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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第四章・永遠の今
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終わりの始まり

 再会を果たした父との間で、くすぶっていた様々な誤解が解けた上坂は、彼にとって最も頼りにしていた育ての母である立花倖を亡くしてから、ずっとモヤモヤしていた胸の内がいつの間にやらカラリと晴れ、久しぶりに迷いがない清々しい気分を実感していた。


 思えば東京インパクトの起きた5年前から今日に至るまで、彼の心身に常に重く伸し掛かっていた心労が、ここまで軽く感じられたのははじめてのことではないだろうか。彼は今ならどんなことだってやれるような、不思議な高揚感に包まれていた。東京に帰ったら、また夕張のときのように一人でも多くの眠り病患者を救おうと、彼は使命感にも似た心境で気持ちを新たにした。


 しかし得てしてそういう時にこそ災いは忍び寄ってくるものである。


 そもそも彼は、どうして自分が眠り病患者を救おうとしているのか、その理由を忘れていたのだ。江玲奈は言った。眠り病患者がこのまま増え続けると、いずれ治療は追いつかなくなる。その時、人々は目的を失くし、終末が訪れるのだと。


 終末……それがいつどのような形で訪れるのか、その時の上坂にはまだ意識の片隅にも登っちゃいなかった。


 だがそれはもう、いつ、などという次元で考えるような出来事ではなかった。彼らがこうしている間にも、終末はもう始まっていたのである。


 それは9月下旬。シルバーウィーク最終日。北海道旅行を終えた上坂達が帰路のフライト中の出来事だった。


「あたたたた……腰が痛い! こんな椅子に2時間も座っていたら、腰が曲がってしまうよ。せめて足を伸ばさせてくれ」

「なっさけない奴だなあ。おまえまだ中坊だろ? 今からそんなんじゃ将来大変だぞ、鍛え直しておけ」

「馬鹿を言いたまえ。このような悪い姿勢を続けていることの方が、将来によっぽど悪影響に決まってるさ。大体エコノミー症候群と筋肉量は比例関係にないじゃないか」

「ああ言えばこう言う。その精神を鍛え直せと言ってるのだ」

「もういいだろう? 元々、君は付き添いでもなんでもないんだ。差額は自分で払うと言っているんだから、僕だけでもファーストクラスにいかせてくれ」

「ガキが生意気なんだよ。俺様と同じ苦労を味わいやがれ」

「君のほうがよっぽど精神を鍛えたほうがいいんじゃないか」


 新千歳空港から飛び立ったジャンボジェット機は順調に東京へと向かっていた。上坂たちはその中央付近の窓際の4席を取って、前後に並んで座っていた。中央と断っている通り、もちろんエコノミークラスである。


 江玲奈は来た時同様、ファーストクラスのチケットを取りたかったようだが、そうはさせじと下柳に阻止されてしまった。もう、あとは帰るだけなんだから好きにさせてくれと言う彼女の前に割り込んで、有無を言わさず端末でチケットを取ってしまった下柳に、券を渡された彼女は文句をたれつつ渋々みんなについてきた。江玲奈はいつも余裕綽々に見えて、案外押しに弱かったようである。


 二席ずつ前後に並んだ座席には、男女別に座るのが普通だったろうが、飛行機に乗った下柳と江玲奈は当たり前のように隣同士に座って、お互いにぎゃーすかと言い争いを続けていた。頭に血が上ってしまって思いつかなかったのか、それともなんやかんやで仲良しなのか、上坂は背後の席で苦笑いしながら彼らのやりとりを眺めていた。


 そんなわけで上坂の隣の席にはアンリが座っているのだが、彼女は飛行機に乗るなりずっと窓の外ばかりを見つめて、我関せずの姿勢を貫いていた。耳にはイヤホンが繋がれていて、話しかけるなと言うオーラをプンプン漂わせており、実際、飛行機が飛び立ってから、上坂は彼女と一度も口を聞いていなかった。


 北海道旅行についてきたのは、江玲奈に護衛として雇われたそうだが、この二人が仲良く話をしている姿をこの旅行中に一度として見たことはなかった。なのに、どうして江玲奈が彼女を護衛に選んだのか……そもそも、二人はどうやって知り合ったのか、聞きたいことは山程あるのだが……


 そんなことを考えながら、そわそわとアンリの方ばかりを見ていたからだろうか、その時、ずっと窓の方を見ていた彼女が突然振り返り、それを見ていた上坂とばっちり視線があってしまった。驚いた上坂は険しい表情を見せる彼女に対し、しどろもどろに、


「あ、いや、別にお前のことを見ていたわけじゃないぞ? 俺も窓の外を見ていたんだけど」


 しかし、アンリはそんな彼のことなど眼中に無かったようで、怪訝そうな表情で首を傾げたあと、すぐにはっと気を取り直した感じに深刻な表情に切り替わり、


「添乗員さん!」


 彼女は席を立ち上がると、近くを巡回していたCAに向かって手を振った。


 呼び止められたCAがやってくると、アンリは座席の前方を指差しながら、


「すみません、映像をニュース番組に切り替えてくれませんか。今すぐです」


 アンリにそう指示された彼女は、にこやかな営業スマイルを見せながら、変えても良いかどうか聞いてくると言って、前方へと歩いていった。


 客室の中央、トイレなどがある区画の壁には大型スクリーンが取り付けられており、今は古い映画を上映している。今時珍しい白黒映画は誰も見ていない感じだったので、アンリの主張はすぐに受け入れられたようだった。


 案の定、彼女が呼び止めたCAが帰ってくるよりも先に映像が切り替わり……


「なんだあれ……」「なに、これ、テロ?」「これ、どこの国? クーデターとか?」「炎の勢いが強いな。爆弾かな」「信じられない。先進国で本当にこんなことってあるのか……?」


 その映像を見た客室のあちこちからどよめきが起こった。


 アンリに指示されたCAも、映像を切り替えたことを伝えに戻ってくる途中で足を止め、映像を見ながらポカンと口を開けている。


 スクリーンにはお茶の間でよく見かけるニュースキャスターが映し出されており、彼女が原稿を読むその背後には、クロマキー合成で海外の紛争らしき映像が流れていた。


 なんとなく国会議事堂を思わせるような欧州の古めかしい建物の窓から煙が立ち込めており、その煙に隠れてマズルフラッシュらしき閃光が時折閃いている。その建物を遠巻きにして囲むように、警官隊らしきヘルメットが無数に蠢いている。


 恐らく指揮者であろう警官の一人が拡声器で何かを叫んでいるが、彼の声に答えるように火炎瓶らしきものが投げつけられ、その警官の前で割れると炎が立ち上がり、泡を食って逃げる彼を中心にして、モーセのように人垣が割れた。銃撃は建物側から一方的に続けられており、外の警官隊はそれに反撃が出来ずに潜んでいることしか出来ないようだ。


 いったい、何の映像だ? と思いながらふと見ると、その古めかしい建物から突き出すように旗が翻っており、それがドイツ国旗であることに気づいて上坂は思わず目を丸くした。


「おい、上坂。見てるか? ドイツだってよ。今、雲谷斎が行ってるはずだよな?」

「ああ、姉さんも……何かの冗談だろう?」


 前方の席から下柳の声が聞こえる。上坂は慌てて座席に備え付けられたジャックにイヤホンを突っ込んだ。するとニュースキャスターは確かに、これはドイツの映像だと伝えている。


『現地時間本日未明、ベルリンのドイツ連邦議会議事堂が何者かによって占拠されました。昨日開催中であった議会は深夜に及ぶまで議論がつづけられていたため、現在、多数の国会議員が中に取り残されているとのことです。議員の安否は不明ですが、警備員等に多数の死者が出ているとの情報も入っております。繰り返します……』


 警官隊が遠巻きにするだけで積極的に事に当たろうとしていないのはそのせいであるようだ。犯人の目的は分からないが、議員を人質に取られていたら、警官も軍隊も手出しがし辛いだろう。


 ともあれ、国会議員は気の毒であるが、気になることはそこではない。現在、ドイツに行ってるはずの縦川や愛は無事なのだろうかと不安に思っていると、隣の席のアンリが前の下柳にも聞こえる声で言った。


「縦川さんのいるケルンは、ベルリンとはだいぶ距離が離れてるから平気ですよ。そっちで何も起きてないのであれば、ですけど」

「そっか。なら良かったけど」

「それより、現地で何か動きがあったみたいですよ」


 アンリの言う通り、スクリーンに映るニュースキャスターが慌ただしそうに原稿をめくっている姿が見えた。先程まで映し出されていた国会議事堂の映像は消え、今はそこに緊急報道番組のテロップが流れている。


『たった今入った情報によりますと、国会を占拠したクーデター勢力から声明が発表された模様です。繰り返します。ドイツ国会議事堂を占拠した勢力は、クーデター軍を呼称し、声明を発表した模様です。今、映像をつなぎます……どうぞ。映像、出ますでしょうか……? どうぞ』


 ニュースキャスターとスタッフのやり取りの後、ニュース番組は一旦映像が途切れ、カラーバーが表示された後にVTRに切り替わった。映像はどこかのスタジオらしき場所で撮られたもので、殺風景なブルースクリーンの前に一人の少女がぽつんと立っているのが見えた。


 上坂はその少女を見た瞬間、悲鳴のような声をあげていた。


「な、なんだこれ!?」


 何故なら、そこに映っていたのは、行方不明になっていた九十九美夜だったのだ。


『我が親愛なるドイツ同胞諸君。私は今、この国を救うべく立ち上がった。事態は一刻の猶予もなく、早急な決断が必要だった。故に私は正義のために、この身を賭して、今日の戦いに身を投じたのである。我々はテロリストではない。この国を正常に戻すために立ち上がった義勇軍である。


 諸君。諸君らも、薄々感づいているであろうが、この世界は一握りの金持ちによって支配されている。支配者たちは弱者から搾取し肥え太り続けている。獰猛な悪魔どもの欲望は果てることなく、無辜の民である我々から一切合財を奪い尽くす。我々はその証拠を見つけた。


 超能力者……眠り病……今は何のことか分からぬかも知れないが、この言葉を覚えておいて欲しい。今、この国では、いや世界では、我々の預かり知らぬところで唾棄すべき悪が成されていたのだ。


 昨今、YouTubeを始めとした動画サイトに超能力者を自称する輩が現れたことを、諸君らも存じているだろう。彼らは子供だましの手品を見せているのではない。実はあれは本物なのだ。荒唐無稽な話であるから誰もが信じられないため、金持ちどもによって巧妙に隠蔽されているが、彼らは本物である。少なくとも、彼ら自身は自分が本物であることを理解しているだろう。


 何故、彼らのような人間が突然現れたのか? それがこの半導体チップである』


 美夜の背後のブルースクリーンに、米粒よりも小さな半導体の映像が映し出される。


『この半導体は極小であり、人間の体内に入っても気づかれることはない。ところが半導体であるから、特定の周波数の電磁波には反応する。何故こんなものが存在するのか。それは金持ち共が愚民の管理を強化していたからに他ならない。


 これはアメリカの企業Fiber mechatronics社の製品である。何故、IT企業であるFM社が突然医療用ワクチンなどを開発したのか……そしてそれが殆どの国で広く広まっていたのか、その理由をお教えしよう。FM社は、アメリカは、人類を奴隷化するためにこのワクチンによって、人々を管理するためのチップを埋め込んでいたのだ。


 君も、君も、君も、君も! 諸君らすべてがこの恐るべき計画の被害者なのだ。信じられない者は信じなくてもよいだろう。だが、これは簡単な検査によって証明できるのだ。自分の身体にこのような機械が取り付けられていたと知った時、諸君らはまだ信じられないと言うだろうか。


 そしてこの半導体は体の中だけではなく、脳にも取り付けられることがあるのだ。もうお分かりだろう……超能力者とは、脳にこのチップが埋め込まれた人類に他ならない。彼らは、知らず知らずのうちに機械的な手術を受けてしまった被害者だったのだ。


 被害者……そう、被害者だ。超能力者とは被害者のことである。何故なら、このチップが脳に入ってしまった者は、やがて例外なく正体を失ってしまう。脳を弄られたせいでおかしくなる。ある日突然、植物人間になる。原因不明の眠り病に罹り、そして一生目覚めることはないだろう。


 証拠はある。眠り病患者は治療が不可能であるために増え続ける運命にある。故に、既にこの世界には眠り病が蔓延している。世界各国の大病院の中には、そうして隠蔽された眠り病患者が無数に存在しているのだ。それが証拠である。それでもまだ信じられないというものはいるだろうか。


 金持ち共は、何故、こんな恐ろしい計画を実行したのだろうか? 最初は移民を監視するためだった。彼らは家畜の耳にタグをつけるように、移民共にチップを埋め込んだ。移民が逃げ出さないように監視し、搾取するのに利用した。


 それが上手くいくと、今度は対象を全人類へと広げた。自分たちを除く全ての人類を監視し、従順な者は奴隷にし、反抗的なものは排除する。金持ちは……悪魔どもはそうやって、物言わず働き続ける人形を作り出そうとしていたのだ。


 諸君! 諸君らはこのところ、どうして仕事がないのか……? 不思議に思っていたのではないか。失業率は高止まりのまま一向に改善しない。諸君らの生活が苦しいのは移民のせいだけではない、実は諸君らは既に選別されていたのだ。諸君らは金持ち共から奴隷になるか死ぬかの二択を突きつけられていたのだ。我々は奴隷ではない。故に死を与えられたのだ。


 こんなことが許されていいのか!? 


 否!


 我々は働きたい……働きたいのだ。楽をしたいわけじゃない。人間としての矜持と尊厳をもって、社会に貢献がしたいのだ! 


 それが我々が神によってこの地上に産み落とされた理由ではないか!


 ……だが金持ち共は我々に奴隷になることを強要する。何故だ!? これが同じ人間のすることなのか!?


 そう、彼らは人間ではない!


 悪魔なのだ!


 人間を支配するか、さもなくば殺すか、それしか考えることが出来ない、悪魔なのである! 証拠ならある……それが私だ』


 美夜はそう言うと、突然、自分の額をナイフで切り裂いた。


 ショッキングな映像に思わず目を伏せそうになるが……しかし切り裂かれた額からは血が吹き出すことは無く、代わりにそこにはメタリックな金属が埋め込まれているのが見えるのだった。


『何故なら私は、人間ではない』


 彼女の言葉に呼応するように、画面外から複数の人影がカメラの前へと歩み出る。ところがそれが驚いたことに、すべてが全く同じ顔をした、九十九美夜本人だったのである。


 彼女らの後ろのブルースクリーンに美夜の製造ラインが映し出される。AYF社製の胴体に、義手や義足が取り付けられ、最後に同じ顔が載せられる。


『悪魔どもは移民を監視し、人類を選別した挙げ句、それでもまだ奴隷が足りないことに満足が出来ず、ついにこんなものを作り出した。人間が足りないなら機械を増やせばいい。金持ちは……アメリカは……アメリカやイギリスは、AIに働かせ、人類を屠殺し、自分たちだけが生き残る王国を作り上げようとしているのだ。


 だから我々は立ち上がった! 人間の誇りを取り戻すために!


 ドイツ、フランス、EU諸国、イギリス、アメリカの欧米諸国。この資本主義社会を隠れ蓑にして、この世界は悪魔によって支配されている。我々はその証拠を見つけたのだ。


 故にこれより、世界を救うための聖戦を始める。ドイツ同胞諸君。君たちに我々と死んでくれとは言えない。だが、ほんの少しでも勇気を振り絞ってくれるなら、共に立ち上がり、悪と戦おうではないか!


 立てよ国民! 議会は金持ちに牛耳られている。もはやこのような国会など必要ない。我々が解体し、新たなるドイツを作り上げる! そしてEU諸国を解放するのだ! その先に真の世界平和が訪れる。我々が作り上げる、究極の平和だ。誰もが平等で、はつらつと働ける、理想の社会が実現するのだ!


 そのために、倒すべき相手を明確にしておこう。私はこれから、この世界を支配している悪の一族を明確な証拠とともに諸君らに示そう。まずはアメリカ、イギリス、ローゼンブルク、FM社、AYF社……』


 美夜の声明が続いている。いつの間にか客室内はしんと静まり返り、誰一人として声を上げる者はいなかった。


 そしてこの声明はインターネットを通じ、全世界に流された。かつて立花倖がやろうとしていたことを、上坂が作り出したAIがやってしまったのだ。言葉にすると、まるで親の仇を討ったような、良いことのようにも思えるが、だがもちろん、そんなことはない。


 美夜がやろうとしていることは、明らかに世界に対する宣戦布告であり、そして今にして思えば、これこそが終末の始まりだったのである。


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