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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第四章・永遠の今
119/137

どこかって……どこ?

 まるで廃寺のようだった。


 寺の境内に面した墓場は落ち葉に埋もれており、傍目にも荒れているのが見て取れた。縦川はそんな落ち葉を箒で掃き出しながら、開かれた山門の向こうに見える商店街の静けさをため息混じりに見つめていた。


 寺が荒れているのは言うまでもなく、このところ境内を掃除する者が居なかったからだ。


 いつも掃除に来てくれていた猫好きのおばさんは、最近とんと姿を見かけなくなっていた。相変わらず猫たちはやって来るから引っ越したということはないのだろうが、せめて何があったのか事情だけでも話に来てくれればいいのになと思いながら、縦川は境内をせっせと掃除していた。


 尤も、掃除する人が居なくなったからと言って、寺がこんなにすぐ荒れ果てるわけはない。寺には縦川が住み込んでいるのだから、彼が片付ければ済む話である。ところがその縦川は、このところあちこちから葬儀の依頼が舞い込んできて、ろくに寺の用事が出来なかった。縦川は檀家が少なく、本山から依頼されたり他の寺のヘルプで行くわけだが、最近は明らかにその回数が増えていたのだ。


 それも自殺者や独居老人の孤独死など、あまり声を大きくして言えないようなものがやたらと多かった。90年台のバブルが弾けた時も、一時期そういう死者が増えたそうだが、世の中が暗くなるとこういう事も起きるようである。


 思えば欧州は大混乱状態で、中東では核戦争が始まるかも知れないと言われており、国内では総理大臣が原因不明の奇病で入院、しかもそれは国民の4割が罹患する可能性があり、移民排斥運動で街はギスギスしていて、流通も滞る始末。これが本当に、あの経済大国日本の姿なのだろうかと言わんばかりの状況である。そりゃ死にたくもなるというものだ。


 縦川は箒の柄に顎を乗せながら、はぁ~……っと、長い溜め息を吐いた。いつの間にか境内を掃除する手が止まっていた。街の雰囲気が暗いと気分も暗くなってしまうんだろうか。最近は鬱々としたことばかり考えてしまう。


 縦川の住む街の商店街は、このところずっと人気が少なくヒッソリしていた。移民排斥運動が起きて以来、彼らを雇っていた個人商店は肩身が狭い思いをしてるらしく、開店休業状態のようである。


 尤も、客が来たところで、流通が滞ってるせいで商品の数が少なく、客の需要を満たせるかどうかは疑問だった。縦川がいつも廃棄弁当をタカリに行っていたコンビニも酷い有様で、以前みたいに気軽に顔を出せるような雰囲気じゃなかった。


 スナックも材料の調達が難しいらしく、酒はいっぱいあっても、つまみや軽食を出せない状況が続いていた。そのため、元々自炊が出来ない縦川は外食できるような店もなく、ここのところ毎日缶詰ばかり食べて飢えを凌いでいるような状況だった。


 これでベーシックインカムが無かったら、本気で餓死者が出てきてもおかしくないのであるが、そのBIも廃止論が出ていて、都知事選の結果次第では予断を許さない状況だった。


 何でも、インフラに関わる仕事に働き手が集まらないのは、BIがあるせいで若者が働かないのが原因なのだとか。貧乏人から食べ物を奪った社会がその後どうなったかは歴史が証明しているわけだが、そんな暴論が平気でまかり通るくらい、人々は何だかよく分からない力に抑圧されているようだった。


 それにしても、世界中が混乱しているとは言え途上国じゃあるまいし、短期間でこの日本が、ここまでガタガタになるものだろうか? 高齢化で働き手が居ないと言っても、老人になったからっていきなり働けなくなるわけじゃないだろう。


 労働市場だって需給のバランスで成り立っているのだから、賃金を上げれば必ず誰かが働きに出るはずだ……もしかすると、まだ誰も気づいてないような、おかしな問題が起きてるんじゃなかろうか。具体的に何かと言われると困るのであるが……


「あ、いたいた。おーい、雲谷斎!」


 縦川が箒を片手にぼんやりとそんなことを考えていると、開けっ放しの山門をくぐって、上坂がひょっこりとやってきた。彼は入ってすぐの墓地にいた縦川の姿を見つけると、ほっとした表情で手を振りながら近づいてくる。


「あれ? 上坂君じゃないか、いらっしゃい」

「いらっしゃいじゃないよ。何度も電話したんだぞ。携帯の電池切れてるんじゃないか」

「え? そうなの?」


 ポケットに入れていた携帯電話を取り出すと、言われた通りバッテリーが切れているようだった。上坂を寺務所に案内してから、慌てて充電器に繋ぐと、確かに上坂からの着信通知が何本も入っていた。縦川はそのことを詫びつつ、


「それで、今日はどうしたんだい? 確かこの時間はまだ学校のはずだろう?」

「実は臨時休校なんだよ。最近、寮の飯が足りなくてさ、一部の生徒が文句を言ったら、じゃあ自分たちで食材運んでこいって、それで今日は有志が北関東まで買い出しに行ってるんだ」

「はあ!? なんでまた、そんなことに……戦時中じゃあるまいし」

「だよなあ。先生たちも呆れてる。流石にこんなになるのはありえないから、何か問題でも起きてるんじゃないかって御手洗さんに聞いてみたんだけど、特に人口流出が起きてるとか、反移民派の妨害があるわけでもなくって、とにかく人が集まらないんだって。凄い困ってたけど……」

「そりゃあ、変だなあ……」


 元々インフラが止まってしまったのは、移民が急激に居なくなったせいだが、そうは言っても流出した人口なんて、元から住んでる日本人の数と比べたら微々たるものだ。だから必ず誰かしら代役は見つかるはずだが、ここまで誰も仕事をしたがらないのは何故なのか。


 本当にBIがあるからみんな油断して、誰かが代わりにやってくれるって思っているのだろうか。そんなことはないと思いたいのだが……縦川が首を捻っていると、上坂が思い出したかのように続けた。


「そうそう、それで御手洗さんに電話した時にさ、江玲奈の行方を知らないかって聞かれたんだよ」

「江玲奈さん……? 彼女、どうかしたのかい」

「それが、このところ行方不明らしいんだ。俺の方も眠り病対策が有耶無耶になっちゃってるから、暫くご無沙汰だったんだけど、言われて彼女と連絡取ろうとしても、こっちも繋がらないんだよね。それで雲谷斎が何か知らないかなって思って来たんだよ」

「いや、俺に聞かれても……彼女とは上坂君の方がずっと親しかっただろう?」

「まあ、そうなんだけど。ほら、あいつが初めてこの寺に現れた時さ? あいつ、名刺を置いてっただろう? あれに電話番号だけじゃなく、メールアドレスも書かれていたと思ったんだけど……」

「ああ! それなら、ちょっと待って」


 縦川は事務机の中から寄進帳と名刺入れを取り出した。まだ彼女と知り合う以前、訪問客を装って彼女が置いていったものだ。これがあったお陰で、後に眠り病騒動の時に連絡をすることが出来たわけだが、用意周到な彼女はもしかして今日のことも見越して置いていったのだろうか……


 上坂は縦川から名刺を受け取ると、そのピンクと紫でゴテゴテと装飾の施された名刺を見て眉を顰めた。エイジ・オブ・アクエリアス……なんだかそんな名前のスピリチュアル団体の代表の肩書と共に、饗庭江玲奈の名前が並んでいる。


 確か夕張のときも彼女はパワースポットがどうこう言っていたから、元々こういう物が好きなんだろう。もしかして江玲奈が見つからないのは、あの時みたいに友達とお遍路でもやってるからなんじゃなかろうか……そんなことを考えつつ、名刺に書かれていたアドレスにメールを送ると、驚いたことに返事はすぐに返ってきた。


 しかしそれは肝心の江玲奈本人からではなく、ホームページを作成したサークルの仲間からだった。


『メールありがとうございます。饗庭さんをお探しなんですか? 実は私達エイジ・オブ・アクエリアスも、彼女の行方が分からず困っていますのよ。よろしければお互いに知ってることを情報交換いたしませんか?』


 相手が何者かは分からないが、江玲奈に貰った名刺に書かれたメールアドレスなのだから、本物のサークル仲間と見て間違いないだろう。上坂たちは承諾した。


「とは言っても、こちらが知ってることは殆ど無いです。僕たちは彼女の両親やご家族の方、それから都知事であるお祖母さんの部下の人から頼まれて、彼女のことを探しているだけです。彼女と最後に会ったのは、今から3ヶ月くらい前に北海道に行った帰りですけど、その後、彼女が何をしていたか知りませんか?」


 上坂がそう返事すると、メールの相手は間髪入れずにこう返してきた。


『もしかして、あなたは上坂様でしょうか?』


 上坂と縦川は顔を見合わせた。まだ名乗っても居ないのに、まさかこちらの正体を言い当ててくるとは思わなかった。江玲奈から上坂の名前を聞いていたのだろうか? 彼女はあんまり友達が居なさそうだし、北海道旅行のついでに、上坂の話題を出してもおかしくないかも知れないが……


 彼はなんとなく嫌な予感がして、


「いいえ。僕は三千院といいます」


 思いっきり口から出まかせを言っておいた。


『あら、そうですか……残念です』

「上坂というのは江玲奈さんの友達のことですよね? 彼がどうかしたんですか?」


 上坂が知らないと言うと始めはがっかりしたが、その上坂の話をすると相手は嬉々とした様子で、


『上坂様はお姉……饗庭さんが言うには救世主(メシア)となるべく、神がこの世に遣わされたお方ですわ。私達、エイジ・オブ・アクエリアスは、もうじき来る終末の時に人類を救済すべく、彼と共に立ち上がるために集められました』

「えーと……」

『驚かないで聞いてください。私達はメシア様と戦うために選ばれた超能力軍団なのです。巷では超能力はAIが引き起こしてるだけの紛い物と言われてますが、私たちのはそんなのとは違う本物の戦士なのです。私たちはパワースポットをめぐり力を蓄え、来るべき日のために訓練を続けていました。お姉さまは神の預言者として、私たちの道を示してくれていたのですが……実を言うと、このところの世界情勢は、彼女の言う終末の状況に非常に近いのです。ですから私たちは間もなくメシア様が現れ、悪と戦うために立ち上がると確信しているのですが……』

「そ、そうなんですか。救世主が現れるなら安心ですね」

『はい。でも、もしかするとお姉……コホン。饗庭さんは終末を予言したせいで、悪魔の軍団によってさらわれてしまったのかも知れませんわ。奴らは終末を阻止する力を持った私達の存在を恐れているのです。そのため、私達の中で最も力の強い饗庭さんを狙ったのかも知れません。大変! お姉さまを助けられるのは、メシア様において他にありません。というわけで三千院様』

「………………あ、はい。三千院です」

『あなたは上坂様とお知り合いなのでしょうか? 先程、お姉さまの友達だとおっしゃってましたが』

「いいえ、滅相もない。上坂という人のことは、その江玲奈さんからなんとな~く聞いていただけです。詳しいことは何も知りません」

『そうですか……残念です。ですがもし、あなたがメシア様にお会いすることがありましたら、私達のことをお伝え下さい。きっと彼なら私達を導いて、この苦境を打開し、囚われのお姉さまを救うことが出来るに違いありません。そうだわ! あなた方も、お姉さまを探すのではなく、先に上坂様を見つけることをおすすめします。きっと彼なら彼女の行方を知ってるに違いありません』

「なるほど、確かにそうですね。それじゃ僕らも探してみようかと思います」

『なにか分かったらご連絡ください。こちらからもお伝えします。ラ・ヨダソウ・スティアーナ』

「ラ? あ、はい。よろしく」


 メールのやり取りを終えた上坂は、寺務所のソファーにドッと身体を投げ出した。それほど長くやり取りしていたわけじゃないのに、異常なくらい疲れ果てていた。その様子を背後で見守っていた縦川が、急須にお茶を入れてやって来る。


「それで上坂君、彼女らが言うには江玲奈さんの行方は君が知ってるそうだけど、どうなんだい」

「やめてくれよ、知ってたらこんなとこまで来てないっての」

「冗談だよ、冗談」

「……ったく。あいつ、何やってやがんだ。中学生相手にべらべらホラ吹きまくりやがって」

「まさか彼女が、俺たち以外にも終末を予言していたとはね……でも、わざわざ秘密を打ち明けたんだとすれば、もしかしてさっきの子も、本当に江玲奈さんみたいな能力を持ってたりするんじゃないか?」

「ねえよ。もしあるんなら、メシア様なんかに頼らなくって、自分でなんとかしようって考えるだろ」

「それもそうか」

「江玲奈が面白がって適当なこと吹き込んだだけだと思うよ。あいつ、意外とこういうの好きなんだ、中二病っていうか。格好からしてそうじゃないか」

「そう言えば、最初に寺に現れたときも、そんな感じだったよね」


 ゴスロリファッションにパンクみたいなメイクをして、アトランティスの民だとか、アーリマンだのルシファーだの、今にして思えばどこまで本気なのだろうかと言うような、痛い言動ばかりだった。いや、今でもそんなに変わってないが。


 もしも立花倖のアメリカ時代の話や、眠り病騒動が無かったら、今でも彼女のことを信じていなかっただろう。終末のことなんて言われたら、尚更だ。案外、彼女自信もそれが分かってるから、学校の友達相手に何も隠してなかったのではなかろうか。


 そう、普通なら彼女の話は誰も信じないのだ。それを信じたのが、あのエイジ・オブ・アクエリアスなのかも知れない。


「まあ、なんにせよ、これで手がかりが無くなっちゃったな。友達にまで行き先を伝えてないってなると、もう探しようがないんじゃないか」

「うーん……なんであいつ、急に姿を隠しちゃったんだろう? 変だよな。隠れなきゃならない理由なんてないだろうに」

「まさか、終末を恐れて、どこか安全な場所にシェルターでも作って引きこもってるとかは?」


 上坂は苦笑いしながら、


「自分だけ助かるのが目的なら、初めっから俺に眠り病患者を救えなんて言わなかっただろうけどね。あいつの目的は終末を回避することらしいから。そのために、今の時間を繰り返してるみたいな風に言ってた」


 すると縦川は眉間にシワを寄せながら、


「すると、終末が回避出来ないからって、やり直すためにどこか行っちゃったとかは?」

「どこかって……どこ?」

「それはわからないけど……」


 二人はお互いに顔を見あわせながら沈黙した。確かに、手遅れになってしまったら、彼女は目的のためにやり直しをする可能性は高いだろう。他の平行世界に主観だけを移して、また別の方法で終末を回避しようとするはずだ……


 だが、もしそうなったところで、彼女の肉体が消えることはないはずだ。そして彼女は眠り病に罹ることがないから、彼女は彼女のままこの世界に残っていなければおかしいだろう。どこにも姿を隠す必要は無い……なのに彼女はどこにも居ない。何故だろう。まさか、死んだなんてことはないだろうけど……


 それに気になることは、彼女の行方だけではない。縦川はため息混じりに言った。


「実際、彼女の言う終末は来るんだろうか?」

「分からないけど、今の所、あいつが言ったとおりに世界情勢は推移している……雲谷斎がローゼンブルクで聞いてきた、ヒトラーの予言ってのも似たような経過を辿るんだっけ?」

「ん? ああ、ヒトラーの予言でも、中東から最終戦争が始まるそうだ。そしてイスラエルが動き出し、全世界を征服するって」

「イスラエルか……って言うか、ユダヤ資本って考えれば、あながち間違ってもないよな。多分、中東の戦争が収まるとするなら、それはアメリカが介入した時だろうし……あの国がイスラエルの味方をするのは間違いないはずだ」

「でも終末が訪れるんだよね? アメリカが世界征服したところで、終末なんてものが来るとは中々想像つかないよね。なんやかんや、あそこは自由の国だし、民主主義国家だし」

「そうだなあ……じゃあ、もしかしてアメリカ以外の国が覇権を握るとか? 中東の代理戦争の結果、アメリカと中露の間で最終戦争が始まるとしたら、そういうことも有り得そうだけど……」


 上坂はそこまで言ってから慌てて首を振り、


「いや待て。江玲奈は戦争で人類が滅亡するとは言ってなかった。あいつは眠り病が全人類に蔓延してしまって、手が付けられなくなるって言ってたんだよ。多分、戦争に絶望した人たちが、一斉に眠り病に罹っちゃうんだろうけど」

「パンデミックか。そう言えば、国内だけでも、眠り病に罹る可能性のある人は4割を超えるんだっけ? 確かに、それだけの人々が一斉に眠りについてしまったら、世界は終わってしまうかも知れないね。まず、彼らを介護するだけの医療施設はないし、単純にそれだけの労働人口が減ってしまったら、社会インフラもまともに維持できない……ん? 待てよ??」


 縦川の脳裏を嫌な予感が駆け巡っていった。彼はついさっき、上坂が来るまでの間、その違和感について考えていたはずだ。


 このところ、やたらと舞い込む葬儀の依頼。独居老人と自殺者の増加。商店街の暗い雰囲気。猫好きおばさんは何の前触れもなく来なくなって……御手洗に言わせれば、いくら高給で釣っても求人に誰も応募してこない。ついには社会インフラが停止して、戦争でもないのに高校生が買い出しに行く始末だという。


「上坂君。眠り病ってのは世の中に悲観したり、絶望したらなっちゃう病気なんだよね? それって、どのくらいのストレスで疾患する可能性があるの?」

「それは、人によるんじゃないか。日本人がいくら絶望したところで、紛争地域みたいに生命の危険までは感じないだろうと言われたらそれまでだし、怖いもの知らずのヤクザモンと、ブラック企業で精神がすり減ってるサラリーマンじゃ、神経の図太さも違う」

「つまり、全く罹らない者もいれば、些細な切っ掛けで発症してしまう人もいるかも知れないってこと?」

「だろうね。実際、俺が夕張で見てきた患者はそこまで人生に絶望した感じじゃなかった。寧ろ、昔を懐かしむあまり、現実とのギャップで苦しんでるような老人がほとんどだった。もしかすると、そう言う現実と理想の乖離が、この病を引き起こす最大の要因なのかも知れないな」

「じゃあ、もしかして、既に眠り病に罹ってる患者がたくさんいるんじゃないか?」

「そりゃあ、言うまでもないだろう。何しろ、総理大臣が罹ってしまうくらいなんだし。都内の病院は相変わらず検査検査で混雑してるけど、いくら検査をしたところで、眠り病の発生は避けられない……そして一度罹ったら……今の医療じゃ……治らない」


 上坂も返事をしている最中にその違和感に気づいたようだ。社会インフラが麻痺状態にあるのは、移民を追い出したからじゃないのではないか。もしかすると、水面下では、日本人の眠り病患者の数はどんどん増え続けていたのではなかろうか。


「なんか雰囲気が暗いから、このところあまり商店街の人達と会話してなかったんだけど、ちょっと調べてみよう。青年団と話をしてみればすぐわかるはずだよ。実は、うちの寺の掃除をしてくれてた猫好きおばさんも、最近とんと見かけなくてね。心配していたところなんだ」

「……あの人はいつも俺や美夜のことを気遣ってくれた。もしもそうなら、助けなきゃ」

「いこう、上坂君。まずはみんなに話を聞かなくちゃ」


 そうして街の様子を調べ始めた二人は、すぐに自分たちの予想が正しかったことに気付かされた。商店街の面々は、このところの移民排斥運動のせいで、移民労働者に頼ってた商店と反移民とで分断され、お互いに交流が減っていたようだ。


 そのせいでストレスが溜まった者の中には、どうやら眠り病が発症してしまったらしき人物もいた。ところが、眠り病と認定されるには大病院で検査をしなくてはならないのだが、今は全国民が検査をしてる最中で、順番待ちをしなくてはならない。彼らは、眠り病患者を抱えていながらその認定が受けられず、介護で満足に働けなくなっていたのだ。


 猫好きおばさんもその口で、彼女は旦那が眠り病に罹ってしまったようだった。休職中の旦那が仕事に復帰できるか分からないという不安の中、入院させたくても、都内の病院はほとんど満杯で断られてしまい、自宅でなんとか介護をしている状態だった。


 上坂達が訪問した時には、彼女自身も心労と介護疲れでぐったりしており、後少し遅れていたら、彼女も参ってしまっていたかも知れなかった。上坂は自分なら治せるかも知れないと言うと、他にも患者を抱えて苦しんでいる人たちが居るから、状況を確認する間、もうしばらく辛抱してくれと励ました。


 彼女は半信半疑であったが、少なくとも上坂が自分を励まそうとしてくれてることは分かり、少しは気が紛れたらしく、帰り際には笑顔を見せてくれるようになった。


 上坂達が商店街に戻ると、彼らに言われて街の見回りをしていた青年団が、昏睡状態の独居老人を何人か発見して慌てているところだった。症状は正に眠り病のそれだが、発症してから何日経過したかわからないような人の中には、衰弱して危険な状態の老人もいた。そして、発見された時には既に手遅れだった者も……


 縦川は死者に手を合わせると、すぐ本山へと電話をかけた。このところ、やけに独居老人の葬儀が頻発していたのは、これが原因だったのだ。


 縦川の宗派のネットワークを駆使して調べてみると、全国規模で身寄りのない眠り病患者が相次いで見つかった。新聞が溜まってることで配達人が発見してくれたり、近所付き合いがある者たちは事なきを得たが、そうでない独居老人など、全国各地にはごまんといる。そう言った人々が、眠ったまま誰にも発見されず、そのまま命を落としていたのだ。


 尤も、眠り病患者はこの世界で死んでも、別の平行世界で生きている。だからといってそれでいいと言うわけにも行かない。このまま行くとこの世界は続々と人口が減り続け、いつか人が居なくなってしまう。残された遺族たちの中には落胆して、後を追うように眠り病に罹るものも出てくるだろう。


 そうしたら終わりだ。江玲奈の予言が、当たろうとしているのだ。


 上坂たちは青ざめながら、商店街の人達と協力して眠り病患者の互助ネットワーク作りつつ、この事態を早く行政に知らせようとして、御手洗に電話をかけようとした。


 すると、縦川がスマホを操作しようとした時、タイミングよく、その御手洗から着信が入った。彼はホッとしながら電話に出て、彼に今起きてることを訴えようとしたのだが、


「え? あれ? 御手洗さんではないんですか?」


 挨拶もそこそこ、本題に入ろうとしていた縦川が、自分の話している相手が御手洗じゃなかったことに気づいて、慌てた声を出している。


 上坂がそんな彼の顔を見ていると、何故か縦川の表情が見る見ると変わっていき……すると縦川は驚愕に目を見開きながら、上坂に向かって叫ぶように言った。


「御手洗さんが……刺されたって!?」


 受話器を耳に当てたままそう叫ぶ縦川の顔を見つめながら、上坂は何も言えず呆然としていた。


 頭が追いついていかない。倖は死に、江玲奈は行方不明。これで頼りにしていた御手洗まで欠いてしまったら、自分たちはこれからどうしていけばいいのだろうか……


 二人は青ざめながら電話を切ると、御手洗が運び込まれたという病院へと、取るものも取りあえず転がるように走っていった。


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