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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第四章・永遠の今
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奇妙な病気

「その時、私の暮らしていた農場に転がり込んできたのが、先代の佐藤組組長、佐藤備後(びんご)さんだった。彼は農場で傷を癒やすと、札幌へと帰っていった。この時期、佐藤組……というか北海道ヤクザは東京から来た広域暴力団に押されて衰亡の危機にあったそうだ。佐藤さんは抗争に敗れて、鉄砲玉に撃たれたところ、命からがら逃げ出してきたらしい。


 それからあとの詳しいことはわからないけれども、札幌に帰った彼は残った仲間をかき集めて、今まで敵同士だった地元ヤクザをも巻き込んで、東京もんに一泡吹かせてやったらしい。それきり彼らは北海道から撤退し、以来、ススキノは佐藤組が独占するシマとなった。


 まあ、そんなわけで黒い金ではあったものの、佐藤さんが気前よく投資してくれたお金で、私は夕張の農家となった。農業従事者としては素人だったが、それまで御用聞きで僻地へ通っていた時に親しくなったご年配の方々が、引退するから畑を貰ってくれとおっしゃってくれていたもので、私は彼らの事業を引き継ぐ形で参入出来たから、ある意味手堅い商売だった。畑を得たと言うより販路を得たのが大きく、そうしてあちこちで手に入れた農場を一箇所にまとめて、人を雇って効率化したら、経営はすぐに軌道に乗った。


 こうして事業がうまくいき、借金返済の目処が立ってきた私は、また表に戻って銀行と借金返済計画を詰めた。銀行も既に事業化している農地を見たら文句はなく、これで私はようやく身綺麗になれた。だが、それでも農業だけで返済するには、私の借金は莫大すぎて、すべてを返しきるまでは、順調に行っても30年はかかりそうだった。その頃には私は80過ぎで、生きているかどうかもわからないから、本当に返しきれるか不安だった。


 そんな不安が顔に出ていたんだろうか。それから暫くして、佐藤さんが私に仕事を斡旋してきた。ススキノの風俗産業を独占するようになった彼は、風俗で働いてる女の子たちの面倒を見てくれないかと言ってきた。


 みんな誤解しているかも知れないけれど、風俗嬢と言っても彼女らがそうなってしまう理由は千差万別で、一概にだらしないからとか、金儲けのためにやってるわけじゃない。中には家族のDVに耐えられなくて逃げきた子や、悪い男に騙されてやらされてる子とか、私みたいに借金で首が回らなくなった子たちもいる。


 私もそうであったように、そういった子たちは、公共サービスを受けられないというハンデがあった。特に、医療費は深刻で、医者にかかれば保険が効かないから莫大なお金がかかってしまう。だからちょっとくらい体調を崩しても、無理をしてそのまま働いて、結果的に悪化させたり、客や他の女の子に感染してしまうようなことがあった。


 で、そうならないために、佐藤さんは闇医者を雇っていたわけだが、それを私にやってみないかと言ってきたんだ。


 私は農業経営者になってからも、相変わらず僻地を回って御用聞きをしていた。人脈は私の財産でしたからね。それで、僻地に住むご年配の方に会うついでに、医者の真似事をしていたのだけれども、そのお陰で、私はいつしかそれなりの能力を持つようになっていた。


 その頃には、古本屋で手に入る医学書や薬学書の他にも、AI診療なんかも利用出来るようになっていたから、よほど難しい病気でも無い限り、問診だけでもかなりのことが出来るようになっていた。相変わらず原野の薬草を集めてもいたが、その気になれば佐藤さんに頼めば、どんな薬でも手に入るのも大きかった。あまりいいことではないのだけれど、彼らは認可されていない不妊薬やら中絶薬を、手に入れる必要があったからね。海外からそういうものを仕入れるルートがあったわけだ。お陰で、私はそんじょそこらの開業医よりも腕がいいと評判だった。それで、佐藤さんは私に目をつけたわけだ。


 本当なら、暴力団と関わるようなことはやっちゃいけないだろう。だけど、相手はあの佐藤さんだ。それに私は自分と同じような境遇の女の子たちを放って置くのも忍びなく、結局それを引き受けることにした。


 こうして、なし崩しに始めた闇医者だけれど、私はやって良かったと思ってます。


 さっきも言った通り、風俗にいる女の子たちは、誰も好き好んでそんな仕事をしているわけじゃない。出来ることなら日の当たる仕事をしたいと思ってる子が大勢いる。でもそれが出来ない理由があるからそうしているわけで、そんな不安な気持ちを抱えているから、彼女らは私達が思っている以上に流されやすいようだった。弱みを見せちゃいけないからと、体調を崩しても平気なふりをしたり、必要以上に周囲を威嚇したり、悪い男に簡単に騙されて貢いでしまったり。そんな男に騙された挙げ句、妊娠中絶を強要され、おかしくなってしまった子なんかもいました。私はそういう子たちを見るたびに胸が痛んだ。


 彼女らと付き合ってて特に感じたのは、彼女らがとにかく孤独だということ。大体こういうことやってる子たちは家族にも内緒だから、相談する相手が居ない。だからこういう子たちを孤立させちゃいけないなと思った私は、佐藤さんに頼まれたように健康診断をする傍らで、カウンセリングのようなものを行って、出来る限り彼女らが一人にならないように努めた。


 本当は女性がやった方が良かったんでしょうが、私ももうおじいちゃんでしたから、皆さん気軽に付き合ってくれました。それでまあ、ある程度信頼を得られるようになって、いつの間にか皆さん、私のことをパパと呼んでくれるようになったわけです」


 父親のそんな説明を聞いて、ずっと彼のことを上坂に不義理を働いていたオヤジだと思っていた下柳は、バツが悪そうに笑いながら言った。


「はぁ~……藤木さん、あんた闇医者だったんですか」

「そうです。警察は私を集金人か何かのように勘違いしているようですけど、そんなもんじゃございませんよ。それに私は医者と言っても、免許があるわけでも特別な施術をしているわけでもありません。話を聞いて、必要があれば自分が野山で集めた薬草を、無ければ市販の薬を勧めたり、佐藤さんに言って処方してもらうだけです。捕まえたところで何も見つかりゃしない。だからかなあ、佐藤さんが面白がって、私のことを遊び人の金さんなんて呼んで、必要以上に大物に見せかけてるんですよ」

「なるほどなあ……でも、藤木さん。あんた8年前には借金完済したんでしょう? そしたらもう足を洗ったほうが良かったんじゃないですか。上坂のこともあったんだし、身綺麗にしていた方が」

「はい、その通りですね。実はその時、私も一度やめようと思ったんですよ。佐藤さんも、もちろんいつでもやめてくれていいと言ってくれまして……私のことを頼りにしてくれてる女の子たちには悪いとは思ったのですが、それで私、仕事をやめて上坂君のことを迎えに行ったんです」


 すると今度は上坂の方が目を丸くして、


「え!? でも、俺はあなたに会った記憶はありませんよ?」

「それは、迎えに行ったんだけど、結局会うことも出来ずに帰ってきちゃったからです」


 父親はそう言うと、少し申し訳無さそうな、それでいて少し懐かしそうな、そんな目をしながら話し始めた。


「……上坂君が私の妹や、妻の実家にたらい回しにされて、立花先生に保護されていたことは知っていました。それでいつまでも彼女に迷惑をかけてちゃいけないと、私も急いで迎えに行ったつもりだった。だけど……実際、東京で暮らしている上坂君のことを遠くから見てみたら、君はとても先生に懐いていて、既に自分の生活というものを手に入れてるみたいだった。私なんかが居なくっても、素晴らしい先生に育てられて、何不自由なく暮らしているというのに、そんなところにいきなりお父さんだよなんて言って出ていっても、今更でしょう? 虫が良すぎる。おまけに今となっては私も裏社会に片足突っ込んだような人間だ。


 それでまあ、私はいきなり名乗り出ることはせずに、先生にだけこっそり事情を話して、養育費を受け取ってもらうことにしたんです。先生はそれも要らないとおっしゃっていましたが、私はせめてもの償いだからとお願いして、それを納得してもらった。彼女はそしたら、上坂君が成人したらこのことを話すと言ってらっしゃったんですが……


 ところが、そんな時、東京インパクトが起きてしまった。未曾有の災害で二人が死んだと知らされた私は、ショックでどうしていいか分からなくなってしまった。やはりあの時名乗り出ておくべきだったかと後悔した。でも後の祭りだった。そのはずだった……その君が、どうして生きていたのか……またあとで話を聞かせて欲しいところだけれど」


 父親は困惑気味にちらりと上坂の顔を見てから、今はまだその話じゃないだろうと言った感じに話を続けた。


「とにもかくにも、東京インパクトの後処理で二人が死亡認定されたことを知ると、私は悲嘆に暮れていた立花家の人たちに詫びを入れて、それ以来、毎月花を送っていました。花は夕張で私達が育てたものです。黒い金は使ってないから受け取って欲しいと。


 そして葬式の際、私は立花先生が難しい立場に置かれていたことにようやく気づいて、家族がバラバラになったのは私のせいだから、慰謝料とか、賠償金とか、そういったのを支払いますと彼女のお母さんに申し出た。


 ところがまあ、やはり先生のお母さんと申しますか、なかなか凄いお方で……謝罪に行った私はいきなり彼女に引っ叩かれると、そうやって償いをすることで自分を慰めるのは卑怯だと、ずばり言われてしまったんです。


 大体、償う相手が間違っているだろう、そしてその子はもう帰ってこないのだと言われて、その時になって私はようやく自分がしでかしたことを深く後悔すると同時に、それを気づかせてくれた彼女に非常に感謝しました。


 思えば私の人生は、ずっと逃げてばかりだった。今までは借金を返さなければならないという目的があったから、それで誤魔化していたけれども、この期に及んでそんな中途半端な気持ちでいてどうするんだろうか。


 彼女に怒られた私は深く反省した。そして何でも金で解決するんじゃなく、自分なりの目標を見つけねばならないなと。そうじゃなければ、何故一人の子供を不幸にしてまで、自分が生きているのか分からないではないかと。そう思ったんです。


 それでまあ月並みだけれども、私は失くしてしまった家族の分も、誰かのために働こうと思い、本格的な闇医者になることにしたんです。本音を言えば、長男を救えなかったという体験があったから、元々医療に対する興味があったのも大きかった。そのせいで借金を背負わされたのですからね。


 それに、佐藤さんと組んでいれば、農繁期に人を斡旋してくれると言うメリットがあった。まあ、闇金の負債者なんですけど。他にも、通常では手に入らない薬を手に入れることが出来たから、僻地で医療を行う身としては有難かった。まあ、密輸なんですけど。何より、私が面倒を見た女の子たちの行く末も気になった。中には泰葉さんみたいに、こういう生活を続けながら、子供を産んでしまったような子もいた。小さい子を抱えて生活することがどれほど大変なことか……逃げ出してしまった私が一番良く知っていた。


 そうして闇医者として働き始めてからは、ススキノと夕張を行ったり来たりする生活になりました。家も廃農場から従業員のための寮に移して、あっちにいる時は僻地の医療空白地を回り、こっちにいる時は佐藤さんのご厚意で空いてるラブホテルとかね、そういったとこを転々として暮らしていました」


 彼はそうしみじみと言ってから、ふと、何かを思い出したかのように、深刻な顔をして続けた。


「ところが、そんな生活をしていた時だった。もしかしたらそういう運命だったのかも知れない。ある日、私は奇妙な症状の患者と出会ったんです」

「奇妙な病気?」

「ええ。その症状は、始めは夕張の老人たちに現れました。ある日突然、ご老人がまるで死んだみたいに眠ったまま、何をやっても起きないという病気にかかってしまった。原因は全くの不明で、おまけにいくら病院で検査しても、身体のどこにも異常は見つからない。脳も正常に動いてるようだし、反射もする。なのに患者は眠ったっきり、絶対に起きようとしない。そんな奇妙な症状が、僻地の老人の間で何故か流行りだしていたんです。


 こんな症状はどんな医学書にも載っておらず、本物の医者はみんな匙を投げてしまった。だけど私は何故だかその病気のことが気になって仕方がなく、それを詳しく調べることにしたんです。そして調べていると、どうやらそれは東京インパクト後に増えているらしいことが分かった。


 あの災害の時に何かがあったのだろうか? 未知のウイルス? いや、それ以前に、私はその症状に心当たりがあった……もしかしてこれは、私の息子に起きたことと同じなのではないか? あの時、私は何も医療の知識が無かったけれど、それでも自分なりに一生懸命息子の病気について調べていた。この症状は、あの時の記憶と酷似しているような気がする……そんな気がして……


 分からないなりに色々と調べていたある日のことでした。悪い事は重なるもので、なんと佐藤さんの身内にも、同じ症状の患者が出てしまったんです。びっくりして搬送された病院で話を聞いてみると、どうも似たような患者が他にもいるらしい……なんでこんな病気が突然流行りだしたのか。これはおかしいと思った私は、以来、この奇妙な病気を調べ続けているんです。それが、自分が闇医者になった理由なんだと思って……まあ、今のところ、何もわからないんですけどね」


 父親がすべての話を語り終えた時、部屋の中はしんと静まり返ってしまって、声を立てる者は一人も居なかった。彼の過ごしてきた18年間という長くて密度の濃い人生に、聞いている者の方が圧倒されてしまったから……それもあるかも知れない。


 だが、それ以上に、看過できない話が最後の最後で出てきてしまった。


 眠り病……その名前を聞いた瞬間、上坂は目を見開くと同時に、隣に座る江玲奈に目配せをしていた。彼女は上坂の視線に気づくと、何も言わずに頷いた。恐らく、彼女も同意見なのだろう。


 父親の言う、北海道の老人たちの身に起きた出来事は、多分、上坂達にもおなじみのあの眠り病であるに違いない。


「藤木さん……その病気については、もしかしたら俺の方が詳しいかも知れません」


 話を聞き終えた上坂が、暫しの沈黙のあとにそう言うと、それを聞いた父親は目をパチクリさせながら聞き返してきた。


「え……? なんだって? 君はこの病気に心当たりがあるのかい?」

「ええ。実は、同じような症状の患者は東京にもたくさんいて、俺はその人達を助けるために、ここにいる江玲奈と色々と活動していたところなんです……そんな時に先生が殺されてしまって……」

「殺され……? 一体、どういうことだ??」


 父親はいよいよ分けがわからないと言った感じに口をポカンと開けていた。


 上坂は自分の話をまだ何もしていなかった。だから父親は、上坂が生きていたことも不思議であれば、ましてや立花倖が実は生きていたこと、そしてその彼女が殺されてしまったことなんて、想像もつかなかったのだ。


 上坂は、何から話せばいいものか、慎重に言葉を選びながら話し始めた。話さなければいけないことは山ほどあった。そして、自分にしか出来ない使命を、彼は感じていた。


「藤木さん。あなたの18年間の話は聞かせてもらいました。きっと話したくないこともあったでしょう。だから今度は俺から話します。この5年間、俺がどこで何をやっていたか……そして眠り病ってのは何なのか。まず何から話しましょうか。実は俺はつい先日……ちょうど1ヶ月くらい前に、兄さんと……藤木藤夫と会ってます」

「なに……?? 兄さんって……いや、しかし……彼は……18年前に死んだんだぞ? 私はちゃんと彼の死を見届けている。もしかして、私の息子を騙るニセモノに騙されているんじゃなかろうか」

「いえ、そうじゃありません。兄さんはちゃんと俺の兄さんでした。あなたが死なせてしまったと思っている兄さんは、別の世界で生きている。混乱するかも知れませんが、まずは俺の話を聞いてください」


 どうやら自分はこの話をするために、北海道まで来たのかも知れない。上坂はそんなことをどこか頭の片隅で考えながら、困惑している父に向かって、今までに起きた出来事を話し始めた。


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