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悪役令嬢の〝推し〟の〝騎士〟

掲載日:2026/05/24

 わたくし、エルザ・アスランは夫である宰相フランツ・アスランが主催する宰相府定例会議に参加していた。


「問題点はわかりました。それで、改善点は?」

 

 わたくしがそう尋ねると、夫、宰相フランツ・アスランの部下、ロレンスが懸命に今回の議題、南地区の発病率の高さについて、汗を拭き拭き改めて説明をする。


「ええ、それは把握しています。周囲に比べてくぼ地になっているために、雨水が集まりやすく、結果、汚水が残留し、それによって感染症への罹患率が高くなっている。十分に理解しています。それの改善点を述べてください」

「はい……それは」

「今日、この議題で宰相会議を行うことは事前に告知していたはずです。現状把握ではなく、その先の提案をするべきでしょう?」

「おっしゃる通りで。申し訳ありません」

「まあいいです。ではわたくしの案から。みなさん地図をご覧になって。水はけをよくするために排水路を作成するとなると、このラインになる。そうすると問題となるのはこのポイント……」


 わたくしが地図をトンと指すと、参加者からざわめきが起こる。

 わたくしの人差し指が示した場所。それは聖マティアス教会の敷地内の一部。

 皆の顔が青ざめていることから察するに、わたくしの言いたいことを理解したようだ。


「あの……」

「聖堂を移設しろと言っているのではないのです、ここは庭園の一部ですよね」

「ですが、教会側が宰相府の要請に応じますかね……」


 王の直属機関である宰相府。そして王と並び、国の権力の頂に建つ教会。両者はいわゆる権力争いというものの、真っただ中にある。


「なにを恐れることがあるの? 国民の健康を第一に考えなさい」

「なかなか一筋縄には……」

「やりなさい。これは宰相府特命です。文句が出るようなら、わたくしが対応します。よろしいですね」


 わたくしがそう尋ねると、宰相でありこの会議主催者である夫フランツが「うん」と頷く。


「さすがは悪役令……いや、宰相府の麗刃だ」


 会議に参加した官僚のささやきが耳に入る。

 すぐに言い直したが、彼が言い間違えた異名、悪役令嬢こそが世間におけるわたくしの本当の異名。

 貴族学校時代にピンク髪の令嬢を階段から落としたとの噂が広まり、「まるで物語の中の悪役令嬢のようだ」と陰で評されたのだ。


 それは階段から落ちたピンク髪令嬢の自作自演、すぐに真相は明らかになり、わたくしの冤罪は晴れたのだが、怖い女であるとのイメージは残ってしまった。


 しかし、すでに宰相である夫との婚約は成立していたため、このイメージはむしろ武器になると判断し、払拭せずに、むしろ怖い女を演じている。

 あれが16歳の時だったから、あれから10年になる。

 悪役令嬢としての冷徹さと強引さも板についてきた。


「ほかになにか意見はありますか? なければ、本日の宰相府定例会議は以上とします。それでは、失礼」


 わたくしが席を立つと、宰相府の官僚たちが一斉に立ち上がる。命じるまでもなく、ひとりの官僚がさっと扉を開き、全員が扉の外までわたくしを見送る。

 わたくしはその視線を背中に受け、廊下を足早に歩き、そそくさと宰相府の庁舎を後にする。


 そして向かった先は――。



  ◆



「きゃーーーーーーーぁあっ! レナードくんっ! こっち向いてー!」


 銀鷹ぎんおう騎士団による衛兵交代式。

 銀鷹騎士団が担当する東門前広場で8時、14時、20時、2時と一日に四回行われる。

 上官の号令の元、門を守る団員が交代する際に、警備交代の儀式――ソード・ドリルを

 行うのだ。


 今日の14時の指揮はレナード副団長。

 わたくしの最推しの騎士だ。


 これは絶対に見なければいけないイベント! まさしくわたくしが急いで庁舎を後にした理由だ。


 そして待つことしばし、東門の前にあの人が現れる。

 銀色の胸当てと群青のマントを纏った銀鷹騎士団。

 その先頭に立つレナード副団長の姿!

 まつ毛の長い切れ長の目、艶やかな黒髪が風を受け、絹糸のようになびいている。


(な、なんと麗しい……)


「部隊――気をつけッ!」


 レナードは通る声で号令を響かせると、ダンッ! と、数十人の騎士が全く同じタイミングでブーツの踵を打ち鳴らした。

 続く静寂。風がマントを揺らす音だけが聞こえる中、レナードが鋭く号令を継ぐ。


「捧げ――つるぎッ!」


 その瞬間、広場に魔法のような金属音の連鎖が響き渡った。


 チャキッ!

 全員の純白の手袋が、一糸乱れぬ動きで腰の鞘を掴み、同時に剣の柄に手をかける。

 シャアアッ!

 数十本の長剣が、寸分の狂いもない速度で同時に抜かれる。鋼が鞘を滑り出る甲高い音が、一つの巨大な刃鳴りとなって空気を震わせた。


「かっこいいぃ! レナードくん、素敵~!」


 これはわたくしではない。わたくしの隣で両手を振り絶叫しているのは、同担のミーアだ。

 銀鷹騎士団は一騎当千のつわもの精鋭部隊、しかも眉目秀麗な団員揃いとあって、こうして影ながら応援している者が多いのだ。

 ……影ながら? 全力で手を振って認知されようとしているけど。


 そのなかでもレナード副団長はそのクールな雰囲気で最近人気急上昇中。

まあ、わたくしは幹部になる前の平団員のころから推していたけれども。


 レナード副団長は見物人の婦女子の視線を浴びながら、表情一つ変えず、自らも鞘から剣を抜き、捧げ剣の姿勢をとる。

 銀色の刃が陽光を反射して、レナードの涼やかな目元にキラリと輝かせる。


(はぁあああ、かっこいいぃ!)


 ミーアのように叫びはしないが、わたくしの胸の中にトキメキが満ちていく……。

 宰相としての器量が不足している夫の代わりに、事実上の宰相として国政を切り盛りする日々。

 重い責務からこの瞬間だけは解放されて、この胸のキュンキュンとだけ向き合えばいい。


 はぁ……、心から思う。


 この瞬間のために生きていると……。

 


  ◆



 儀式を最後まで堪能したわたくしたちは、城門前広場からほど近いいつものカフェへと席を移していた。


 香りの良いハーブティーと、たっぷりのクロテッドクリームを添えた焼きたてのスコーン。そして何より、推しについての熱い語り合い。これぞ至福の時間である。


「今日のレナード副団長、納刀の瞬間のマントの翻り方が最高でしたわね!」

「わかる! 特にあの伏し目がちな視線からの、剣をパシィッて叩き込む手つき! もうたまらないよね〜!」


 わたくしの言葉に、情報通のミーアが興奮気味に同意する。同席しているおそらく年上でおっとりした性格のクロエも、「ええ、本当に……ため息が出る」と頬を紅潮させて頷いた。


 ここでは年齢も身分も明かさないのがルール。わたくしも言葉遣いを変えてフランクに話している。

ただ純粋に推し活を楽しむ。それを邪魔する情報は必要ないのだ。

 幸いにして、わたくしの素性を知る者はいなかった。名を名乗れば「あの!」となる人もいるかもしれないが、名前は知られていても顔を表に出すことは少ないので、宰相府の官僚や、上位貴族、もしくは王族くらいにしか顔を指すことはないだろう。


 そんな気の置けない仲間との推しトークは弾みに弾み、宴もたけなわのころ、ミーアが突如としてふっと声を潜めた。


「……ねえ、二人とも。ちょっと嫌な噂、聞いたんだけど」

「嫌な噂?」

銀鷹ぎんおう騎士団が賄賂をもらってるって噂」

「はぁ!?」


 わたくしが思わず声を上げると、ミーアが「しーっ!」っと唇の前に指を立てる。


「最近、王都の裏社会で〝サーベルタイガーの牙〟が大量に密輸されてるらしいのよ」

「サーベルタイガーって、あの巨大な魔獣の?」


 クロエが目を丸くする。

 わたくしも眉をひそめた。サーベルタイガーの牙といえば、希少な魔導具の素材になるが、牙一本だけでも大人の腕ほどの長さと太さがある。


「そんな大きなもの、城門の検問で一目でバレてしまうのでは?」


 わたくしがそう尋ねると、ミーアは大きく頷く。


「そうなのよ。普通の荷馬車じゃ絶対に隠しきれないサイズなの。だからね……城門の警備を担当している銀鷹騎士団が、裏で賄賂を受け取って見逃してるんじゃないかって噂になってるの」

「なっ……!?」


 一騎当千で誇り高く、王都の盾である銀鷹騎士団が、賄賂で密輸を見逃すなどあり得ない。しかし、ミーアの言葉にはさらに衝撃的な続きがあった。


「しかもね、特に怪しまれてるのが……レナード副団長らしいのよ」

「…………は?」

「だって、あんな大きな物が当たり前に運び込まれて、捕まらないのよ。どう考えても賄賂だろうって、それで団長は今は現場にあまり出ていないから、副団長だろうって」


 ――ガチャンッ!!!


 わたくしは持っていたティーカップを、ソーサーに少し強く叩きつけた。

 紅茶が少し跳ねたが、そんなことはどうでもいい。


「エ、エルザちゃん……?」

「レナードくんはそんなことしないっ!」


 カフェの他の客が何事かと振り向くのも構わず、わたくしはテーブルを叩いて身を乗り出した。

 その勢いにミーアとクロエがビクッと肩を跳ねさせる。


「いや、あくまで噂で」

「そんなのはウソ! レナードくんはそんなことしないっ! 絶対にっ!!」

「えっと……根拠は?」

「レナードくんはね、クールな見た目だけど実は熱い気持ちの持ち主で、団のことを誰よりも想っているの! そんな人が団の名に泥を塗るようなことはしない! それにレナードくんは大の猫好きなの! サーベルタイガーって牙を抜かれると死んじゃうのよ! そんなこと、レナードくんが許すわけない!」


 わたくしが勢いよく、かつ早口でまくし立てたために、仲間のミーアとクロエですら唖然としている。


「とにかくレナードくんはそんなことしない!」

「私もそう信じてるけど……」

「大丈夫、そんな噂、すぐにウソだってわかるから」


(ええ、わたくしがわからせてあげる!)


 わたくしはそう決意すると残りの紅茶を勢いよく飲み干したのだった。



  ◆



 カフェを飛び出し、宰相府の執務室に戻るや否や、わたくしは執務デスクの呼び鈴を激しく鳴らした。


「ロレンス、お願いしたいことがあるの」

「は、はいっ! エルザ様、いかがなされましたかっ!?」


 わたくしが呼びだしたのは先日の会議にも出席していた官僚のロレンスだ。

 昨日の叱責が効いたのか、名前を読んだだけでびくっと身体を震わせる。


「過去一ヶ月の通行記録をすべて持ってきなさい、東西南北、すべての門の記録を」

「全部、かなりの量になりますが……」

「構いません。すべて持ってきて」


 それから数日、宰相府の執務室に籠もり、わたくしは山積みの通行記録と睨み合っていた。

 しかし、怪しい荷馬車や商隊の記録は一切出てこない。検問の記録はしっかりしており、荷の記載に怪しい点はない。


(……それなら、視点を変えるしかないか)


 密輸されている〝サーベルタイガーの牙〟は、滋養強壮のポーション、猛獣の秘薬ビーストシロップの素材となる。

 猛獣の秘薬はあまりに効果が強く、快楽のために乱用する者が発生したため、違法な薬物として取り扱いが禁止されている。


(問題は、違法なポーションを作っている裏の錬金所がどこにあるか……)


 牙は本体から切り離されると急速に魔力が抜け落ちてしまう性質がある。つまり、鮮度を保つためには、王都に持ち込んだ直後に錬金所で加工しなければならないのだ。


 当然、そんなものは秘密裏に稼働しているため、帳簿や足取りからどの錬金所で作っているかを特定することは不可能に近い。


 行き詰まりかけたその時、わたくしの脳裏に〝ある地図〟が閃いた。


(……南地区のくぼ地。雨水が集まり、汚水が残留する場所)


 数日前の宰相府定例会議で、わたくし自身が教会の庭を削ってでも排水路を整備しろと命じた、あの南地区の地図だ。

 裏の錬金所の多くは、家賃が安く人目のつかない南地区に密集している。


「錬金所の場所が分からなくとも、〝ポーションを作った日〟さえ分かればいい……!」


 猛獣の秘薬はサーベルタイガーの牙を特殊な溶解液、白幻水に溶かす必要がある。

 そうしてポーションを作成し、上澄みを抽出すると魔力性のカルシウム成分が残る。

 それは当然、南地区の排水路へと流れていく。


「ロレンス! 南地区の排水の成分を調査します! 直ちに人員を用意しなさい」


 それからひと月、宰相府の職員たちを数名確保して、排水における魔力性カルシウムの濃度を時間ごとに徹底的に調査する。

 そもそも南地区の排水に関しては詳細に調査する予定だったために、誰にも変な行動をとっているとは思われなかった。

 そして一か月の綿密な調査の結果……。

 

「この加工日の前日、あるいは当日に南門を通った記録……」


 通行記録と、排水の汚染記録。二つのデータを重ね合わせた時、ひとつの異様な共通点が浮かび上がった。

 魔力性カルシウム成分濃度が跳ね上がっている日、南門を通過しているのは、決まって〝教会の葬列〟だったのだ。


「今月の南地区の死亡届の数は?」

「はい、直ちに!」


 ロレンスはすぐにわたくしの必要な資料を用意してくれる。

 このひと月あまりでかなり使えるようになった。


(やっぱり葬儀の数と死亡届の数がズレている)


 死体の代わりに棺桶に牙を詰めこんだとしたら……?


 教会の司祭がついている葬列であれば、死者の冒涜になるため門から出るときも棺桶の中身を改められることはない……。


「これで、すべての辻褄が合ったわ!」


 無意識のうちに、わたくしの声が大きくなっていたようで、ロレンスが久しぶりに身体をびくっと震わせたのだった。



  ◆



(……随分と人が減ったわね)


 久しぶりに足を運んだ東門前広場。

 銀鷹ぎんおう騎士団の衛兵交代式を待つ見物人の数は、以前の半分以下にまで減っていた。「銀鷹騎士団が賄賂で密輸を見逃している」という黒い噂は、それだけ市民やファンたちの心を離れさせるのに十分な毒だったのだ。


「あ、エルザちゃん!」


 見慣れた場所で、同担のミーアとクロエがわたくしを見つけて駆け寄ってきた。


「久しぶり! 全然姿を見せないから、エルザちゃんも他界しちゃったのかと思ったよ……」

「まさか。わたくしがレナードくん推しを辞める日なんて、未来永劫来ないから。でも、人、減ったね」


ミーアが少し寂しそうに肩を落とす。


「噂のせいでみんな離れちゃって……。騎士団への風当たりも強くなってるの。レナード副団長も最近すごく疲れてるみたい……」


 その言葉に、わたくしは胸が締め付けられる思いだった。

 誇り高き彼が、いわれのない罪でどれほど苦しんでいるか。その重圧は計り知れない。


 やがて、広場に重厚なブーツの足音が響き渡る。

 先頭を歩くレナードの顔には、かつての涼やかな余裕はなく、どこか影が落ち、目元には微かな疲労の色が滲んでいた。

 しかし、その号令の鋭さと、剣を捧げる所作の美しさは、何一つ変わっていなかった。


(レナードくん! あなたの名誉は、わたくしが必ず取り戻してみせるからねっ!)



 ◆



 衛兵交代式が終わり、団員たちが詰所へと引き上げていく。

 わたくしはミーアたちに「急用を思い出したわ」と告げてその場を離れると、人目を避けて詰所の裏手へと先回りした。

 騎士団推しにとって出待ちは禁物。作戦行動の邪魔になりかねないからだ。


 今回は特別な事情がある。とはいえ出待ちをしていたと思われると、今後の推し活に支障が出る。


 やがて、一人で裏口から出てきたレナードの姿が見えた。

 ハンカチで額の汗を拭うとふうと微かに疲労混じりの溜息をつく。


(あああああ!  素のレナードくん尊い!  疲れた顔もはかなげで美しい!)


 などという邪念は心の奥に押しとどめつつ、わたくしは『宰相府の麗刃』としての冷徹な声色を作り、日陰から歩み出た。


「レナード副団長。少々お時間をいただけますか」

「……!  誰だ。ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」


 突如現れた怪しい女に、レナードの目が鋭く細められる。腰の剣に手をかける警戒の動作すらも流れるように美しい。


 わたくしは怯むことなく彼との距離を詰めると、懐から身分証を取り出す。


「宰相府特務局の者です」


 わたくしが渡したのは宰相府の職員であることをしめす純銀の身分証。わたくしは宰相の妻であり、職員ではないのでとりあえずロレンスの物を拝借してきた。


「……宰相府の人間が、なんの用だ?」

「あなたと、銀鷹ぎんおう騎士団の濡れ衣を晴らしに参りました」


 わたくしは南地区の排水路から割り出した「錬金所の稼働日」と、通行記録の「教会の葬列」の符合を簡潔に伝える。


「教会が……棺桶を使って、サーベルタイガーの牙を密輸していると?」

「ええ。現時点ではあくまでわたくしの推測に過ぎず、証拠はありませんが。……どうします?  ご自身の潔白を証明したくはありませんか?」

「当然だ。俺個人の名誉はどうでもいいが、騎士団の顔に泥を塗ることは絶対に許されない。今すぐ部隊を率いて教会を包囲し――」

「いけません」


 熱くなるレナードを冷たく制止する。

 悪役令嬢と称されるキツさが出てしまったが、熱くなった彼を諫めるには、それでいい。


「教会は〝聖域〟です。確たる証拠もなしに騎士団が踏み込めば、法王派に格好の攻撃材料を与え、最悪の場合、異端としてあなたが裁かれますわ。……ですから、極秘裏に教会の内部、それも奥の区画に侵入し、証拠の棺桶を見つけ出す必要があります」

「しかし、どうやって? 一般の祈りなら礼拝堂までしか入れないぞ」


 そう、それこそが、わたくしがレナードを出待ちして、あまつさえ話しかけた理由。


「一つだけ、奥の司祭の部屋に堂々と通され、内部を調べられる〝設定〟がありますわ」

「設定?」

「ええ。わたくしたちは結婚式のために訪れたカップル」


 レナードは今年23歳、26歳のわたくしと釣り合いがとれないこともない。


「…………は?」

「わたくしたちは許されぬ恋で駆け落ち寸前の恋人同士。今夜、親から逃れこの街を出る。その前に教会に立ち寄り、結婚の誓いをする」


 レナードは目を丸くし、みるみるうちに耳の裏まで真っ赤に染め上げた。


「お、俺と貴女が!? 偽装とはいえ、夫婦のふりなど……っ、そんな破廉恥なことができるか!」

「や・る・の・で・す! これは宰相府の特務です!」


 わたくしだって死ぬほど恥ずかしい。

 それに推しと婚約者のフリをするなんて、まさに言語道断、外道の行為。

 これをもしミーアやクロエがやったらと、絶対に許さない。

 しかし、今回は特例中の特例。


 わたくしは心の中で何度も唱え続けてきた言葉を復唱する。


 ――すべてはレナードくんを助けるため。



  ◆



 ――その夜。

 わたくしたちは南地区に建つ聖マティアス教会の礼拝堂の前に立っていた。

 死者のいない葬儀はいずれもここ礼拝堂で行われて、城外の墓地へと出棺している。


「レナード副団長。わたくしたちはいまから『駆け落ち寸前の哀れで情熱的な恋人同士』です。いいですね」

「もちろんわかっている……。そ、そうだな、で、では、失礼して」


 レナードは顔を赤らめながら、ぎこちない仕草でわたくしと腕を組む。

 

「すまない、ずっと騎士団育ちで、こういったことにからきし慣れていなくて……緊張している」

「どうか、お気になさらず」


 と、ちょっと余裕のある感じで笑顔を返してみたもの、実際はわたくしだってガチガチに緊張している。だって、最推しと腕を組んでいるのだから!


 なんとか平静を保ちつつ、重厚な教会の扉を叩く。

 何度かノックすると、眠そうな神官が顔を出した。

 聖マティアス教会の司祭ドノバンだ。


「こんな夜更けに何の用ですかな。本日の祈りの時間はとうに……」

「どうか、お願いです!」


 わたくしはドノバンの言葉を遮り、レナードの腕をぎゅっと強く抱く。


「わたくしたち、身分違いの恋ゆえに親から引き裂かれ……今夜、この街を出るのです! せめて旅立つ前に、神の御前で永遠の愛を誓わせてはいただけないでしょうか! 少しだけ、奥の静かな礼拝堂で祈らせていただければ……っ」


 わざとらしく声を震わせ、金貨の入った小袋をドノバンの手にそっと握らせる。

 ドノバンは金貨の重みを確認すると、嫌悪と欲の混じった笑みを浮かべた。


「……まったく、近頃の若い者は。まあ、よろしいでしょう」


 そう言うと、ドノバンは「準備があるからそこで待っていなさい」と告げ、祭具室へと消えていった。これも予想通り、深夜では聖水、香炉、誓いの杯、なんの準備もない。準備にそれなりに時間がかかるはずだ。


 当然ながら、わたくしたちが「そこで待っている」はずもなく、そそくさと遺体を安置しているはずの地下室へと向かう。


「さあ、手分けして探しましょう。……怪しい棺桶は、と」


 地下室の奥、遺体安置所には、葬儀で使われる予定の豪奢な棺桶がいくつも並んでいた。

 わたくしが周囲を警戒する中、レナードがひとつの棺桶の底に手をかけ、ほんの少し持ち上げた。


「遺体の重さじゃないな……」


 レナードはすかさず棺桶の蓋に手をかけ、力を籠めると、釘で固定されていた棺桶の蓋がギギギと音を立て、取り外される。

 華奢な身体に似合わず、すごい腕力。さすがは副団長。


 そして、棺桶の中に眠っていたのは――。


 やはり遺体などではなかった。


「これは……サーベルタイガーの牙……!」


 大人の腕ほどの長さを持つ、鋭く巨大な牙。それが幾本も、麻袋に詰め込まれて棺桶の中に敷き詰められていた。


「貴様ら! なにをしている!!」


 背後の扉が乱暴に開かれ、ドノバンが現れる。その傍らに武装した僧兵を五名ほど引き連れている。


 しかし――。

 彼らは銀鷹騎士団副団長であるレナードの敵ではなかった。

 サーベルタイガーの牙を目の当たりにして、猫好きのレナードの怒りは頂点に達しており、あっという間に僧兵たちは拳で打ち据えられ、戦闘能力を失い、ドノバンは床に組み伏せられた。


「な、なんだお前たちは……?」

「わたくしたちは宰相府の人間です。下水の排水状況を調べていて、少し不審な点を発見しましたので、立ち入らせていただきました」

「さ、宰相府だと……っ!? ここは教会だ。聖域だぞ」

「はあ? 聖域? 教会の葬列を利用した密輸、および違法薬物の密造に関与した国家反逆罪。もはやここは〝聖域〟ではなく〝事件現場〟です」


 ほどなくして、教会の外から、重厚な足音と鎧の立てる金属音が聞こえてくる。

 事前に申し合わせた通り、外で待機していた銀鷹騎士団が敷地内に踏み込んだのだ。

 本来は騎士団が立ち入ることなどできないが、まさにこの場に犯罪の動かぬ証拠があるのだ。文句は言えまい。


(これは天罰!  わたくしの推しに濡れ衣を着せた罪、しっかりと償ってもらう)


 わたくしはレナードに組み伏せられたドノバンを刃のような冷たい目で見下ろしたのだった。



  ◆



 ――数日後。

 教会の密輸ルートは完全に摘発され、教会側は組織的な犯行を否定し、ドノバンの単独犯行として、聖マティアス教会の司祭を更迭した。

 王命により、宰相府はそれ以上深追いをせず、教会に大きな借りを作らせることで決着を見た。

 もちろん、そのついでに教会の庭園を取り壊し、排水路を通すことにも納得させた上だが。

 当然、銀鷹騎士団とレナード副団長の濡れ衣も完全に晴れたのだった。


 そして――。


 推し活仲間と使ういつものカフェ。

わたくしは特務局員としての最後の「報告」という名目で、レナードと向かい合っていた。


「……本当に、何から何まで感謝する。貴女の力添えがなければ、俺は今頃、騎士団を追放されていただろう」

「お気になさらず。これも職務ですから」


 深々と頭を下げるレナードに対して、わたくしは澄ました笑顔で頷いた。

 よし、これでミッションコンプリート。平和な推し活の日々が戻ってくる。

 そう思った矢先だった。


「あの……」

「はい?」


「俺はずっと前から貴女のこと知ってる気がするんです」


 突然の言葉にわたくしの心臓がドクンと跳ねた。


(えっ……嘘、もしかして、わたくしが宰相の妻だってバレた!?)


 冷や汗が背中を伝う。

 ゆっくりと振り向くと、レナードは真剣な、それでいてどこか熱を帯びた瞳でわたくしを見つめていた。


「貴女は…………いつも、東門の広場で応援してくれている方ですよね」

「…………へ?」


 予想外の言葉に、わたくしは素っ頓狂な声を上げてしまった。


「なっ、なぜ……それを……っ」

「だっていつもあんなに熱烈に応援してくれてるんだから。さすがに顔くらい覚える」


 レナードの頬が微かに朱に染まっている。


「今回、貴女と一緒に行動して……その強さと優しさに惹かれた。もっと貴女のこと知りたいなって思っている」


 レナードは照れ隠しで黒髪を何度も掻き上げながら話を続ける。


「貴女も俺のことを応援してくれているわけで……、二人とも惹かれ合ってるっていうか……、その……どうかな、これからもこうやって二人で会ってくれないかな?」


 ――おお……! なんということ!


 脳内でファンファーレが鳴り響き、数万の天使がラッパを吹き鳴らしている。推しからの、まさかの告白。これ以上の奇跡がこの世に存在するだろうか。


しかし――。


「お断りしますわ」


 わたくしには夫がいる。

 少し頼りない性格ではあるが、夫婦として、そして国政を支えるパートナーとしても信頼している。

 夫を裏切るわけにはいかない。


 そしてなにより――。


「それは推し活のルールに反しておりますので」

「え!?」

「たしかにわたくしはあなたを心から愛でております! ですが、それはあくまで推し活!  推し活とは、遥か遠くから尊い存在を崇め奉り、その輝きを享受する神聖な行為! 特定の個人のものになってしまうなど、同好の士への裏切りでもありますし、わたくしの〝推し活の道〟に反する行為」


 なにを言っているのか理解できずレナードはぽかんとしている。


「あなたはみんなの太陽! どうかこれからも、その素晴らしいソード・ドリルで王都の民を魅了し続けてくださいませ! それでは、ごきげんよう!!」


 なおも口をぽかん開けたまま呆然とする推しを残し、わたくしはドレスの裾を翻して猛ダッシュでその場から逃走した。


 わたくしは非常なまでの意思の強さと冷徹な実行力から、裏では悪役令嬢とすら称されている。


 ――その鉄の意思をもって、推し活のルールだけは絶対に曲げられないのである。


読んでいただきありがとうございました。


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