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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第四章・永遠の今
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パパいってらっしゃい!

 二日目。北海道の朝はからりと晴れた晴天で、山から吹き下ろすひんやりとした風は、一足早い秋の気配を匂わせていた。


 前日の接待で調子に乗った下柳は、案の定二日酔いでぐったりしていたが、今更彼の体調を気遣って出発を遅らせようとする者はどこにも居なかった。特に江玲奈はここぞとばかりに騒音を撒き散らして、昨日の復讐を遂行しているようだった。自分でも500年を生きる魔女とか格好つけているくせに、やることなすこと子供みたいなのは何故だろう。


 ホテルに隣接しているレンタカー屋で車を借りて、下柳の運転で山に向かって走らせた。酒気帯び運転にならないかと心配になったが、朝食を取って水をガバガバ飲んだら楽になったと言っていたから、まあ信じることにする。


 昨日、空港に迎えに来てくれた職員が、また車を出そうかと気を利かせてくれたのだが、流石に今日は上坂の複雑な家庭事情のこともあって遠慮してもらった。父親にはアポを取っていないのだ、遠くからコソコソ見ているのを見たら、職員も気になって仕方ないだろう。


 父親の住所は夕張山地の麓にあって、一口にそうは言ってもものすごく広範囲なため、実際には中心街から車で1時間ほど行ったところにあるようだった。ただひたすらに真っ直ぐ伸びる道と、どこまでも続く田園風景を眺めていると、同じ日本の景色とは思えないような雄大さを感じさせる。恵海の住んでいる西多摩も、十分に田舎だと思っていたが、ここはそんなものの比ではない。民家は数キロに一軒あればいいほどで、目につく人工物は道路標識と看板くらいしか見当たらない。これだけ人気がないと野生動物もあちこちにいるようで、熊に注意の看板を見ていると、本当にその辺からクマが飛び出てきそうな気がしてちょっと怖かった。


「て言うか、本当にこんな場所に人が住んでいるのか? 夜眠っていたら、家の壁をヒグマがバンバンしたりしないだろうな。洒落にならないぞ」


 運転手の下柳がどこまでいっても何もない道に唖然とするかのようにつぶやいた。見通しが良すぎて他に車もいないものだから、さっきから高速道路でもないのにうっかり100キロを越えてしまい、その都度レンタカーの速度計がキンコン鳴り出して、ハッとしてスピードを下げるということを繰り返していた。


 まあ実際、ここに住めと言われても想像がつかなかったが、さっきから一応民家や納屋らしき建物はちらほら見えるから、誰も住んでないってことはないのだろう。ただ、ここまで周りに何もないと、こっそり父親の様子を探るなんてことは出来そうもなかった。


 しかし、最初から名乗り出る気もさらさらなく、どうしたものかと悩んでいたら、


「それなら農場見学に来たとかなんとか言えば良いんじゃないの。もしくは道に迷ったって言っても信じてくれそうだぞ。ここまで何も無ければ」

「そうかな、怪しまれないかな?」

「怪しまれたところで、大丈夫だろ。まさか一度も会ったことのない息子を見破るとは思えないし、どうせお前、死んだことになってるんだから」

「それもそうか」

「案ずるより産むが易しってね。取り敢えず、会ってから考えようぜ」


 下柳のイージーな言葉で多少気が楽になった上坂は、それ以上は深く考えないことにした。彼の言う通り、実際にそこへ行ってみなければ、自分がどうしたいのかさえわからないのだ。実際に父親が嫌な奴だったなら、騙したところで良心もいたまない。正体を明かしたら明かしたで、事情を察してくれるはずだ。


 だが、そんな心配は全くの杞憂だった。それは上坂達が考えていたこととは全く違う理由で、考えるだけ無駄なことだったのだ。


「おい、上坂……本当に、ここで間違いないのか?」


 夕張から車を走らせること小一時間。立花愛に教えてもらった住所をカーナビにセットして、それの言うとおりに走り続けてたどり着いたその場所は、農家があるにはあったが、ボロボロに崩れた物置小屋と、人の背丈くらいありそうな雑草と、朽ち果てた家屋とオンボロの農具が打ち捨てられている廃農場だった。


 見るからに誰も住んでいそうにない母屋を遠目に見ながら、上坂たちは立ち尽くした。一応中に入って確かめたいところであったが、恐らく以前は玄関まで通じていたであろう畦道が、雑草で覆われていてとてもじゃないが近づけそうもなかった。


 寧ろ、その事実がこの農場に人が住んでいない証拠だろう。ゴロゴロとした砂利を押しのけて伸びる雑草はしっかりと大地に根ざしていて、一年やそこらで育ったようなものではなかった。捨てられている農具や機械もサビだらけで、もう何回冬を越えてきたんだという代物だった。


 ここまで状況が揃っていると疑いようもないだろう。ここは人が住まなくなってから、相当の年月が経った廃墟で間違いないようだった。


「どういうことだ? 先生の妹さんとやらが教えてくれた住所が間違ってたのか?」

「それはないと思う。今年届いたっていう年賀はがきを貰ってきたんだ……」

「それじゃあ、カーナビの方が間違ってるのかもな」

「カーナビが? そんなことあるのか?」

「これだけ何もない田舎だぞ。地図を作る方もいい加減になるだろう。住所も番地じゃなくていきなり号だもんな。しかも100号とか200号とか」

「それもそうか……ちょっと近所の家に尋ねてみようか」


 と言っても、その近所の家があるのはそこから5キロ以上も先だった。上坂たちは何もない一本道をウロウロして、なんとなく人がいそうな場所で車を止めて、どうにかこうにか見つけた厩舎の屋根からそれを管理している民家を探して、ようやくたどり着いた家の人に、実はこれこれこういう理由で人探しをしていると尋ねてみた。ところが、


「いやあ、この住所なら間違いないべさ、あっちにある潰れた農家のことだべ。あんたたち、そっから来たの?」

「はい」

「んなら間違いねえべ。この藤木って名前も、聞いたことねえなあ。大方、古い住所さ教えられたんでねえべか?」

「いや、そんなはずはないんですけど……どうもありがとうございます」


 上坂たちはお礼を言って民家を出た。現地から5キロも離れているとはいえ、教えられた住所の最寄りの民家である。そこの人が間違いを言ってるとは思えなかったが、それで納得するわけにもいかない。上坂たちは再度車に乗ると、そこからまた数キロ離れた家を見つけて、同じように父親のことを尋ねてみた。


 ところがここも似たようなもので、これだけ近所なら(10キロ以上離れてるのだが)間違いないと太鼓判を押してくれた。この土地には長年住み続けているらしくて、問題の廃農場のこともよく知っているそうで、元の持ち主は10年以上前にここから出ていったそうである。藤木という名前にも心当たりがないらしく、何かの間違いじゃないかと言われてしまった。


 その後も数件近所の家を回ってみたのだが、どこもかしこも言われることは同じだった。それでも諦めきれない上坂は、もう少し粘ろうと思っていたのだが、


「……上坂、そろそろ諦めろ」

「なんでだよ。面倒なら俺一人タクシーで回るから、待っててくれても構わないぜ」

「そうじゃなくて、周りをよく見ろ。さっきからちょっと気になってたんだけどよ。ほら、あの軽トラック……」


 下柳がそう言いながら車を道路の脇に停めると、背後からついてきていた軽トラックが彼らの車を追い越していった。上坂は言われてそのトラックをよく見てみたが、別段変わったところは見つからなかった。何がそんなに気になるんだろうと首を捻っていると、


「今日お前、ここに来るまでにどれくらいの車とすれ違った? 滅多に通りかからなかったはずなのに、急に同じ車がチラチラしだしたんだ。どう考えても警戒されてるだろ」

「あ……でもどうしてだろう?」

「さあな。親父さんのことを隠している……なんて推理小説みたいな理由なら面白いけど、多分、俺達みたいなよそ者が近所をこそこそ嗅ぎ回ってるから気になってるんだろう。田舎は閉鎖的だからなあ」

「なるほど……」

「これ以上、彼らの生活に波風立てちゃいけないぜ。だから一旦、出直そう」

「うーん……でも、出直すって言っても、どうすんだよ。何の手がかりもないんだぜ」


 するとそれまで退屈そうに黙って聞いていた江玲奈が、


「そうでもない。住所は間違ってないんだろう?」

「ああ……間違いないはずだ。姉さんは、毎月の花のお礼に、何度か手紙を送ったことがあるって言ってたから」

「その住所に手紙を送れば届くはずなのに、実際に来てみたらそこは廃墟になっていた。なら、考えられることは一つだろう。手紙はどこか別の場所に転送されているはずだ」

「あ、そっか。郵便局にいけば教えてくれるかな?」


 すると下柳が閃いたとばかりに、


「いきなり行っても追い返されるだけだぜ、まずは市役所員に相談しよう。一応、ここも夕張市だし、住民登録もしてあるはずだ。それに昨日の様子なら力になってくれるんじゃないか」


 上坂たちは方針転換すると、もと来た道を戻り始めた。


 午前中に出ていったばかりなのに、すぐとんぼ返りして市役所に行くと、昨日道案内をしてくれた職員が出てきて応対してくれた。何かトラブルでもあったのかと心配してくれていた彼に事情を話すと、今度こそ役に立って見せるとばかりにはりきりだして、例の住所の件はあっという間に片付いてしまった。


「藤木興産?」

「はい。その住所は、そんな名前の会社の登記になってますわ。転入は10年前。競売にかけられた農場を買い取った感じだべか」


 職員は聞いてもいないことをべらべらと話してくれた。多分、知るところに知られると犯罪扱いされてしまうんだろうが、ここは気づかなかったことにして、話の続きを促す。


「藤木って名前なら、多分間違いないです。その会社は、どこにあるんですか?」

「それは会社登記を調べて貰わねえと、市役所ではわからないです。申し訳ないべ」

「いえ、滅相もない。あとはこの住所の転送先が分かるとありがたいんですが……

「したっけ、郵便局に務めてる同窓生がおるから、そいつに聞いてみんべ。ちょっと待ってておくんなし」


 彼は電話ですぐ近くにある郵便局に尋ねてくれた。住所の転送先はあっけなく割れて、それによると藤木興産なる会社は夕張市内にはなくて、


「札幌……? この南四条西ってのは……」

「いわゆるススキノってところですわ。中々良いとこの会社みたいですね。なしてあんなとこの農場なんか持ってるんだべか」

「さあ、わかりませんが……取り敢えず、この住所に向かってみます。ありがとうございました」

「いえいえ、お役に立てたんなら良かったです」


 上坂たちは一旦ホテルに戻ると、夕食は出先で取ると伝えてから、車に乗って札幌へと向かった。


 午前中に農場を見に行ったせいで、無駄な時間を過ごしてしまい、札幌についた時にはもう日が傾き始めていた。


 朝はどこまで行っても車一台走ってない道ばかりを飛ばしていたが、流石に北海道の中心地へと向かうにつれて交通量が増えてきた。高速道路に乗って市街に入ると、こんな北の大地に、こんなに大きな街があるなんてと驚かされる。


 円安だった一時期よりは混んでいないとは言え、流石にシルバーウィークの札幌は人が多く、件の住所のあるススキノに向かうに連れて交通量が増えて行き、ついに渋滞に巻き込まれた。


 電波塔の見える大通公園に差し掛かると、何かのイベントをやってるらしく、大勢の人で賑わっていた。周辺は大きな建物が立ち並び、どこもかしこも人でごった返している光景は、上坂の通っている美空島なんかよりもずっと都会でビックリする。


 そんな札幌の町並みに驚いているうちに、車は問題の住所の近くまでやってきた。上坂たちはレンタカーを駐車場に停めると、市役所職員が教えてくれた住所まで徒歩で向かうことにした。


 そこはススキノの中心から少し離れた大通りに面した場所にあり、歓楽街というよりオフィス街と言った雰囲気だった。電信柱に書かれてる住所を頼りに、仕事帰りのサラリーマンたちに逆流しながら進んでいくと、やがて茶色い壁面のマンションにたどり着く。


 てっきり、街の雰囲気から、どこかの雑居ビルに着くんだろうと思っていたから、正直少し意外だったが、SOHOなんかの個人オフィスなら置いてもいいというようなマンションはあるにはあるから、多分そんな感じで利用しているのだろう。


 エントランスに並ぶ郵便受けを見れば、確かに『藤木興産』の表記が確認できた。どうやらここで間違いないようだ。あとは、この藤木興産が、本当に上坂の父親の会社なのかが問題だが、何しろ見たことも会ったこともない相手の顔を確認しようがない。マンションもオートロックだし、これからどうしようかと悩んでいると、


「おい、上坂、行くぞ」


 たまたま住人が出てきたのを見て、下柳がなんの躊躇もなく内部に侵入した。それがあまりに自然なものだから、出てきた住人もまったく不審に思わなかったようである。彼に続いてマンションに入った上坂は憮然としながら、


「これって不法侵入じゃないのか? 警察呼ばれたらどうすんだよ」

「警察ならもう来てるだろ。こんな程度でびびんなよ」


 下柳は振り返りもせずにそう言うと、エレベーターではなく、階段を使って上階へと向かった。どうして階段を使うんだろうかと思っていると、脱出経路を確認するのに一石二鳥だからだそうである。人は逃げる時、エレベーターは使わない。そんなものを悠長に待っていたらとっ捕まってしまうからだ。だからマンションのガサ入れを行うときは必ず階段を確認するそうである。


 そんな知識を披露され、流石現役の刑事だなと感心したが、いまは別に犯罪者を追っているわけでもなんでもない。素直にエレベーターを使ったほうが良かったんじゃないかと思いながら、父親のオフィスのある階へと到着した。


 階段の踊り場から玄関ドアの並ぶ廊下をこっそりと眺める。尤も、眺めたからって何かおかしなものが見つかるはずもなく、父親の部屋も他の部屋同様、なんの飾り気もない無機質なドアがあるだけだった。


「どうする? 呼び鈴を押して呼び出してみるか? メーターを確認したら、中に人がいるかどうかくらいなら確認できそうだが……」

「う、うん……どうしようか」

「俺に聞くなよ……って、言っても、緊張するなって方が無理だよな」


 下柳に言われた通り、上坂の心臓は爆音を立てていた。北海道に到着した時も、夕張の廃農場を見つけた時も、ついさっき、マンションの目の前に立ったときですらそんなこと無かったのに、今は痛いくらい心臓が早鐘を打っていた。


 初めから父親に会いに来たのだ。今更、こんな場所でビビっていても仕方ないだろう。なのに足が動かなかった。いきなり会いに行くのは、やはりハードルが高かっただろうか。いや、それより、最初は遠くから父親の様子を見て、彼が本当に会うに値する人がどうかを確かめるべきだろう。初めからそのつもりだったじゃないか。なんとなく流れでマンションの中まで入ってしまったけれど、今は一旦外に出て、父親が出てくるのを待ち構えた方がいいのではないか……


 と、その時だった。


 丁度、上坂達が凝視していたドアが、スーッと開いて、中から一人の白髪の男性が出てきた。これにはさしもの下柳も驚いたようで、唖然としている上坂と江玲奈を階段の踊り場へと押し込めると、彼らは息を潜めて男のことを観察した。


 男は中肉中背でメガネをかけていて痩せ型。どことなく上坂と雰囲気が似ている、上品な感じのする男だった。男は大きな手提げかばんを小脇に抱えて、鍵でも探しているのか、ゴソゴソとポケットの中を探っている。


 開けゴマじゃあるまいし、まさかいきなり本人が現れるとは思わず面食らう。


「おい、上坂。どうする? このまま後をつけようか?」


 ……と、下柳が目配せをして、一瞬だけドアから視線を外した時だった。彼が上坂の目を覗き込んでいると、ふいにその目が驚愕に震え、何かまずいものでも目撃したときのように、カッと見開かれていく。


 慌てて視線を戻した先には、先程の白髪男性に続いて、一人の女性がドアから顔を覗かせていた。


 年の頃は二十代から三十代。若く、かなり色っぽい女性で、まさに部屋着といった感じの、肩の開かれた薄手のカーディガンを羽織っている。そんな彼女の男を見る目は信頼に満ち溢れており、遠くてその声は聞き取れなかったが、彼がなにか言うたびに、その唇に微笑が浮かんでいた。


 そしてそんな彼女の腕には、小さな女の子が抱かれており、少女は男性のことを見上げながら、そのつぶらな瞳で満面に笑みを作ると、


「パパいってらっしゃい!」


 と嬉しそうに男に向かって言うのだった。


 男は少女にニッコリ笑ってその頭を撫でると、女性に何か一言二言話してから、ドアを離れてエレベーターホールの方へと背を向けた。


 上坂たちはその背中を、ただ唖然と見送ることしか出来なかった。後をつけるとか、話しかけるとか、そんな考えはもう頭のどこにも残っていなかった。


 ポーンとエレベーターの到着音がフロアに鳴り響く。そのドアが閉じた後、そこにはもうセミの抜け殻をすりつぶしたみたいな、虚々しいものしか残されちゃいなかった。


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