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晴れてイケメン恐怖症を克服した花子は、すでにいつの間にか付き合っている神兄に抵抗する理由が無くなってしまった。
元々イケメンという以外に非の打ちどころがない、人格も素晴らしい神兄なのだ。
そしてイケメンを克服した今、花子にとって神兄を拒絶する理由がまるで思いつかない。
花子にはあまりにも勿体ない、神兄は世間の女性にとって理想の恋人そのものだ。
いつの間にかお付き合いを始めた以上、自分の行動に責任を持つしかあるまい。
花子はとうとう潔く、神兄を恋人として受け入れることにした。
互いの思いを通じ合わせた花子と神兄はその日より新たに同棲を始め、恋人として濃厚な毎日を過ごしている。
「花子さん、おはよう」
「うーん」
花子はずっしり圧し掛かられ、重さに耐えられずベットの上で苦悶を浮かべた。
神兄の愛は早朝からあまりにも重い。
朝だけは勘弁してくれと泣いた花子の切なる願いを優しく受け入れた神兄は、その代りと言わんばかりに朝からディープな接吻をひたすら繰り返す。
あまりのしつこさに息絶え再び現実から逃避した花子をそのまま優しく眠らせる神兄は、その間に料理掃除洗濯とフル回転だ。
仕事から帰ってからもあっという間に美味しい夕食を作ってくれる神兄は、恋人として当たり前だと自らの手で花子にあーんと食べさせてくれる。
ただ口を開けてあーんと待つ花子は、美味しければいいかと実にのんびりしたものだ。
夕食後もあっという間に片付けと風呂の準備を済ませる神兄は、程よく満腹で気持ち良く畳に転がっている花子をさっそく風呂場へ持っていき、自らの手で花子の全身すべてを丁寧に洗い上げる。
花子の髪までドライヤーで優しくブローし、至れり尽くせりすべての世話をしてくれる。
最後の仕上げに神兄のゴットハンドで全身マッサージを施すと、あまりの気持ち良さに思わず声を上げてしまう花子に待ってましたと言わんばかりに優しく襲い掛かり、別な声を上げさせる。
あまりにもしつこく重い神兄の愛に、花子は今夜も現実から逃避し深い眠りに落ちていく。
「花子さん、おはよう」
「うーん」
今日も早朝から圧し掛かる神兄の愛はあまりにも重い。
最近、神兄があからさま過ぎる。
テーブルの上にさり気なく埋め尽くしているのは、女性のための結婚情報誌〇クシィだ。
畳の上にさり気なくいっぱい落ちている紙を拾い上げると、もちろん結婚式場パンフレットである。
うちに届く大量のダイレクトメールはさり気なく結婚関係のみ。
ぼんやりとテレビに視線を向けていた花子がさり気なくチャンネルを変えられれば、大抵新婚さんいらっしゃい、新婚夫婦ご自宅訪問など新婚ラブラブ自慢系しかも録画エンドレス。
さり気なく話す話題と言えば同僚の新婚ホヤホヤ幸せ話で、神兄の同僚は毎日誰かしら必ず1、2人結婚しているらしい。
散歩に行こうと道を歩けばさり気なく結婚式場へ迷い込み、買い物に行こうと店を歩けばさり気なく指輪関係の宝石を見せびらかせる。
夜眠る花子の耳元で洗脳の如く結婚の二文字をブツブツ呟き続ける怖ろしい神兄は、あまりにもあからさまだ。
見ないふりを決め込みすべてスルーする花子も、正直もううんざりだ。
ほとほとうんざりしている花子だが、神兄の結婚攻撃だけには絶対屈しない。
冗談じゃない、それだけは絶対に嫌だ。
大会社の跡取り息子、しかも超絶美形イケメン神兄と結婚などしてみろ。嫌でも地味花子は注目の的となり世間に晒されてしまう。
今日にでも結婚する気満々の神兄には申し訳ないが、花子にはまるでその気がない。
下手に強要すればおそらく花子は逃げるだろうと案じているのか、神兄はその気にさせようと必死でも決して無理強いはしてこない。
あからさまな結婚攻撃にはうんざりの花子も、決して強くは出れない神兄にはとりあえず安心している。
花子は完全に油断していた。
相手はあの神兄なのだとすっかり忘れ、すっかり呑気に構えていた。
結婚爆弾はある日突然花子の家に投げ込まれた。
「結婚!?」
テーブルの向かいに座る2人をマジマジ見つめた花子は驚きの声を上げた。
花子に見つめられたハジメと栞は照れくさそうに赤くなり、ちんまり正座している。
なんとこの度、ハジメと栞が結婚の報告にやってきた。
付き合って1年程、年齢もまだ共に若い2人にとっては少しばかり早い決断でもある。
まだまだ先の事だとばかり思っていた花子はさすがに驚きを隠せない。
しばらく恥ずかしそうに黙っていた2人は互いに見つめ合い一度頷くと、ようやく前を向いた。
「俺も栞さんもまだ若いし、俺自身結婚なんてまだまだ先の事だと思ってたんだけど…………実はさ、神先輩が後押ししてくれたんだよ」
「……………………」
思わぬハジメの言葉に、花子はずっと黙ったまま隣に座ってる神兄に視線を向ける。
「少し前、結婚の素晴らしさを親切丁寧懇々と俺に語ってくれたんだよ。神先輩のおかげで結婚への明るい希望が持てたんだ。最近ようやく決意が固まって、今日思い切って栞さんにプロポーズしたんだけど…………ね?」
ハジメに同意を求められた栞も嬉しそうに頷き返した。
「私も結婚なんてまだ全然考えてなかったんだけど、今日ハジメちゃんが突然プロポーズしてくれて…………その、すごく嬉しかったんだ。結婚するなら、やっぱり私にはハジメちゃんしか考えられないから」
「栞さんがどうしても今日中に2人に会いたいって言うから、さっそく報告に来たんだ」
「……お兄ちゃん、花子お姉ちゃん、私達結婚します」
「……ハジメちゃん、栞ちゃん」
花子は互いに決意を固め幸せの報告に来てくれたハジメと栞に喜びが込み上げ、思わず涙を滲ませた。
まさかこの神兄が2人の結婚を後押ししたとは予想外の驚きだったが、そのおかげで今2人はとても幸せそうだ。
そして可愛い栞の姉になれる花子も最高に幸せだ。
「ハジメちゃん、栞ちゃん…………おめでとう、幸せになってね」
「花子姉ちゃん……」
「花子お姉ちゃん……ありがとう」
3人が手を握り合い喜びを分かち合っていると、花子の隣からハア……と深いため息が零れた。
「……ハジメ、栞、お前達は本当にそれで幸せなのか」
「「…………は?」」
突然神兄に幸せを問われたハジメと栞は仲良く一緒にマヌケ面だ。
「確かに結婚は素晴らしい…………けれどよく考えてみろ。ハジメ、お前は今だ独身の寂しいお義姉さんを差し置いて結婚するのか? 今だ独身の寂しいお義姉さんの立場はどうなる。恥をかくのは今だ独身の寂しいお義姉さんなんだぞ」
「……あ」
神兄に指摘され、ハジメもようやく今頃気付いたらしい。
いくら結婚に浮かれていたとはいえ今だ独身の寂しい花子の立場を考えれば、義弟の自分は愚かにも先を急ぎ過ぎた。
「栞、お前もだ。姉のように慕う今だ独身の寂しい花子さんが今だ独身で寂しい思いをしているのに、それでもお前は平気か。今だ独身の寂しい花子さんに今だ独身で寂しい思いをさせたままにしておいて、お前は本当に心から幸せになれるのか」
「……あ」
神兄に指摘され、栞もようやく今更気付いたらしい。
いくらプロポーズされ浮かれていたとはいえ今だ独身で寂しい思いをしている花子の気持ちまで考えれなかった自分は、愚かにも決断が早過ぎた。
「ごめん花子お姉ちゃん…………今の話は聞かなかったことにして」
「とりあえず、俺達今日はもう帰るよ」
ひどく落ち込んでしまった栞とハジメはすでに結婚への意気込みを失くしてしまうと、そのまま立ち上がり帰って行ってしまった。
…………………………。
どうやら今だ独身の寂しい花子のせいで、2人の結婚はご破算になったらしい。