第8話
夕食はさっきの大広間で食べるらしい。私は先程と同様に紋章をかざした。青白い光と共に現れる分厚い扉に、すでに一度見たにもかかわらず慄いた。
そっと扉に手をかけて手前に引くと、重低音を響かせながら煌びやかな灯りに包まれた大広間が姿を現した。
「あっ、エラ!さっきぶりね!夕食できてるわよ。あそこに席があるわ。」
部屋に入って一番最初に気がついたのはジェシカだった。すっかり打ち解けた笑顔で出迎えてくれ、奥にあるダイニングテーブルを指した。
それはまるで中世ヨーロッパの貴族が出る映画で見るような細長いテーブルと豪華な椅子であった。そこにはすでにリアム以外の皆が席についてる。
この世界では階級はあるんだろうか…。しかし今この場ではそんなものはないらしく、カリーナが満面の笑みを浮かべながら私に手を振って隣の空席を示してくる。私は大人しくそちらに向かい席に着いた。
「待ってましたわよ。あとはリアムだけですわね、自分で呼びかけたくせに遅刻なんていい身分ですわ。」
不満そうに鼻を鳴らしたカリーナをマイクが苦笑しながら宥めていると、ようやくリアムが部屋に入って来た。
散々待たされた私以外の誰もが文句を言おうと立ち上がり────リアムの肩から流れる血や少し赤く腫れた頬を見て息を呑んだ。
私も座ったまま、動けないでいた。
どうやら彼は私達が全員揃っているか確認しているようで目が素早く動いている。
「ちょ、ちょっと!どうしたのよそれ!」
やっとのことで声を出したジェシカにリアムは返答せず、代わりに大声で「奥へ!」と叫んだ。紋章をかざして扉を隠す彼の、切羽詰まったその表情に何かを察した私達は彼の言う通りに部屋の一番奥へと走った。
それからリアムがこちらへ来るまで、誰も何も喋らなかった。
「突然驚かせて悪かった。ごめんね、エラは今日来たばかりなのに、怖い思いさせて。」
そう言って困ったように笑う彼は、傷のせいか動揺のせいか肩で息をしている。顔色も良いとは言えない。それでもこの様子を見る限りでは、一刻を争う何かはもう過ぎたのだと思える。
「何が起こったのか想像もできないけど、私は何ともないわ。それより、その傷…。」
大丈夫なの?と聞けば彼は優しく微笑み、傷を負っていない方の腕を伸ばした。私の頭を撫でて言う。「大丈夫だよ」と。
「僕らの体は戦闘には適しているようでね、致命傷を与えられない限りはすぐ自然治癒が働くんだ。」
だから大丈夫だ、と私を安心させるようにもう一度言った。どう反応すればいいのか分からず、ただ小さく頷く。確かに彼の腕についた切り傷などが少しずつ今も治癒されているのが分かる。
自然治癒、か…。まだ完全に人外の存在を信じられていない私には理解できない現象だ。混血の場合は、どうなるんだろう。
ただ気になるのは、致命傷を与えられない限り、と言う部分。つまり、完全防備、無敵、不死身という訳ではないということだ。危険なことに変わりはない。
リアムはルーラーである皆と何やら深刻そうな話をしている。皆も眉を寄せているところを見れば、それが良い話でないことは一目瞭然だ。
私も話を聞こうと彼らに近づく。どうやら私に今の話を伝えるか決めかねているようだ。きっと優しい彼らのことだ、まだ慣れない私に余計な心配や怖い思いをさせたくない、といったところだろう。
でも、そんな配慮は要らない。ここへ来ると決めたとき、私は何が起こっても逃げない、今度こそ私の人生を進むと覚悟したのだ。
決して生半可な気持ちで着いてきたわけではないのだから。
「あの、もし迷惑じゃなければ、私にも教えて欲しい、その話。たとえとても怖くて危険なことだとしても、私は遊びでここへ来たんじゃないの。母の意思を継ぐために、私の道を歩むために来た。訓練を受けてもいないし、この世界のことはまだ何も知らない。足手まといなのは分かってるけど、でも私もあなた達の仲間になりたい。」
正直怖いけど、と付け加えたところで我に返る。少し熱くなりすぎたかもしれない。そっと皆を盗み見ると、瞬きを繰り返す者、口を半開きにしている者…。例によって呆気に取られているのが分かる。
ああ、やってしまったかもしれない。
言ってしまったものは仕方がないと割り切るものの、急に恥ずかしさがこみ上げてくる。思わず私は俯いて、顔を真っ赤にさせる。
後悔先に立たずってやつだ。私ってこんなに熱いこと、というより恥ずかしいこと言うタイプだっただろうか。
俯いたままあわあわしていると、肩に手が乗せられた。それをきっかけに顔をゆっくり上げると、マイクが微笑みながら私を見つめていた。
「お前の気持ちは分かった。話してやってもいいが、怖くても知らないぞ?」
「え、あ…ありがとう。ホラー映画は好きよ、安心して。」
ホラー映画より何倍も恐ろしい恐怖が襲ってくるかもしれないことなど想定済みだ。私の軽い冗談にマイクはふっと吹き出して、笑いながら私を皆の輪の中に入れてくれた。
リアムも私を見て優しく微笑み、そして真剣な顔に戻る。もう、後戻りはできない。
「じゃあ、改めて聞いてくれ。放浪派が暴走し始めた。」
「ヴァグラント…?」
この言葉の意味は確か…。
「エラのために一応説明しておく。ヴァグラントは吸血鬼の一派で、放浪派の奴らのこと。ちなみに正統派のレジットもいる。見分け方は簡単、吸血鬼は瞳が赤いんだが、正統派の彼らは一緒にされるのを嫌がって右目をリアの色である青に力で変えている。オッドアイの奴を見たら正統派だと思っていい。」
リアムの言葉に、ロンバルトが説明を入れてくれた。あれ、でも、放浪派が紛れるためにオッドアイにしているということはないのだろうか。
顎に手を当ててそう考えていると、それを察したカリーナが私の肩に手を置いて小さく頷いた。
「放浪派は昔にも暴走したことがありましてね、そのとき対立した正統派に力を消されてしまったんですわ。だから彼らは術を使えませんし、見分けも付きますわ。」
「へえ…。力を消すこともできるのね。」
捕まった放浪派の長が力を奪われた。また一種の呪いのようなもので、その効力は放浪派全体に影響し、他の者の力も自然に消えたそうだ。
なるほどね、それなら騙される問題は消えたか。私が納得したところで、静かにリアムが口を開いた。
「…話を戻すけど、奴らの暴走は428年振りだ。間違いない。狙いは十中八九、力の回復だろう。」
「えっ?戻すこともできるの?」
「まあね、奴らの力を消した力は不思議でね、全く同じ力をもう一度かけると打ち消しあうんだよ。そして正統派に近づくのにまずこの世界を統治する僕らルーラーを攻撃してきた。この館の場所が割れてたのは誤算だったけど、そろそろ動き出すとは思っていたよ。」
思ったより早かったけどね、とリアムは付け加えて微笑んだ。そのとき、なんだか一瞬だけ彼の視線を浴びたような気がした。私の覚醒と何か関係があるのだろうか。
隣にいたジェシカに目で訴えかけると、それに気づいた彼女は肩をすくめて小声で教えてくれた。
「そうよ、多分放浪派はあなたの覚醒を感じた。あなたの醸すエマの匂いをね。あなたが成長してルーラーとしての力をつけるのを恐れ、まだ覚醒して間もないうちに始末してしまおうって魂胆ね。見え見えすぎてつまらないわ。」
「つまらないって、ジェシカさん…。」
吐き捨てるようにつまらないと口にしたジェシカの表情に、背中を冷たい何かが走り抜けるような心地がした。もしかして彼女は、戦闘狂の気があるんじゃなかろうか。
しかし、今回の狙いの一つが、私、か。
吸血鬼ものの映画を見たことはある。夜遅く歩いている人間を襲い、首筋に牙を当てるのだ。血を吸われた人間は死んでしまう場合もあるし、同じ吸血鬼になるという設定もあったのを覚えている。
中には人間と吸血鬼が恋に落ちるなどという映画もあった。あれは中々面白く、シリーズを全て借りて見た。悪役に回ることの多い吸血鬼だが、恋をしたっていい。人間と同じ生活をしたっていい。先入観に囚われてそれをイコール悪と捉えるだけが全てではない───。
が、今私の置かれている現状では、確かに吸血鬼の一部は悪と見なされている。ともかく私がこれからしなければならないことはもう決まっている。
「明日から私に戦いの仕方を教えてください。」