移民のゆくえ
ネオナチによるドイツ議会の占拠と監視チップのリークは、まるで病魔が体を蝕むように、徐々に徐々に世界を混沌へと導いていった。
超能力者の存在が明るみに出て以来YouTube界隈では、能力を得た若者たちが自分の力を見せびらかすために、一時のGBみたいな番組を大量に投稿するようになっていた。
しかしこれまたかつてGB達が通った道であるが、超能力は一見して手品と見分けがつかないことから、信じられないという者たちによるコメント荒らしで、投稿動画はどれもこれも荒れていた。やがて日本以外の国々でも、超能力者同士の喧嘩が始まり、公共物を破壊したりして警察が出動する騒ぎになっていた。
そんな無軌道な若者たちを揶揄する新聞記事や風刺画がインターネットには飛び交い、ある意味平和的とも言えたが、どの国でも超能力者は確実に社会に混乱をもたらし始めていたようである。
因みに、日本ではこれといった混乱もなく、GBたちユーチューバーは普段どおりの番組制作を行っているようだった。世間が騒げば騒ぐほど、かつての自分たちを見ているようで、何とも言えない甘酸っぱい気分になるらしい。故に、英語が出来る者は海外の超能力者たちに落ち着いて行動するよう呼びかけていたが、残念ながら新しい玩具を手に入れた海外のユーチューバーは聞く耳持たないようである。
そんなわけで日本国内は海外と比べて、比較的落ち着いていたのだが、超能力者や眠り病を世界に先駆けて察知していた国であるからか、何の因果か、次なる混乱の火種もまた、この日本から出てきてしまったのである。
10月下旬。多大な混乱を招きながらも、どうにか効率化が進んできた厚労省による監視チップの全国検査であったが、途中経過で弾き出された国内の罹患率(脳内にチップが出来てしまったもの)は、かなり深刻なものであった。現在、百万人の検査を終えた時点で、なんとその数は半々だったのである。
FM社が販売していたワクチンは非常に普及していたため、国内のおよそ8割の者が受けたことがあるという。すると単純計算で国民の4割が脳内にチップが出来てしまっており、眠り病予備軍なわけである。
因みにワクチンを受けると必ず体内にチップが生成されてしまうのであるが、手足などの皮下ならば外科的な方法で除去も可能だが、脳内に達してしまうとそれが難しい。下手したら脳を傷つけてそのまま帰らぬ人になる可能性だってあるからだ。
つまり脳内にチップが発見された者は、いきなり分けの分からぬまま死刑宣告をされたようなものなのだ。あまりに理不尽な出来事に文句を言おうにも、FM社が解体されてしまった今、その怒りの矛先は国へと向けるしかない。
そんなわけで国会では連日連夜、FM社のワクチンを認可した内閣の責任が追求されていた。そんなことを言われても予見は難しかったという内閣に対し、これを好機と攻撃の手を緩めない野党が審議を拒否したまま一方的に糾弾を続け、国会は麻痺状態に陥っていた。
厄介なのは、ワクチンには仕掛けが施されていたものの、薬効自体は確かだったことである。既に日本のみならず世界中に流通しており、厚労省の検査をもかいくぐってしまったのだから、こんなものは誰を攻めることも出来ないだろう。
だが、与党を攻撃するのが仕事である野党は糾弾の声を止めることはなく、世論も彼らの味方だった。何しろ、大多数の国民が被害者なのだからそうなるのも無理はなかっただろう。それが分かっているからか、内閣も野党の追求を甘んじて受けているようだった。
ところが、そんないつ終わるとも知れない、一方的な学級裁判みたいな騒動の中でそれは起きた。
その日も舌鋒鋭い野党議員が質問席に立ち、テレビカメラを意識しながら、内閣の責任をここぞとばかりに追求する議会が開かれていた。そろそろネタが尽きても良さそうなものの、一向に止まない追求の声に、与党の席からはうんざりした声が出て、倦怠感が議場に満ちていた。
そんな時、質問者が総理大臣に向かって質問を行った。内容は些細なもので、答えるのは何も難しくない。ところが、議長が総理の名前をいくら呼んでも、彼は席に座ったまま立つ気配がない。どうしたものかとテレビカメラがズームアップしてみれば、彼の瞼は閉じられており、どうやらぐっすり眠っているようだった。
このところ、連日連夜の質問攻めで、疲労が溜まっていたのだろう。議題がこじれると居眠りする議員が出てくることなど珍しくもなく、失笑を買いながらもすぐに若い秘書官が飛んできて、総理のことを起こそうと何度も声をかけていた。
ところが、秘書官がいくら呼びかけても、総理はいっこうに目を開けない。そのうち、様子がおかしいと感じた閣僚が総理の元へ歩み寄り、肩を揺さぶって起こそうとしても、彼はうんともすんとも言わずに眠り続けている。
途端に野党席からはヤジが飛び、それに応じる与党議員との怒鳴り合いがはじまった。ところが、けたたましい騒動が数分間続いても、まるで目を覚まそうとしない総理の姿を前にして、議場は次第に静まり返っていった。
テレビカメラが限界までズームして総理の顔を映すが、彼はまるで死んだように眠り続けている。やがて、待機していた医者が駆けつけ、警備員が担架を持って現れて、椅子に腰掛けたまま動かない総理に覆いかぶさるように医者が治療を始めたところで、テレビの映像は切り替わった。
一体何が起きたかは言うまでもない。眠り病である。
まさかテレビ中継の最中に総理大臣が眠り病に罹るとは思いもよらず、混乱を避けようにもそれはもはや隠しようもなかった。中継が終わった直後から、テレビや関係各所の電話が鳴り響き、リバティ党はその日の夜になって、渋々総理が眠り病に罹って入院したことを認めるのであった。
大多数の国民はこの時、初めて眠り病というものが実在することを知り、そして国民の多くがこのキャリアであることを思い出した。動揺は瞬く間に日本全国に広がった。
テレビでは緊急特番が組まれて、ドイツのクーデターから総理大臣の眠り病までを何度も何度も報道した。そして監視チップが脳に達するのはストレスが原因であると報道されると、眠り病もまたストレスが切っ掛けで発生すると巷間に流布される結果となった。実際には、そのメカニズムはまだ判明しておらず、せいぜいこの世に絶望した者がなる可能性があるといった程度なのだが、あながち間違いとも言い切れない。
そんなわけで、総理が眠り病になったのは理不尽な質問を続けていた野党のせいだと、一転して世論は野党を叩き出した。世界に危機が訪れているというのに、審議もせずに何をやっているのかと。それまでは野党と一緒に内閣を責めていた世論が手のひらを返し、リバティ党支持に回る。
しかしFM社のワクチンを認可した古い議員たち、つまり高齢の執行部は信用ならず……国民の期待は、極右の若手議員へと集まっていた。高齢の議員の声はかき消され、若手議員の過激な意見ばかりがクローズアップされる。こうして総理、つまり党首不在の中、党運営のために執行部は、反移民の彼らの意見を無視することが出来なくなっていったのである。
和をもって尊しとなす。聖徳太子が十七条憲法を作ってから、この国は世界が呆れるくらい会議ばかりする国になった。もとを正せば釈迦の教えであるが、商人たちがよく話し合い、女性が売春をしない国は強い……要するに、平和で国内が安定している国に手を出したらやられるよということである。これは裏を返せば、政情不安定な国ほど、話し合いをしないと言えるだろう。
実際、情勢が不安定になると会議では何も決まらない。国会を見れば明らかであるが、企業だろうが、シンポジウムだろうが、学級会だろうがそれは変わらない。
尻に火のついた企業は得てしてビックリするほど会議ばかりやってるものだが、その会議で何かが決まることは殆どない。もしくは過激な意見ほど通りやすくなる。誰も提案しなければ何も決まらないだろうし、すると会議では普段なら見向きもされないような意見ばかりが目立つようになり、対案もないからそれがうっかり通ってしまうのだ。
総理が眠り病になったリバティ党でも、若手議員の過激な意見ばかりがまかり通るようになっていた。本来ならそれを嗜めるはずの執行部は、総理を欠いては何も決めることが出来ず、だんまりを決め込んでいた。基本的に彼らは穏健派だったのだ。
そんなわけで、世論を味方につけて調子に乗った若手議員たちは、野党からの解散要求にも応じず、強行採決を連発した。
それまでは野党による責任追求のせいで何も決まらなかった国会だったが、今度は逆にろくに審議もせずに次々と法案が通される。国民の目は一転して抵抗勢力と見做された野党に厳しく、批判や反論は文句があるなら対案を出せという声にかき消された。
そんな国会では国民の後押しもあって、反移民政策法案が次々と通ってしまう。お陰でリバティ党の支持率は回復したが、移民との間に決定的な溝が生まれる結果となった。冷静に考えて、移民が何か悪さをしているわけではない。彼らは働いているだけだ。これには人権団体も黙っておらず、撤回を求めてデモを繰り返すこととなる。
移民労働力に頼っていた東京都も危機感を感じ、リバティ党に苦言を呈する。しかし元々野党のホープ党の言うことを与党が聞くはずもなく、逆に野党の力を削ごうとして、東京都の復興特権を奪うような法案が提出されてしまった。
無論、そんなことをされたら東京都は復興が立ち往生してしまう。饗庭都知事は地方自治権を盾に戦いを表明するが、しかし時勢が悪く国民の支持は得られなかった。
野党にやれることはデモを連発するくらいだったが、興奮した参加者の過激な言動が報道されると、国民感情はますます移民に厳しくなる。
そしてついに低所得者層を中心とした移民排斥運動が起こると、不満を覚えた移民の多くが帰国を決意することとなる。このまま東京に残っていても仕事があるかわからない、外貨も十分稼いだからもういいだろう。先進国の社会保障は魅力的ではあったが、それも命あっての物種だ。
かくして移民が居なくなった東京都であったが、これで若者たちに仕事が回ってきたかと言えばそんなことはなかった。そもそも、若者が求める職場は移民が奪ったわけではない。彼らが従事していたのはいわゆる3K職場であり、募集しても人が集まらないので仕方なく移民を連れてきたのだから、その移民が居なくなれば誰もやらなくなるのが道理である。
間もなく都内では休業する商店が相次ぎ、ついには物流が滞り、工事がストップし始める。これに慌てた東京都や企業は、賃金を引き上げ高待遇を喧伝したが、一度ついてしまったイメージを覆すのは難しく、いくら呼びかけても労働者はやってこなかった。
みんな移民が嫌いで、貧乏人だ奴隷だと蔑んでいたのだ。そんな彼らがやってた仕事を、誰がやりたいと思えるだろうか。
一方……時を同じくして、アメリカでも似たような事態が起きていた。
ネオナチの声明によって、国内の多数の企業が陰謀に関わっていたことが暴露されたアメリカでは、富裕層に対する強烈なデモが連日行われていた。日本とは違い医療保障制度が甘いアメリカでは、監視チップの検査すらろくに行うことが出来ない貧困層がパニックを起こし、各地で暴動が相次いでいた。
仕事もなく、わけの分からないチップが脳にあるかも知れないと言われた貧困層は、ヤケを起こし過激な襲撃を繰り返す。その憎悪をたぎらせた視線に恐れを成した富裕層が身の危険を感じ、続々と海外へ逃げ出していく。
終いにはドイツのようにクーデターを起こそうとする団体が現れ、銃の国らしく国内各地で銃撃戦が繰り広げられる。州兵が出てきてそれを鎮圧するも、暴動の勢いは留まるところを知らず、特定の州はさじを投げて、国へ協力を要請した。
そしてついに副大統領による国家非常事態宣言が行われ、国民に対する夜間の外出禁止と国軍の投入が発表されたのであるが……
ところで、どうして副大統領なのか。何故、大統領が出てこないのか?
太平洋を挟んだ日本では、国家元首が奇病に倒れたらしいが……ホワイトハウスからは何の発表も無く……憶測が憶測を呼び、アメリカでは動揺が広がり、言いようの知れない重苦しい空気が流れていた。
日本近海では、そのアメリカの出方を試すかのように、中国やロシアの艦船による領海侵犯が続く。
リバティ党の若手議員がそれに逆上し、海上自衛隊の投入を声高に叫ぶ。
何とか穏便に済ませたい穏健派の執行部と対立し、国会は空転し、海上保安庁は悲鳴を上げる。
東京都では明日の食料やトイレットペーパーを求めて、都民がコンビニやスーパーに行列を作っていた。
そしてついに江玲奈の予言の的中を示す出来事が起こってしまう。
中東で戦争が始まったのだ。




