手術したばかりの傷口を押さえた。縦川が慌てて近寄っていって、彼をベッドに寝かすように補助する。


 縦川は苦笑いしながら言った。


「なんかホントに、御手洗さん元気そうで安心しましたよ」

「ちょっと興奮してしまいましたね。知事選が近いから、このところ臨戦態勢で、頭の中は政策のことばかりなんです。今回は知事が弱気で、江玲奈さんの託宣もありませんから……私達が頑張らねば」


 御手洗はそう言いながら、思い出したかのように上坂の方を向き直り、


「そう言えば上坂君。頼んでおいた江玲奈さんは見つかりましたか?」

「そうだった。江玲奈はまだ見つかってないんですけど……それより御手洗さんに報告しなきゃならないことがあるんです」


 御手洗に尋ねられた上坂は今日ここに来るまでにあった出来事を思い出し、慌てて彼に報告した。もしかしたら怪我に響くかも知れないから慎重にと思っていたが、この調子なら問題ないだろう。


 御手洗は上坂達の報告を聞くと、それまでよりもより政治家らしい真面目な表情を作り、


「……そうですか。もう、そんな状況にまでなってしまっていたんですか。道理で、インフラがここまでガタガタになってしまうわけだ。しかしそうなると、人を集めるのはますます困難になりますね……」

「でもおかしいですよね? ここまで急激に広まっていたなら、もうとっくに誰かが気づいててもいいでしょうに。どうしてこんなになるまで誰も気づかなかったんでしょう」

「確かに……」


 御手洗は介護用ベッドに寝転がりながら、暫し考え込むように天井を見上げていた。恐らく今、頭の中では色んな考えが巡っているのだろう。彼は自分の考えが納得行かないかのように、何度も首を捻っていたが、結局は少し思いつめた表情でこう言った。


「もしかすると、知ってて黙ってるのかも知れませんね」

「え?」

「上坂君の言う通り、普通に考えて、全国民の検査をしてる厚労省が気づかないわけがありませんよ。でも今、発表すると、都知事選に影響が出ますから、その後の衆議院の解散総選挙を見据えているリバティ党は、出来るだけ発表を遅らせたいはずです。何しろ、眠り病は医者が治療することが不可能だから、真実を告げられたら国民はパニックに陥るでしょう……そうしたら国へ、つまりリバティ党への責任追及が始まる」

「それじゃ、選挙のために隠してるってことですか?」

「多分。もちろん、我々には知る権利がありますから、最終的には発表するつもりでしょう。でも彼らはそれを、選挙が終わってからすればいいと考えているんじゃないでしょうか」

「そんな馬鹿な。そんなこと民主主義国家としてあり得ないでしょう?」

「平時ならそうですね。ですが、今は世界中が混乱していて、いつこの日本も戦争に巻き込まれるか分からないような状況です。そんな時だから、彼らは野党に政権を明け渡すことを心底恐れているはずですよ……特に、タカ派の若手議員たちは、我々のことを中国の手先だと本気で思っていますからね。そんなことありえないのに」


 彼は自分の考えを確信するかのように頷くと、下唇を噛みながら悔しそうに続けた。


「そう考えれば未だに発表がないことが頷けます。デモ隊を使って、私達の演説を、なりふり構わず妨害してきたのも……リバティ党は党首が眠り病になってから穏健派の声が完全に封じられています。何を言っても総理の意向ではないと返されると何も言い返せなくなる。今は誰も、何も決断したくないから、選挙が終わって新内閣が発足するのを待ってるんでしょう」


 そんな御手洗の言葉を遮るように、縦川が言った。


「しかし御手洗さん、今となっては、もうそんな悠長なことは言ってられないですよ。俺はここのところ葬儀続きでしたし、上坂君のところは食料が足りなくて買い出しに行ってるくらいだ。選挙の結果なんて悠長に待ってたら、その間にみんな死んでしまう」

「ええ、可及的速やかに発表したほうが良いでしょう……ただ、その後予想されるパニックを起こさないためにも、先手を打って色々と対策を練らなければならない。まずは何はなくともインフラです。AYF社や旧立花研の方々を呼び戻しましょう。人手が足りないのであれば、AIに働いてもらうしかない。みんながドローンを恐れて利用を控えてましたが、もはや強行してでも私の判断でやらせますよ。やはり私の考えは間違ってなかったんだ」


 御手洗は鼻息荒くそう言い放つと、すぐさま病室の外で待つ政策秘書を呼んで色々と指示を出し始めた。まだ手術をしたばかりで体に障ると言われているのに、もうそんな言葉など耳を素通りしているようだった。彼はとにかく東京都の混乱を収めるべく尽力するように秘書に命じながら、あれやこれやと次から次へと斬新な手を打っていった。縦川たちはそんな彼らの姿を頼もしく見守った。


 しかし御手洗には色々とアイディアがあったようだが、そんな彼でも眠り病で人が死んでいるという事実を公表することには頭を悩ませているようだった。パニックになっては大変だ、でもそれじゃあ眠り病を発表するならどのタイミングでどのようにすればいいのか。


 彼は秘書の質問に暫し考え込むように目を伏せて顎を撫でると……


「ところで物は相談なんですけど、縦川さん。一つ、お願いを聞いては貰えませんか?」


 突然、何かを思いついたようにぽんと手を叩いてから、縦川の方へ向き直った。それをぼんやりと見ていた縦川は、突然話を振られたことにびっくりしながら返事をする。


「え? は、はい。なんでしょう。俺に出来ることなら」

「簡単です。誰でも出来ます。縦川さん、あなた、都知事になってみませんか?」

「…………は?」


 唖然としてマジマジと見つめる縦川の視線を、御手洗は一切逸らすこと無く真面目な表情で見つめ返した。思わず正気を疑いたくなったが、どうやら冗談を言ってるわけではないらしい。


 縦川は返す言葉も見つからなくて、ただ仰天して椅子から転げ落ちそうになっていた。


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