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「花ちゃん、ハンバーグ1丁」

「はーい」

 店主からの注文の声に明るく返事した花子は、今日も厨房に立ち元気良く働き始めた。

 

 花子特製ハンバーグ定食は、今やスズメ食堂の目玉である。

 高校時代、試行錯誤で改良を重ねたハンバーグはここを訪れる客にも大変好評で、これを目当てにやってくる常連客が着々と増えつつある。

 今や花子は高齢の店主に代わり厨房を一手に引き受ける、スズメ食堂にとってなくてはならない存在だ。


「いやいや、今日も忙しくなりそうだねぇ」

 開店早々さっそく現れた客に、店主の村田は困りながらも嬉しそうだ。


「村田さん、今日も頑張りましょう!」

 ちょうど出来あがったハンバーグ定食を村田に受け渡し、笑顔で気合いの声を掛けた。



 高校卒業後すぐにスズメ食堂で働き始めた花子はすでに勤続7年、25歳になった。

 7年前スズメ食堂は店主の村田と奥さん2人で細々営業していたが、奥さんが膝を悪くし働けなくなり、ちょうど職探しをしていた花子が雇われた。

 当時は周辺に立ち並ぶファミレスやラーメン屋に圧され、客の入りも芳しくなかったのが現状だった。

 最初は接客担当だった花子が賄いで作った得意のハンバーグを村田にとても気に入られ、試しに客に提供してみたところ、これが予想外にも大ヒット。

 秘密の隠し味を絶妙にブレンドした花子の作るハンバーグはなぜかクセになると近所で評判となり、今では週に一度は食べないと落ち着かないと言わしめるまで常連客に愛されるようになった。

 こじんまりとした店内は客席も少なく、昼の営業時は毎日満席状態を維持している。

 ライバル店が周りを入れ替わりひしめく中、一定の常連客を維持しているスズメ食堂は経営も安定している。

 店主の村田も大喜びだ。

 


 今日もひっきりなしに訪れる客に忙しかった閉店間際の8時前、すでに客が去った店内に最後の駆け込み客が現れた。


「すみません! まだいいですか?」

「いらっしゃい、どうぞ座って」

 店主の村田は慌てた様子の客を快く席へ促した。


「花ちゃん、ハンバーグ1丁」

「はーい」

 ここに来る客のほとんどがハンバーグ目当てなので、厨房を1人任される花子も大いに助かる。

 店の中休みに成型した種を焼くだけなので手間も時間もかからず、客に早く提供できるのが最良だ。

 花子は今日最後の客のハンバーグ定食を出し終わり、ようやく後片付けに入った。

 

「す、すみません! これを作った人は一体……」

「え? 花ちゃんだけど」

 客席から届いた客と店主の会話に自分の名前が出された花子は何気に気になり、厨房からひょこっと客席をのぞき込んだ。


「やっぱり! 花子姉ちゃん!」

 自分の姿をめざとく見つけた客に突然名前を叫ばれた花子は、驚きながらもマジマジと客の姿を見つめた。


「……は! ハジメちゃん!」

 花子の目に間違いはない!

 結局ちっとも成長は叶わなかったらしい背丈の小さいスーツ姿の男性は、正しくかつての義弟ハジメだった!


「花子姉ちゃん!」

「ハジメちゃん!」

 互いの手を固く取り合いキャアキャアと飛び上がりクルクルと回りに回って、終いには客席にぶつかり迷惑にも店内を荒しまくったかつての姉弟は、突然の再会にひどく激しく喜びを分かち合った。

 こんなにも激しくかつての義姉花子との再会を喜んでくれたハジメなのに、なぜか突然般若の如く怒り始めた。


「花子姉ちゃん! 一体今までどこ行ってたんだよ! ずっと探してたんだからね!」

 良い子のハジメは本当にとっても良い子だ、決して嘘を吐くような悪い子じゃない。

 ということは、マジで今までずっと探してたらしい。


「ごめん、ハジメちゃん……」

 母と義父が別れ既に7年経過したにもかかわらず、ハジメはいまだ花子を慕い、探してくれていた。

 しかも花子がよく作ったハンバーグの味まで、今もちゃんと覚えていてくれたらしい。 

 かなりしつこ…………忍耐強いハジメの熱い思いに、花子は感動と申し訳なさで思わず目を伏せた。

 

「ところでハジメちゃん、一体なぜここに?」

 すぐに気を取り直した花子は喜びを浮かべ、改めてハジメと向かい合った。

 ニコニコ見つめる花子の問いかけにさっきまでひどく怒っていたハジメは、なぜか急激にどんよりと表情を落ち込ませた。

 

「花ちゃん、とりあえず座って話したら」

 迷惑な姉弟が暴れまくったお蔭で客席を1人黙々と片付けていた不憫な店主の村田が、優しく席に促してくれた。

 花子はおそらく辛い事情があるに違いないハジメを座らせ、向かいに腰を下ろした。


「花子姉ちゃん、実は…………」

 ハジメが暗く俯きながらここにやってくるまでの経緯をゆっくり話し始めると、花子はただ唖然とし始めた。


 母と花子が家を出てからすぐ、ハジメの人生は不幸のどん底に一転してしまったらしい。

 原因はなんと、あの優しかった義父だ。

 突然母が姿を消した事実に、義父はひどく落ち込んでしまった。

 家に塞ぎ込み、次第に酒に溺れ、とうとう会社までクビになってしまったという。

 自暴自棄になった義父はしまいにはギャンブルに走り、一時父子は借金取りに追われ逃避行に各地を転々としたらしい。

 ようやく義父が立ち直ったのは2年後、この場所に移り住んでからだ。

 再び仕事を始め、3年かけて何とか借金も返済し終えた。

 義父のおかげで高校を辞めざるを得なかったハジメだが、アルバイトで生活費を稼ぎながら1人地道に勉強を続けていたらしい。

 元々頭の良いハジメは高卒認定資格を取得し、1年遅れたが無事大学に合格。今春卒業し、今は偶然スズメ食堂近くの会社で働き始めたのだそうだ。


 あまりに信じがたい過酷な人生を送らざるを得なかったハジメに対し、顔色を失くした花子は何も言葉が出なかった。

 義父のせいで苦労を重ねた元々の原因は母だ。

 そして、あの時母を止めず共に家を出た花子のせいでもある。

 義父とハジメの人生を不幸に変えてしまった花子は、ハジメとの再会を無邪気に喜んださっきまでの自分があまりに残酷で情けなくて、謝罪の言葉さえ簡単に口にできなかった。


「花子姉ちゃんごめん…………落ち込ませちゃったね」

 言葉なく俯く花子に申し訳なく謝ったハジメは、すぐさま明るく笑った。


「俺は全然大丈夫だからそんな気にしないでよ。逆に打たれ強くなって、これから先どんなことがあっても乗り越えられる自信にもなったんだ。逆に感謝してるくらいだよ」

「ハジメちゃん…………」

「今日ずっと会いたかった花子姉ちゃんにまたこうして会えたんだ。俺は今最高に幸せだよ。だから花子姉ちゃんも喜んで」

「うん……嬉しいよ。すごく嬉しい、ありがとうハジメちゃん」

 再会を喜んでくれたハジメにとうとう溢れる涙をそのままに、ただ感謝を伝えた。



「花子姉ちゃん、どうして父さんと俺がここにやって来たと思う?」

 ハジメの真面目な問いかけに、そういえば偶然が重なったにしてはちょっと疑問に感じるものもあった。

 義父は母の地元がここだと最初からわかっていたはずだ。

 敢えて避けもせずこの場所を選ぶのはやはり不自然だ。


「義母さんがここにいること、父さんは最初からわかってたんだと思う。だからこの場所を選んだんだよ」

「……え」

「父さんは、今も義母さんが帰ってくるのをずっと待ってるんだよ」

 当然思いもよらなかった言葉だった。

 すでに最近の話じゃない、義父の家を出て7年が経過した。

 それなのに、義父は今でも母を待っていた。

 母を待つためにここまでやって来た。


 再び言葉を失くしてしまうと、ハジメは優しく笑みを浮かべ頷いた。 


「俺たち離れ離れになったけど、心はずっと家族のまんまなんだよ。父さんも俺も、だから今まで頑張ってこれたんだ。いつかまた皆で一緒にいるために」

「………………」

「……だめかな? 花子姉ちゃん」

 不安を浮かべたハジメは窺うように尋ねてきた。


 しばらく黙って俯いていた花子は、静かに席から立ち上がった。

「花子姉ちゃん……」

「……行ってくる、ハジメ」

「え?」

「お母さんだよ」

 すでに決意を固めた花子の表情を見上げたハジメは、すぐさま勢い良く立ち上がった。


「もちろん俺も一緒に行くよ」

 互いの目を見つめた姉弟は、共に固く頷き合った。



 

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