「お姉様大好き!」――転生悪役令嬢がヒロインを保護した結果――
ヴィオラが前世を思い出したのは十二歳の時だった。
本当に突然、脳内に「前世データ復旧完了」というウィンドウが一瞬出たのだ。
(前世データ?)
としばし固まる。
その理由は分かっていた。
目の前の少女だ。
――この子、乙女ゲームのヒロインだ。
薄桃色の髪。
空色の瞳。
男爵家に引き取られたばかりの庶子。
ゲームで自分を断罪に追い込んだ主人公、ミア。
「あの……?」
ひどく怯えた声。
ゲームのヴィオラはここで拒絶する。
『庶子が話しかけないでくださる?』
そして軽く突き飛ばすのだ。
破滅ルートの始まり。
だがヴィオラは立ち上がった。
ミアがびくっと震える。
近づいて、見て、固まった。
細い。
あまりにも細い。
十歳なのに頬はこけ、袖から覗く手首には青黒い痣。
ゲーム画面では分からなかった現実がそこにあった。
今日、寄子の子爵家が主催するパーティーに参加していなければ、気づくこともなかっただろう。
「最後に食事したのは?」
「……え?」
「いつ?」
ミアは黙る。
ヴィオラは侍女を振り返った。
「馬車を」
「お嬢様?」
「この子を連れて帰ります」
「えっ」
侍女もミアも固まる。
そして――
パーティーの主催者である子爵家当主が、慌てて駆け寄ってきた。
「えっ、エヴァンス公爵家のお嬢様!?あの、その子は……招待客でして……!」
ヴィオラは腕を組んだ。
「こんな状態の子を放置していたら、わたくしを断罪する前にほどなく死ぬでしょう」
「だ、断罪……?死ぬ?」
当主がワインを落とした。
侍女が青ざめた。
ミアはぽかんとした。
ヴィオラはミアの手を取った。
冷たい。
「まず食事。それから医者。話はその後です」
悪役令嬢ヴィオラ・エヴァンス十二歳。
将来自分を破滅させるヒロインを、本日、堂々と連れ去った。
◇◇◇
「お嬢様。これは誘拐です。犯罪です」
「人聞きの悪いことを言わないで」
「では何と?」
「れっきとした保護よ」
「男爵家から許可をいただいておりません」
「あとでもらうわ」
「誘拐です」
「お父様には黙っていて」
「無理です」
ミアは座席の隅で小さくなっていた。
捕らえられた子鼠のように縮こまっている。
「ミア」
「はいっ」
肩が跳ねる。
ゲームの天真爛漫ヒロインはどこへ行ったんだろう。
「お腹は空いている?」
「……いいえ」
きゅう。
小さな音。
ミアが真っ赤になる。
「空いているじゃない」
「ご、ごめんなさい!」
「なぜ謝るの?」
「お腹が鳴って……」
「生きてる証拠でしょう」
「でも……」
「マーサ、焼き菓子を」
「はい」
包みを出すと、ミアの目が一瞬だけ輝いた。
だがすぐ俯く。
「食べなさい」
「……いいんですか?」
「そのために出したのよ」
恐る恐る一口。
ミアの目が丸くなる。
「……おいしい」
その瞬間、ヴィオラの胸に何かが刺さった。
ゲームでは知らなかった。
ミアがどんな生活をしてきたのか。
なぜ学園で何にでも感動していたのか。
『庶民として育ったから』
そんな可愛い話ではなかった。
「もう一つ食べる?」
「……いいんですか?」
「好きなだけ食べなさい」
ミアがやっと少し笑った。
ヴィオラはその笑顔から目が離せなかった。
◇◇◇
帰宅したヴィオラは父に盛大に叱られた。
「他家の令嬢を勝手に連れて帰ってくる者があるか!」
「ここにおります」
「そういう意味ではない!」
しかしヴィオラは引かない。
「ミアの腕に痣があります。医師によれば栄養状態も悪いです。男爵家へ帰すのですか?」
父が黙る。
「調べてください」
しばらく見つめ合い、父は息を吐いた。
「……分かった」
結果が出るまで一週間もかからなかった。
ミアの父である男爵は、庶子の存在を長く知らなかったらしい。
一人でミアを育てていた母親が亡くなり、仕方なく引き取ったそうだ。
しかし男爵夫人は夫の庶子を歓迎しなかった。
使用人もそれに倣った。
食事を減らされる。
掃除の行き届いていない、汚れた部屋を与えられる。
何か失敗すれば叩かれる。
実父の男爵自身は、ほとんど家にいなかった。
「そんな……」
調査結果を聞いた父が青ざめた。
「男爵は何をしていた」
「領地と王都を往復していたようです」
「だから娘の扱いを知らなかったと?」
父の声は低かった。
それから先は大人たちの仕事になった。
ほどなくして、ミアは正式にエヴァンス公爵家で預かることになった。
その夜。
ヴィオラの部屋を誰かが叩いた。
「誰?」
「……ミアです」
「入りなさい」
寝間着姿のミアが立っていた。
「眠れないの?」
首を横に振る。
「ヴィオラ様」
「なに?」
「どうして、私に優しくしてくださるんですか?」
最初の理由は簡単だった。
悪役令嬢として断罪されたくないから。
国外追放も修道院送りも嫌だ。
ゲームによっては処刑エンドまであったのだ。
だからミアを虐めなければいい。
そう思った。
けれど。
今は少し違う。
「……あなたが」
ヴィオラは少し言葉を探す。
「……あなたが焼き菓子を食べたとき、嬉しそうだったから」
「え?」
「もっと嬉しそうな顔を見たいと思ったの」
ミアがぽかんとする。
ヴィオラも自分で言っておいて恥ずかしくなる。
「変ね」
「……はい」
「そこは否定するところよ」
「ご、ごめんなさい」
二人で笑った。
「明日から『お姉様』でもいいわよ」
ミアの目が丸くなる。
「嫌なら――」
「お姉様!」
「近い近い近い!」
飛びつかれた勢いで、そのままベッドに倒れ込んでしまった。
十二歳にして、ヴィオラは知った。
ヒロインは画面の外だと意外と重い。
◇◇◇
それから六年。
いろいろなことがあった。
「お姉様!見てください!」
「走らない!」
「刺繍が完成しました!」
「まあ。本当に上手になったわね」
「お姉様に差し上げます!」
「嬉しいわ。ありがとう」
ミアはよく笑うようになった。
よく食べるようにもなった。
背も伸びた。
一緒に寝るのだと、ヴィオラのベッドに勝手に入ってマーサに怒られたり。
ヴィオラだけが外出するときは前もって伝えておかないと、激しくごねたり。
お揃いのドレスを新調した時は、そのドレスを片時も手放さず針子が困ったり。
ヴィオラに婚約者がいると知った時は、はっきりと落ち込んだ。
そして何故か婚約者について知りたがったので、この国の皇太子だと教えてあげると、街で買って来た絵姿に向かって何かブツブツと呟くようになった。
速攻でマーサが絵姿を取り上げた。
つまり。
世界の中心がヴィオラになった。
そしてミア十六歳。
運命の日がやって来た。
王立学園入学の日。
「ついに来たわね」
「お姉様、何がです?」
馬車の中。
ヴィオラは拳を握った。
「ゲーム開始よ」
「げーむ?」
「気にしないで」
「またお姉様が時々言う謎の言葉ですね」
「そうよ」
準備はした。
ミアを虐めない。
婚約者である王太子セドリックに執着しない。
攻略対象には極力近づかない。
何より。
「ミア」
「はい?」
「知らない男についていっちゃ駄目よ」
「もう、子どもではありませんっ」
「甘い言葉を言われても?」
「ついていきません」
「すごく顔がよくても?」
「ついていきません」
「どこかの王子でも?」
「ついていきません!」
「よろしい」
「お姉様は私を何だと思っているんです?」
ヒロイン。
しかも逆ハーレムルートを持っているヒロイン。
恐ろしくて口には出せない。
そしてこの日。
ヴィオラは運命の光景を目撃した。
「あっ!」
ミアが転んだ。
大量の書類が宙を舞う。
そして、それを拾った青年。
銀髪に青い瞳。
この国の王太子。
そしてヴィオラの婚約者である、セドリック。
来た。
ゲーム最初のイベント。
ここでミアが王太子を知らず、
『あなたも学生なら、ちょっとは手伝ってください!』
と言う場面だ。
そしてその身分を気にしない態度に、王太子が興味を持つ……のだが。
「大丈夫か?」
「ありがとうございます!」
ミアが顔を上げ、二人の視線が合った。
ヴィオラは息を呑んだ。
とうとう運命が――。
「あ」
ミアが立ち上がった。
「お姉様の婚約者の方ですね!」
セドリックが固まった。
「……お姉様?」
「ヴィオラお姉様です」
「ああ」
王太子がヴィオラを見る。
ヴィオラは遠くから曖昧に笑った。
「いつもお姉様がお世話になっております!」
ミアが深々と頭を下げた。
「……お世話?」
「はい!」
「いや、どちらかというと私が世話をされているが」
「やっぱり!」
「やっぱり?」
「お姉様はしっかりしていますから!」
何だろう。
イベントが始まらない。
セドリックも困っている。
ミアは書類を受け取ると、
「ありがとうございました!」
と満面の笑顔で走ってきた。
「お姉様!」
「……ミア」
「王太子殿下、優しい方ですね!」
「そうね」
「お姉様、よかったですね!」
「……そうね」
ヴィオラは悟った。
六年間かけて。
自分はゲームのフラグを根元からへし折ってしまったらしい。
◇◇◇
しかし。
安心するのは早かった。
ゲームには攻略対象が五人いる。
王太子の他に。
宰相子息、騎士団長子息、大商家の嫡男、隣国の王子。
より取り見取りだ。
一人くらいはミアと恋に落ちるだろう。
そう思っていた。
一か月後。
「ミア嬢。今度、図書館で――」
「ごめんなさい。その日はお姉様とお茶をします」
二か月後。
「君の笑顔は我が国の花のように美しい。今度、一度我が家へ――」
「お姉様に聞いてからでもいいですか?」
三か月後。
「ミア、週末に街へ――」
「お姉様も一緒でいいですか?」
なぜだ。
なぜヒロインが姉依存ルートに入っているのだ。
おかげで攻略対象たちの視線が、ヴィオラに刺さりまくっている。
けれど。
ふと、ヴィオラは思った。
(……これ、大丈夫なのかしら)
ゲームのミアは、攻略対象の誰かと恋に落ちる。
そして最後には、幸せそうに笑っていた。
なのに今のミアは、誰から誘われてもヴィオラのところへ戻ってくる。
(もしかして私、ミアの人生まで変えてしまった?)
断罪されたくなかった。
だからミアを助けた。
もちろん、今はそれだけではない。
ミアは大切な妹だ。
けれど――。
(私があの日、手を取ったせいで。本来この子が手にするはずだった幸せまで、なくしてしまったのだとしたら……?)
「ヴィオラ」
ついにセドリックから呼び出された。
「はい」
「少し相談がある」
「何でしょう」
「ミア嬢についてだ」
来た。
やはり王太子ルートなのか。
ヴィオラは覚悟した。
「彼女は……」
「はい」
「君のことが好きすぎないか?」
「…………」
色々違った。
「先日、私が君へ贈った花について三十分質問された」
「まあ」
「好きな花を把握しているのか。嫌いな色は知っているのか。花言葉は確認したのか、と」
「申し訳ございません」
「その前は、君の誕生日に何を贈るのか聞かれた」
「……申し訳ございません」
「私より、はるかに君の好みについて詳しかった」
「本当に申し訳ございません」
セドリックは額を押さえた。
「ヴィオラ」
「はい」
「私は君と結婚できるのだろうか」
「なぜ私に聞くのです?」
「ミア嬢の許可が必要な気がしてきた」
思わず吹き出した。
「笑い事ではない」
「ごめんなさい」
「私は真剣だ」
「でしたら、ご自身でお聞きになっては?」
セドリックは本当に聞いた。
「ミア嬢」
「はい!」
「私はヴィオラと結婚したい」
「知っています」
「……許してもらえるだろうか」
「お姉様を泣かせませんか?」
「努力する」
「浮気しませんか?」
「絶対にしない」
「お姉様のお仕事を邪魔しませんか?」
「しない」
「お姉様は朝が弱いです」
「知っている」
「辛いものが苦手です」
「知っている」
「冬は足が冷たくなるので――」
「ミア!」
さすがに止めた。
セドリックは笑っていた。
ゲームでは。
この人はミアと恋に落ちる可能性があった。
ヴィオラを捨てる可能性があった。
でも。
目の前にいるセドリックはゲームの攻略対象ではない。
長年、ヴィオラと共に過ごした人だ。
ミアも同じ。
もう誰も、ゲームで決められた役どおりには動いていなかった。
◇◇◇
卒業の日。
ヴィオラは校庭の大樹の下に立っていた。
ゲームなら。
ここでエンディングを迎える。
ヒロインが攻略対象と愛を誓う場所。
「お姉様!」
声がする。
振り返る。
ミアが走ってきた。
「走らない!」
「今日くらいいいでしょう!」
「転ぶわよ!」
言った直後。
「あっ」
「ミア!」
ヴィオラは慌てて抱き留めた。
「もう!」
「えへへ」
「笑い事じゃないわ」
「お姉様が助けてくださると思って」
「人を当てにして転ぶんじゃありません!」
二人で笑った。
「お姉様」
「なに?」
「私、お姉様に会えてよかったです」
突然だった。
「どうしたの?」
「今日、卒業してしまうでしょう?学校ではもう会えないですよね」
「そうね」
「だから言っておきたくて」
ミアが笑う。
「十二歳のあの日、お姉様が来てくださらなかったら、私、どうなっていたのかなって」
ヴィオラは答えられなかった。
ゲームなら。
ミアは生きていた。
学園へ来て。
王子たちと出会って。
恋をして。
幸せになった。
だから。
ヴィオラが何もしなくても、きっと生きていたのだろう。
でも。
「私もよ」
「え?」
「あなたに会えてよかった」
断罪されたくなかった。
だから助けた。
最初は、それだけだった。
けれどいつからだろう。
ミアが笑えば嬉しくなった。
泣けば悲しくなった。
熱を出せば眠れなかった。
初めて刺繍ができた日は、自分のことのように嬉しかった。
「お姉様?」
「……ねえ、ミア」
「はい」
「もし私が、あなたを助けた理由が、とても自分勝手なものだったとしたら?」
ミアは少し考えた。
「いいです」
「え?」
「だって、助けてくださったでしょう?」
「でも」
「理由が何でも、十歳の私に焼き菓子をくださったのはお姉様です」
ヴィオラは目を見開いた。
「お医者様を呼んでくださったのも」
「……」
「お父様に掛け合ってくださったのも」
「……」
「夜、怖い夢を見たとき、一緒に寝てくださったのも」
「それはあなたが泣くから」
「はい」
「ベッドを占領したでしょう」
「はい」
「寝相も悪かったわ」
「今もです」
「直しなさい」
二人で笑った。
「だから」
ミアがヴィオラの手を握った。
「理由なんて、どうでもいいです」
温かい。
初めて握ったときは、あんなに冷たかった手が。
「お姉様が私のお姉様で、それで十分です」
困った。
泣きそうだ。
悪役令嬢なのに。
ヒロインの前で泣くなんて。
「ミア」
「はい」
「一つだけ訂正しておくわ」
「何です?」
「私はあなたの姉ではありません」
「えっ」
「血は繋がっていないでしょう」
ミアの顔が曇る。
ヴィオラは笑った。
「だから、これから正式になればいいのよ」
「正式?」
「お父様と話してあるわ」
「……え?」
「あなたをエヴァンス公爵家の養女に迎える準備ができています」
ミアの目が大きくなる。
「もちろん、あなたが嫌でなければだけれど」
「…………」
「ミア?」
「おねえさまああああ!」
「ちょっ、待って!」
目にも留まらぬ速さで抱き着かれた。
「ッ苦しい!」
「私、お姉様の妹になれるんですか!?」
「今まで散々お姉様と呼んでいたでしょう!」
「正式にです!」
「分かったから離れなさい!」
「嫌です!」
「ミア!」
大樹の向こうから、セドリックがこちらを見ていた。
目が合った。
彼は笑いながら肩をすくめた。
――助けようか?
そんな顔だ。
ヴィオラは首を横に振った。
必要ない。
これは自分が選んだ未来だから。
悪役令嬢はヒロインを虐める。
ヒロインは王子と恋に落ちる。
悪役令嬢は断罪される。
そんな物語だった。
けれど。
「お姉様、大好きです!」
「はいはい」
「お姉様は?」
「言わなくても分かるでしょう?」
「聞きたいです!」
「もう!」
仕方なく。
ヴィオラは妹の背中へ腕を回した。
ゲームのエンディングにはなかった一枚絵。
きっと今の二人は、そんな姿をしている。
「私も大好きよ、ミア」




