第一港
「わあっ、そんなの持ってこないでよ!」
軒先で遊んでいたナナミは、驚いて思わず飛びのきました。だって、ココアがネズミをくわえてもってきたのですから当然です。
ココアは、それはそれは立派な黒猫でした。名前はナナミがつけたものです。ここに来た時には子猫であったココアも、もうすっかりお姉さんです。
ココアが来た時、二年生だったナナミも今年で四年生、十歳になります。
ナナミは最近少し不機嫌で、学校に行っても、お家に帰っても、元気がありませんでした。
たまに、思い出したように一生懸命遊んだり、笑ったり、宿題をしたりしましたが、すぐ手につかなくなってしまいます。
もうすぐ毎年楽しみにしている夏祭りがあるのに、ナナミは何だかうわの空でした。
「……」
ナナミが部屋へと入ってしまうと、ココアは獲ってきたネズミをその場において首を傾げました。
ふと空を見上げると、空が赤く染まり始めています。
もうすぐお父さんが帰ってくるかもしれません。そうしたら、ナナミの機嫌も少しはよくなるかもしれない。でも、それはほんの少しの間だけ。ココアは、本当はなんでナナミがうわの空なのかを知っていました。
「……」
ナナミの入っていった部屋を一瞥すると、ココアは勢いよく走りだしました。
窓から差し込む夕日が畳の上で深く深く色を落としていきました。
虫の鳴き声。風鈴の音。
ナナミは畳まれた布団に抱きついて、じっと顔を埋めました。
いつもなら聞こえる音を聞きたくて、もう何日も聞こえないその音を聞こうと耳を澄ませながらナナミはいつの間にか寝てしまいました。
小さなナナミは柔らかな手に引かれ、夏祭りの人の中を歩いていました。
色とりどりの明かりの中を、お母さんが用意してくれた桃色浴衣を着て、わくわくしながら駆けだしました。振り返るとお母さんとお父さんの笑顔を向けます。
お母さんとお父さんも笑顔でした。
『あっ』
ナナミも周りにいた人もみんな同じ空の方を見上げました。
花火が空に円く咲きました。
ナナミはもっと見たくて背伸びをしたり、ピョンピョン跳ねたりしましたがよく見えません。すると、お父さんが抱き上げ、肩車をしてくれました。
『ナナミ、見えるかい?』
『うん、見える』
ナナミは満面の笑顔で目を輝かせました。
赤や青、緑や白の大きな花が咲いては落ちて、落ちては咲いて、手を伸ばしたら届きそう。
最後の花火が散ったあと、見物人達もバラバラと波のように帰って行きます。その波に乗りながらナナミ達も川沿いを歩きました。
ナナミは何だか少し寂しくなりました。
あの花火も、出店もなくなって、暗い道はなんだかいつもよりも暗く感じるのでした。
『ナナミ、ほら見てごらん』
お母さんが言いました。ナナミはお母さんに言われて空を見ました。
『わあっ』
空には星がキラキラと輝いていました。
さっきまで見えなかった星の光が、今はしっかりと見えています。
ナナミはまたうれしくなりました。
『星、綺麗ね』
『うん! あそこ、あそこすごく綺麗』
『どこ?』
『あそこ、あそこ!』
ナナミは空を指さしはしゃぎました。すると、お父さんはまた肩車をしてくれました。
空が近くなると、ナナミはまた空を指差しました。
『たくさん、キラキラしているところ』
『天の河ね』
お母さんが言いました。
『天の河? 空なのに川があるの?』
『そうよ、ほら、キラキラしているでしょう?』
『うん、キラキラしてる』
ナナミはお父さんの肩の上で両手を空に向けて広げました。三人はお祭りの熱気をふわふわのしっぽのように揺らしながら家へと帰ってきました。
家に帰ると玄関には小さな黒い子猫。ココアが三人の帰りをまっていたのでした。