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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第四章・永遠の今
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タイムリミット

 帰りの飛行機内のニュースで知ったドイツのクーデター。その首謀者が、まさか行方不明の九十九美夜だったとは思いもよらず、上坂は夢でも見ているのではないかと自分の目を疑いながらも、その信じられない光景に反発するかのように声を荒げた。


「まさか! 美夜がこんなことをするはずがない。何かの間違いじゃないのか!?」


 そんな上坂の叫びはしんと静まり返っていた客室内に響き渡り、その突然の大声にハッと我に返った乗客たちの注目を浴びる結果となった。彼の言葉の意味から、もしかして何か知っているのかという好奇の視線が、あちこちから突き刺さる。


 上坂はそんな客たちの視線にも気づかず、まだ何かを口走ろうとしていたが、隣に座っていたアンリが彼の向こう脛を強かに蹴り上げると、ギャンと情けない悲鳴をあげてから、弱々しくシートに倒れ込んだ。


「い……ってえな! 何すんだよ!」

「いいから周りをよく見なさいよ。ここはあんたんちじゃないのよ。独り言ならもっと小声でやって、恥ずかしいったらありゃしないわ」


 その言葉にハッとして周囲を見渡すと、上坂のことをちら見していた乗客たちの視線が、ただの痴話喧嘩か……と興味を無くした感じに、スーッと別方向へと向かっていった。


 彼は自分が注目を浴びていたことに気づいて、思わず背筋が凍りつくような思いがした。もし、あの映像に映っていた少女の関係者だと周囲に知られたら、どうなっていただろうか。彼は冷や汗を拭いながら、隣の座席のアンリに礼を言った。


 ニュースの内容に引き込まれていた乗客たちは、これを切っ掛けに落ち着きを取り戻したらしく、客室のあちこちで少し騒がしいくらいのざわめきが起こった。一人の客はスマホで色々検索し、連れがいる者同士が今見たニュースの話を興奮気味に話し合っている。


 もちろん遠い異国の話であるから国内線のフライトに支障はないのだが、到着が遅れたりしないかとイチャモン気味に突っかかる乗客もいるようで、CA達が慌ただしそうに通路を行きつ戻りつしていた。


 スクリーンの映像は切り替わり、ニュース番組のスタジオに戻っている。上坂が呆然としながらコメンテーターのいい加減なコメントを聞いていると、前の座席の背もたれの上から、下柳と江玲奈がひょっこりと顔を覗かせた。


「おい、上坂。こりゃ一体全体どうなってんだ?」

「それは俺の方が聞きたいよ」

「あれって、雲谷斎のとこにいたちびっ子だろ? おまえの先生が……その、えーっと、あれしたっていう」


 下柳は周囲に聞かれないようにトーンを落として歯切れ悪そうにそう言った。殆ど日本語になっていないが、言わんとしていることはよく分かる。上坂は眉根にしわを寄せながら気難しそうに頷くと、


「多分、そうなんだろうけど……もしかしたらそうじゃないかも知れない」

「……? どういう意味だ」

「みんなも見ただろう? 映像の最後に犯行声明を読み上げていた美夜の他にも、同じ顔をした美夜が現れたのを。自分たちは人造人間だと言いながら、製造ラインの映像も見せていた」

「ああ! つまり、俺達が知ってるちびっ子とは限らないってことか」


 下柳がそう言って納得するように頷くと、気難しそうな顔をしていた上坂のスマホが鳴り出した。


 報道番組はここだけで流されているわけじゃない。多分、同じニュースを見た誰かが電話をかけてきたのだろう。着信を見ると案の定、御手洗の名前が記されていた。


「もしもし」

『上坂くんですか? 今、どちらにいるんでしょうか。もしかしてニュースを見ましたか?』

「まさにその話をしていたところです。今は帰りの飛行機の中なんですけど……」

『そうですか。ニュースを見たなら、いま何が起きているのか、気になっていることでしょう』

「……御手洗さんは何か知ってるんですか?」

『ええ、帰ってきたらそのことについて、改めてお話をするつもりだったんです。本当は、縦川さんが帰ってきてからにした方が良いんですけど。今はもうそんなこと言ってられませんよね』


 上坂は周囲を見渡してから小声で尋ねた。


「何か知ってるんなら、教えてください。どうして美夜があんなことになっちゃってるのか。そもそも、あれは俺の美夜なのか」

『もちろん、お話しますから、少し落ち着いてください。こんなこと、電話で話すようなことでもないでしょう。そこに江玲奈さんもいらっしゃるんですよね?』

「はい。あと下やんと、委員長がいますけど」

『アンリエットさんですか?? なんで彼女が……まあ、いいですけど。それじゃ、車で迎えに行きますから、合流してから車内でお話しましょう。直接会って話したほうが手っ取り早いですし、誰かに聞かれる心配もなくなる』

「わかりました。到着まであと1時間も無いですけど」

『大丈夫です。実はもう、空港に向かってるところですから』


 二人はその後、二言三言挨拶してから電話を切った。御手洗は既に何かを知っているらしく、その内容が気になって仕方なかったが、あと少しの辛抱である。


 上坂たちはその後、誰も会話すること無く、やきもきしながら飛行機が成田に到着するのを待った。乗客たちはフライト中、ずっとドイツのクーデターの話で持ちきりで、腹立たしいほど騒がしかった。

 

***********************************


 上坂達が成田空港に降り立つと、空港内はいつにもまして人でごった返しており、すぐ隣の人と会話するのも叫ばなければならないほど喧騒に満ちていた。飛行機内もそうだったが、成田空港も同じく例のニュースで持ちきりのようで、あちこちに設置された案内板にもあの映像が流れているのが見えた。


 驚いたことに、空港にはもうカメラを構えたマスコミ達が押し寄せており、それを目当てにした野次馬たちも多数紛れ込んでいるようだった。テレビでおなじみのレポーターがカメラに向かって深刻そうな表情で語りかけるその後ろで、若者たちがニヤけた顔をして手を振っている。


 遠いドイツの話なのに、テレビがこんな場所に何の用事かと思ったら、どうやら彼らはこれから欧州に向かう乗客を探してインタビューをしているようだった。カメラを向けられた乗客が不安そうな、それでいてどこか嬉しそうな表情で応えているように見えるのは、多分まだ何が起きているのか実感が湧かないでいるからだろう。実際、欧州行きの飛行機に欠便は発生しておらず、問題のベルリン行きの飛行機ですら、少々の遅れが発生しているだけで通常通り運行中のようである。


 まあ確かに、いきなり先進国でクーデターが起きて、その首謀者が自分は人間じゃないと言い出して、超能力だ、眠り病だと口走ったところで、普通の人は馬鹿馬鹿しすぎてすぐには信じられないだろう。上坂ですら、最初はなにかの間違いではないかと思ったくらいだ。


 そんなわけで悪い意味で落ち着いている空港内で預けておいた荷物を受け取っていると、先に空港の到着していた御手洗がやってきた。彼は江玲奈の代わりに荷物を持ち、上坂についてくるように促した。下柳とアンリに対しては遠慮して欲しそうな素振りだったが、江玲奈が構わないから聞かせてやれと言うので、それ以上無理についてくるなとは言わなかった。


「……ヒトラー? ネオナチ?? 本気で言ってんのか、あんたは」


 そんなこんなで空港の駐車場に停められていた御手洗の車に乗り込むと、御手洗は高速に入ったあたりで歯切れ悪そうに話を切り出した。それもそのはず、内容が内容だけに、上坂や江玲奈のような当事者でもない限り、中々信じられない話だったからである。


 案の定、彼が話をし始めてすぐに、それを助手席で聞いていた下柳が、呆れた素振りで口を挟んできた。彼は御手洗の正気を疑っているようだったが、当の御手洗は苦笑すると、多分信じて貰えないだろうから二人には遠慮して欲しかったのだと前置きしてから、溜め息混じりに話を続けた。


「信じる、信じないは下柳さんの勝手です。私は聞いた話をそのままお伝えしてるだけですので。いちいち話の腰を折らないでください」

「でもよう? あのちびっ子が、ヒトラーの生まれ変わりだったなんて……信じろって方が無理があるぞ。あんた、えらい政治家の先生だったよなあ? 本気でそんなこと信じてるのか?」


 だとしたらこの国の将来が不安になるぞ……とでも言いたげな表情で下柳は疑惑の視線を投げかけてきた。御手洗は少々むっとしながら、


「そうは言いますけどねえ、この話の出処は、ローゼンブルク大公陛下なんですよ? 陛下自らが、わざわざ立花先生の慰霊も兼ねて、妹さんと縦川さんに話してくださったそうなんです。その陛下の言葉まで信じられないとなると、何も信じられないじゃないですか」

「……確かローゼンブルクは、アーリマンが名指しで糾弾してた悪の一族とやらの中に入ってたな」


 後部座席で江玲奈が呟くように言った。アーリマンとは美夜のことだろう。確かに、彼女は声明の最後に、彼らの敵としてアメリカを筆頭とする国家や、世界有数の大企業を並べ立てていた。その中にローゼンブルクやAYF社の名前もあった。下柳はそれを思い出し、いよいよ信じなくちゃならないのかと言わんばかりに唸り声をあげた。


「……うーむ……ローゼンブルク大公が、ねえ……」

「御手洗さん、大公がイルミナティの一員だったと言うことは、あの時列挙された他の企業や国々もまた関係者だと言うことなんでしょうか?」


 困惑する下柳に割り込むようにして上坂が尋ねると、御手洗はハンドルを握ったまま首を振り、


「いいえ、あの中にはAYF社も含まれてましたが、白木会長はイルミナティとは全く無関係のはずです。でなければ、生前の立花先生が彼らから姿を隠す理由がありませんから」

「確かに」

「恐らく、あれは今後の彼らの活動にとって、邪魔になりそうな団体を手当たり次第に挙げていたんじゃないでしょうか。ネオナチは、AYF社の義体技術と、立花先生の研究物を奪い、それらを活用して人造人間の量産を実現しているわけですから」

「そういえば……彼らは美夜の体を量産して何をしようとしてるんでしょうか? 声明では、金持ちが奴隷を欲した結果、美夜が生まれたみたいに言ってましたけど、それなら量産する必要はありませんよね? 人間の仕事を奪ってしまうんだから」

「ええ。はっきりそうだとは言い切れませんが、恐らく彼らの目的は、ヒトラー以外のナチス幹部の復活……もしくは、単純にドローン兵器のAIを載せて、兵器にしようと考えているんじゃないでしょうか。現状、ドイツ議会を占拠している彼らにとっての最大の驚異は、そのドローン兵器を投入されることです。そのドローン兵器と対抗する手段として、あれを欲したとも考えられます」


 上坂は溜め息を吐いた。美夜を……そのドローン兵器を開発してしまったのは、他ならぬ自分自身なのだ。


 ドローン兵器は中東の戦争の悪化のせいで、今でこそ非人道的だと批判されているが、テロ鎮圧に使われた当初は逆に絶賛されていたのだ。何しろあれは、テロリストと人質を正確に判別する上に、壊されても代わりがいくらでも利く。だから今回のようなテロ鎮圧に投入されやすいし、おそらく今回もそうなるだろう。


 となると、現行のラジコン型よりも、人型の方が有利なのは間違いない。


 結局のところ、ドローンの強さは機械的な判断の速さと正確さにあるのだが、単純な読み合いが互角ならば、臨機応変に対応を変えられる人型の方にアドバンテージがある。小型で空も飛べるラジコン型の方が有利な場合もあるだろうが、大抵の場合、テロリストは屋内にいるのだから、逆に空を飛ぶことがネックになる場面の方が多いのだ。


「そして最大の利点として、人型であれば拠点制圧が可能です。結局の所、戦争はいくら空爆をしたところで、陸上戦力を投入して占領しない限りは終わりません。ゲリラは何度でも戻ってくるからです。実際、最強と謳われたアメリカ軍ですら、テロとの戦いを終わらせることは出来なかった。だから陸軍の代わりに、人造人間がそれを行うようになったら、戦争が一変しますよ。ヒトラーならそう考えるはずです……」


 御手洗はもはや彼らが兵器を作ろうとしていることを疑いを持ってないようである。上坂は下唇を噛みながら、目を閉じたままそれを黙って聞いていた江玲奈に向かって尋ねた。


「江玲奈はどう思う?」

「間違いないだろうね」


 すると彼女はあっさりとそう断言した。


「あのアーリマンの体をヒトラーが乗っ取ったというのは事実だろう。ヒトラーが聖杯に自分の記憶を封じたというのも、いかにも彼がやりそうなことだ。実際、僕はナチスがオカルトに傾倒していたことを知っている。何しろ、僕は前前世でゲシュタポに殺されたことがあるからね」

「ゲシュタポ? 本当なのか?」

「ああ。ナチスはドイツを支配すると共に、魔術的な儀式を通じて世界中のマジックアイテムを集めていた。その過程で、僕みたいなのを見つけたら、ヒトラーが放っておくわけがないだろう。僕は彼らに捕まり処刑された。多分、僕が死んだ後に体を調べたんだろうけど……そんなことをしても無意味なのにさ」

「おい、ちょっと待て、おまえはさっきから何の話をしてるんだ?」


 それまで助手席で難しい顔をしていた下柳が、突然泡を食ったように顔を引き攣らせながら振り返り、江玲奈に向かって尋ねた。彼女は肩を竦めながら、


「だから何度も言ってるだろう。僕は500年を生きる魔女だってさ」

「冗談だろう? おい、上坂。おまえもこいつの言うことを信じるのか?」

「ああ」

「マジかよ!?」

「今更驚くなよ。下やんだって、超能力や眠り病が存在することは知ってるはずだろう。先生が秘密結社と戦っていたことだって」

「あ、ああ……そうだけどよ」


 上坂にそう言われた彼は口を引き結んで押し黙ってしまった。流石にここまで来ると信じざるを得なくなったのだろう。何しろ、この車内に江玲奈の言うことに対し、いちいち疑問を挟んでいるのは彼を置いて他にいない。アンリでさえ、一言も喋りこそしていなかったが、彼女を否定するようなことは言わないのだ。


 彼はこの時になってようやくのっぴきならない事件が起きていることを痛感した。


「でもよ。それじゃあ、おまえたちはその……今、ヒトラーが復活して、ドイツの議会を武力で制圧して、人ならざる軍隊を率いて、世界に喧嘩をふっかけてるって言うんだな? 今までの話を総合すると、そういうことになるんだぞ?」


 下柳の声が車内に虚しく響いたが、誰もそれに答えることはなかった。それは彼の言葉が間違ってるからではなくて、出来ることなら誰もがそれを信じたくなかったからだった。


 下柳はそんな空気を察知すると、困惑気味に続けた。


「マジかよ……いったい何のために!? ヒトラーの目的はなんなんだ??」

「恐らく、連合国への復讐だろう」


 江玲奈が彼の嘆きに答えた。


「あの男の目的なら、昔から誰だって知ってるじゃないか。ユダヤ人を抹殺し、東方に生存権を広げ、スラブ人を奴隷化する……アーリア人種による人類の支配さ。そのためにはまず世界を混乱させ、資本主義社会に打撃を与える。FM社のチップや眠り病を材料に、今の支配層を潰して乗っ取るつもりなんだろう」

「あれ? でも、ローゼンブルク大公の話によれば、FM社の監視チップをばらまいたのは、まさしくナチスの残党達だったんだろう? 逆に自分たちの首を絞めてないか?」

「それを誰が信じる? FM社のチップが移民を監視するために作られたのは本当なんだ。そしたら、それをばらまいたのは、今回のクーデターを成功させるための用意周到な計画だったと言われるよりも、悪辣な金持ち達が愚民を支配するためにコソコソやっていたと言われた方が、人々は信じやすいだろう」


 そう言われると黙るしか無い。


「民衆は間違いなく、ナチスの言うことを信じるだろう。いつもの彼らの手口としか言いようがない。かつて、第二次大戦前の彼らも、人種差別的な言動で人々の対立を煽り、一方的に金持ちを攻撃することで支持を得ていた。人間には嫉妬という感情があるから、自分よりも幸福な相手は、それだけで憎しみの対象になり得るんだ。まして、今回はFM社のチップという根拠があるから……今はまだ人々は荒唐無稽な話だと一蹴しているようだけど、これから次々と証拠が見つかってきたら黙っちゃいないだろうね。彼らの怒りの矛先は、ナチスの指名したアメリカやAYF社のような大企業に向かって振り下ろされる。そうなったら破滅だ。経済は混乱し、物流も止まる。世界は終末が訪れてしまうだろう」

「終末……? そうだ、江玲奈、君は終末が来るとずっと言い続けているけど、このような事件が起きるというなら、どうして今まで教えてくれなかったんだ?」

「だから、何度も言ってるが、可能性だけなら無限に存在するんだよ。今回のように、ナチスが世界を混乱させることもあれば、イスラム過激派が中東の戦争を激化させ、そのまま核戦争に突入することだってある。アメリカでテロが起きることもあれば、君も知っての通り東京インパクトが無かった世界だって存在するんだよ。でも、そのいずれにも、終末は必ずやってきた……」


 彼女はそこまで捲し立てるように言うと、ため息混じりに唇を噛み締めながら続けた。


「そうだな……僕も悪かったかも知れない。君達に終末がやって来ると言っておきながら、具体的なことは何も示してこなかった。ただ誤解しないで欲しい。意地悪で言わなかったわけじゃないんだ。寧ろその逆で、あまり驚かすようなことを言いたくなかったんだよ……でももう今さらだな。これから何が起こるのか、僕が知ってる限りのことは話しておこうか。


 一度決まってしまった流れは覆せない。今からこの世界は終末に向けて転がり始める。何が起きるか、おおよそのことは分かっている。人類の終焉の先触れとして、まずは世界大戦が起きる」

「世界大戦……」


 その言葉の重みに、車内が一瞬凍りついた。江玲奈の預言者としての能力を信じていない下柳だけが、ぽかんとした表情を浮かべていた。


「切っ掛けは今、中東で起きている紛争だ。これがどんどんエスカレートしていって、どこかの時点で核戦争に発展する。最初はどの国がどうして核兵器を使うかはわからない。イスラエルが暴走するのか、イランが核開発を終えるのか、サウジアラビアがパキスタンから手に入れた核を使用するのか……でも結局はロシア、中国が大量に抱えている核兵器が中東で使用され、いがみ合う国々による報復合戦が始まってしまう。


 地理的に近く、飛び火を恐れるEU諸国はそれを止めようとするが、知っての通りドイツは政治的に混乱してて、他の国々も中東の戦争の激化を恨んだイスラム過激派によるテロで身動きが取れなくなる。


 頼みの綱のアメリカは何故か沈黙を続けている。その理由もいくつものパターンが存在するが、欧州同様に国内のテロ鎮圧でそれどころじゃなかったり、ロシアか中国との間で戦争が始まったり、大統領が眠り病に罹ってしまうこともある。


 そう、以前も示した通り、最終的に人類が総崩れを起こすのは、この眠り病の蔓延が原因となるんだ。


 世界戦争が続き、その恐怖が身近に迫ってくると、絶望した人々の中から眠り病が流行しはじめる。辛い現実を見ているよりも、夢の中に逃げ込みたいと思うわけだ。それを止めるには戦争を止めるしかないが、戦況が悪化するに比例して眠り病患者も増えるんだから、イタチごっこだ。


 最終的には経済が回らなくなり、物流が止まる。人々は明日食べる食料にも困り、略奪が始まる。これが世界の終焉だ……そしてそれは、今から半年以内に立て続けに起こるだろう……」


 半年以内。


 その急激な数字にハンドルを握る御手洗もショックを隠しきれなかったようで、一瞬、走行レーンを外れてしまい、途端に周辺の車から一斉にクラクションを鳴らされた。彼は焦りながら車を立て直すと、額に流れる汗を拭った。いつの間にか、手のひらもびっしょりと汗を含んでいるようだった。


 江玲奈はそんな彼を見て、やっぱり言わないほうが良かったかなと後悔するように呟いてから、少々投げやりにも思えるトーンで話を続けた。


「僕は、そうならないような世界を探して、同じ時代を繰り返し生きている。もちろん、君たちが信じる信じないは自由だ。僕はただ、人類が救われる世界が必ずあると信じているだけさ……だが、今回も駄目なのかも知れない。本当はもう少し時間があると思っていたんだが……」

「俺にやれることはないのか? 君は俺なら終末を回避できるかも知れないと言っていたじゃないか」


 上坂がいつものように眉根にしわを寄せ、難しい顔をしながらそう言うと、江玲奈は諦観にも似た微笑を浮かべながら言った。


「君が何らかの可能性を秘めているのは間違いない。だが、今言ったように、僕はこれまでこの終末を打開した試しがないのさ。だから具体的にどうすればいいということは示せないんだよ……悪いね」

「……そうか」

「とにかく、僕たちにやれることは、眠り病患者を地道に助けることだ。世界は眠り病患者の蔓延によって崩れる。それを和らげるためにも、少しでも多くの患者を助けるしかないだろう……例え、焼け石に水だと分かっててもね」


 江玲奈はそう言って体重を預けるように座席に背もたれた。その表情は諦めの色が濃く、見ている者を不安にさせた。もう、彼女だけに頼っている場合ではないのだろう。


 終末が訪れる。上坂は、初めてそれを聞いた時は実感も湧かず、頼りにしていた立花倖も生きていたから、それほど深刻には捕らえていなかった。


 だが、今はもうそんな風に楽観視出来なかった。倖は死に、過去の亡霊であるヒトラーが復活し、江玲奈も言う通り中東の戦争に解決の糸口は見つかりそうもない。欧州は既に混乱してて、タイムリミットの半年と言うのも、あながち間違っているとは思えない。


 しかし、それが分かったところで、具体的に何をしていけばいいのか分からなかった。上坂にやれることは眠り病患者を地道に助け続けるだけ……それは一日に数人を助けられれば大成功といった代物だ。江玲奈の言う通り、これから世界中にどんどん眠り病が蔓延していったら、そんなことをしていても焼け石に水だろう。


 だが今の所、他にやれることは何一つ思い浮かばなかった。そしてそんな彼の最後の抵抗すらも、間もなく試すことさえ出来なくなったのだ。


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