第6章
片山が17年前の関西国際空港での出来事を語り始めた。坂本が促すようにうなずき、片山は静かに口を開いた。
「17年前の8月、お盆休みの日だった。空港はとても混雑していた。到着便に遅延が発生し、出発便も次々と…誘導路にも長蛇の列ができていた。あの時、俺は坂本と一緒に管制業務をしていた。そして当時主幹管制官だった榎田さんが全体の指揮を執っていた。」
片山は一息つくと、少し緊張した面持ちで続けた。
「その時、到着した航空機に誤った指示を出してしまった。滑走路を逸れる指示を与えるべきところを、出発準備を進めていた別の航空機とルートが重なる指示を送ってしまったんだ。」
その瞬間、場の空気が張り詰めた。真奈美が思わず小さく息を飲み、篠田が眉をひそめた。
「結果的に、到着機と出発機が滑走路上でニアミスを起こしてしまった。大惨事には至らなかったが、すぐに対処しなければさらなる遅延が発生する状況だった。乗客や航空会社に多大な迷惑をかけてしまった。」
片山の声は低く、どこか遠くを見つめるようだった。続けて、彼はその後の状況を話した。
「その日の業務が終わった後、上司だった榎田さんから厳しく叱責を受けたよ。『お前のミスでどれだけ混乱が起きたかわかっているのか?管制官として失格だ』と言われた。あの時の言葉は忘れないよ。自分は、懲戒処分も覚悟したけど、最終的には地元の大分空港への異動が決まったんだ。それが、俺が大分に行くことになった理由だ。」
一同が言葉を失う中、片山の声はどこか淡々としていた。しかし、彼の表情には当時の悔しさと後悔がにじんでいた。
話の途中で、坂本が口を挟んだ。その声はいつになく真剣だった。
「片山、それは全部じゃない。話していない部分があるだろ。」
片山が戸惑ったように坂本を見つめた。
真奈美が少し身を乗り出し、「どういうことですか?」と坂本に問いかけた。
坂本は力強い声で続けた。
「確かに片山が指示を出したけど、その指示は元々榎田さんが下した判断だったんだ。あの時、榎田さんが出発機のスケジュールを優先させるようにと片山に命令してきたんだよ。そして、その判断が結果的にニアミスを招いた。」
「おい…」片山が口を開きかけたが、坂本はその言葉を遮るように話を続けた。
「お前は自分を責めすぎだ。確かにミスがあったけど、それを片山一人の責任にするなんておかしいだろ。榎田さんは自分の判断ミスを隠すために、片山に全ての責任を押し付けたんだ。」
その場の空気がさらに緊迫したものになった。鈴木が驚いた表情で「そんなことが…」とつぶやき、内田は無言で腕を組んで考え込んでいた。篠田は悔しそうに唇をかみしめていた。
真奈美が片山の顔をじっと見つめ、静かに口を開いた。
「片山さん、それをどうして今まで誰にも話さなかったんですか?」
片山は一瞬目を伏せたが、深く息を吐いて答えた。
「自分が指示を出したという事実は変わらないからだ。それに、俺には管制官としての責任があった。その責任を他の誰かに押し付けたくはなかった。」
坂本が片山の肩に手を置いた。
「それでも、みんなには知る権利がある。それに今の片山には、こうして支え合えるチームがいるんだ。もう一人で抱え込むな。」
佐藤がその場を見渡し、深くうなずいた。
「そうだな。片山、今お前が語ってくれたことは大切なことだ。このチームはお前を支えるためにもあるんだ。みんなでこの空港を守っているんだからな。」
片山は目を閉じて深く息をつき、少しだけ笑みを浮かべた。
そして鈴木が笑顔で言葉を投げかけた。
「自分も大分で一緒に働いていた時に気づいていればよかったです。片山さん、これからは何かあればちゃんと相談してくださいね。僕たち、いつでも力になりますから。」
内田も冗談めかして言った。
「まあ、相談されても俺の答えはシンプルですけどね。『とりあえずビールでも飲むか』って感じで。」
三津谷が軽く笑いながら「それ、仕事中には使えないアドバイスだぞ、内田」と突っ込む。
篠田は真剣な表情で「片山さんの過去に何があっても、今の片山さんは私たちにとって、ほんとにすごい管制官です。何かあったらみんなで解決していきましょうよ、私たちチームなんですから。」と言った。
真奈美は片山に向き直り、「片山さんがいるから私たちも頑張れるんです。これからも一緒に空港を守っていきたいです。」と力強く言った。
佐藤が静かに言葉を続けた。
「片山、これからもお前の経験を活かしてくれ。我々はチームだ。一人では守れない空も、みんなでなら守れる。」
片山はうなずき、感謝の意を示した。「ありがとう。これからも、みんなと一緒にやってくよ。」
坂本が微笑みながら冗談を言った。「これで俺の視察の成果も十分だな。帰ったら報告書にしっかり書いておくよ。」
その場の緊張がほぐれ、一同が笑顔を取り戻した。
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夜の羽田空港は静寂の中に独特の活気を宿していた。離着陸する航空機の音も途切れ、誘導灯がきらめく滑走路は、まるで宇宙空間に伸びる光の帯のようだった。
管制塔の上階から片山は一人、窓越しに夜の空港を見下ろしていた。その表情は、どこか穏やかで解放されたようなものだった。過去を語り、心に溜めていたものを少し手放した後の彼は、以前のような硬さが抜けていた。
そのとき、背後から足音が聞こえた。振り返ると、真奈美と鈴木が立っていた。真奈美は少し息を切らせながら微笑み、片山に声をかけた。
「片山さん、やっぱりまだここにいましたね。」
鈴木はコンビニのナイロン袋を手に持ち、軽く振りながら片山に笑いかけた。
「片山さん、三人でラーメンでもどうですか?こんな時間だし。」
片山は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに小さく笑った。「お前は相変わらずだな。」
真奈美も微笑みながら、「片山さんが夜食を食べるところなんてあまり想像できないですけどね。」と冗談交じりに言った。
三人は休憩スペースへ移動し、窓のそばにある簡素な机に腰を下ろした。鈴木が袋からカップラーメンを取り出し、テーブルに並べる。湯を注ぎ、蒸らす間、三人は静かに窓の外を眺めていた。夜の空港が目の前に広がり、誘導灯の明かりが点滅している。
ラーメンが出来上がり、湯気が立ち上るカップを手にした片山は、スプーンを握りながら呟いた。「大分にいた頃も、夜遅くなったときは、よくこうやって鈴木とラーメンを食べたな。」
鈴木は笑みを浮かべながら懐かしそうに頷いた。「覚えていますよ。あの頃遅くまで働いた後、こうやって二人で食べるカップラーメンがすごく美味かったですよね。」
片山はスープを一口飲み、「あの頃はあの頃で、今思えば悪くなかったな」と言った。その声には少しだけ懐かしさが混じっていた。
鈴木は一瞬真剣な表情になり、片山を見つめた。「でも、片山さん。正直言うと、あのときもっと気づくべきだったと思うんです。片山さんが何かを抱え込んでいることに。俺、何年も片山さんのもとで働いていたのに、何も気づけなかった。」
片山は少し驚いたように顔を上げたが、すぐに視線を窓の外に戻した。「あの頃は…自分でどうにかするしかないと思っていた。それが管制官としての責任だと思っていたんだ。」
真奈美がカップラーメンを手に持ちながら口を開いた。「片山さん、さっき窓の外を見ていたときの表情が、いつもと違って見えました。なんだか、少し安心したような…落ち着いたような。」
片山は真奈美を見つめ、少し照れくさそうに微笑んだ。「そうかもしれないな。こうして話せたことで、少し肩の荷が下りたのかもしれないな。」
真奈美は少し間を置き、言葉を続けた。「こんなこと言うのは変かもしれないけど、片山さんのことを知れて、なんだか嬉しかったです。」
片山はその言葉に少し目を細めながら、「そうか、それなら俺も話した甲斐があったよ。」
鈴木は片山の言葉を受けて明るい声で言った。「これからは俺たちがいますからね。何かあればすぐに言ってくださいよ。ラーメンでもなんでも付き合いますから。」
真奈美も頷きながら、「そうですよ。私たち、チームなんですから。またいろいろ教えてください。今度は片山さんのプライベートのことも。」
片山は軽く笑いながら真奈美に突っ込んだ。「おいおい、いきなりプライベートを暴こうとするのはどうなんだ?」
鈴木が真奈美に続けて、「まあ、これからもよろしくお願いします、片山さん。」と言うと、真奈美も頷きながら、「はい、よろしくお願いします。」と力強く続けた。
片山は二人を見て、穏やかに微笑んだ。「ああ、よろしく頼む。何て言うか、本当に羽田に来てよかった。」
休憩スペースにはしばしの間、温かな雰囲気が流れた。湯気の立ち上るカップラーメンの香りが空間を満たし、外の空港の灯りが静かに瞬いている。片山の中にあった長年のわだかまりが、少しずつ解けていくのを感じる夜だった。