第三港
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「わあぁ!」
ナナミは黒猫の黒船の中で声を弾ませました。船は綺麗な船長さんが舵を取り、八匹の黒猫が船を漕ぐのです。漕ぎ出された船は庭から、瞬く間に空へ空へと昇っていきます。
ナナミは小さくなっていく自分の家や街を見下ろしたり、近づいてくる星空を見上げたりしながら興奮して顔を赤らめながら言いました。
「すごい、すごいね!」
「ふふん、そうでしょう」
船長さんは自慢げに胸を張りました。あまりに船長さんが自慢げに言うので、
「漕いでいるのはあたし達なのに」と、白い耳飾りをした黒猫がぷりぷりと不満げに言いました。
「こら、黙って漕ぎなさい!」
船長さんが怒ると白い耳飾りの猫はますますふくれっ面になりました。
「ごめんね、乗せてもらっているのに。猫さん達、ありがとうね」
ナナミは慌ててお礼を言うと耳飾りの猫は機嫌を直して言いました。
「ナナミがそう言うなら仕方ないわ。ほら、もうすぐ河に出るわよ」
「河?」
ナナミは船から外を見ました。
耳飾りの猫の言った通り、黒い船は今にも河に入る所でした。
そこは地上から見上げていた天の河。
夜の地上に散りばめられた赤や青、白の街の灯りを遠く下敷きにして、星の流れる空の河を船はゆったりと進んでいたのです。
「すごい、星だよ、ねえ、星だよ!」
「そうよ、だって天の河だもの」
はしゃぐナナミを見て、船長さんもうれしそうに眼を細めて言いました。
ナナミが船から河を見ていると、河底を鳥達が群れをなして飛んでいるのが小さく小さく見えました。
「鳥が、下を飛んでる?」
「そうよ、だって、あれは地上の鳥だもの」
「地上の鳥?」
「ええ、ほら、上がってきたわ」
船長さんに言われ、ナナミはもう一度地上の鳥を見ました。地上の鳥は河底からぐんぐん昇って星の水面に近づきました。けれど、地上の鳥は水面までやってくる事はできません。そのかわりに水面からキラキラとした星のような魚が跳ね上がりました。
「うわあっ!?」
「あんなに近づいたから魚たちが驚いたのね」
「魚? 空なのに、魚がいるの?」
「そうよ、だってここは河だもの」
「ぼくお腹すいたのにゃ、お魚食べたいにゃ」
黒い上着を着た一番小さな黒猫の子が船の外で跳ねる星魚を見ながら言いました。
「あらあら、ダメよ、そんなに乗り出したらあぶないわ」
小さな黒猫の後ろで船を漕いでいた太陽のような金色の瞳、金色のネックレスをした黒猫が穏やかな瞳でたしなめました。
「そうよ。それに、にゃ、だなんて、赤ちゃんみたいよ」
耳飾りした子が意地悪な口調で言ったので、上着を着た子は少し泣きそうな顔で口を尖らせました。
「もう、そんな事言わないの、あなたも少し前まで、にゃ、って言ってたのに」
「も、もう言わないわ!」
青いリボンの子に言われ、耳飾りの子は慌てて弁解しながら、ナナミの顔をチラリと見ました。どうやら耳飾りの子は、自分はお姉さんなんだぞ、と言いたいようです。
ナナミは何だかおかしくなって笑いました。
その時、空から夜空色の鳥の群れが船の近くまでやってきました。
「鳥です、船長!」
黒いスカーフの子が立ち上がるとビシッと船長さんに敬礼していいました。
「大きいね、大きい鳥だね! でも……」
ナナミは船の下に飛んでいた地上の鳥を思い出しました。鳥はここまで飛べないはずなのに。
「あれは空鳥よ。昼は青空色、夕方は夕空色、夜は夜空色で飛ぶ渡り鳥よ」
「空色で飛ぶのね」
物知りな船長さんに説明され、感心しながらナナミは空鳥達を見つめていました。鳥達は船のまわりの浅い所を泳いでいた魚を狙って狩りを始めました。
一羽の夜空色の空鳥が水晶のような水飛沫をあげて河に飛び込むと、キラキラした活きのいい星魚を獲りました。一羽が成功すると、他の鳥達も続きます。
「鳥さん、鳥さん、僕達にもお魚分けてくれにゃ」
上着を着た小さな子が手を広げていいました。すると、群れの一羽が船に降りていきました。群れの中でも大きくて立派な空鳥です。甲板に降りた鳥は恭しくお辞儀をして言いました。
「はじめまして、この群れの嘴爪を務めるものです」
「しそう?」
「空鳥の群れで一番先頭をゆく役目の者のことです」
嘴爪は礼儀正しく、賢く体力もある者が選ばれるとても名誉のある仕事でした。
「今、そちらの素敵な上着の猫殿に声をかけていただきましたのでこうして参りました。実は長旅で仲間に疲れが出ていまして、どうかこの船で少し羽を休ませていただけませんか? そのかわり今獲ったお魚をお分けいたしますので」
嘴爪の申し出に猫達の目は輝きました。けれど、船長さんはすぐには頷きません。
「申し出はありがたいのですが、一度に皆さんがこの船で休まれるのは難しいかと思います。何せ、狭い船なので」
「いえ、もちろん、順番にかわるがわるで構いません。船尾の一角を貸して頂くだけで結構ですので」
空鳥は船尾の方を羽で指して言いました。
「そういう事でしたら、ぜひどうぞ。私達は、この先の白鳥港に寄りますが、みなさんはどちらまで?」
「私達はデネブ経由でアルタイルに向かう予定です。白鳥港までご一緒してもいい
ですか?」
「ええ、どうぞ。ゆっくりと羽を休めて行ってください」
船長さんの言葉に嘴爪はまたお辞儀をしてお礼を言うと、空で待つ自分の群れへと帰って行きました。
すると、今度は小さな空鳥達が獲れたての魚をお土産に船に舞い降りました。
降りてきた鳥の子達は、嘴爪と同じように礼儀正しくお辞儀をしたので、猫達もみんなそろってお辞儀しました。猫達がお辞儀をしたので、ナナミもつられてお辞儀をします。
鳥達は船で羽を休め、猫と船長とナナミは鳥達の持ってきてくれた星の魚を食べました。
星の魚は不思議な味です。ナナミの知っている魚の味ではありませんでした。サクサクとしたパイのような口当たりで、ほんのり甘く、魚臭くはありません。お菓子のような果物のような味でした。
鳥達は代わる代わる船で休み、最後にあの嘴爪がやってきて休みました。
「ところで、お嬢さん、ナナミさんと言いましたか」
「は、はい」
嘴爪に声をかけられてナナミはかしこまりました。だって、ナナミは嘴爪のような鳥と話をした事がなかったからです。
「そう畏まらずに。あなたのような人間がこの河を渡るなんて珍しいと思ったものですから。どちらまで行かれるのかと思いまして」
「どちらまで……?」
どこまで行くのか、ナナミにはわかりませんでした。船長さんに手を引かれて、
船に乗ったのですからわかるはずもありません。
「えっと……」
ナナミが答えに困っていると、船長さんが後ろから真剣な顔で言いました。
「人に会いに行くの、大事な人にね」
「なるほど、そうでしたか。しかし、船長殿はかまわないが、ナナミさんは……」
嘴爪がそこまで言いかけた時、白い蝶ネクタイをした立派なヒゲの黒猫が駆けてきました。
「船長、港が見えました」
「そう。じゃあ、入港しましょうか。空鳥さん達はどうしますか?」
「もうそんなに? これはこれは長居をしてしまい申し訳ない。私達はそろそろ行
かせていただきます。船長さん、場所を貸して頂きありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。魚をありがとう」
「では、よい旅を」
嘴爪が船から羽ばたき、群れに戻ると、空鳥の群れは船から離れて行きました。
「ここが港?」
ナナミは空鳥に手を振り見送ったあと、船長さんに尋ねました。
「そうよ。この先に行くためには手続きが必要なの。この港で手続きをするから、
少し待っていてね」
白鳥港にはたくさんの船が止まっていました。
大きな船に小さな船、豪華な船にボロボロの船。色々な船の中でも、船長さんの船はとても美しく、素敵な船でした。
港に船をつけると、白い蝶ネクタイをした猫と金色のネックレスをした猫、そして船長さんは船を降りていきました。
「じゃあ、ちょっと行ってくるわね」
「はい」
船長さん達に手を振ってナナミは他の猫達とお留守番です。ナナミは停泊する他の船や港に行き交う珍しい人達を見てわくわくしました。
乗客は、牛や象、キツネやウサギ、鹿もいました。
「うわぁ、あそこにいるワンちゃんおっきいね!」
ナナミは港を歩く大きな犬を見ながら目を輝かしました。
「ナナミ、あれは狼さんよ」
青いリボンをした猫が微笑みながら言いました。
「狼さん? そうなんだ、大きいなあ……」
ナナミは歩いていく紺碧色の背の狼の姉妹を見つけていると、狼の姉妹もナナミに気がつき、優雅に会釈をして通り過ぎていきました。
ナナミは狼をまねて頭を下げて返します。
港にはたくさんの動物のほかに人の姿がありました。
なんだ、人もたくさんいるじゃない。
空鳥の言葉が気になっていたナナミは少し安心しました。ナナミが黒猫達といるように、狼達と一緒にいる人や鹿と歩いている人、うさぎを抱きながら歩いている人など、顔はよく見えませんがたくさんの人が白鳥港にはいました。ただ、ナナミのような恰好をしている人はいませんでしたが。
「おまたせ。では、さっそく行きましょうか」
「あれ、蝶ネクタイの猫さんとネックレスをした猫さんは?」
船長さんは帰ってきましたが、二匹の黒猫が帰ってきませんでした。
「あの子達はここで降りる予定だったのよ。手続きを手伝ってもらって、それで別れたの」
「そうなんだ、お別れをいいたかったな」
ナナミは残念そうに言いました。
船が港を出航すると、また星の河へと漕ぎ出しました。間もなく見上げてもその先が見えないほど大きな水門へとやってきました。船長さんの船は他の多くの船に混じって水門を潜ります。
「あっ……」
ナナミはふと三年生の時の事を思い出しました。お父さんとお母さんが急に用事できて出かかけてしまい、お留守番をしていた時です。外が暗くなっていくのがすごく寂しくて恐くて、ナナミの心を不安にしました。家の明かりを全部点けて、テレビも点けても何だかそわそわして落ち着きません。
早く帰って来て……恐いよぉ……。
何かが居そう、何かが見てる気がする……。
ナナミは背中に視線を感じたような気がしましたが、恐くて振り向けませんでした。トイレに行きたいのも我慢しながら、お留守番を安請け合いしたのを後悔していました。
『うわあっ!?』
驚いて声を上げました。急に黒い何かが目の前を横切ったような気がしたからです。
体を緊張させたまま、伏せた目をゆっくり開けるとナナミの声に驚いたように目を見開いたココアの姿がありました。
『なんだ、ココアか……もう、ココアったら、そんな驚いた顔して、恐がりなんだから』
ナナミはココアを抱き寄せ、ドキドキしている胸が落ち着くまで待ちました。
ココアはナナミに抱かれたまま、ナナミの顔を見ていました。
……そうだ、そのあと、ココアを抱いたままトイレに行ったっけ。
今思い出すと何も恐い事などなかったのに、あの時は何だか怖くてしかたがなかったのです。
ナナミは恐かった出来事を思い出して「フフッ」と思い出し笑いをしました。