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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第四章・永遠の今
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オヤジの大冒険

 夕張での生活が徐々に軌道に乗り始めた上坂の父親であったが、そんなある日、彼が棲家にしている廃農場へ帰ると、玄関に血まみれの男が倒れていた。


 外に停められていた車の様子から、この男は事故を起こしたのかも知れない。そう思った父親は、慌てて彼に駆け寄ってその容態を確かめようとした。


 驚いたことに男は全身血まみれでぐったりしていたが、意識はまだはっきりしていたようで、父親が近づいてくると、突然、大声で叫びながら彼のことを突き飛ばし、手当たり次第に物を投げつけ暴れだした。


 まるで手負いの獣みたいな暴れっぷりに父親は仰天したが、しかし見た目通り酷い傷を負っていた男が、いつまでもそんな力を振るっていられるわけもなく、彼は間もなく力尽きると、また元通りに玄関先で突っ伏してしまうのだった。


「……おまえ……どこの組の、もんじゃあ……」


 男はぜえぜえと荒い呼吸を繰り返して全く動けそうもないというのに、その異様にギラついた目つきだけで、上坂の父親は気圧されて近づけなかった。だが、彼の言葉で何となく事情を察した父親が、


「どこの組でもございませんよ。私はここに住んでいるものです」


 やたらと落ち着いた声でそう言うと、それまで異様な迫力で父親を睨みつけていた男は、虚を突かれたかのように目を丸くして、


「住んでるだと……? こんなところにか」

「はい」

「そうか……人が暮らしてるようには見えなかった。邪魔して悪かったな。すぐに出ていくから、通報しないでくれ」

「お気になさらずに。実際、人が住んでいませんでしたから、私がこうして暮らしていられるんです」

「なに? もしかして……おまえ、ルンペンか?」

「ええ、正にそんなもんですな。北海道じゃダンボールでは暮らしていけませんからな。こうして打ち捨てられた廃墟で、こっそり暮らしているわけです。だからあなたも気兼ねなく、好きなだけここにいればいい。それより、私に何かやってほしいことはありませんか。見たところ、あなたは今にも死にそうだ」


 上坂の父親がまるで他人事みたいに淡々とそう言うと、男は暫し唖然と口を開けてから、それまで緊張して強張っていた全身の筋肉が一気に弛緩したらしく、軟体動物みたいに地面でぐったりとなった。


 父親は、今度は大丈夫かなと、恐る恐る彼に近づいて、横に座ってその顔を覗き込んだ。すると、男は今にも死にそうな真っ白な顔色で、父親の目を見つめながら言った。


「……それじゃ湯を沸かしてくれ。ちゃんと沸騰させた熱いやつだ。あとは、車から俺の鞄を取ってきてくれないか」

「わかりました」


 父は男に言われたとおりに、彼の鞄を車の中から取ってきた。そしてお湯を沸かそうとしたのだが、ここにはガスが通っておらず、石油ストーブにヤカンをかけるしかないから、それが沸くまで大層な時間がかかってしまった。


 その間、苦しそうな男の荒い呼吸だけが、家の中に響いていた。時折、眠たそうにまぶたが閉じそうなところを見ると、彼はそろそろ限界のようだった。父はそんな彼が眠ってしまわないようにと話しかけた。


「大丈夫ですか。もうじきお湯が沸きますから、もう少しの辛抱です」

「……あ、ああ……」

「ところで、お湯を沸かしてからどうするんですか」

「これだ」


 男は一言だけそういって、ずっと手で抑えていた腹を指さした。そして男がその手を離すと、瞬間、血がどくどくと溢れ出して床に黒いシミが広がった。どうやら、男の怪我は交通事故が理由ではないようである。まあ、大方の予想はついていたが、


「……腹の中に、まだ弾が入ってやがる。取り出さなけりゃ、傷を縫い付けも出来ねえ」

「撃たれたんですか」

「まあな……通報するか?」


 父はゆっくりと首を振って、


「生憎と、電話なんて高級品はここにはありませんので。それに通報なんてしに行ってる間に、あなたは死んでしまいそうだ」


 男はほんの少しばかり顔をほころばせて、鼻を鳴らすようにして笑ったが、すぐに傷口が傷んだらしく、真顔に戻ってうめき声を上げた。父親はその姿を見て、心配そうに続けた。


「やっぱり、救急車くらい呼びますか?」

「駄目だ。呼べば警察もやって来る。それより、そろそろ湯が沸いたんじゃないか」


 男に言うと、ストーブに乗せたヤカンがピーピーと音を立てはじめた。父親がそれを取ってくると、男は今度は鞄を指さして、


「中からナイフとピンセットと、あとスキットルを出してくれ」

「スキットル……これですか? 中身はなんです?」

「ウィスキーだ。無いよりはマシだろう。あとは、そいつに浸した針を火で炙ってから、糸を通しておいてくれないか。俺じゃ細かい作業が出来そうもねえ」

「わかりました」


 父親が言われたとおりに道具を用意すると、男は最後にハンカチを取り出してくれと頼み、それを口にくわえた。そして悲壮な決意を秘めたような、絶望的な眼差しで彼の顔を見つめながら、


「……今から少し、騒がしくなるかも知れない。もし、俺が途中で気絶したら、起こしてくれないか。その時は遠慮しないで、ガンガン叩いてくれよ」

「そりゃあ、お安い御用ですけど」

「頼んだぞ」


 男はそう言い終わると、上坂の父親からは視線を逸らして、ハンカチをギュッと噛み締めながら、震える手付きでナイフを自分の腹に刺して、その傷口を広げようとした。しかし、なかなか踏ん切りがつかないようで、うんうんと唸りながら、ナイフの切っ先は傷口をほんのちょっと開いたり閉じたりするだけだった。


 見ているだけで痛そうだった。おまけに、そうやって思い切って傷口を広げたところで、その後は身体の奥にピンセットを突き刺さなければならないのだ。


 いつの間にか、男の全身からは汗が吹き出していて、着ている服はプールにでも落ちたかのようにずぶ濡れだった。


 出来るできないと言うか、やるしかないのだろうが、そんな気の遠くなる作業を見つめていた父親は、ついに見ていられなくなり、男の震える手からナイフを取り上げた。


「お、おい、何しやがる!」

「見てられませんよ。私がやりましょうか?」

「何だと!?」


 突然ナイフを取り上げられた男は、一瞬だけ激昂したが、すぐに父親の提案はそう悪くないものだと考え直し、


「……そうだな。自分でやるよりも、おまえにやらせて、俺は痛みに耐えることに集中した方がマシだろう。だが、いいのか?」

「構いませんよ。その代わり、私のやりたいようにやってもいいですか?」

「……いいだろう。どうせ生きるか死ぬかの瀬戸際だ。俺のことは、まな板の上の鯉か何かだと思って、お前の好きに捌いてくれ」

「ではお言葉に甘えて」


 上坂の父はそう言うと、男を置いて別の部屋から自分の荷物を持ってきた。そしておもむろにジャムの瓶に入った軟膏を取り出すと、男の傷口の周りにそれを塗りたくり始めるのだった。


「お、おい、何すんだ?」


 いきなり、変なものを塗り込まれた男は焦ったが、暫くすると傷の痛みが和らいできたような気がして、抗議するよりも純粋に疑問の方が強くなってきた。一体何を塗ったのかと父親に聞いてみると、


「これは市販の痛み止めから麻酔成分を抽出したものです。私、ひどい腰痛持ちなんですよ。これを塗っておけば、一晩で楽になれるんです」


 言われてみると確かに、彼の塗った薬のお陰か、傷口の辺りが麻痺しているような感覚だった。さっきまでの鈍い痛みは、今はもう感じられない。父親は続けてメスを取り出すと、


「お、おい! どうしておまえがそんなもんを持ってるんだ?」

「これは獲物の解体用ですよ。動物の細い腱や筋を断ち切るには、ナイフよりも使い勝手がいいんです。私、こう見えてもヒグマを解体したこともあるんですよ」

「ひ、ヒグマ……?」

「ええ。最近は罠猟も始めました」


 父親はそう言うと、ポカンとしている男の返事を待たずに、さっさと傷口を開いてピンセットを使って弾丸を取り出してしまった。


 信じられないことに、痛みはほとんど感じられなかった。ピンセットを突っ込まれた時に、若干、痛みが走ったくらいで、それを取り出してしまったあとは、もう何も感じられない。


 さらに続けて、彼は曲がり針を使って器用に傷口を縫い合わせてしまった。そのあまりの手際の良さを、男が呆然と見つめていると、


「心配せずとも、これは縫製用ですよ? 革製品などを修繕するために、普通に市販されているものですから」

「いや、もうそんなこと心配しちゃいないよ。ただ、驚いてるだけだ。どうしてこんなことまで出来るんだ? おまえ、一体何者なんだ?」


 すると父親は、最初に会った時と変わらない、まるで他人事のような顔をして、


「ルンペンですよ。あなたが最初に言ったんじゃないですか」


 そう言って、最後に何かの錠剤を出してきて、これを飲むようにと男に渡した。男はもはや毒薬を渡されても黙って飲むつもりだったが、彼の憮然とした表情が躊躇してると思ったのか、父親の方があっさりとその正体を明かした。


「安心してください。これはただの抗生物質です」

「なんでそんなものまであるんだよ!」


 男はもう驚くまいと思っていたが、思わずツッコミを入れずには居られなかった。父親は相変わらず飄々とした素振りで、


「お世話になっている方々から、こっそり分けてもらったんですよ。不思議なんですけどね、ご年配の方ほど、医者に貰った薬を備蓄しているものなんです。僻地へ御用聞きにいった時に、お駄賃代わりにいただきました。バレると怒られちゃうから内緒ですよ」


 男は今度こそ、もう何も言うまいと心に誓った。


 その後、彼は廃農場で暫くのあいだ療養生活をすることになった。抗生物質があったお陰で合併症にこそならなかったが、治療を行うまでにだいぶ血が抜けてしまったせいで、すぐには動けなかったのだ。


 しかし彼にとって幸運だったのは、そこが上坂の父親のねぐらだったことだろう。


 寝たきりの男は、彼がどこからともなく持ち帰ってくる薬草や山菜、そして鹿や猪などのジビエ料理を食べたお陰で、驚くほどの速さで回復していった。元々体力には自信があった男であったが、自分でも呆気にとられてしまうほど、その回復スピードは驚異的だった。


 一ヶ月もしたらまた普段どおりに動けるようになった彼は、父親に連れられて行った山奥の天然温泉に浸かりながら言った。


「……ここは天国みたいなところだなあ」

「冬場はもっと気持ちがいいですよ」

「そうか……なら、冬になったらまた遊びにくるかな」


 彼はそう言って満足気に笑うと、


「藤木さん……俺は生まれてから今日まで生きてきて、この一ヶ月間ほど感動したことはない。あんたみたいな男に出会えて、俺は幸せだ」

「……私、ホモじゃないですよ?」

「誰もそんなつもりで言っちゃいねえよっっ!!!」


 すっかりツッコミ慣れた男が間髪入れずにそう叫ぶ。もう、腹に力を入れても全然痛みは感じなかった。


「でも、そろそろお別れだ。俺は札幌に帰って、やらなきゃならないことがある」

「そうですか……今更あなたに何をやってるのかなんて聞きゃしませんがね。それはどうしても、あなたがやらねばならない事なんですか?」

「ああ、そうだ」

「命をかけてまで」

「ああ。同じスネに傷がある者同士、男にはどうしても逃げられないもんがあるってことは、あんたにだって分かるだろう?」

「……そうですね」

「だから俺は帰らなきゃなんねえ。そして今度こそ、やり遂げてみせるさ……」


 男はそう言って遠い目をして周辺の山々をぼんやりと見つめていた。命を張ってもやらなきゃならないものがある。それは上坂の父親も同じだった。


「そう言えば、藤木さん。野暮だと思って聞かずにいたが、あんたはどうしてこんな生活を続けてるんだ? 理由があるなら止めやしないが、ないなら俺と一緒に札幌にいかないか?」

「私は荒事には向いていませんよ。根本的に体力が無いんです。マグロ漁船でも、あっという間に身体を壊してしまったくらいですからね」

「マグロ漁船?」


 そしてこの時、父親は初めて男に自分の身の上話をした。借金返済のためにマグロ漁船に乗ったこと、そこで身体を壊して働けなくなったこと、復帰するために身を隠して療養していたこと、金を一切使わずに生きるために、あらゆる努力をしてきたこと。


「なんだ、あんた、借金で首が回らなくって、こんな生活してたのか」

「首が回らないんじゃなくって、身体が動かなかったんですよ。それもようやく落ち着いたから、そろそろ借金返済のために動き出すつもりです」

「返すあてはあるのかい?」

「……ここで知り合った人たちと、農業経営をしたいと思ってるんですけどね。私の家もそうですけど、働き手がいなくなって、放ったらかされてる農地が山ほどある。引退されるご年配の方々も、私がいいなら譲ってくれるとおっしゃってくれてまして」

「そうなんだ」

「しかし、いかんせん人を雇うお金がない。借金しようにも、その借金を返しそびれて逃げ回ってる現状では、元手が足りなすぎて、こうして金を一切使わずに貯めているところです」

「なんだあ、そんなことだったのかい」


 すると男は突然温泉の水でザバザバと顔を洗ったかと思うと、なんとなく照れくさそうに、


「それじゃあ、その金は俺が貸してやるよ」

「……いいんですか?」

「ああ。本当ならくれてやってもいいくらいだが、あんたも汚え金は受け取りたくないだろう。だから貸してやる。藤木さんなら信用できるから、担保は要らないよ……いや、そうだな。また冬になったら、あの美味い肉鍋でもごちそうしてくれよ」


 上坂の父親は感謝の溜め息を吐きながら頷いた。


「それくらい、お安い御用ですとも」


 こうして彼は、逃れ逃れてたどり着いた北海道の地で、事業を興すための資金を手に入れることが出来た。そしてこれが後にススキノの帝王と呼ばれるようになる、佐藤組組長、佐藤備後(びんご)との出会いだったのである。


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