第1話
目が覚めたとき私は白いベッドに寝ていた。
目に入る光が眩しくて顔を歪める。目の前では妙に色白で瞳の青い男が私をじっと見つめていた。周りには幾つか同じようなベッドが置いてあるが、どうやら横たわっているのは私だけのようだ。
ここはどこ…?
上半身を起こしきょろきょろと見渡していると、目の前にいる彼は口角を少しだけ上げた。
「目が覚めたようだね」
ブロンドの、おそらく肩までつくであろう髪を後ろで一つに束ねている。安堵を浮かべるその微笑みは、照明の効果も合わせ、開けたばかりの目には眩しすぎるほど、綺麗だった。
しかし明らかに彼の外見は日本人とはかけ離れている。なぜ私たちと同じように、もしくはそれ以上に流暢な日本語を使っているのだろう。
「あなたは誰なの。それにここはいったい…。」
「ここは僕らが使う病院のようなところ。僕はリアム。よろしくね、エラ。」
そう言って私の前に手を出してくる。よく状況が飲み込めていないが、大人しく差し出された手を握った。
彼───リアムは私の名前を知っていた。何故だと問うが、軽い笑みではぐらかされてしまった。まあ、さしたる問題ではないだろう、と自己完結しておく。
金井エラ、それが私が与えられた名だ。
都内の公立高校に通い、今年で卒業する。母はアメリカ人で、綺麗なブロンドを持った人だった。そう、例えば目の前にいる彼と同じ透き通るようなホワイトブロンドを。
しかし6年前に事故で他界し、今は後妻とその子供が我が物顔で家に住んでいる。
しかもその子は男の子。つまり、跡取りとなれる者なのである。私の居場所がない理由の1つでもある。
「……色々聞きたいことがあるんだけど、私に何があった?どうしてここへ連れてこられたの?そしてあなたは何者?」
流れるように出てきた質問にリアムは何やら気まずそうに視線を逸らした。言うべきか、言わざるべきか悩んでいるのが窺える。
遠慮や配慮はいらないから、さっさと全て教えて欲しい。大方道端で倒れたか、義母に追い出されたか何かだろう。
生憎意識を失う前の記憶が曖昧なのだ。
そう思って彼を見つめたのだが、リアムは私の予想とはかけ離れた答えをその口から紡いだのだ。
「君は線路に飛び出したんだ。少しして僕が通りかかって、ここへ。」
「とっ…私が!?そんな、ありえない。死ぬつもりだってなかった…。」
予想だにしなかったその言葉に、思わず声を荒げる。本当に私はそんな真似をしたのだろうか。
たしかにちょっと、悲観的にもなったし、この先どうするか考えた。でも、だからって死ぬなんて。
しかしリアムにふざけた様子は全くなく、私はその話を受け入れるほかなかった。
何か特別なことはなかったか、と彼は聞く。
数時間前に起こった私の空白の時間。私は必死であのときのことを思い出そうとする。
「たしか……父の葬儀が終わって、帰ろうとしたわ。途中踏切に引っかかって……そう、電車の走る音が近づいてきたとき、なぜか気が抜けて…。」
誰もいないと分かって気が緩んだのを覚えてる。その瞬間立ち眩みが起こったように意識を失いかけたことを思い出した。
そして、線路の上に飛び出した瞬間の記憶がないことも。
すると私の言葉を聞いたリアムは目を見張り、私の腕を勢いよく掴んだ。そして私が驚く間もないくらい素早く着ていた制服のシャツの袖をまくった。
いったいなんだと私もリアムの視線の先───自分の左腕に目をやる。
「何よこれ!」
私は思わず声を上げた。
私の左腕には何だか分からないが模様のように、印のように青く大文字でRの文字が刻まれていたのだ。
私には決してタトゥーを入れた覚えはない。何かを左腕にメモした記憶もない。今朝シャツを着たときにも、こんな痣はなかったはずだ。
どうして……いつの間にこんなものが。
「これは"リア=ルーラーの紋章"だよ。つまり君が……ルーラーであることを意味してる。」
「リアルーラー……裏の、統治者…?聞いたことないわ。」
「フェイス……この世界の人はその存在を知らないからね。ただ…うん、驚いたな。君がルーラーだったなんて…。信じがたいと思うけど、君はその…純粋な人間じゃない。」
一瞬時が止まったように思えた。
身体中の神経が切断され、脳に情報が送り込まれない。数秒間のことだが、私は彼の言葉を理解できなかった。
私が……人間じゃない?
「…意味、分かんない。だって私は…人間だもの。」
やっとの事で紡いだ言葉は情けなくも震えて弱々しかった。
父は金井元康、金井コーポレーションの社長だ。母は父が若い頃出張先のアメリカで出会った、ただの語学学校の講師である。何も特別なところなんてないはずだと私は言った。
強いて言えば父が社長だったために他の家の生活とは少しばかり変わっていたかもしれないが、きっとこのことは今の話には関係ない。
母だって裕福とは言えないが貧しくも無い、ごくごく普通の家庭で生まれたと語っていた。
色々な考えを巡らせている私に、彼はまた爆弾を落としたのだ。
「そうか、君のお母さんの名前は……エマ=アンダーソン、だね。」
彼が口にしたその名はまさしく母のものだった。
なぜ知っているのか、母の知り合いなのか聞くと彼は一言、エマは優秀なルーラーだったと。
信じられなかった。今まで私の中の母はただの母でしかなかったのに、この瞬間に全てが崩されてしまったのだ。
突然の真実に固まってしまう私をよそに、続けてリアムは話した。
「元々君にはお母さんとお父さん……人間の血とリアの血の両方が流れている。つまり、混血ということになる。そして、人間である君のお父さんが亡くなられた。そのせいで君に流れる人間の血の力は弱まり、ルーラーだったエマの血が君を包んだ。でもそれだけじゃルーラーに覚醒することはないんだ。君だけではないが、覚醒には自身の"死の体験"が必要になる。君の中のルーラーの血は使命を果たすことを望んだ。だからエラ、君は血に導かれるまま無意識に線路に飛び込んだんだよ。」
納得するしかなかった。私の中に、リアの血が流れている…。しかしそれでも、怪物ではなく人間の血も流れていることに、私は少しだけほっとしていた。
リアムは優しく私の肩に手を置いた。
さっきは気づかなかったが彼の手はひんやりとしていて、服の上からでもその冷たさが感じられた。
そういえば、母も手が冷たくて幼い頃「どうしてお母さんの手は冷たいの?」と聞いた私に、母は苦笑しながら「冷え性なのよ」と言っていた。
これも彼らの特徴なのだな、と理解する。
「もし君が嫌なら、リアの血を鎮めることもできるよ。僕にはその力がある。そうすれば君は今まで通りの生活を送れる。決めるのは君自身だよ。」
私の決心はなかなか固まらなかった。
今まで通り普通に生きていけばいい、そう自分を説得するが、一方で何かが変わることを期待している自分がいることに私は驚いた。
家に戻ってもそこにいるのは継母の香織さんだけだ。憎んでいるわけではないが彼女とはどうも折が合わない。しかも彼女には最近4歳になったばかりの息子がいる。
父が死んだ今、私が愛される理由はどこにもないのだ。
きっと高校の友達は、私がいなくなったあとしばらくの間は騒ぐことだろう。しかし何日も過ぎれば、私の存在は彼らの中から消える。
そうして、私は決めた。
震える声で彼に伝える。
「私をリアに連れて行って欲しい。」