(3)
「花子お姉ちゃんもビックリした? うちのお兄ちゃん、超カッコいいでしょ?」
通学路を帰る栞は楽しそうに足を弾ませ、隣の花子に問いかけた。
「そ、そうだね…………ハハ」
無理やり作り笑いを浮かべぎこちなく返答した花子は、決して隣の栞ではなく正面だけをまっすぐ見つめた。
顔色はひどく優れなく、すでに生きた心地がしない。
おそらく自慢の兄なのだろう。栞は突然目の前に現れた兄に衝撃を受け硬直した花子の態度を、別の意味で勘違いしたらしい。
「花子お姉ちゃん、うちのお兄ちゃん知らなかったの? 同じ3年生なんだよ」
まるで何で今まで知らなかったの?と不思議がるように、栞は小さく首を傾げた。
「そ、そうなんだ…………ハハ」
花子は再び引きつり笑いで返答するも隣の栞を決して視界には入れず、やはり真正面だけをまっすぐ見つめた。
「栞、あんまり興奮するな。また熱を出す」
花子は並び歩く栞の向こう隣から届いた栞兄の声に、一瞬ビクリと硬直した。
「花子お姉ちゃん、どうしたの!?」
「な、なんでもないよ。大丈夫」
突然30cmほど跳ね上がってしまった花子は栞にとても心配され、慌てて笑顔を浮かべる。
あ、やっちゃったと気付いた時にはすでに遅かった。
栞を安心させようと思わず視線まで向けてしまったせいで、栞だけでなく栞兄の姿も視界に入れてしまった。
(だ、大丈夫、花子は大丈夫。たとえ目の中にちょこっと入っても、目を合わさなければ絶対大丈夫)
花子はブルブル震え始めた身体を誤魔化そうといつものおまじないを心の中でブツブツ繰り返し、自分に必死に言い聞かせた。
突然長期ブランクをあけ至近距離に出没したイケメンに、花子は今ひたすら脅えていた。
栞に「あ、間違えちゃった」と否定してほしかった。
この超絶ド級イケメン美少年、正真正銘間違いなく栞の兄だった。
ここ数年、イケメン回避及び対処法を完全マスターし安泰だったせいか、気が緩み過ぎていたらしい。
完全に油断していた。
ひたすら周囲のイケメン避けだけに注意を向けていたせいで、基本中の基本である学校内総イケメン予備知識の収得をすっかり怠ってしまった。
まさか同じ学校に、しかも同学年にこんなに怖ろしいモンスター級が潜んでいたなんて、花子は今日のさっきまでまったく気付かなかった。
マンモス校である花子の小学校は同学年でも10クラスあり、しかも栞兄とはクラスも端と端。
階も違うせいか、今まで一度も周囲で遭遇したことがなかった。
完全に見逃していた。いや、どうせならこのまま気付かず卒業してしまいたかった。
しかもよりによって生まれて初めて仲良くなれた栞の兄だというのだから、人生とは全くもって難儀なものである。
花子が家に遊びに来るとすっかり浮かれはしゃぐ栞の様子に、今更「(兄が怖いから)一緒に遊べないんだ、ごめんね」なんて結局言えるはずもなかった。
栞を迎えに来た兄に脅えながらも、仕方なく諦め付いて行くしかなかった。
こうなったら栞の家まで死ぬ気で我慢するしかない。
不幸中の幸いにも栞の家は学校から徒歩10分程の距離らしい。
たった10分だけ我慢すれば栞兄から離れられるのだから、しばし辛抱するしかない。
さすが耐え忍ぶ女・良子の娘だけのことはある、花子だって十分忍耐強い子供だ。
「花子お姉ちゃん、ここだよ!」
恐怖のモンスターと並び死ぬ思いで共に歩き続けた10分間、とうとう花子は最後まで辛抱できたらしい。
栞が指差し教えてくれた家を見上げ、安堵のあまり思わず涙が込み上げた。
さすがモンスター超絶お兄様のご自宅は他と訳が違う。
思えばこの兄妹、揃ってそこはかと漂う品の良さを隠しきれないが、やはり目の前の馬鹿でかい豪邸も物語ってるではないか。
色鮮やかな花々が咲き誇る広大な庭園といい、白を基調とした素晴らしく立派な自宅といい、この兄妹は正真正銘間違いなくお金持ちのお子様方だったらしい。
普段は確実に怖気づくだろう兄妹の自宅も、今の花子にとってまるで天国のようだ。
モンスターと今すぐ離れられるなら、正直どこだって構いやしない。
花子は栞に手を引かれるまま、兄妹の自宅に足を踏み入れた。
「まあまあいらっしゃい花子ちゃん! 昨日は本当にありがとう!」
栞が玄関ドアを開けた直後、花子はなぜかすでに待ち構えていた栞母から大歓迎で迎えられた。
「こ、こんにちは…………おじゃまします」
ギュウギュウと手を握り締められ存分に喜びを伝えてくる栞母に圧倒されながら、何とか挨拶を返す。
「今日はいっぱい遊んでいってね! 栞、花子ちゃんをお部屋にご案内して差し上げて」
「はーい」
ご丁寧な栞母の言葉を聞き、どうやらこのまま栞の部屋に連れて行かれるらしいと判断した花子は再びほっと安堵した。
これから栞と2人きりのお部屋で楽しく遊べるのだ。
花子は再び栞に手を引かれ、ドキドキと家の中へ進んでいった。
「さあさあ! みんなでおやつを食べましょう!」
「やったぁ! 今日はお母さんのケーキだぁ!」
ものの見事に期待は外れ、栞に案内されたのは40畳もある広大なリビングだった。
栞と並び恐るおそるソファに腰を下ろした花子は、栞母からさっそくお茶と手作りケーキを用意された。
しかもケーキは大きな苺がたっぷり載ったホールケーキで、これから切り分け皆で食べるらしい。
「花子お姉ちゃん、おいしい?」
「う、うん。すごくおいしいよ」
花子は隣の栞に尋ねられ、カタカタとフォークを振動させながら笑顔で肯定した。
「うふふ、ありがとう花子ちゃん。まだまだあるからいっぱい食べてちょうだいね」
栞母から嬉しそうに礼を言われたが、正直せっかくの美味しそうな栞母手作りケーキもまるで味がわからない。
はっきり言ってケーキどころではなかった。
モンスターが、今モンスターが、とんでもなく至近距離にいる。
花子の斜め向かいのソファに座り、モンスター超絶兄が一緒にケーキを食べている。
花子とモンスターの間はおよそ1m弱、障害物は何もない。
何とかもっと距離を離そうにも、同じソファに並ぶ栞がぴったりとくっついているせいで全く身動きが取れない。
ツ…………と背中に一筋の冷や汗が流れ落ちた。
貼り付け笑顔の花子は今、これまでになかった未経験の恐怖で内心パニック状態に陥っていた。
それでも決して、間違っても決して表に見せてはならない。
これまでの経験上、身に染みてよくわかっている。
ここでビクビクオドオドと動揺を露わにすれば、再びイジメの標的として確実に目をつけられる。
しかも相手は並のイケメンではない、モンスターだ。
モンスター級イケメンともなれば普段周りから容赦なく注がれる注目と関心で、おそらく相当なストレスを抱え込んでいるに違いない。
ここで態度を誤りウップン溜まったモンスターの餌食になってしまえば、花子はこの先一体どうなってしまうのか想像するのも怖ろしい…………。
「えへへ、嬉しいな」
隣から響いた栞の可愛い声にハッとした花子は、ようやくモンスター兄から無理やり意識をそらした。
「な、なにが?」
「だって花子お姉ちゃんと一緒にいられるんだもん。栞ね、ずっとお友達が欲しかったんだ」
「栞ちゃん……」
やはり花子と栞は似た者同士だったらしい。
おそらく生まれながら病弱な栞は、今までなかなか友達を作る機会がなかったのかもしれない。
花子と友達になれて嬉しいと喜んでくれた。
「私も、私も嬉しい。栞ちゃんに会えてすごく嬉しいよ」
「お姉ちゃん本当? じゃあこれからずっとお友達?」
「うん! もちろ」
ん?
…………ちょっと待て、花子。
ついつい感動のあまり栞と友情を確かめ合ってしまったが、もう少し落ち着いて考えるべきじゃないのか?
本当にいいのか?
栞にはこんなに怖ろしい魔物が強制的にセットでついてくるんだぞ?
今でさかこんななのに、お前はこの先本当に耐えられるのか?
現実に戻り若干俯いてしまった花子だったが、その直後、全身にざわりと寒気のような震えが走った。
み、見ている。
モンスターが、今モンスターが、確実にこっちを見つめている。
花子をじっと観察している。
斜め向かいからの視線を敏感に横顔で感知した花子は決して動揺がバレぬよう、さり気なく栞側に身体を傾けた。
「花子お姉ちゃん、何して遊ぶ?」
栞は自分に振り向いた花子に同じく身体をすり寄せ、嬉しそうに尋ねた。
「栞、行儀が悪い。もう少し離れろ」
突然、それまで沈黙していた栞兄の厳しい声が飛んできて、花子は恐怖のあまりごめんなさいごめんなさいと心の中で何度も謝った。
別に花子が怒られたわけでもないのに。
「あ、ごめんなさい。へへ」
花子にべったりくっついていたことに気が付いた栞は慌てて離れ、恥ずかしそうに謝った。
兄の言う事を素直に守る栞は、何て良い子なんだろう。
出会ったばかりの花子はよくわからないが、この兄妹は普段からこんな感じなのだろうか。
兄は病弱な妹を守り時に厳しく、妹はそんな兄に従順だ。
それにしてもまるで似ていない兄妹だ。
性格もそうだが外見もまったくもって正反対、こんなに似ていない兄妹もめずらしい。
花子が親近感を抱いたように、栞の外見は地味そのものだ。
視力が悪いのか細い目に掛けられた眼鏡も頬に目立つ沢山のソバカスも、全体的にあか抜けなく野暮ったい。
栞母そっくりの栞は身体も小さく貧弱で、まるで小動物のようだ。
2才違いで身長差があるとはいえ同じく母似の花子は若干標準体重オーバー気味なので、栞と並ぶと例えるなら子豚とリスくらい違いがあるかもしれない。
そんな栞と兄はまるで似ていない。
何度も繰り返してるが、栞兄は超絶イケメン美少年だ。
手足の長いスラリとした体格といい、兄妹は共通点が一切ない。
それでも、この兄妹はとても仲が良いのだろう。
今の状況が良い証拠だ、2人は片時も離れてくれない。
「お兄ちゃん、せまいよ。もっとそっち行って」
「お前がもっとそっちに詰めろ」
「………………」
栞母がニコニコ微笑ましく見守る中、1つのソファに仲良く座りテレビゲームで遊び始めた兄妹の間に、なぜか花子は挟まれていた。
とりあえずリモコンを握り締めたはいいものの、とうに放心状態の花子はボタン1つまともに押せやしない。
マリオカートで1人置いてきぼりを食らったキノピオ花子は、トップ争いで大変興奮してるらしい兄妹に両脇からぎゅうぎゅうと締め付けられている。
突然モンスターに押し潰されたショックのあまり暫し現実逃避で放心していた花子だったが、そろそろ我に返る時が来たようだ。
…………は! 逃げなきゃ!
「私、そろそろ帰ります!」
きりよくも兄妹のトップ争いに勝負がついたところで、速攻立ち上がり逃亡を宣言した。
「えー! もう帰っちゃうの?」
「あらあら、そういえばもうこんな時間ね」
いつの間にか時は過ぎてくれたらしい、時計は4時半を過ぎちょうど帰宅の時間だ。
「あの、ケーキありがとうございました」
栞母に向かってケーキのお礼をすると、味がよくわからなくてごめんなさいと心の中で謝った。
「花子ちゃん、お願い。また遊びに来てちょうだい」
栞母から懇願され、再びぎゅっと手を握り締められた。
「は、はあ……」
栞母の気迫に押され、曖昧に返答する。
本音を言えばもう二度と来たくない。
花子はすでに、もうここに来るつもりはなかった。
「花子お姉ちゃん、絶対だよ。絶対また一緒に遊ぼうね」
「……うん」
栞にも必死にお願いされ、弱々しく頷き返す。
この家に来れない花子は、もう栞とは今日のように遊べないかもしれない。
それでも学校でだってきっと会えるはずだ。
そうだ、何も家じゃなくてもいい。
休み時間、栞のクラスに遊びに行けばいいんだ。
お昼休みだったら2人でいっぱい遊べるじゃないか。
花子は突然生まれた明るい希望を胸に持ち、玄関で皆に見送られるなか別れの挨拶をした。
「待って、花子さん」
すでに背を向けドアノブを握り締めた花子はギクリと身体を固めた。
今、モンスターが確かに花子を呼び止めた。
「危ないから送るよ」
傍に近寄り優しく声を掛けてきたとっても紳士な栞兄を、呆然と見つめてしまった。
「行こう」
「……は、はい」
なぜ! どうして!
意志とは反対に花子の口は勝手に栞兄の申し出を受け取ってしまった。
ようやくモンスターから逃亡できると安堵した矢先、勝手に動いた口のせいで自業自得にもモンスター兄に送ってもらう破目になってしまった。
栞兄と2人きりの帰り道、すでにもう動揺を隠しきれずカクカクとロボット状態で歩を進める。
ここから家まで約20分、20分間恐怖のイケメンとたった2人っきりだ。
はたして無事家までたどり着けるのか。
耐えられるか、花子。
真夏でもないのに額から汗がこんもり拭き出し始めた花子の背中が、なぜかいきなり軽くなった。
(…………え?)
不思議に思い背後を確認すると、確かに今まで背負っていたはずのランドセルが消失していた。
すぐさまハッと気が付き隣の栞兄を見やると、やはりその手には花子のランドセルを持っていた。なぜ!
「持つよ」
「……は、はい」
なぜ! なぜそこで持つ!
いや違う、問題はそこではない。
なぜそこで断らないんだ花子!
マジであり得ないほど紳士な栞兄は、花子の額に噴き出た見苦しい汗にまで気を遣ってくれたらしい。
重いランドセルを代わりに持ち、ついでにハンカチで汗まで拭き取ってくれた。
自分の意思に反してなすがままに厚意を受け取ってしまう花子の勝手なお口は、なぜか栞兄に決して逆らえない。
「花子さん、明日も家に来て」
「……は、はい」
懇願するように見つめてくる栞兄の目を避けられず、花子の口は再び勝手に承諾してしまった。
…………なぜ。
花子はまだ1つ、自分の性質に気付いていなかった。
イケメン恐怖症の花子だがやはり母・良子似、イケメン様の言葉には絶対に絶対に逆らえないのである。