第四港
☆
子猫はある家の門の上で香箱座りする三毛猫のおばさんを見かけて言いました。
「ねえ、どうして、毎日そこにいるの?」
「おや、子猫かい」
三毛猫は声をかけられ、目を遅めながら子猫を見下ろしました。門は高くて、子猫が昇るのも降りるも難しそうです。
「もうすぐね、この家のおばあさんにお迎えがくるのさ。だからこうして見送りにきているんだよ」
「お迎え?」
「ええ、お別れの時が来るのよ。人間の命は私達と違い、一つしかないからね」
猫には命が九つあります。それは子猫でも知っている事でした。命がなくなれば、新たな命を使う事ができるのです。
「人間は不便なのね、一度なくなれば終わりなんて」
「そうね。人間の命は一つしかないけど、短い時間で一生懸命生きるようにできて
いるの。私達の命で言えば、命二つ分くらい使って生きているの」
「二つ分?」
「ええ、そうよ。あら? どうやらお迎えが来たみたい」
三毛猫が空を見上げました。
「私も少し見送りに行く事にするわ。さよなら、黒い子」
「うん、さよなら」
三毛猫のおばさんはまた香箱に座ると、すぅと眠ってしまいました。
ギィィ、ギィィ……
木のこすれるような音を聞きながら、子猫はおばあさんと三毛猫を見送りました。
★
「どうしたの、ナナミ?」
「ううん、何でもないよ。あのね、少し前の事を思い出したんだ」
「そう」
心配そうな顔をしていた船長さんはナナミの様子に安心したのか、胸を撫で下ろしました。ナナミが気がつくと、船はもう水門を抜けていました。
水門を抜けた河の流れは穏やかで、河幅もとても広く河岸は少しも見えません。大小何艘もの船が河を渡っていますが、少しも気にならないほど河は広くて大きいのです。
月明かりに星の波。天風に揺れながら船体はゆったりゆったり進んでいきました。
気のせいか、まわりが少しだけ暗くなって来ているような感じがします。
「ナナミ、寒くない? 風が出てきたわ」
「大丈夫。でも、何だか暗くなって来たみたい、お月様があんなに……」
ナナミが知っているお月様よりもずっとずっと大きく、真ん丸のお月様には大きな大きなうさぎが今にもお餅をつきはじめようとしているようでした。
「夜に向かって船は進んでいるのよ。だから、暗くなっていくわ。恐いかしら?」
「全然怖くないよ、あのね、少し前までちょっとだけ恐かったんだ。でも、今は何
だか平気になったみたいなの」
「そう、よかったわ」
本当の事を言うとさっき思い出してからナナミは暗い所が平気になったのでした。ただ、暗いのとは別にナナミは月の光に照らされた星の海を渡っていく事に何だか少し落ち着かなくないようなそわそわした気持ちになりました。
「ナナミ、大丈夫?」
「えっ? ううん、全然平気だよ」
耳飾りをした黒猫の子に言われ、ナナミは元気よく言いました。
少し気分が落ち着かないだけ。不安な事などあるはずがないのです。だって、船長さんも黒猫達もいるのですから。
もしかしたら、乗りなれない船に酔ったのかもしれません。
「あら? あなた達、あなた達もこの先に行くのかしら?」
大きな河の波間から大きな大きな龍が顔を出すと、水面から天を突くほど体を伸ばし、金色の鱗をキラキラさせながら船長さんとナナミにペコリと挨拶をしました。龍は丁寧に頭を下げてくれましたが、龍があまりに大きかったので、ナナミと船長さんはずっと見上げていなければなりませんでした。
大きな龍でしたが、龍の体はまだ河の中に浸かっています。
「お、大きな、蛇さんだね……」
「むっ」
ナナミの言葉に、龍はムッとしました。本人は顔に出さないようにしているようですが、不満げに長い長い尾を振って水面を叩いたので、船は大きく揺れました。
「わわ、にゃ、にゃみが!?」
「龍さん、落ち着いてほしいです!」
「確かに、私は小柄ですけど、蛇に間違えられるなんて……」
気にしていたのか、次第に龍はぷりぷり怒りました。
「ナナミ! 早く謝って!」
「龍さん、ごめんなさい! 全然蛇さんには見えないです! 龍さんは立派な龍さんだと思います!」
ナナミは今にも転覆しそうな船に捕まりながら、龍の事を龍らしいとほめました。
「……本当?」
「本物の龍さんを見た事がなかったの、だから、間違えちゃったっていうか、間違えるはずもないのに、おかしいよね、ははは……」
「ふふん、そうでしたか。そうですよね。龍を見るなんて珍しいですよね。人間が龍を見るなんて夢の中ぐらいでしょうから。どうですか、本物の龍は?」
龍はすっかり上機嫌になって、体をくねらせたり、反らせたり、とぐろを巻いたりしてポーズをとって見せました。
「とぐろ巻くと、蛇みた……」
「こらっ、黙ってなさい」
赤いリボンの猫がボソリと口にしたので、耳飾りの子がすぐにたしなめました。
また機嫌が悪くなったら大変です。
「それはそうと、あなた達、この先がどんな場所だか知っているの?」
「……?」
龍の言葉にナナミは首を傾げました。
そこがどんな場所なのか。そして、何のために行こうとしているのか、ナナミにはやっぱりわかっていなかったのです。
「もちろん知っています」
船長さんは毅然として答えました。
「船長はあなた? なるほど、あなたは問題ないけど……」
龍は船長さんに目を向けてから、ナナミに目を移しました。
「わかっています」
龍が何かを言おうとした時、船長さんは言いました。
「そう……でも……」
すると、おしゃれに青いリボンを尻尾に結んだ子と若草色の手袋をした立派な猫が立ち上がりました。
「龍さん、ちゃんとわかっていますから。どうかここを通してくださいませんか」
青いリボンの子は丁寧な物腰で龍に頼み、若草色の手袋をした猫は堂々とした態度で頭を下げました。
「そうですか、では、この先の関門の通行を許可いたします。せっかくですから、私が船を推していってあげましょう」
「それは助かります」
思いがけない提案に船長さんと猫達は手を叩いて喜びました。
「皆さん、他の方々と違ってお急ぎでしょうし……まあ、私、立派龍ですし」
龍はナナミに言われたのが嬉しかったのか、船を手で推してくれます。船はどんどん他の船を追い越し、あっと言う間に星雲がアーチを作る光の関門まで送ってくれました。門につくと龍は手を振ってまた河に消えていきました。