マシュマロマイハウス
『マシュマロ・マイハウス』
「と言うわけで、あなたにはこの家に住む権利はありません」
財産管理者にある日突然そう告げられた。
まったくどう言うわけか分からない。権利を無くしたのだと言われるばかりであった。
家はマシュマロでできていて、私は家の中央にふんぞりかえって、甘い香りを楽しんでいた。
財産管理者は目尻の吊り上がったコガネムシで、権利権利と青臭い息を吐く生意気なやつだ。財産管理者の叔父はカブトムシだ。いつも女から甘い汁を吸い取って生きているチンピラのような奴だ。
甲虫の連中に気のいい奴はいないんだ。
私は夜露に湿った首もとの綿毛を絞りつつ、ぼんやりと小川のせせらぎを眺めていた。
辺りはコオロギとキリギリス、チョンギスのオーケストラコンサートで妙に明るく、騒がしかった。コールガール風のホタル嬢があちらの葉陰とさまよっている。その明かりが、うっそりと重たいカーテンを照らし、恋人たちの葉陰に影を垂らした。
不幸にも一文無しになってしまった私に行く当てなどない。そこここに灯される夜露のランプに見入るだけだ。
私のすんなりとした羽には複雑な脈が刻まれていて、それが明かりに照らされるたびに虹色に輝いた。
「きれいな羽ね、となりに座ってもいいかしら?」
見上げると、月見草の花冠を被った妖精が立っていた。
「どうぞ」
「こんな人気の無いところで、ぼんやりと座っていて退屈しない?」
「するけれど、今の私は一文無しなんだ。だれも相手にしないさ」
「その、だれも、の中にはあたしは入ってないのかしら?」
「んん〜、入ってないね、月見草さん」
となりに座った月見草は蜘蛛の糸の束を膝のうえに広げ、サボテンの刺で器用に編み物を始めた 「何を編んでるの?」
「ケープ、手袋。あなた、欲しい?」
「ケープは遠慮するよ」
長い夜のコンサートは出演者が何度も交代しながら続けられた。
月見草にもらった手袋をはめて、私は朝の食事に出掛けた。ドングリのうろの中のカフェテリアは、私が家を取り上げられてからも変わりなく繁盛している。
奥の席で甲虫どもがコーヒーを飲んでいる。
私は入り口近くのカウンターに腰掛け、蛙の卵のスクランブルエッグと熱い樹液ミルクを注文した。
甲虫どもは物件の書類を振り回して、大層な意気込みでどなり散らしている。
「だからそれはこの前の会議で却下されたんだ、バカヤロウ」
「却下したのは西の原の連中だろう! その物件は東の原にあるんだ。東の原の決定に従え、このドアホウ!」
甲虫どもは内輪もめする一族で有名なのだ。偉そうな態度でしか話せないことでも有名だ。あの敷地、この敷地、こっちの一族、あっちの一族、派閥を組みたがり、エリート面する。手のつけようがない。
「この前却下された家はどうしたんだ? 配分者に配当されたか?」
「当たり前だ」
連中は勝手に配分者を決めて、自分たちの物件と称するものを与える。私もそうやってあの素敵なマシュマロの家に住めたのだ。今こうしてみると、私も甲虫どもに振り回されただけだった。とんでもないマヌケだ。
「やぁ、ごめんごめん、途中道が混んでて」
「何やってんだ、このクソコロガシ! 朝の会議は終わっちまうぞ!」
息せききって飛び込んで来たフンコロガシに、一族は罵声を浴びせた。フンコロガシは決まり悪そうに笑いながら、モジモジと突っ立っていた。
彼を私はしょっちゅう見かける。いつも地べたで作業し、汚い仕事や重労働を押し付けられていた。私のところにマシュマロの家を届けてくれたのは彼だった。もちろん、回収したのも彼だが……
私は樹液ミルクをすすりながら、フンコロガシを見た。
フンコロガシに対する一族の態度はかなり冷たいように思えた。フンコロガシは何を言われてもニコニコと笑い、「はぁ、はぁ……」と返事するだけだった。
甲虫どものボスらしきクワガタが、書類の束をフンコロガシに投げ付けた。
「今日の仕事はこんだけだ。倉庫に行って物件を間違えずに配当して来い」
フンコロガシは頭をペコペコ下げて、書類の束を持って、カフェテリアを出て行った。
私はすかさずその後を追った。
「ちょっと、ちょっと、フンコロガシさん!」
私の叫び声にフンコロガシは振り向いた。
「え〜……何でしょうか?」
「君はあの甲虫の一族なのかい?」
「そうですよ、ええ〜と、どなたですか?」
「先日、君に家を持ってかれたんだ」
フンコロガシは決まり悪げにもじもじして、「叔父さんたちの決定なんです。悪く思わないで下さい」
「いやいや、悪く思ってないさ」
私はフンコロガシと歩きながら、「あのマシュマロの家はどうなったんだい?」
「あれなら倉庫にありますよ」
「今日、配当されちゃうのかい?」
「多分ね」
私はもう一度マシュマロの家に住みたかった。甲虫どもの計画などぶち壊してやりたかった。
「ついて行ってもいいかな?」
「いいですとも」
「その書類、持ってやろうか?」
「いえいえ、別にいいですよ、これは大切なものだし」
フンコロガシがたどり着いたのは、野ばらの群生した茂みの中だった。角砂糖の城やキャラメルの迷宮、カタツムリの別荘。あらゆる物件の中から、私はあの居心地のよいマシュマロを見つけた。
フンコロガシは物件に書類を張り付けていきながら確かめ始めた。
私は物色しながら、小さくワイノワイノと言う声を聞き付けた。
「片側持てよ、右だ、右だー!」
「オーライ、オーライ、左ィー! そうそう」
「行けるかー? 行けるかー?」
探してみると、チョコレートのかけらを失敬しようとしているアリたちの行列を見つけた。私はうまいことを思いついた。素知らぬふりをして、彼らの整備した道路を足でふさいだ。
「わー、山だー!」
「わー、丘だー!」
「なんでもいい、どけろー!」
「わー、動かないー!」
「山でも丘でもないぞー、これはなんかの一部だ」
「足だ、足だ、でも誰の足だ?」
そこで私は答えた。
「どけて欲しいかい?」
「声がしたぞ!」
「周りからだ! 誰かいるぞ!」
「だから、これはなんかの足なんだ!」
「足だけか!? なんかいるんじゃないのか!?」
「足だけの化け物だ!!」
アリたちの騒乱は収拾がつかず、私はため息混じりにもう一度言ってやった。
「上だよ、足のうえには何がついてる? 体だろ!」
「上だって?」
「上だとよ」
「上かー!」
「ああー !!」と、アリたちは真上を見上げ、声をそろえた。そして、またばらばらに好き勝手なことを叫びあって、私のことなど忘れ始めた。
「足をどけて欲しいんだろ!」
「ああー!!」と、アリたちはまた叫んだ。
「一人だけ答えろよ! 頼みがあるんだ、あのマシュマロ……」
話の途中だのに、アリたちは足を迂回して、新たな道路を整備し始めた。
「ひとの話を聞けー!!」
私はあわてて叫んで、またアリたちの行く手をふさいだ。
「ああー……」と、アリたちは不平の声を上げた。
「あのマシュマロの家が先だ!」
「あれは大きい、こっちが小さい」
一匹のアリが答えた。
「運んでくれよ、チョコレートは私が持って行ってやるから」
「ホントか?」
アリたちは固まって、論争を始めた。
「信じられるもんか!」
「あれは誰だよ?」
「腹減ったー」
「交代の時間が過ぎるぞ」
いらいらしてきた私は一喝した。
「さっさと運べ!」
ひょいとチョコレートをつまみあげ、アリたちをマシュマロまで誘導していった。マシュマロには[アゲハチョウ行]という書類が貼ってあったけれど、ペリとはがして、となりのクラッカーのかけらにひっつけた。マシュマロはズリズリとアリたちに引きずられ、いばらを抜けて行こうとしている。私はひとまず安心して、フンコロガシに言った。
「仕事、手伝おうか?」
「いえいえ、いいですよ、これは僕の仕事だし、あとは運ぶだけですから」
「そう」
私はそばにある角砂糖の端っこをもぎ取って、ホクホクとしながらいばらを抜けて、アリたちの巣へと歩いて行った。
アリたちはエッホラエッホラマシュマロを、それより小さい巣の穴に入れようと頑張っていた。私はすかさず、マシュマロの家を蹴った。マシュマロはコロコロと転げて行った。
「アリガトよ!」
そう言って、角砂糖とチョコレートのかけらをアリたちの巣の穴へ落とし込んでやった。
それから、あわてて私はマシュマロを追って行った。マシュマロは軽やかに坂を転げて行き、水たまりにポチャンと落ちてしまった。
「あー!!」
私が叫んで水たまりを覗き込むと、つぷつぷとマシュマロは水たまりの底へと沈んで行った。
「ああー……! 私の家がぁ!」
しばらく、私は粘ってみた。けれど、マシュマロは浮いても来ず、私は口惜しげに水たまりをにらみ続けた。
「あのゥ……」
「?」
どこからともなく声がした。
「あのゥ、目を背けてくださぁい」
声は水たまりから聞こえて来る。私はじっと水たまりを見つめた。
「だからぁ、向こうを見てくださぁい」
それで、向こうへ目をやってみた。
しばらくすると、「いいですよォ、こっち向いてくださぁい」
水たまりには水たまりの精がたたずんでいて、右手に金のマシュマロ、左手には銀のマシュマロを持っていた。
「うわぁーー!?」
私は柄にもなく驚いてしまった。
「あなたの落としたマシュマロは、金のマシュマロですか? それとも銀ですかぁ?」
「た、ただのマシュマロだよ! 私のマシュマロを返してくれ!」
水たまりの精はつまらなそうに、「それじゃあ、せっかくの金のマシュマロも銀のマシュマロもあなたのものになっちゃう〜」
「え、本当!?」
水たまりの精は、しぶしぶ三つのマシュマロを私に渡した。
今のところ、財産管理者と称するコガネムシも運び屋のフンコロガシもやって来ない。金のマシュマロと銀のマシュマロの別荘に月見草の妖精を招いて、毎晩オーケストラコンサートを聞いている。
マシュマロの家は少し水っぽいけれど、私はしごく満足だ。