(9)
すでに仕事から帰っていた母は、突然花子と共に家に現れたハジメの姿を唖然と見つめた。
母は2人とテーブルで向かい合い、俯きながらじっと黙っている。
花子が口を開く前に、隣のハジメが静かに事情を説明し始めた。
すべて隠すことなく義父の思いを伝えると、それまでずっと黙っていた母は静かに立ち上がり、そのまま寝室へ行ってしまった。
もう出てくる様子がない母にとりあえず時間をかけ説得しようと諦め、その日ハジメは帰っていった。
翌日の夜もスズメ食堂に来てくれたハジメと一緒に家に帰ると、すでに母も帰っていたらしい。
ポカンと呆気に取られる花子とハジメの視線の先には、なんと母の隣に座る義父の姿があった。
嬉しそうにニコニコ笑う義父の隣で母は恥ずかしそうに俯きながらも、やはり嬉しそうだ。
どうやら2人は互いに同じ気持ちだったらしい。
7年間離れ離れだった両親は互いの気持ちを知った以上、もう1日も離れたくないようだ。
長期戦の説得を覚悟していた花子もハジメも母の即行過ぎる行動に呆気にとられ、即行喜びを分かち合った。
即行すぎる両親は即行再び籍を入れ、即行一緒に暮らし始めた。
ハジメが気を遣い、今まで義父と暮らしていたアパートを出て1人暮らしを始める事となった。
両親は狭いアパートから再スタートだ。
とことん世話の焼ける両親だが、最後は即行幸せになってくれて花子もハジメも万々歳だ。
花子は母がいなくなってからも、母と2人暮らしたアパートで変わりなく生活している。
初めて母のいない1人暮らしはやはり寂しいものだが、近くのアパートに越してきてくれたハジメがしょっちゅう遊びに来てくれるので、それも嬉しいものだ。
ラブラブ両親を時に羨ましがり時に愚痴りながら、寂しい独り身同士の姉弟は互いに寂しさを埋めあった。
確かに寂しかったはずのハジメなのに、どうやら今日は様子がおかしい。
「ハジメちゃん…………その方は一体」
今夜も花子のアパートを訪れたハジメだが、なぜか背後に女性の姿がある。
このシチュエーションはまさか……と一瞬疑った花子だったが、いやまさかこのハジメに限ってそんなことは絶対ありえない。
確かに昨日まで寂しい独り身同士の姉弟は1つの鍋を囲んだはずではないか。
ということは、まさか背後の女性は………………背後霊?
彼女いない歴もちろん23年、とうとうハジメはモテない辛さのあまり幽霊を連れてきてしまったらしい。
花子が玄関ドアの前でオロオロと脅えていると、背後霊の女性は一歩前に出てハジメの隣に並んだ。
ホッ……どうやら背後霊ではなかったらしい。
ハッ……ということは、やはりこのシチュエーションはまさかの…………
「花子姉ちゃん、突然だけど今日は紹介したい人も連れてきたよ」
ハジメは照れ笑いを浮かべながら、どうやら今日突然義姉の花子を裏切ったらしい。
花子がショックで呆然とすると、ハジメの隣にいる女性は突然ガバリとお辞儀した。
「お姉さん、初めまして。今日突然ハジメちゃんとお付き合いさせていただくことになりました、天野 栞です」
やはり今日突然付き合い始めたという女性の礼儀正しい自己紹介に、花子はピクリと反応した。
この際、ハジメの裏切り行為は後に置いといて…………しおり?
なんとも懐かしいその響きに、思わずマジマジと女性の顔を見つめてしまった。
すぐさま少しばかり気持ちが沈んでしまった花子だったが、気を取り直しようやく笑顔を浮かべた。
「ハジメの義姉の花子です。さあ、どうぞ上がってください」
女性に罪はない、素直にハジメの幸せを祝ってあげようじゃないか。
花子は明るい気持ちに切り替えて、2人を家の中へ招き入れた。
突然家にやってきたハジメの彼女を含め夕食を食べることにし、今日も鍋を囲んだ。
「ええと…………栞さん、ハジメちゃんとは一体どこで?」
花子は向かい合って座る彼女に遠慮がちに聞いてみる。
彼女は一体どこでどうやってどのようにしてハジメと出会い、そして今日突然ハジメと付き合う心境に至ったのか、とにかく不思議なものである。
おそらくきっと優しいハジメの内面だけをまっすぐ見つめてくれる、とても奇特な女性に違いない。
ひどく失礼な花子は真剣に質問するが、彼女に代わってハジメが嬉しそうに口を開いた。
「栞さんは会社の1年先輩なんだよ。俺が入社してからずっと親切に面倒見てくれたんだ。年は同じなんだけどね」
「へぇ……同じ会社の」
なるほど、職場恋愛というわけか。
ハジメの会社は大きいから、異性と知り合う機会もそれなりに多いに違いない。
どうりであっさり今日突然彼女ができたわけだ。
けれど一体どうして彼女は今日突然このハジメと…………
「実はずっとアピールしてたんだけど、なかなか良い返事がもらえなくてさ…………今日2人で話してた時たまたま花子姉ちゃんの話をしたら、突然栞さんがお付き合いを承諾してくれたんだよ。さっそく今日花子姉ちゃんにもご挨拶に伺いたいって、わざわざ来てくれたんだ」
ハジメは照れながらも彼女との付き合いに至った経緯をグットタイミングに教えてくれた。
それにしても付き合い始めたその日に義姉に挨拶に来るなんて、今時の若い子にはあり得ないくらい律儀な彼女じゃないか。
今も恥ずかしそうに頬を染め、向かい合う花子をうっとりと見つめてくれている。
「ええと…………栞さん、ご出身は?」
「栞さんはずっとここだよ。確か家はA町だったよね?」
花子が彼女に再び質問すると、すかさず隣のハジメが嬉しそうに答える。
大人しい彼女はただ恥ずかしそうに頷くだけだ。
A町……A町といえば、昔花子が暮らしていた社員寮もA町だった。
ということは、途中まで花子が通っていた小学校も彼女と同じという事だ。
…………………………。
いやまさか、まさかね。
花子は一瞬かすめた疑念をすぐさま打ち払い、再び彼女を見つめた。
それにしても何て奥ゆかしい彼女だろう、花子が視線を向けると頬を染めて俯いてしまった。
「……A町か。A町って言えば、確か神先輩もA町出身って言ってたなぁ」
A町で思い出したらしいハジメが懐かしそうに呟いた瞬間、花子はギクリと身体を固めた。
「じん先輩?」
ハジメの言葉に反応した隣の彼女が不思議そうに問いかけた。
「高校時代の部活の先輩なんだ。俺が学校辞めてから音信不通になっちゃったんだけど…………今頃どうしてるかなぁ、神先輩」
「じん…………ふーん、うちのお兄ちゃんもじんだよ。神って書いて、じん」
「「え」」
姉弟揃って同時に問い返すと、花子はマジマジと食い入るように彼女を見つめた。
食い入るように見つめられた彼女は再び頬を染めるが、今度は俯くことなく花子を見つめ返した。
しばし互いに見つめ合った2人だが、花子は再び疑念を打ち払った。
まさか、そんなわけないではないか。
思わぬ偶然が重なりついつい彼女を凝視してしまったが、完全に花子の思い違いだったらしい。
絶対そうに決まってる。
「花子お姉ちゃん」
突然彼女が呼んだ懐かしい響きにハッと反応した花子は、瞳を震わせながら彼女を再び見つめた。
「花子お姉ちゃん。私、栞だよ」
「……しおり、ちゃん」
呆然とする花子がその名を呟くと、彼女は嬉しそうに笑って頷いた。
「花子お姉ちゃん」
「……だって、そんな、まさか」
彼女から再び呼びかけられた花子は、信じられないとばかりに首を振って否定した。
そんなわけがない、絶対にあの栞のわけがないじゃないか。
まさか、だって栞は…………
彼女は決して認めない花子をとうとう諦めたのか、手にバックを持ち静かに立ち上がった。
花子も帰ってしまうつもりだろう彼女の後ろ姿をただ見つめるが、なぜか彼女は玄関ではなく洗面所に入り、パタンとドアを閉めた。
共に緊張した姉弟がひたすら沈黙し待ち続けること2分、彼女は再び洗面所のドアを開け、静かに姿を現した。
「花子お姉ちゃん」
「……し、栞ちゃん!」
花子の目に間違いはない!
小学1年生から結局ちっとも変化をとげなかったらしい細目ソバカス地味顔は、正真正銘まさしく花子の心の妹・栞だった。
「花子お姉ちゃん!」
「栞ちゃん!」
互いの手を取り合いキャアキャア飛び上がりクルクルと回りに回って、しまいには近くにいたハジメに激しくぶつかり派手に畳に転がした花子と栞は、突然の再会にひどく激しく喜びを分かち合った。
こんなにも激しく花子との再会を喜んでくれた栞なのに、なぜか突然般若の如く怒り始めた。
「花子お姉ちゃん! どうして急にいなくなっちゃったの! ずっと探してたんだからね!」
とっても良い子だった栞は今も変わらずとっても良い子だ。決して嘘を吐くような悪い子じゃない。
ということは、マジで今までずっと探していたらしい。
「ごめん、栞ちゃん……」
挨拶もできず突然栞と別れすでに16年経過したにもかかわらず、栞は花子を探し続けてくれていた。
しかも16年ぶりに再会した花子の顔を、今もちゃんと覚えていてくれたらしい。
かなりしつこ…………辛抱強い栞の熱い思いに、花子は感動と申し訳なさで思わず目を伏せた。
「…………ていうか、誰?」
花子と栞の感動の再会ですっかり存在を忘れられたハジメは、今だ畳に転がったまま唖然と栞を見つめた。
義弟ハジメよ…………気持ちは痛いほどわかるぞ。
洗面所から再び姿を現した恋人がまるで別人に様変わりしたのだから、信じろという方があまりに酷だ。
どうやら栞はすっぴんの細目ソバカス地味顔を、実に巧妙なメーク技術で絶妙にカバーしていたらしい。
細目はアイプチとつけまつげでパッチリクリクリ二重目に、ソバカスはコンシーラーを駆使し見事に化けた栞は、とっても可愛い清楚系お嬢様に大変身だv(o^0^o)v