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「お姉様大好き!」――転生悪役令嬢がヒロインを保護した結果――

作者: cfmoka
掲載日:2026/10/02

ヴィオラが前世を思い出したのは十二歳の時だった。

本当に突然、脳内に「前世データ復旧完了」というウィンドウが一瞬出たのだ。


(前世データ?)

としばし固まる。

その理由は分かっていた。

目の前の少女だ。


――この子、乙女ゲームのヒロインだ。


薄桃色の髪。

空色の瞳。

男爵家に引き取られたばかりの庶子。


ゲームで自分を断罪に追い込んだ主人公、ミア。


「あの……?」


ひどく怯えた声。

ゲームのヴィオラはここで拒絶する。


『庶子が話しかけないでくださる?』


そして軽く突き飛ばすのだ。

破滅ルートの始まり。


だがヴィオラは立ち上がった。

ミアがびくっと震える。


近づいて、見て、固まった。


細い。

あまりにも細い。

十歳なのに頬はこけ、袖から覗く手首には青黒い痣。


ゲーム画面では分からなかった現実がそこにあった。


今日、寄子の子爵家が主催するパーティーに参加していなければ、気づくこともなかっただろう。


「最後に食事したのは?」

「……え?」

「いつ?」


ミアは黙る。

ヴィオラは侍女を振り返った。


「馬車を」

「お嬢様?」

「この子を連れて帰ります」

「えっ」


侍女もミアも固まる。


そして――

パーティーの主催者である子爵家当主が、慌てて駆け寄ってきた。


「えっ、エヴァンス公爵家のお嬢様!?あの、その子は……招待客でして……!」


ヴィオラは腕を組んだ。


「こんな状態の子を放置していたら、わたくしを断罪する前にほどなく死ぬでしょう」

「だ、断罪……?死ぬ?」


当主がワインを落とした。

侍女が青ざめた。

ミアはぽかんとした。


ヴィオラはミアの手を取った。


冷たい。


「まず食事。それから医者。話はその後です」


悪役令嬢ヴィオラ・エヴァンス十二歳。

将来自分を破滅させるヒロインを、本日、堂々と連れ去った。




◇◇◇




「お嬢様。これは誘拐です。犯罪です」

「人聞きの悪いことを言わないで」

「では何と?」

「れっきとした保護よ」

「男爵家から許可をいただいておりません」

「あとでもらうわ」

「誘拐です」

「お父様には黙っていて」

「無理です」


ミアは座席の隅で小さくなっていた。

捕らえられた子鼠のように縮こまっている。


「ミア」

「はいっ」


肩が跳ねる。

ゲームの天真爛漫ヒロインはどこへ行ったんだろう。


「お腹は空いている?」

「……いいえ」


きゅう。


小さな音。

ミアが真っ赤になる。


「空いているじゃない」

「ご、ごめんなさい!」

「なぜ謝るの?」

「お腹が鳴って……」

「生きてる証拠でしょう」

「でも……」


「マーサ、焼き菓子を」

「はい」


包みを出すと、ミアの目が一瞬だけ輝いた。

だがすぐ俯く。


「食べなさい」

「……いいんですか?」

「そのために出したのよ」


恐る恐る一口。

ミアの目が丸くなる。


「……おいしい」


その瞬間、ヴィオラの胸に何かが刺さった。


ゲームでは知らなかった。

ミアがどんな生活をしてきたのか。

なぜ学園で何にでも感動していたのか。


『庶民として育ったから』


そんな可愛い話ではなかった。


「もう一つ食べる?」

「……いいんですか?」

「好きなだけ食べなさい」


ミアがやっと少し笑った。

ヴィオラはその笑顔から目が離せなかった。




◇◇◇




帰宅したヴィオラは父に盛大に叱られた。


「他家の令嬢を勝手に連れて帰ってくる者があるか!」

「ここにおります」

「そういう意味ではない!」


しかしヴィオラは引かない。


「ミアの腕に痣があります。医師によれば栄養状態も悪いです。男爵家へ帰すのですか?」


父が黙る。


「調べてください」


しばらく見つめ合い、父は息を吐いた。


「……分かった」


結果が出るまで一週間もかからなかった。

ミアの父である男爵は、庶子の存在を長く知らなかったらしい。

一人でミアを育てていた母親が亡くなり、仕方なく引き取ったそうだ。

しかし男爵夫人は夫の庶子を歓迎しなかった。

使用人もそれに倣った。

食事を減らされる。

掃除の行き届いていない、汚れた部屋を与えられる。

何か失敗すれば叩かれる。


実父の男爵自身は、ほとんど家にいなかった。


「そんな……」


調査結果を聞いた父が青ざめた。


「男爵は何をしていた」

「領地と王都を往復していたようです」

「だから娘の扱いを知らなかったと?」


父の声は低かった。

それから先は大人たちの仕事になった。

ほどなくして、ミアは正式にエヴァンス公爵家で預かることになった。



その夜。

ヴィオラの部屋を誰かが叩いた。


「誰?」

「……ミアです」

「入りなさい」


寝間着姿のミアが立っていた。


「眠れないの?」


首を横に振る。


「ヴィオラ様」

「なに?」

「どうして、私に優しくしてくださるんですか?」


最初の理由は簡単だった。

悪役令嬢として断罪されたくないから。

国外追放も修道院送りも嫌だ。

ゲームによっては処刑エンドまであったのだ。


だからミアを虐めなければいい。

そう思った。

けれど。


今は少し違う。


「……あなたが」


ヴィオラは少し言葉を探す。


「……あなたが焼き菓子を食べたとき、嬉しそうだったから」

「え?」

「もっと嬉しそうな顔を見たいと思ったの」


ミアがぽかんとする。

ヴィオラも自分で言っておいて恥ずかしくなる。


「変ね」

「……はい」

「そこは否定するところよ」

「ご、ごめんなさい」


二人で笑った。


「明日から『お姉様』でもいいわよ」


ミアの目が丸くなる。


「嫌なら――」

「お姉様!」

「近い近い近い!」


飛びつかれた勢いで、そのままベッドに倒れ込んでしまった。

十二歳にして、ヴィオラは知った。

ヒロインは画面の外だと意外と重い。



◇◇◇



それから六年。

いろいろなことがあった。


「お姉様!見てください!」

「走らない!」

「刺繍が完成しました!」

「まあ。本当に上手になったわね」

「お姉様に差し上げます!」

「嬉しいわ。ありがとう」


ミアはよく笑うようになった。

よく食べるようにもなった。

背も伸びた。


一緒に寝るのだと、ヴィオラのベッドに勝手に入ってマーサに怒られたり。

ヴィオラだけが外出するときは前もって伝えておかないと、激しくごねたり。

お揃いのドレスを新調した時は、そのドレスを片時も手放さず針子が困ったり。

ヴィオラに婚約者がいると知った時は、はっきりと落ち込んだ。

そして何故か婚約者について知りたがったので、この国の皇太子だと教えてあげると、街で買って来た絵姿に向かって何かブツブツと呟くようになった。

速攻でマーサが絵姿を取り上げた。



つまり。

世界の中心がヴィオラになった。


そしてミア十六歳。

運命の日がやって来た。

王立学園入学の日。


「ついに来たわね」

「お姉様、何がです?」


馬車の中。

ヴィオラは拳を握った。


「ゲーム開始よ」

「げーむ?」

「気にしないで」

「またお姉様が時々言う謎の言葉ですね」

「そうよ」


準備はした。

ミアを虐めない。

婚約者である王太子セドリックに執着しない。

攻略対象には極力近づかない。


何より。


「ミア」

「はい?」

「知らない男についていっちゃ駄目よ」

「もう、子どもではありませんっ」

「甘い言葉を言われても?」

「ついていきません」

「すごく顔がよくても?」

「ついていきません」

「どこかの王子でも?」

「ついていきません!」

「よろしい」

「お姉様は私を何だと思っているんです?」


ヒロイン。

しかも逆ハーレムルートを持っているヒロイン。

恐ろしくて口には出せない。


そしてこの日。

ヴィオラは運命の光景を目撃した。


「あっ!」


ミアが転んだ。

大量の書類が宙を舞う。

そして、それを拾った青年。


銀髪に青い瞳。

この国の王太子。

そしてヴィオラの婚約者である、セドリック。


来た。

ゲーム最初のイベント。


ここでミアが王太子を知らず、


『あなたも学生なら、ちょっとは手伝ってください!』


と言う場面だ。

そしてその身分を気にしない態度に、王太子が興味を持つ……のだが。


「大丈夫か?」

「ありがとうございます!」


ミアが顔を上げ、二人の視線が合った。


ヴィオラは息を呑んだ。

とうとう運命が――。


「あ」


ミアが立ち上がった。


「お姉様の婚約者の方ですね!」


セドリックが固まった。


「……お姉様?」

「ヴィオラお姉様です」

「ああ」


王太子がヴィオラを見る。

ヴィオラは遠くから曖昧に笑った。


「いつもお姉様がお世話になっております!」


ミアが深々と頭を下げた。


「……お世話?」

「はい!」

「いや、どちらかというと私が世話をされているが」

「やっぱり!」

「やっぱり?」

「お姉様はしっかりしていますから!」


何だろう。


イベントが始まらない。

セドリックも困っている。


ミアは書類を受け取ると、


「ありがとうございました!」


と満面の笑顔で走ってきた。


「お姉様!」

「……ミア」

「王太子殿下、優しい方ですね!」

「そうね」

「お姉様、よかったですね!」

「……そうね」


ヴィオラは悟った。

六年間かけて。

自分はゲームのフラグを根元からへし折ってしまったらしい。



◇◇◇



しかし。

安心するのは早かった。

ゲームには攻略対象が五人いる。


王太子の他に。

宰相子息、騎士団長子息、大商家の嫡男、隣国の王子。

より取り見取りだ。

一人くらいはミアと恋に落ちるだろう。

そう思っていた。


一か月後。


「ミア嬢。今度、図書館で――」

「ごめんなさい。その日はお姉様とお茶をします」


二か月後。


「君の笑顔は我が国の花のように美しい。今度、一度我が家へ――」

「お姉様に聞いてからでもいいですか?」


三か月後。


「ミア、週末に街へ――」

「お姉様も一緒でいいですか?」


なぜだ。

なぜヒロインが姉依存ルートに入っているのだ。

おかげで攻略対象たちの視線が、ヴィオラに刺さりまくっている。

けれど。

ふと、ヴィオラは思った。

(……これ、大丈夫なのかしら)


ゲームのミアは、攻略対象の誰かと恋に落ちる。

そして最後には、幸せそうに笑っていた。

なのに今のミアは、誰から誘われてもヴィオラのところへ戻ってくる。


(もしかして私、ミアの人生まで変えてしまった?)


断罪されたくなかった。

だからミアを助けた。

もちろん、今はそれだけではない。

ミアは大切な妹だ。

けれど――。


(私があの日、手を取ったせいで。本来この子が手にするはずだった幸せまで、なくしてしまったのだとしたら……?)


「ヴィオラ」


ついにセドリックから呼び出された。


「はい」

「少し相談がある」

「何でしょう」

「ミア嬢についてだ」


来た。

やはり王太子ルートなのか。

ヴィオラは覚悟した。


「彼女は……」

「はい」

「君のことが好きすぎないか?」

「…………」


色々違った。


「先日、私が君へ贈った花について三十分質問された」

「まあ」

「好きな花を把握しているのか。嫌いな色は知っているのか。花言葉は確認したのか、と」

「申し訳ございません」

「その前は、君の誕生日に何を贈るのか聞かれた」

「……申し訳ございません」

「私より、はるかに君の好みについて詳しかった」

「本当に申し訳ございません」


セドリックは額を押さえた。


「ヴィオラ」

「はい」

「私は君と結婚できるのだろうか」

「なぜ私に聞くのです?」

「ミア嬢の許可が必要な気がしてきた」


思わず吹き出した。


「笑い事ではない」

「ごめんなさい」

「私は真剣だ」

「でしたら、ご自身でお聞きになっては?」


セドリックは本当に聞いた。


「ミア嬢」

「はい!」

「私はヴィオラと結婚したい」

「知っています」

「……許してもらえるだろうか」

「お姉様を泣かせませんか?」

「努力する」

「浮気しませんか?」

「絶対にしない」

「お姉様のお仕事を邪魔しませんか?」

「しない」

「お姉様は朝が弱いです」

「知っている」

「辛いものが苦手です」

「知っている」

「冬は足が冷たくなるので――」

「ミア!」


さすがに止めた。

セドリックは笑っていた。


ゲームでは。

この人はミアと恋に落ちる可能性があった。

ヴィオラを捨てる可能性があった。


でも。

目の前にいるセドリックはゲームの攻略対象ではない。

長年、ヴィオラと共に過ごした人だ。


ミアも同じ。


もう誰も、ゲームで決められた役どおりには動いていなかった。




◇◇◇




卒業の日。


ヴィオラは校庭の大樹の下に立っていた。

ゲームなら。

ここでエンディングを迎える。


ヒロインが攻略対象と愛を誓う場所。


「お姉様!」


声がする。

振り返る。

ミアが走ってきた。


「走らない!」

「今日くらいいいでしょう!」

「転ぶわよ!」


言った直後。


「あっ」

「ミア!」


ヴィオラは慌てて抱き留めた。


「もう!」

「えへへ」

「笑い事じゃないわ」

「お姉様が助けてくださると思って」

「人を当てにして転ぶんじゃありません!」


二人で笑った。


「お姉様」

「なに?」

「私、お姉様に会えてよかったです」


突然だった。


「どうしたの?」

「今日、卒業してしまうでしょう?学校ではもう会えないですよね」

「そうね」

「だから言っておきたくて」


ミアが笑う。


「十二歳のあの日、お姉様が来てくださらなかったら、私、どうなっていたのかなって」


ヴィオラは答えられなかった。

ゲームなら。

ミアは生きていた。


学園へ来て。

王子たちと出会って。

恋をして。

幸せになった。


だから。

ヴィオラが何もしなくても、きっと生きていたのだろう。


でも。


「私もよ」

「え?」

「あなたに会えてよかった」


断罪されたくなかった。

だから助けた。

最初は、それだけだった。

けれどいつからだろう。


ミアが笑えば嬉しくなった。

泣けば悲しくなった。

熱を出せば眠れなかった。

初めて刺繍ができた日は、自分のことのように嬉しかった。


「お姉様?」

「……ねえ、ミア」

「はい」

「もし私が、あなたを助けた理由が、とても自分勝手なものだったとしたら?」


ミアは少し考えた。


「いいです」

「え?」

「だって、助けてくださったでしょう?」

「でも」

「理由が何でも、十歳の私に焼き菓子をくださったのはお姉様です」


ヴィオラは目を見開いた。


「お医者様を呼んでくださったのも」

「……」

「お父様に掛け合ってくださったのも」

「……」

「夜、怖い夢を見たとき、一緒に寝てくださったのも」

「それはあなたが泣くから」

「はい」

「ベッドを占領したでしょう」

「はい」

「寝相も悪かったわ」

「今もです」

「直しなさい」


二人で笑った。


「だから」


ミアがヴィオラの手を握った。


「理由なんて、どうでもいいです」


温かい。

初めて握ったときは、あんなに冷たかった手が。


「お姉様が私のお姉様で、それで十分です」


困った。

泣きそうだ。

悪役令嬢なのに。

ヒロインの前で泣くなんて。


「ミア」

「はい」

「一つだけ訂正しておくわ」

「何です?」

「私はあなたの姉ではありません」

「えっ」

「血は繋がっていないでしょう」


ミアの顔が曇る。

ヴィオラは笑った。


「だから、これから正式になればいいのよ」

「正式?」

「お父様と話してあるわ」

「……え?」

「あなたをエヴァンス公爵家の養女に迎える準備ができています」


ミアの目が大きくなる。


「もちろん、あなたが嫌でなければだけれど」

「…………」

「ミア?」

「おねえさまああああ!」

「ちょっ、待って!」


目にも留まらぬ速さで抱き着かれた。


「ッ苦しい!」

「私、お姉様の妹になれるんですか!?」

「今まで散々お姉様と呼んでいたでしょう!」

「正式にです!」

「分かったから離れなさい!」

「嫌です!」

「ミア!」


大樹の向こうから、セドリックがこちらを見ていた。

目が合った。

彼は笑いながら肩をすくめた。


――助けようか?


そんな顔だ。

ヴィオラは首を横に振った。


必要ない。

これは自分が選んだ未来だから。


悪役令嬢はヒロインを虐める。

ヒロインは王子と恋に落ちる。

悪役令嬢は断罪される。


そんな物語だった。

けれど。



「お姉様、大好きです!」

「はいはい」

「お姉様は?」

「言わなくても分かるでしょう?」

「聞きたいです!」

「もう!」


仕方なく。


ヴィオラは妹の背中へ腕を回した。

ゲームのエンディングにはなかった一枚絵。

きっと今の二人は、そんな姿をしている。



「私も大好きよ、ミア」



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