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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第四章・永遠の今
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至極ごもっともな理由で

 父親に会いに来たススキノで、上坂と江玲奈はヤクザからリンチに遭いかけた。そんな絶体絶命のピンチを救ったのは何故かアンリエットで、頭が混乱しそうになりながらもどうにかこうにか逃げ出そうとした時、彼らの前に立ちはだかったのは上坂の父親だった。


 上坂のことをマジマジと見つめる彼に対し、上坂の方もマジマジと見つめ返して、二人はまるで鏡でも見ているかのように、お互い同時に後頭部をかきむしった。その姿が滑稽なくらいそっくりだったから、その場にいた誰もがその二人のことを見て、ああ親子なのだなと妙に納得してしまった。


 一触即発の空気だったアンリとヤクザたちもその瞬間に敵意を無くし、取り敢えず事情を知ってそうな下柳に全員の視線が集中する。しかし集団お見合いみたいなその状況を最初に打開したのは、上坂の父親だった。


 彼は上坂が傷だらけなのを見て取ると、慌てて持っていた手提げかばんを開けて中から消毒薬や包帯を取り出して、突然近づいてきた父親を前に、引きつけを起こしたかのように固まっている上坂の傷を手際よく治療していった。


「打ち身。捻挫。擦り傷は唾を付けておけば治るだろう」

「いてててて……」


 その流れるような手付きがとても手慣れていて思わず見惚れていたら、彼はあっという間に傷の手当を終えてしまい、最後に上坂の額の傷を見つけ眉を顰めながら、


「これは?」

「……えーっと、5年前にちょっと色々あって」

「5年前……?」


 父親はその単語を聞いて、何かを思い出したといった感じに動きを止めた。恐らく、その5年前に死んだはずの息子が、何故生きているのか不思議で仕方ないのだが、それを聞いてもいいものか、そもそも自分にそんなことを聞く資格があるのか、色々と考えてしまっているようだった。


 そんな風にウジウジと考え込みやすい性格も上坂とそっくりなのだが、二人はそんなことに気づくはずもなく、ただお互いによそよそしい空気を身にまといながら、眼の前で向かい合いながらも、まるで気の乗らないお見合いみたいに、視線だけをそっぽに向けていた。


 これは放っておいたら埒が明かないという空気が周囲からも見て取れたのだろう。強面のチンピラが若干イライラしながら、ズズズイっと父親の横へと歩み出て、まごついている父親に向かって尋ねた。


「金さん。そいつは何者なんですか」

「ん、ああ……」


 ヤクザに上坂のことを誰何された父親は、少し言い淀んでから、とてもいい難そうにその言葉を口にした。


「彼は、上坂君と言って……何ていうのか……私の、息子です……生き別れの」

「息子……? あの、小さい頃に別れなきゃならなかっていう?」

「うん。死んだものとばかり思ってたんだけど……」

「大変だこりゃあ!」


 上坂の父親が何と説明していいものかと歯切れの悪い口調でボソボソと息子の正体を明かすと、すると先程まで上坂達をリンチしかけていたヤクザたちは慌てふためいて、


「お前たち! 金さんの息子さんになんてーことしやがんだっ! オヤジに知られたら、指の一本二本じゃすまねえぞ!」「そんなー、若頭がやれって言ったんだべ!」「横暴だ、横暴」「うっせー、馬鹿野郎! 俺は知らん。おまえたちが勝手にやったんだ。いいな?」「そんな無茶苦茶な!」「金さんすんません! マジすんません! 勘弁してつかーさい!」「ええ? いやあ、その、私は……」


 ついさっきまで上坂を囲んでやりたい放題だったヤクザものたちが、今は真っ青になって慌てふためいていた。金さんと呼ばれていた上坂の父親が、そんな彼らのことをなんとか宥めようとしていたが、血気盛んな男たちはその声が聞こえない様子で、ただ平謝りに謝り続けていた。


 そんな具合に強面のヤクザたちが大騒ぎをしていたものだから、たまたま通りがかった通行人が怯えて通報してしまったのだろう。暫くすると遠くの方からサイレンの音が聞こえてきて、こりゃまずいことになってしまったと言わんばかりに、彼らは散り散りに去っていった。


 上坂達もこうなってしまっては仕方ないから、父親に場所を移動しようと提案してから車に駆け込んだ。運転席に下柳、助手席に父親が座り、上坂がまだ具合が悪そうな江玲奈を抱えて後部座席に乗り込んだら、その横に当たり前のようにアンリエットが座っていた。


 っていうか、本当に、なんでこいつがここに居るんだ?


 上坂は不思議で仕方なかったが、今はそんなことを聞いてる場合でもなくて、下柳が車を急発進させた勢いで下敷きにしてしまった江玲奈に謝りながら、彼らはパトカーのサイレンとは逆方向にススキノの街を駆け抜けた。


******************************


 車を発進させて数分。どうにかこうにかパトカーをまいた一行は、ホッとするのもつかの間、今度は車内の重苦しい空気と戦わなければならなかった。


 下柳は車を走らせながら、これからどこへ向かえばいいのかみんなに相談したかったのだが、ふと隣を見れば深刻そうな顔をした老人が真っ直ぐに前を見据えているのが見えて、なんとも声がかけづらい雰囲気を醸し出しているせいで、何も言えなくなってしまった。


 本当ならどうして18年前、上坂を置いて出ていったのか。それから今までどうやって生きてきたのか。あのヤクザ共はなんなのか。昨日見かけた奥さんと子供は? 聞きたいことは山ほどあったが、しかしそれを最初に聞いて良いのは上坂だけだろうと、彼は言葉を飲み込んだ。


 思えば後部座席にはいつの間にかアンリが座っているし、上坂や江玲奈に暴力をふるわれて大丈夫だったのかと気になることは他にもあったが、この重苦しい雰囲気の中、何をどう聞けばいいのか、そもそも何から聞けばいいのか、彼の口はどんどん重くなっていった。


 そんな中、結局、最初に口を開いたのは江玲奈だった。やはり亀の甲より年の功というのだろうか。尤も下柳は14歳のガキとしか思っていないようだったが。彼女はお腹を殴られた影響で若干気怠げな声を出しながら、その下柳を非難するように言った。


「……で、下柳。君は僕らが襲われてる間、何をやってたんだい? 最終的には助けてくれたようだから文句は言わないけど。護衛失格なんじゃないか、まったく……」

「う、すまねえ……実は俺も襲われてたんだよ。すぐに助けに行きたかったんだけど、そういうわけにもいかなくて」


 聞けば、下柳がソープランドに入った瞬間、入り口で待ち構えていた従業員に取り押さえられたらしい。いきなりのことに面食らいながらも、事務所に連れて行かれそうになった彼は、必死になって自分が警察だと言うことを強調しながら、藤木金四郎という男を探しに来ただけだと言うことを説明した。


 最初は胡散臭いと思っていた連中も、本物の警察手帳の前では流石に手を出しづらく、そんな男は知らないと、はじめは上坂の父親のことを隠そうとしていたが、襲われていた時に下柳が口走った『上坂』という名前を、奥の方で聞いていた父親が気づいたらしく、結局、彼が名乗り出てきてくれたことで下柳は事なきを得た。


 しかし、その時にはもう外の上坂達は襲われている真っ最中で、従業員たちにそのことを知らされた下柳は仰天し、父親を連れて車の方へと戻ってきたところ、何故かアンリがヤクザ相手にひらりひらりと義経よろしく大活躍していたらしい。


「っていうか、どうしてアンリちゃんがここいんの? そっちの方がわけわからんぞ。わけわかんなすぎて、あの瞬間、本気で頭が真っ白になったくらいだ」


 するとアンリはいつもの営業スマイルを湛えながら、


「連休でたまたま北海道旅行に来ていたら、偶然、上坂のことを見かけたんですよ。なんかトラブってるみたいだったから、助けてあげた。それだけです」

「……いや、それだけって。それで済むわけ無いだろう」

「でも本当のことですよ。観光客がススキノを歩いていてもおかしくないですよね」

「そこにソープとポルノ映画館とラブホテルが無ければな……いや、寧ろそんな場所で君、なにやってたの? 逆に気になってきた。ちょっとおじさんに教えてくれる?」

「う……セクハラで訴えますよ」

「もう良いだろう、アンリエット」


 下柳とアンリがそんな漫才みたいなやり取りをしていると、二人に割って入るように江玲奈が口を挟んできた。


「彼女は僕の護衛だよ。上坂に隠れてこっそり北海道に来ようとした時、一人では心細いから、彼女に一緒に来てもらうことにしたのさ。ところが、本当なら入ってこれないはずのファーストクラスに君たちが踏み込んできて、僕だけがとっ捕まってしまったわけさ。それで仕方なく、別々に行動していた」

「なんだって? じゃあ、あの時、あそこにアンリちゃんも乗ってたのか。どうして江玲奈が見つかった時に出てこなかったんだ?」

「エコノミーに乗るなんて嫌ですもん」

「……至極ごもっともな理由で」


 下柳は苦笑気味にそう言ってから、


「だが……待てよ? どうして二人は知り合いだったんだ? 君らは会ったことがないはずだろう。大体、アンリちゃんを護衛に雇おうなんて、何をどうしたらそんな考えになるんだ」

「でも役に立っただろう。どこかの刑事なんかより」

「ぐっ……だから悪かったって言ってんだろ! 実際、凄かったんで驚いてるんだよ。アンリちゃん、格闘技かなんかやってたのか?」

「特になにも。でも体育は昔から5段階評価の5だったんですよ。それくらいかなあ」

「んな無茶苦茶な」


 下柳は納得行かないようだったが、上坂は何となく彼女がべらぼうに強かった理由を察した。アンリは元々、フランスのテロリストだったのだ。そして三年前の欧州騒乱で、死地をくぐり抜けて生き残った。故に荒事に関しては下柳以上に長けていてもおかしくはないのだ。


 彼女はそのことを隠しているから、これ以上下柳に追求されるのは可愛そうだろう。上坂はそう思って、話題を変えることにした。


「今はそんな話をしてる場合じゃないだろう。それよりも……藤木、さん」


 上坂は助手席に座っている白髪に向かってそう言った。お父さんとも、金さんとも呼べず、なんて言っていいか迷った挙げ句に、そう口走っていた。その瞬間、車内にまた重苦しい空気が舞い戻ってきたが、助手席に座る父親の方は一向に気にした素振りも見せずに、


「うむ、なんだね、上坂君」

「えーっと……突然、訪ねてきてすみません。こんなことになるなら、アポイントをとっておくべきだったかも知れません」

「いや、いつでも訪ねてきてくれて構わなかったんだよ。本当なら、私から会いに行くべきなんだ。ただ、私は君が死んだと思っていたから……とても驚いた」

「はい……」

「……この5年間。君はどうしていたのだろうか。私は、それを聞いても良いのだろうか……?」

「はい、俺の方も、聞きたかったんです。18年前、あなたはどうして俺を置いて家を出ていってしまったのか……それから18年間。何をやっていたんでしょうか。俺が、聞いても良いんでしょうか」


 上坂が恐る恐るそう尋ねると、父親は虚を突かれたようにハッと目を開いてから、すぐにリラックスするように助手席に身体を埋めると、


「ああ、そうか。そうだね。18年か……長かったなあ……」


 そう言いながら彼が見せたアルカイックスマイルは、実に印象深いものだった。


 視線はフロントガラスの向こう側を見つめていたけれど、きっとその瞳にはもっと別の何かが浮かんでいたのだろう。それは18年という長い年月を、走馬灯のように駆け巡った思い出のようなものではなかろうか。


 彼は大きく息を吸って、長く吐き出すと、沈黙に支配されていた車内で全員が注目する中で、実に穏やかな声で言った。


「もちろん、君が望むなら、私は何でも答えるつもりだ。寧ろ、私なんかの話を本当に聞きたいのかと、不思議にさえ思えてくるほどだ。何しろ私は君のことを捨てて出ていってしまった。何を言っても言い訳にしかならないような、そんな男の話を本当に君は聞きたいのだろうか」

「ええ……俺は、そのために北海道に来たんです。話していただけますか」

「うん。ならば、どこか落ち着ける場所に移動しよう。こんなこと、車の中でドライブしながら話すようなものじゃない。そうだ。僕の使っている事務所がすぐ近くのマンションにあるから、そこなら誰にも邪魔されず話を出来る。君、よければそっちへ移動しようじゃないか」


 父親が提案するそのマンションとは、多分昨日彼のことを訪ねていったあのマンションだろう。上坂は慌てて言った。


「いや、そのマンションって、ススキノのマンションのことですよね? あっちの方にある……実は昨日、俺たちそこに訪ねていったんですけど……」

「そうだったのか。声をかけてくれれば良かったのに」

「そうしようかとも思ったのですが……ただ、あなたの部屋を遠くから見てたら、奥さんがいらっしゃったようだから、出るに出ていけなくて……」


 父親は怪訝そうな表情で首を捻って、


「うん? 奥さん? ……お母さんが亡くなってから、私にそんなものは居なかったけれど」

「え? でも、昨日、俺は確かに見ましたよ? あなたがマンションの部屋から出てくる時、そこに幼い子供を抱えた女性が一緒に居て、その子はあなたのことをパパと呼んでいた」

「ああ」


 すると彼は、今度は合点がいったとばかりに手をポンと叩いて、


「なるほど、確かに私はあの子にパパと呼ばれているかも知れない。でも、あの女性は私の奥さんではないよ」

「そ、そうなんですか……?」


 上坂がどういう意味だろうかと頭を悩ませていると。


「うむ。ならば、尚更マンションに来て欲しい。君にも彼女のことを紹介しよう……というか、私がこの18年間、何をやっていたかを説明するなら、それが手っ取り早いだろう。彼女やあの幼子(おさなご)は、確かに私の家族と呼んでも差し支えないのかも知れない。彼女たちだけでなく、そんな子たちがあそこには大勢いるのだよ」

「……大勢?」


 一体どういう意味だろうか。話がいまいち見えない上坂は首をかしげていたが、父親はそれ以上は話さないつもりのようだった。


 会えば分かると言うけれど……上坂は胸に一抹の不安を抱えながら、一行を乗せた車は昨日のマンションを目指した。


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