馬鹿野郎、この野郎!
父親に案内されて夕張の農家にやってきた上坂は、そこへ現れた賑やかなヤクザの大親分・佐藤備後に、なんだかありがた迷惑なくらいに可愛がられて、暫くの間一苦労するはめになった。
佐藤は17年前に、ここ夕張の地で上坂の父親に命を助けられて以来、その恩義をずっと忘れていなかったらしい。その父親が借金のせいで一家がバラバラになってしまったと知った後には、何なら自分が上坂を引き取って育ててもいいくらいに考えていたそうである。
尤も、そうは言っても佐藤はヤクザであったし、上坂は立花倖に大切に育てられていたことが分かっていたから、そう思うだけで無理に名乗り出ることはしなかったようだ。
そのかわりに、彼は自分の商売を利用して、借金取りが上坂やその周辺に寄り付かないように密かに手を回してくれていたらしい。考えてもみれば父親が借金を返しきれずに逃げ回っていたというのに、一度も借金取りが立花家にやってきたことが無かったのは、実は佐藤のお陰だったようである。
上坂がそのことを知って佐藤に深く感謝すると、彼は照れくさそうにそっぽを向いてモジモジしていた。登場した時はオーバーリアクションをしていたくせに、実は案外恥ずかしがり屋のようである。
そんな佐藤は5年前の東京インパクトで上坂が死んでしまった時には、父親以上に大いに悲しんだそうである。なのにどうして生きていたのか、そこにどんなカラクリがあったのかと根掘り葉掘り聞かれたが、このまま佐藤に会話の主導権を取られていては埒が明かないので、上坂は少々強引に話題を眠り病へと変えた。
「眠り病……? ああ、金さんが調べてるってあれだろ? 俺の倅もそうなんじゃないかって、金さんは言ってるけど……なんだって!? おまえさんなら、そいつが治せるかも知れないのか??」
上坂は頷いた。
「実際に俺が知っている眠り病かどうか確認した上での話ですが……」
「それが本当ならえらいことだが……泰葉ちゃんには悪いが、俺はもう駄目なんじゃないかって諦めてたところだ」
佐藤はそう言って項垂れた。彼がどうして突然、泰葉のことを言及したかと言うと、彼女の娘である四葉の父親が、この眠り病の患者であったからだ。実は彼が組長を引退して、こんなところに居る理由も、息子が眠り病になってしまったからなのだそうだ。
息子の名前は四郎と言って、名前の通り佐藤家の四男であるから、跡目争いとは特に関係ない男だった。なのにどうして佐藤が引退してまで、四男のためにこんな場所に引きこもっているのかと言えば、実は息子が眠り病になってしまった原因というのが、佐藤がボコボコにしてしまったからだったのだ。
少々ややこしいのだが、何故そんな事になってしまったのかと言えば……
佐藤組はススキノで風俗産業を取り仕切っている立場上、組員に対して売り物である女の子に手を出しちゃいけないと、固く禁じていた。ところが、その組長の息子が当時風俗店で働いていた泰葉とこっそり付き合っていて、あまつさえ子供まで作ってしまったのである。
泰葉と所帯をもたせてくれとやってきた息子に対し、身内だからってこれを許しちゃ組員に示しがつかないと、当時の佐藤は激怒した。文字にすると軽く見えるが、何しろヤクザの大親分であるから、組員も肝を冷やすほど、それは凄い怒りっぷりだったそうである。
彼は部屋の調度品が全て粉々になるくらい暴れまくり、その場にあった大理石の灰皿で息子の頭をかち割ると、おまえなんざ勘当だと気絶している息子の尻を蹴り上げた。実を言うと、ここまでやったら組員にも顔が立つだろうと言う、ヤクザなりの親心だったそうなのだが……弱ったことに、息子は頭の打ち所が悪かったらしく、そのまま寝たきりになってしまったのである。
そんな大失態を演じてしまった佐藤は跡目を長男に譲って引退、寝たきりの息子の面倒を見ることに。幸い、集中治療室から出た息子は肉体的には順調に回復を始め、最初は医者もすぐに目を覚ますと太鼓判を押してくれたのであるが……
ところがこれが中々目を覚ましてくれない。おまけにヤクザ相手にいい加減なことを言ってしまったと思ったのか、医者はどんどんと歯切れが悪くなり、ついには他の病院を探してくれと泣きつかれる始末である。
そんな中、自分のせいで愛する人が寝たきりになってしまったショックで、泰葉は流産しかけたそうだが、彼女をフォローして元気づけたのが上坂の父親だった。彼は佐藤の息子のお見舞いに行ってその容態を一目見るなり眠り病であることを疑って、これは自分が生涯をかけても治したい病気であるから、諦めないでくれと泰葉を説得した。
それ以来、佐藤の息子を夕張の療養所に移して、他の眠り病患者と同様にその世話をしながら治療法を探っていたようである。しかし、知っての通り、眠り病は普通の医療行為では回復の見込みはなく、今のところは全くのお手上げ状態であったようだ。
「それなのに、おまえさんが治せるってんなら、そりゃあ有り難えことだけどよ。金さんがいくらやっても駄目なもんを、本当におまえは治せるっていうのか」
「それはやってみないとわかりませんけど、試す価値くらいはあるでしょう?」
「そりゃあ……まあな。手をこまねいていても仕方ない。やれるもんは何でもやりゃあいいだろう。それで、俺はどうすればいいんだ? 黙って見てりゃいいのか?」
「眠り病になった息子さんの、出来るだけ詳しい情報を教えてください。プライベートなものであればあるほど良いです。泰葉さんもお願いします」
上坂は説明が難しいから、まずは治療法についてはぼかしておいて、佐藤達にそう尋ねた。
患者は別世界に魂だけが迷い込んだ状態にあり、そのことに気づいて帰ってくる気になれば、こっちに戻してやることが出来る。上坂はそのための説得にいくわけだが、別世界で彼らに話しかける時、初見では警戒されて話にならない可能性がある。
だから信用を得るために、予め患者のことを知っておかねばならないのだが……困ったことに佐藤の息子は、もしも眠り病に罹らなければ、今頃は現役バリバリのヤクザだったはずである。上坂はそんな相手と接触しなければならないわけで、出来る限り多くの情報が欲しかった。
幸い、二人とも上坂の父親に対する信頼が厚かったために、患者の情報はすぐに集まった。行った先の世界でも、患者に対する上坂の父親の影響は強いだろうから、これもなんとかなりそうだった。
そして彼らの話を聞いてる間にも、近所の人たち(と言っても十数キロ圏内なのであるが……)が噂を聞きつけやってきて、父親が現在抱えている他の患者たちの情報も、続々と集まってきた。父親は周辺の人々にかなりの好印象を持たれているようで、上坂が彼の生き別れの息子であると知ると、まるで自分のことのように褒めそやすものだから、話を修正するのに一苦労した。
それを素直に誇らしいと思えればいいのだが、やはり話を聞いていると色んな感情が胸の内に渦巻いて、意識しないのは中々難しかった。もうそんな感情は、とっくの昔にどこかへ置いてきたと思っていたのだが、本当は心の中にいろんなものを抱えていたのだなと、今回の北海道旅行に来て、上坂は改めてそれを感じていた。
そんなこんなで、患者たちの様々な情報を仕入れた上坂は、いよいよ彼らを説得するために、平行世界への移動を試みることになった。父親の農場からほど近くにあった療養所に入院していた佐藤の息子は、実際に眠り病であると一緒に居た江玲奈が太鼓判を押してくれた。
だったら一緒に来てくれればいいのに……そんなことを考えつつも、上坂は眠っている佐藤の息子に接触すると、テレーズをこちらへ戻す時にやったみたいに平行世界へと移動した。
その瞬間、抜け殻のように脱力してしまった息子を見て、上坂の父親が焦っていたが、平気だと言う江玲奈の言葉に、彼はどうにか冷静さを保つ努力をしているように見えた。
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それから数時間が経過した。治療法の話は聞いていたものの、本当に眠ったまま動かなくなってしまった上坂を前にして、父親も佐藤たちもそろそろ痺れを切らした頃だった。
江玲奈は療養所の待合室を不安そうに行ったり来たりしている上坂の父親に、もしも上坂が戻らなかったら、自分が連れ戻すから心配要らないと言ったのだが、だったらどうして江玲奈も行かなかったのかと食い下がられ、事情はあったものの説明が難しく、返事に苦労していた時だった。
「佐藤さん……佐藤さん……!? 佐藤さん!!」
その時、突然、佐藤の息子が眠っている病室の中で、彼の容態を見ていた療養所の職員が素っ頓狂な声をあげた。待合室にいた一行は、その声を聞いてお互いに顔を見合わしてから、何があったと病室の中へとすっ飛んでいった。すると病室の中央にあるベッドに向かって必死に話しかけている職員の姿が見えた。
「佐藤さん! 佐藤さん! 聞こえますか、佐藤さん?」
「どうした、何があった!?」
慌てて佐藤が近づいていくと、職員は口角に泡を飛ばしながら、
「それが、たった今、患者さんが寝返りを打ちまして」
「寝返り……? 本当か??」
眠り病患者は本当に死んだみたいに寝たきりで、寝返りを打ったりしない。だから、誰かが寝返りを打たせてやらないと、血が片寄って身体が壊死してしまう危険があるのだが、職員の話では、驚いたことにその眠り病患者が寝返りを打ったというのである。
もしやこれは覚醒の兆候では? そう思った佐藤と泰葉親子はベッドを取り囲むようにして、未だその上で眠っている患者に向かって必死になって呼びかけた。
それが功を奏したのだろうか……するとそれから暫くして、これまた突然、ベッドの上の患者が迷惑そうに表情を歪ませたかと思うと、
「う……う~ん……うるさくて寝ていられない。こいつは何の騒ぎだ」
彼はうめき声を上げながら、まるでついさっきベッドに入ったばかりのところを叩き起こされたかのような、不機嫌そうな顔をして身体を起こそうとして、
「あ、あれ……?」
思ったよりも身体が動かないことに気づいて、またベッドに埋まりながら、目をパチクリして戸惑っているようだった。しかし、その顔色はまったく健康そのもので、とても数年間眠っていたようには思えない。
そんな患者の姿を見て唖然とする上坂の父親に対し、そういう細かいことに頓着しない佐藤の方は、寝たきりだった息子が起きたことに驚きながら、
「お、おい、四郎! おめえ、平気なのか!?」
「平気って何が……って、オヤジ? どうしてここにオヤジがここに……そうか! あのガキの言ってたことはもしかして……ヒィィ~! 堪忍! 堪忍してくれオヤジ! それでも俺は泰葉と一緒になりたかったんだあ!!」
「馬鹿野郎、この野郎!」
佐藤はたった今起きたばかりの息子の頭をゲシっと叩くと、横たわったまま身体が上手く動かない息子を抱き上げながら、
「そんなことはもうどうでもいいんだ! てめえが眠っちまってから、どんだけ経ったと思ってやがんだ。寝坊するにしたって限度があるだろう」
「その様子じゃ、俺は本当に寝たきりだったんだな……あの不思議なガキが突然やってきて、世界に違和感が無いかって尋ねられたんだが。まさか本当にこんな夢みたいなことが現実に起きていたなんて……」
「四郎さん……」
起きたばかりの四郎が、まだ何が起きたのかはっきりとは状況が飲み込めず、父親に抱かれながらぼんやりとしていると、その父親の影から恐る恐るといった感じで、泣き顔の泰葉が現れた。
彼は泰葉を見て愛するものに向ける優しげな表情を見せたが、すぐにその姿が自分の知ってるものとは違うことに気づくと、
「泰葉……すまねえ。おまえ、こんなに痩せちまって……俺が眠ってる間、苦労かけちまったようだな」
「ううん、そんなことないわ。あなたは絶対目覚めるって、私信じていたもの……それに、私には四葉が居たから」
「そうか、四葉は元気か? 俺のせいで、ひどい目に遭ったりしてないか?」
「元気よ、あなたの娘だもの……よっちゃん、おいで、お父さんよ」
泰葉がそう呼びかけると、患者が起きそうになったせいで大人たちが騒がしい間、一人遠くの方で退屈そうにそれを見ていた娘の四葉が、モジモジとしながら近づいてきた。起きたばかりの四郎は、すぐに愛娘を見る親の顔をしてみせたが、四葉の方は不安そうにそれをじっと見ているだけだった。彼は一瞬怪訝そうに首を捻った後、
「あ! そうか……こっちでは俺は寝たきりで、ちゃんとお父さんやれてなかったんだな……すまねえ、四葉……すまねえ……」
四郎がすまないすまないと、泣きながら娘に詫びていると、幼心にも眼の前の男が本心で彼女のことを愛していることがわかったのだろう。四葉は恐る恐ると言った感じに彼に近づいていって、その目から溢れる涙を指でそっと拭ってあげた。
そして彼女は不安そうに、そしてほんのちょっぴり照れくさそうに、
「……パパ、だいじょぶ?」
そう呟くように言うと、感極まった佐藤が泰葉と息子と孫をガバっと抱きしめ、
「おお! おお! 良かった! 良かった! 息子が生きててよかった! 孫が優しい子で良かった! おまえたちを不幸にしちまったおじいちゃんを許してくれ!」
号泣する佐藤に抱かれながら、親子3人はありがた迷惑そうな、それでいてちょっと嬉しそうにしながら、数年越しにようやく実現した、親子の対面に顔をほころばせていた。
それを感慨深げに遠巻きに見ていた上坂の父親が、ホロリと零れる涙をこっそり拭っていると、間もなく療養所のあちこちの病室からも、職員たちの驚愕の声が続々と上がってきたのである。
一体何が起きたのか。廊下に飛び出した彼らの元に、次から次へと患者が目を覚ましたという報告が上がってくる。上坂の父親はそれを聞いて腰を抜かしたようにその場にしゃがみ込むと、信じてもいないくせに、何故か天の神に向かって感謝するように手を合わせていた。
どうすることも出来ない奇跡を目の当たりにすると、人はただ神に感謝することしか出来ないらしい。彼はその奇跡を起こしているのが、他ならぬ自分の息子であることを思い出し、それを誇りに思うと同時に、また信じてもいない神に対して深く感謝していた。
上坂が起きてくるまで、そうする以外、彼はなにも出来なかった。




